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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第六十回作品 JONY作「哀愁の街に雪が降るのだ2」(三題噺 『雪』『サウナ』『線(ライン)』)

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半蔵門駅の6番口のエスカレーターを登り、外に出ると『雪』が降り始めていた。
ひらひらと舞い降りる細かい白い結晶を見上げながら、俺はふと思う。

中年にとって、恋愛は最後の砦だ。
退屈な家庭での時間、マンネリ化した仕事、からだの『線』はだらしなく崩れても、俺は恋を追う男だというかすかな矜持を頼りに、恋の香りを求めて今日も都会の片隅をさすらう。
コートの襟を立て、薄っすらと白く積もった歩道の雪に、黒い足跡をつけながら、静かな夜の街を歩く。やがて、目的の建物に到着して、俺はコートのポケットからキーホルダーを取り出し、細い廊下の突き当りのガラスのドアを開けた。照明のスイッチを入れるとバーカウンターが浮かび上がる。
暖房を点け、コートを脱いで、CDの棚からコルトレーンを選んでかける。
カウンターの隅の椅子に腰を掛けて、バランタインのオンザロックをちびちびやりながら、ポール・オースターの「孤独の発明」の頁をめくっていると、入口のセンサーが鳴った。
赤いコートを着た女が一人、店のガラスのドアを開けて入ってきた。昔、会ったことがあるような気がするが、よく覚えてなかった。
「いいですか」
「もちろん。どうぞ」
俺は今まで座っていた椅子を立ってカウンターの内側に回った。
「何かバーボンをロックで」
「ジャック・ダニエルでいい?」
「ええ」
分厚いガラスで出来ているロックグラスに角の張った大きな氷を入れて、シングルより気持ち多めの酒を注いで、マドラースプーンで丁寧に回し、女の手元のコースターの上に置いた。
女がグラスを掲げたので、俺も自分の飲んでいたグラスを合わせた。
「初雪に乾杯」
「12月にも雪が降ったよ」
「今年初めての雪だからいいのよ」
女は、今日たまたま赤阪見附に来たので、俺の店をスマホで調べて寄ってみたのだと言った。読書会の会員ではなさそうだった。
「前に会ったっけ?」
「会っているわよ」
「名前聞いてもいい?」
「いいけど、前に会った時に名前は言ってないわよ」
「俺は名乗ったのかな?」
「名前は言ってないかも。でも私が夢野久作が好きって言ったら、半蔵門で読書会しているって言ってたわ」
「……」
「ググったら、すぐに、このお店が出てきたから、今度、機会があったら行こうと思ったんだけどなかなかこの辺って来なくて。今日は赤坂見附の〇〇に寄ったんで、訪ねて見ようと思ったの」
女は、都会のリゾートを謳っているスパ・アンド・『サウナ』の施設名を言った。
夢野久作か。そう言えばどこかでそんな話をしたことがあったような記憶もある。
「ひょっとして、髪切ったりした?」
「ううん。してないわよ。私のこと、思い出せないんでしょ?」
「ごめん。会ったとは思うんだけど、どのくらい前だっけ」
「半年くらいかな」
そんなに昔の話ではない。それなのに、思い出せないとは。女は大きな瞳が印象的な綺麗な顔立ちをしているのに。
前に会った時は、今、彼女が身に着けている白のワンピースと全く違う服だったので、印象が違うのだろうか。
「そのとき、和服を着ていたりした?」
「ううん。二人とも服を着て無かったわ」
「えっ?」
俺は一瞬、頭の中が真っ白になった。嫌な汗が全身の毛穴から吹き出すのが分かった。
裸?
たぶん、その時の俺の表情が余程可笑しかったのだろう。女は吹き出した。
「馬鹿ね。スポーツクラブよ。プールで会ったのよ」
あ、そうだ。思い出した。プールサイドで、この女とドグラ・マグラの話をしたことがあったのだった。解ってみれば何のことはない。
女は楽しそうに笑った。
「今、スゴく焦っていたわね」
返す言葉が無かった。時計の針はようやく九時を回ったところだった。
この女と酒を飲んで果たして恋の香りが漂うようになるのかは神のみぞ知るだが、たった一言で俺に強烈なパンチを食らわしてくれた女と、読むだけで精神異常になると言われる奇書について、この雪の夜にじっくり語り合うのも良いのじゃないかと、俺は思い始めていた。
外では街路灯のオレンジ色の灯りを反射させて、雪は降り続いている。
(終わり)

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