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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第五十七回 みけねこ作『濁流』

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 その夜は、台風が通り過ぎたせいで、十月とはおもえないほど暑かった。

 妻が作ってくれたおつまみとビールで晩酌をしながらテレビの報道番組を見ていた私は、手にしていたグラスを落としそうになるほど驚いた。
 「新鋭作家 勝浦 崇 特集」というコーナーに紹介されていた白髪交じりの作家は、名前こそ違っていたが、私の知っている男だった。彼が学生の頃から小説家を目指していたことは知っていたが、本当になっていたとは。『清流』という小説の存在は、スマホに流れてくるニュースで知っていたが、まさかあいつが書いたものだったとは夢にも思わなかった。
 そもそも、私が読む小説は、歴史小説かビジネス書が主で、エンタメ小説を読むことは少なかった。

 テレビ画面では、キャスターが整った笑顔を作りながら彼にインタビューをしていた。
「勝浦さんが、この小説を書いたきっかけは?」
「ずっと忘れられない人がいて、その人のためにいつか書こうと決めていました」彼は、緊張しているのか顔がこわばっていた。鋭い目つきは三十年前から変わっていない。
「その人は、初恋の人ですか?」
 このキャスターは、つまらない質問をするもんだと腹が立った。彼もそう思ったのか、彼女を一瞥して言った。
「想像にお任せします」
 私は、チャンネルを変えた。これ以上彼の姿を見ていることはできなかった。キッチンからは、妻と高校生の息子の話し声が聞こえる。ふいに声が私に近づいた。
「ねえ、拓司の受験のことだけど……」
「え、え、なんだ」
「夏の模試の結果が良かったから、パパの大学に挑戦したいんだって」
 私の母校を受けたいということは、前から聞いていたが、拓司の成績では無理だと思っていた。でも息子が母校を目指してくれるのは、こそばゆいような嬉しい気持ちだった。
「ああ、挑戦してもいいと思うよ。学部は?」
「文学部だって」
 嫌な気持ちになった。あいつが同じ大学の文学部出身だったからだった。
「拓司って、文学部目指してたのか?」
「え? パパに言ってたでしょ?」
聞いたことがあったかも知れないが、覚えていなかった。小さいながらも会社を経営している私は、仕事のことばかり考えていて、家族のことを深く考えたことがなかったことを思い知らされた。

 その夜は、ベッドに横になっても、寝付けなかった。眠ろうと思うとどんどん目が冴えてくる。
 寝息をたてている妻を起こさないようにそっと寝室を出た。リビングでスマホを取り出して『清流』を検索する。『すべての女性へ。愛情の深さに三回泣けます』という陳腐なコピーに虫唾が走った。そのままスクロールしていくと『来春、映画化決定!』という言葉があった。どうしても本の内容を知りたい。けれども自分で読むことは怖くてできなかった。私は、アマゾンで『清流』を購入した。送り先は、自宅ではなく、彩花という女の住所にした。彩花に読んでもらってあらすじを聞こう。そう思うと少し心が落ち着いた。

 翌日、会社に着くと、私は彩花にラインを送った。
「突然、ごめん。君の家に『清流』という本が届くと思うけど、読んで感想を送ってくれる?」
 彩花からはすぐに返事が来た。
「どうしたの?」
「事情はまた話すから、先入観なしに読んでほしいんだ」
「わかった。本屋大賞とった本でしょ。読んでみたかったんだ」
「じゃ、今夜、食事でもする?」
「了解。いつものところね」
 彩花からは、大きなハートマークのスタンプが送られてきた。二歳年下の彼女とは、三年前からの付き合いだ。彩花は、私の気持ちを察してくれる賢さと癒しの両方を備えた女だった。家族がいる私は、独身の彼女の将来を約束をすることはできなかったが、彩花もそれを悟っていて私に離婚を迫るようなことはしなかった。

 あいつとは同級生で、大学のフォークダンス同好会で知り合った。フォークダンスが好きだったわけではない。地方から出てきた私は、都会のきらきらした空気に圧倒され、輝くばかりの学生の中で、テニスサークルなどに入る勇気はなかったのだ。入学式のあとのガイダンスで、フォークダンス同好会にたまたま声をかけられ、そのまま入っただけだった。フォークダンスといえば、マイムマイムくらいしか知らなかったが、入ってみると民族音楽には、華やかなもの、激しいものなどがあり、想像以上に奥の深いものだった。人数も少ないので和気あいあいとした雰囲気だった。
一つ下の学年に、花田恵梨香という学生がいた。彼女は、近くの女子大学に通っていて、私の大学のサークルに入っていた。彼女は、附属中学からエスカレーター式に大学に進学していて、公立中学、高校しか進学を考えたことがない私にとって、別世界のお嬢様だった。彼女の父親は、東京の下町で会社経営をしているということだった。
 あいつは、目つきの鋭い男だった。私と同様、地方から上京していたが、気おくれすることなく、堂々としているところがしゃくにさわった。態度がでかいというほうが正しいかも知れない。いつもよれよれのシャツを着ていたが、精悍な顔立ちの彼にはよく似合っていた。

 大学四年生のとき、あいつが、花田恵梨香と付き合っているという噂を聞いた。彼女に告白する機会を狙っていた私は、一人で街に出て飲んだ。自暴自棄になり、居酒屋で一人で飲んでいる女に声をかけた。彼女は、酔っている私を見ていたわるように言った。
「何か悲しいことでもあったの?」
「ああ、好きだった女の子が、俺の一番嫌いな奴と付き合ったんだ」
「そうなんだ。あんた、告白したの?」
「ううん」
「伝えなよ。ほんとに好きなら、どんな汚い手を使ってでも奪ってしまえ」
「そうか。伝えなきゃな。汚い手か」ふと、店の外の警視庁のポスターが目に入った。殺人事件の犯人の指名手配の顔があった。
 立ち上がり、そのまま女の手を引いて、裏通りにあるホテル街へと向かった。
 
 大学を卒業し、私は大手銀行に勤務し、三年後に花田恵梨香と結婚した。現在は、彼女の父の跡継ぎとして、花田鉄工所の代表取締役社長に就任している。
 私は、三十年前、嘘をついた。花田恵梨香の友人にあいつの父親は有名な殺人犯で指名手配されていると言ったのだ。彼の名前は、少し変わった名字で、たまたま、あの夜見たポスターの指名手配の犯人と同じだったのである。
 彼が彼女と別れたという噂を聞いたのは、数か月後だった。あいつはそれきり大学に来なくなった。卒業式にも顔を見せず、消息が分からなくなっていたのだ。報道番組で彼を見たのは、学生以来だった。

 数日後、彩花から『清流』を読んだという連絡があり、私は、彼女と会う約束をした。
 夜景の見える高層階のレストランで夕食を取りながら彼女に聞いた。
「どうだった?」
「うん。優しさに溢れる作品だったよ」
「あ、あらすじは?」私はいてもたってもいられない気持ちだった。
「主人公が、ずっと想いを抱いていた女性のことが忘れられないって話しなんだけどね」
「その女性はどんな人?」
「会社経営をしているおうちのお嬢様で、主人公は、ある出来事があって彼女の元から去っていくんだけど」
「ある出来事?」私の心臓が鳴った。
「家族に犯罪者がいるということで、別れるんだけど、それは、彼女から身を引くための嘘だった」
 私は言葉が出なかった。彩花は話を続けた。
「それで、五年後に再会して、二人は恋に落ちてしまった。彼女はそのとき結婚していたけど」
「再会?」私は後頭部を殴られたような衝撃を覚えた。
「うん。再会して、彼女は子どもを身ごもったんだけど、それは、彼の……」
 私は、手にしたフォークとナイフを床に落としていた。ワイングラスが倒れ、テーブルクロスが赤い色に染まっていく。
彼が本を通じて伝えたかった忘れられない人というのは、私のことだったのか。

 どうしたの? という彩花の声がこだまのように聞こえてくる。

私は、茫然として、窓ガラスに映る夜景を見ていた。

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