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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第134回 みけねこ作 『川の見える窓』第二章

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二号店が開いた秋、社内報には新しい施設の写真が載った。スポーツクラブの隣にカフェがあり、その奥には一般客も入れる飲食スペースが広がっている。明るく洗練された内装の中に若い客たちが座っているのを見ると、荒川沿いでものを作ってきた東亜ラバーとは、ずいぶん遠いところまで来たものだと佐伯は思った。

初めのうちは大きな問題もなかったが、冬に入るころから二号店は思うように伸びなくなった。期待していたほど会員が増えず、法人利用の話もなかなかまとまらない。飲食の方も一号店のようにはいかず、しばらくすると、予定していたほどの収益を見込めないことがはっきりしてきた。

黒瀬は立て直しのためにバンコクを走り回った。企業を訪ね、施設側と条件を話し合い、運営の仕方も変えた。東京へ戻るたびに少し疲れた顔になっていたが、佐伯には途中で投げ出そうとしている人には見えなかった。

すぐに閉めれば済む話でもない。設備も人も契約も残る。だから会社としてもしばらく様子を見ることになったが、そのころから佐伯には、スポーツクラブ以外の海外の仕事まで、以前とは違って見え始めた。

原材料の調達と商品の販売から始まったはずのタイ事業が、いつの間にか施設運営や飲食まで含むようになっている。うまくいっている間には気にならなかったことが、一つの事業につまずいた途端、急に大きく見えるものだった。

若い社員の野口が持ってくる資料にも、予定どおり進んでいない案件が少しずつ増えていた。どれか一つを取り出して大問題だと言えるほどではない。それでも以前のように、タイは順調だとひと言で片づける気にはなれなくなった。

佐伯は一度、森川にそのことを話した。

「一回、全体を見直した方がいいかもしれません」

森川はすぐには答えず、机の上の携帯電話に目をやった。

「黒瀬さん、今日はバンコクだったな」

その言葉の方が、佐伯には気になった。

「まず黒瀬さんの見方を聞こう」

数年前なら、順番は逆だった。

森川が自分で考え、その上で外の意見を聞いていた。いつから黒瀬の判断を先に確かめるようになったのだろう、と佐伯は思った。

会社が一番苦しかったころ、黒瀬は実際に東亜ラバーを助けている。調達先を広げ、販路を作り、海外事業を軌道に乗せた。その成功があったからこそ、森川にとって黒瀬は単なる顧問ではなくなったのだろう。

佐伯にも、それを簡単に批判することはできなかった。

春になっても二号店は持ち直さず、とうとう事業を整理することになった。そこで会社は初めて、スポーツクラブだけではなく、タイで広げてきた仕事全体を見直した。

すると、問題は一つの店の失敗だけでは済まなかった。

本業に近い原材料の調達や商品の販売から始まったはずなのに、いつの間にか東亜ラバーは、スポーツクラブを運営し、カフェを作り、飲食の仕事まで抱えている。ひとつひとつにはその時々の理由があり、正式な手続きも踏んできた。それでも全部を並べてみれば、会社の規模に比べて手を広げすぎていた。

さらに困ったのは、現地の仕事の多くを黒瀬が知りすぎていたことだった。

書類も契約も残っている。けれど、なぜその相手と組んだのか、その条件で何を目指していたのかとなると、東京で答えられる人間は驚くほど少なかった。

調べるほど黒瀬の名前が出てくる。

そのとき佐伯は、自分たちは黒瀬に海外事業を手伝ってもらっていたつもりで、いつの間にか海外事業そのものを任せていたのではないかと思った。

それを森川一人の責任にすることはできない。会社として承認してきた仕事であり、佐伯自身も取締役として多くの判断に加わっている。黒瀬が結果を出している間は、その速さを頼もしいと思っていたのも事実だった。

整理が始まってからもしばらく、黒瀬は現地で動いていた。クラブの後始末だけでなく、ほかの取引先とも話をつけようとしていたらしい。

ところが、その連絡がいつの間にか間遠になった。初めは忙しいのだろうと思われていたが、予定した打ち合わせが何度か延び、やがて黒瀬の会社を通しても本人と連絡が取れなくなった。

黒瀬は東亜ラバーの役員ではない。それでも彼がいなくなると、止まる仕事があまりにも多かった。

それだけで、会社がどれほど一人の人間に依存していたかが分かった。

黒瀬がなぜいなくなったのか、佐伯は最後まで知らなかった。事業の失敗から逃げたのかもしれないし、ほかに事情があったのかもしれない。

ただ、最初から東亜ラバーを騙そうとしていた人間だったとは、どうしても思えなかった。

黒瀬が来なければ、タイでの調達も販路も始まらなかっただろう。赤字だった会社が持ち直し、止めていた設備更新を再開できた時期も確かにあった。

その成功があったからこそ次へ進み、その次へも進んだ。

気がついたときには、遠くまで来すぎていた。

海外事業の整理は長引き、会社には大きな損失が残った。決算にも影響が及び、海外の事業をどのように管理してきたのかまで問われることになった。

スポーツクラブの失敗だけで会社が傾いたわけではない。そこを片づけようとして初めて、何年もかけて海外へ広げてきたものの重さが一度に表へ出たのである。

夏の荒川は、雨のあと何日も濁っていた。

森川は黒瀬に騙されたとは言わなかったし、佐伯もそう考えることで話を終わらせたいとは思わなかった。黒瀬を信じたのも、事業を広げたのも会社自身であり、自分もその中にいた。

やがて森川は社長を退く意向を示した。後任には社内の別の役員が選ばれ、海外事業を縮小して本業を中心に立て直す方針が決まった。使わなくなる工場敷地の一部も手放すことになり、その後、東亜ラバーは長く維持してきた上場も失った。

会社は以前よりずっと小さくなったが、なくなったわけではない。本社と主力工場は残り、海外で始めた仕事の中でも、本業につながるものは改めて条件を見直した上で続けることになった。

黒瀬がいた数年間を、すべて間違いだったことにするのも違うのだろうと、佐伯は思っていた。

冬が過ぎ、また三月になった。

赤字に落ちたあの春から、何年かが過ぎている。その間に東亜ラバーは海外へ出て、思いがけない成功を知り、その勢いのまま本業から遠いところまで手を広げ、最後には多くを手放して戻ってきた。

工場の一角はなくなり、長く会社についていた上場企業という肩書も消えた。それでも朝になれば搬入口にトラックが入り、製造棟では機械が動いている。

佐伯は手元の資料を閉じた。

窓の向こうでは、荒川の水面に春の光が揺れていた。

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