半蔵門かきもの倶楽部コミュの第九十四回　JONY作「Sexy」　（三題噺『新年度』『猫』『坂道』）

　その夜遅くに、俺の店にやってきた読書会の女（A子としよう）は、ほかの客がいなくなるや、彼女がつきあっていた男がほかの女に乗り換えようとしている問題について、相談というか、愚痴というかを話し始めた。
　A子の言うには、付き合っていた男は、胸の大きな女っぽい声を出すメス『猫』のような女と知りあってから、露骨に冷たくなり、このままだと別れるのも時間の問題だと言う。
　「男って、結局、セックスなのよね」
　と言って、A子は、大きなため息をついた。
　「君はセックスが嫌いなのか？」
　と俺が訊くと、
　「ううん。そんなことはないけどさ。いかにもセクシーな女に男は弱いでしょ？」
　「いかにもセクシーって？」
　「巨乳とか」
　「小学生か。胸の大きさと性的魅力は無関係だろ」
　俺のその言葉を聞くと、A子は、『その手には乗らない』と言う表情になり、
　「ジョニーさん。無理しなくて良いって。私がもし巨乳だったら、ジョニーさんは、女の魅力は胸の大きさだよとか言うんでしょ」
　と言った。
　「君は、男にとっての女のセクシーさが何なのかをもっと知る必要があるな。胸がデカかったり、甘えた話し方をすることを女の性的魅力として男が惹きつけられると思うなら、あまりに単純すぎるぞ」
　「じゃ、何が女の性的な魅力なのよ？」
　とA子は、ムキになって訊いてきた。面倒臭いことになってきたなと思いながら、俺は、スマホで、或る記事を探し始めた。
　「これは、異性の性的魅力についてのコメントだ。俺が説明するより、この記事を読んだほうが早いから、まず読んでみてくれないか」
　と言って、俺はスマホをA子に渡した。A子は訝しそうに俺の顔を見返したが、やがて、スマホの記事を読みだした。

　以下に、少し長いが記事を引用する。
　ーーー　異性の性的魅力についての男女間の認識の隔たりには驚くべきものがある。男は、異性である「女が抱く男の性的魅力」について、逞しい肉体や怒張した固い性器をイメージしがちであるが、女に言わせれば、そんなものは「男の性的魅力」の本質とは何の関連も無いようで、では何に「男の性的魅力」を感じるのかと言えば、去っていく男の哀愁のある後ろ姿の寂しげな肩や、自分を抱きしめる包容力のある大きな手であったりするらしい。即ち、男の肉体そのものの即物的な特徴と言うよりも、自己との関連におけるシチュエーションが大きな役割を果たすようで、これは女のオナニーに於ける詳細なストーリーの設定が必要であったりすることと無縁ではないかもしれない。
　この理は、「女の性的魅力」についても言えると思うのだが、これは少数説だろうか？即ち、「女の性的魅力」とは、腰のくびれとか、乳房の張りや大きさという外見上のことでは「ない」というのは、多くの男性諸君の賛同を得ることのできるところだと思うが、その先になると、多数説は、当該女の「性的な好奇心の強さ」や、いわゆる「淫乱さ」が、「女の性的魅力」の本質だと考える向きが多い。もちろん、それも「女の性的魅力」の重要な一部分ではあるが、それが全てではないだろう。つまり、必要条件かもしれないが、十分条件ではない。結論を言えば、「女の性的魅力」の最大の要素は、「意外性」ではないだろうか。換言すれば、性的な魅力の本質は「ギャップ」にこそある。
　永井荷風『断腸亭日乗』に、以下のような文章がある。『郵便取りにと台所に至り見るに、下女正江風邪ひきたりとてガーゼの寝衣に赤き細帯しどけなく床の中に寝てゐたり。古人の言に一盗二婢三妓四妾五妻とかいふことあり。好色の極意げに誠なるが如し』
　即ち、シチュエーションである。このケースは二婢に当たるわけだが、この正江なる下女は、別段、目を引く美貌ではないであろう。しかし、普通では目撃できない場面で、無防備にガーゼの寝巻に赤い細帯を見せて寝ている姿をさらしてしまったことで、芸妓や踊り子を見慣れた遊び人荷風の性的関心を著しく引いたのである。その本質は「意外性」だ。知っているはずのこの某が、「女」だったと気づくその瞬間の驚きである。ーーー

　A子は、時間をかけてスマホの記事を読むと、酔いが覚めたような白けた顔で、俺を見た。
　「ギャップ？」
　「そうだね。その逆はマンネリかな」
　「でも、本当なの？」
　「荷風のいう『好色の極意、一盗二婢三妓四妾五妻』といのは、男の性的興奮のシチュエーションを言っているだけだからね。ただ、性的興奮の本質がシチュエーションにあるというのは、世界中共通でどんな時代でも共通する真理だと思うよ。俺は逆に、女の性的興奮のシチュエーションを研究したいね。脳波を測定しながらの医学実験で性行為の最中に女性に相手の男の年収が100万ドルだとヘッドホンで囁いたら性的興奮度が上がったというデータがあるそうだが、これは俺にはあまり関係ないしな」
　A子は俺の軽口はスルーして、
　「ありがとう。なんか勉強になったよ」
と言い残して、帰っていった。
　俺は急に一人取り残された感じになり、壁のテレビをつけて、店内を片付け始めた。テレビ画面は、ニュースで街の様子を映しており、『新年度』を迎えた学生たちが、ようやくコロナ禍を抜けてマスクをはずして、九段あたりの『坂道』を歩いている様子が移されていた。
　春だな。今日は車の屋根をあけて、靖国神社を通る道で帰ろうと決めた。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　終

コメント(1)

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[1] mixiユーザー 04月03日 17:28

　確かに性的な魅力のみならず「ギャップ萌え」ってありますね。
　例えばなろう系のラノベなどはこの「ギャップ」が作品のキモだったりもするそうです。
　例えば、弱いと思っていた主人公が実は最強（要は水戸黄門ですよね。ただの隠居の糞爺だと思っていたのが、国のナンバー２の権力者で最強みたいな）というギャップが読者を惹きつけるそうです。
　本論に戻しますと、確かに清楚に見える女性が、つきあってみたら意外なことに……（伏せ字です）だったり、逆にド派手でいかにも遊んでいますって感じの女性が古風で一途な面があったりすると、ぐっと惹かれますよね。
　いつもながら人間の描き方が上手い小説だと思いました。

　最後の車の屋根をあけて、新緑や桜咲く靖国神社周辺の通りを走るというエンドは好きです。
　春が来たって感じで、おしゃれですね。

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