半蔵門かきもの倶楽部コミュの第五十二回みけねこ作『金魚花火の縄』　

　山道を上がりきったところで視界が開けた。青々とした田んぼの中にミニチュアのように小さな家が点在している。私は、運転席にいる拓海（たくみ）のほうを向いて言った。
「ちょっと、休まない？　長時間運転して、疲れたでしょう」
　お盆休みに私たちは、山陰地方の拓海の実家に向かっていた。私は、車の免許を持っていないので、彼が一人で東京から運転している。疲れているのだろうが、私を実家の両親に紹介するために張り切っていた。
　渋滞のため、長い間日を浴びつづけた車内は、冷風がなければのぼせるほど熱くなっていた。そのため、拓海がエアコンの設定をマックスにしていた。冷房が苦手な私は、何度か窓を開けて空気を入れ換えたが、そのたびに熱風が顔にまとわりついて、不快だった。
「そうだね、ちょっと休むか」
　拓海は、眺めの良いところで車を止めた。山の木が風に吹かれて、揺らいで見える。
　車から外に出ると、地面から熱気が湧き上がり、頭上では、太陽が容赦なく照りつけていた。私たちは、夏の陽射しを避けるように林の中に入った。背の高い竹が、空に向かってまっすぐに伸びている。竹に囲まれた道は、少しひんやりとしていた。その中を、私たちは手を繋いで歩いた。
　曲がりくねった道の先に、小さな赤い鳥居が見えた。神社があるようだ。鳥居には、太いしめ縄がかけられていた。よく見ると、しめ縄の端から、黒ずんだ縄が一本、垂れ下がっている。ちょうど拓海の肩ほどの高さで揺らいでいた。鳥居を通り抜けたとき、拓海がその縄に触ると、するりと落ちた。私は不安な気持ちになって言った。
「大丈夫？」
「何が」
「だってしめ縄でしょう。祟りとかあったらどうするの」
「そんなの迷信だよ」
　拓海は、笑いながら縄を拾い上げ、鳥居の横の草むらに置いた。
　参拝する人もあまりいないようで、神社は無人だった。みたらしで手と口を清めてから、私たちは拝殿前まで進んだ。小銭を探して賽銭箱に入れ、お辞儀をした。それから二人で手を合わせた。私は拓海の家族とうまくやれるようにと願った。
　神社の横には、大きな池があった。たくさんの水を湛えた水面は、空と竹林が映り、まるで鏡のようだった。私は、両手を伸ばして深呼吸をした。
　拓海は、池に近づき、足もとにあった小石を拾うと、水面に向かって投げた。小石は、いくつもの輪を描きながら軽やかに跳ね、静かに消えた。
「わあ、すごい。私も」
　小石を拾おうと、しゃがみ込んだとき、後ろのほうで、がさっという音がした。振り向くと、少し離れたところに白地に赤い金魚の模様の浴衣を着た少女が立っていた。中学生ぐらいだろうか。色白で黒髪を伸ばし、日本人形のような顔立ちをしていた。
　彼女は、私たちに気付いていないようだった。うさぎのようにきょろきょろとあたりを見渡したかと思うと、そっと着物の裾をまくりあげた。そして、背の高い草むらの中にしゃがみ込んだ。水が流れるような音がしたので私は驚いた。とっさに少女から目をそらすと、拓海が怪訝そうな顔をして言った。
「どうしたの？」
　私は、少女がいた方向に視線を向けた。「あそこに、浴衣を着た女の子が……」
　拓海が振り向いた。ざわざわと、高い木の枝の揺れる音がした。やはり彼女の姿は見当たらなかった。
「いないじゃないか」拓海が続けた。「気のせいじゃないの？」
「いたんだけど、急に見えなくなって」
「でも、誰もいないぜ」
　私は言葉につまった。
　拓海は、私の肩を軽く叩いた。
「さ、行こうか」
　
　曲がりくねった山道を下っていくと、右や左に体が揺れた。道はだんだん広くなり、コンビニエンスストアや、小さな商店が見えてきた。平地まで来ると、一面緑色の田んぼだった。風が吹くたび稲穂が揺れて、水の流れのような動きをする。やがて正面に、なだらかな山が見えてきた。
「あの山のふもとが、ぼくの実家だよ」
　私は、少し緊張して、姿勢を正した。
「いよいよ拓海の家族と会うのね」
　小さなため息をついたが、拓海は気づかないようだった。

　彼の実家に到着すると、車の音を聞きつけたのか、玄関から女性が出てきた。彼女は、私たちの姿を見ると、表情がゆるんで、笑顔になった。
「拓海、遅かったね、ずっと待っとったが」
　拓海は、照れたように笑った。
「ごめん、ごめん」
　私は、一礼をして、挨拶をした。
「はじめまして。水谷紗栄子（みずたに　さえこ）です」
　女性は、日焼けをした顔をほころばせながら言った。
「拓海の母親の美和子（みわこ）です。よろしくね。疲れたでしょう。ま、どうぞ、ゆっくりしていきんさいね」
　美和子の笑った顔は拓海とそっくりだった。話し方はおっとりとしていて、緊張していた私の気持ちは楽になった。
　居間に通され、冷たいお茶を飲んでいると、ヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。縁側を開け放し、扇風機がリズミカルに動いている。初めて来た場所だというのに、懐かしい気持ちがした。
　私たちは、美和子が用意してくれていた夕食をとった。拓海は、好物の焼き魚を箸でほぐしながら美和子に聞いた。
「今日、父さんは？」
「遅くなるけえ、先にご飯食べときんさいって。紗栄子さん、ごめんね、せっかく来てくれたのに」
「いえいえ。お忙しいところすみません」
　美和子は、私のグラスに麦茶を入れてくれた。
「紗栄子さんは、東京生まれじゃのに、弥生町（やよいまち）みたいな田舎に来てびっくりしとるじゃろ」
「いえ、そんなことないです。すごく空気が綺麗で……」
「まあ、ずっと暮らしてると、退屈になるじゃろうが。拓海は、東京で働いとるけん、ここには住まんじゃろうけど、たまに遊びにきんさいね」
　都会の喧騒を忘れさせるゆっくりとした時間の流れが私の気持ちを穏やかにさせた。拓海は、大きく背伸びをした。
　美和子が思い出したように私たちに向かって言った。
「そうそう。今夜は、隣町の三好（みよし）ダムの花火大会があるけん、行って来たら？」
　拓海は、運転の疲れもあるのか、少し迷っているようだった。
「これから？　うーん、どうしようかな……」
「今日は、公園も駐車場に開放してるらしいけん、せっかくじゃけ、車で行ってくれば？」
　彼は私の顔を見た。
「じゃあ、行こうか」
　私は、うなずいた。

　三好ダムに向かう道は、街灯もなく、真っ暗だったが、花火大会の場所は、遠くからもわかるほど、明るく光っていた。
「ぼくが子供の頃には、花火大会なんてなかったんだけど、ここも過疎化してきてるから、最近、町おこしをするようになったらしいよ」
「川の花火なら見たことがあるけど、ダムなんて珍しいね。楽しみ」
　ダムの入り口付近の道は綺麗に舗装され、大きな駐車場があった。その横には、広場があり、「みよし運動公園」という看板があった。自然に囲まれた町の中で、この場所だけは、人工的に作られていた。
　駐車場に車を停めると、提灯に照らされた屋台がたくさん並んでいるのが見える。アイドルグループの音楽が流れていて、浴衣を着た人々が列を作っていた。
　花火の鑑賞席として、公園の一角にベンチとテーブルが並べられていた。水面を見下ろせる場所にあるので、すでに半分ほどの席は埋まっていた。公園に隣接する二階建ての管理棟には電灯がついていて、人の影が見える。
　正面には小さなステージがあり、「みよしケーブルテレビ」と書かれた看板が立てかけてあった。撮影用のカメラの前で浴衣を着た女性司会者がリハーサルをしている。田舎の小さな花火大会だと思っていたが、なかなか本格的だった。
　司会者が挨拶をすると、静まり返った会場に第一弾の花火が上がった。歓声と拍手が一緒になり、コンクリートの壁に反響して、まるでコンサート会場にいるかのようだ。空に打ち上げられた花火は、水面にも映し出された。私は拓海を見て言った。
「すごい迫力だね」
　彼も興奮で目を輝かせていた。
「こんなにすごいとは思わなかったよ」
　プログラムがラストに近づくと、幻想的な音楽が流れ始めた。水面に滝のように落ちる花火と、水中に解き放たれた花火が、赤、黄、緑の光を放ちながら魚が泳いでいるような動きを見せている。私は、思わず立ち上がって叫んだ。
「すごい、水の中で花火が泳いでる」
「ああ、金魚花火だね」
「きれいね」
　水面を走る光は、そのうちに燃え尽きたように消えていく。その中で、赤い光だけは長く残って、渦を巻いているような動きをしていた。そしてだんだんと細くなり、消えて行った。

　花火大会が終わり、私たちは、公園から駐車場に向かって歩いていた。そのとき、目の前に少女が現れた。昼間、池のそばで見た娘だった。彼女は、私の目の前で、浴衣の裾をまくり上げてしゃがみこんだ。私は、こんなところで用を足したらだめだよと注意しようとした。すると、眩しい光とともに耳が裂けるような音が鳴り響いた。耳をふさぎ、目を閉じた。そぐそばで男のわめき声が聞こえてくる。恐ろしい声だった。爆発で誰かが怪我をしたのだろうか。
　目を開けると、あたり一面は、漆黒の闇に包まれていた。

　さっきまで、あんなにたくさんの人が歩いていたはずだったのに、辺りには誰もいなくなっていた。拓海は？　彼は、どこに行ってしまったのだろう。電話しようとして、バッグがないことに気がついた。私は、焦った。暗闇の中を這うようにして探したが見つからなかった。心臓の鼓動が鳴り響く。冷や汗が止まらない。どうしていいのか、途方に暮れて座り込んでしまった。帰ろうにも道が分からない。完全に迷ってしまったようだ。
　しばらくすると、目が暗闇に慣れてきたのか、遠くにぽつんと小さな灯りがあるのに気が付いた。私は、立ち上がった。藁にもすがる気持ちでその灯りに向かった。

　たどり着いたところは、木造平屋建ての小さな家で、「安田」という表札があった。私は、扉をノックした。
　家から出てきたのは、紺色のかすりを着た女性だった。玄関の扉の奥に見える部屋は、ろうそくで灯されていて薄暗かった。
「すみません。道に迷ってしまったんです。弥生町はどの方向でしょうか？」
　女性は、無表情だった。淡々とした口調で言った。
「弥生町？　だいぶ遠くじゃが。こんな暗い道を女の子一人で歩いたら危ないけえ、今夜は泊まりんさい」
　私は、女性に甘えていいのか、少し迷った。しかし、今、外に出たとしても、一人で帰れるとは思えなかった。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて泊まらせてもらいます」
「まあ、これでも飲んで、ちょっと休みんさい。この町で取れたごぼう茶じゃ」
　私は、温かいお茶を受け取った。
　この家には、女性のほかに誰かいるのだろうか？　奥にある仏間の壁には、何人かの写真が飾ってあった。その中に見覚えのある顔を見つけた。私は息を飲んだ。あの少女そっくりだったからである。私の視線に気づいたのか、女性がつぶやいた。
「ああ、この子はね、私の娘なんじゃよ」
　彼女は、下を向いて、絞り出すような声で話し始めた。
「京子（きょうこ）っていってね、いい子じゃった。ちょうど、お祭りの日じゃったが、幼馴染の男の子と約束して、神社で待ち合わせしとったんじゃが……」
「神社……」
　私は、ふと昼間に参拝した神社のことを思い出した。彼女は、眉間にしわを寄せて、声を震わせた。
「京子は、あの夜、泥で汚れてぼろぼろになって帰ってきて」
　彼女は、無表情のまま話を続けた。
「ばちが当たることをしてしもうたと、泣き続けて。怪我もしとるし、あまりに様子がおかしいので、次の日に病院に連れて行ったんじゃ」
　彼女は、両手に握りこぶしを作り、絞り出すような声で言った。
「病院の先生は、私と主人を呼んでこっそり言ったんじゃ。かわいそうに男に襲われとると。精神的にもまいっとるけえ、入院させんさいと言うたんで、そのまま入院させることにしたんじゃ」
　私は、湯呑を持ったまま話に聞き入っていた。女性は、優しい眼差しで京子の写真を見ながら話を続けた。
「入院しても、ずっと泣いていてね、私らが聞いても『自分がばちのあたることをしてしもうたから、こんなことになった』ばかり言うんじゃ。でも、ようやく襲われた男のことを話してくれた。額には大きなほくろがあって、黒い法被に弥生という文字があったとね」
　彼女は、声を震わせた。
「でも、それ以上は言わんかった。そして、その日の夕方、私らが目を離したすきに、外に出て池に飛び込んでしもうた。スカートのポケットに縄が一本入っとってな。火薬の臭いがしたんじゃ」
　私は、少女のあどけない顔を見た。そんなに辛い思いをしたのかと胸が痛くなった。
　女性は、ため息をつき、目を伏せて言った。
「主人は、犯人は弥生町の花火師じゃろということで、探し当てて怒鳴り込んだんじゃ。それで殴り合いになって、転倒した主人は、打ちどころが悪くて、死んでしもうて」
　あまりにも続く不幸な話に、私は、自分が道に迷っていたことをすっかり忘れていた。彼女は、私のほうを向いて、うっすらと笑い、急須からお茶を注いだ。
「まあ、ごぼう茶、どうぞ」
　一口飲むと、疲れが出てきたのか、眠気が襲ってきた。

　私は小さな神社の境内にいた。白地に赤い金魚の模様の浴衣は、今年、母親が作ってくれたもので、とても気に入っていた。今日は、待ちに待った夏祭りである。神社の鳥居の横で、私は、幼馴染の彼と待ち合わせをしていた。私たちは、恋人同士で、将来を誓い合っていた。
　日も暮れかかり、屋台の準備で賑わっている参道をじっと見ていると、不覚にも尿意を催してきてしまった。家に戻ろうかと思うが、時間が足りない。私は、境内の草むらに入っていった。背の高い草むらを見つけると、誰もいないのを確認し、浴衣の裾をまくり、そっとしゃがんだ。
　そのとき、背後から何者かに両手で口を押さえつけられた。恐怖のあまり、声も出ない。そのまま仰向けに押し倒された。私の体の上に乗っているのは、黒い作業着を着た見たこともない男だった。彼は、私を鋭い目で睨みつけた。私は、恐怖のあまり声を出すことができず、男の乱暴な扱いに耐えるしかなかった。私の体に痛みが走った。そのあとのことは、覚えていない。
　気づくと池に向かってとぼとぼと歩いていた。手には、男と揉み合ったときに掴んだ細い縄を持っていた。顔の涙をぬぐうと、手のひらから火薬の臭いがした。絶望のあまり、悲しいという感情も湧き上がって来なかった。生きる気力もなく、ぼんやりと歩いていた。

　朝陽の眩しさで目が覚めた。体のあちこちが痛い。起き上がった私は驚いた。なんと草むらで眠っていたのだ。どうしてこんなところに寝ていたのだろう。私は、記憶をたぐり寄せた。道に迷って、安田さんの家に泊まらせてもらった記憶がある。あれは、夢だったのだろうか？　
　私は、服についた草を払いのけながら見渡した。どうやら昨日迷った林の中にいるようだ。拓海はどこに行ったんだろう。ふと見ると、目の前に曲がりくねった木があり、探していた私のバッグが細い縄でくくりつけられていた。
　取ろうとして触れた瞬間、ダムのほうから魚が跳ねるような音が聞こえてきた。振り向くと、赤い光が金魚のように揺らいだ。やがて、光は見えなくなり、木に視線を戻すと、縄が消えていて、バッグは地面に落ちていた。
　私は、少しの間、茫然と立ちつくしていた。我に帰ると、思い出したように、スマホを取り出し、拓海に電話をした。拓海の緊迫した声が聞こえた。
「紗栄子、今、どこ？」
「公園の近く。拓海は？」
「駐車場」
「わかった。今すぐ行く」
　私は、小走りで駐車場に向かうと、見覚えのある車が見えた。拓海が心配そうな顔で、こちらに向かって走ってきた。
「紗栄子、大丈夫？　昨日、ぼくは迷ってしまって、今朝、ようやくここにたどり着いたんだ」
「私も、道に迷ってしまって……」
　彼は、私の肩を抱いた。
「良かった。ほんと無事で良かった」
　私は、拓海の胸に顔を埋めた。安心して、涙がこぼれてきた。
「拓海はどこにいたの？」
「ぼくは、花火が終わったあと、紗栄子と歩いていると、知らない少年に体を引っ張られて、どんどんダムの奥に連れて行かれたんだ」
「奥？」
　彼は、私の手を握りながら話を続けた。
「そこは、花火の打ち上げの場所でね。花火師たちが順番に花火を上げる準備をしてたんだ。そしたら……」
　彼の顔が曇った。
「どうしたの？」
「その少年がね、花火が並んでいるところに忍び込んだんだ。打ち上げ花火のひとつに何か細工をして、戻ってくると、ぼくの手を引っ張って、今度は、反対方向に逃げ出したんだ」
　拓海は、興奮した様子で言った。
「そして、ものすごい爆音が響いて」
「あっ」
　私は、昨日、目の前が真っ暗になったあとの大きな音と眩しい光を思い出した。
「大きな叫び声が聞こえて、とにかく逃げたんだ。そのあと、少年にもう一度、花火の打ち上げ場所に連れて行かれて。そこには、血だらけの男の遺体があった。花火師が事故で死んだらしい」
　拓海は、目を閉じ、私の手をぎゅっと握った。
「そこからは覚えてない。走って逃げて、ようやくここに戻ってきたんだ」
　私は、恐怖のあまり、言葉が出なかった。拓海は、車のドアを開けた。
「とにかく帰ろう」

　家に着くと、美和子がかけよってきた。
「どうしとったん。何の連絡もないけえ、心配で眠れんかったよ」
　拓海は、彼女に謝りながら言った。
「心配かけて、ごめん、花火が終わってから、ぼくたち、迷ってしまって、帰れなくなったんだ」
「私は、安田さんという家に泊めてもらったようなんです」　
　その言葉を聞いた美和子の顔色が変わり、小さく叫んだ。
「えっ？　安田？」
「母さん、どうしたの？」
　美和子は、私に向かって聞いた。
「三好町の安田さんよね、どんな家だった？」
　私は、記憶を呼び起こした。
「木造の一階建ての家で、玄関を入ると土間があって、奥には大きな黒い仏壇があったかな」
　美和子は、深呼吸をして私のほうを見て言った。
「びっくりじゃ。たしかに、安田さんちじゃね。でも、安田家は、もう絶えてしもうて、家もないはずなんじゃけど」
　私は、驚いて言葉が出なかった。拓海は、真剣な表情で美和子に向かって言った。
「え？　どういうこと？」
美和子は、神妙な顔をして言った。
「ここだけの話じゃが、実は、安田さんとうちは、遠い親戚になるんよ。話すけえ、こっちにきんさい」
　居間の座卓に三人で座ると、美和子はゆっくりと話し始めた。
「もう、五十年も前の話じゃけど、三好ダムのあたりには、神社があって。今は、移転したんじゃけどね」
　私は、拓海と途中で立ち寄った神社を思い出した。
「その頃、その神社で女の子が男に襲われてショックのあまり、池に身を投げてしまったという事件があってな」
　美和子は、真剣な表情で話した。
「その子が、安田家の一人娘でね。大事に育てられてたそうな。可哀そうに、お父さんは娘が自殺してから、アルコール依存症になってしもうて、犯人だと、目星をつけた花火師と大喧嘩したんじゃよ」
　昨夜、安田さんの家で聞いた話と同じだった。美和子は、大きくため息をつき、話を続けた。
「お父さんは、その喧嘩が元で亡くなってしもうて、立て続けに家族を亡くしたお母さんは、神社の近くの木に首をかけて後を追ったんじゃ。それで、あの家は絶えてしもうた」
　私は、公園で自分のバッグがくくりつけられていた木を思い出し、背筋がぞっとした。ひょっとしてあの場で自殺したのだろうか。
　拓海が、美和子に向かって聞いた。
「その花火師は、どうなったの？」
　私もそれが知りたいと思っていた。
「その花火師は、何年かあとの花火大会で爆発事故があって、そのときに死んだんじゃ。火をつけようと覗き込んだときに爆発が起こって、吹っ飛んだらしい」
　拓海が昨夜出会ったという少年の話を思い出した。仕掛けをした花火、そのあとの爆発……。
　私は、身震いした。そして、気になっていることを話した。
「ほら、拓海、昨日、鳥居からほぐれていた縄が落ちたでしょ。あの縄……」
　拓海も、はっとした表情を見せ、つぶやいた。
「あの縄がひょっとして……」
　美和子が不思議そうな顔して拓海に聞いた。
「鳥居の縄って何？」
「ぼくらが神社に寄ったときに、鳥居から縄が落ちたんだ」
　拓海は、美和子の肩に手を置いて言った。
「これから、神社に行ってみよう。母さんも来て。車の中で説明するよ」

　私たち三人は、車で山の上にある神社に向かった。私は、縄があの場所に残ってくれていることを願っていた。縄を落としてしまってから、私たちの身の回りに恐ろしいことが起こり始めたのだ。
　鳥居の横の草むらを探すと、昨日、拓海が置いた黒ずんだ縄が見つかった。拓海は顔を近づけて言った。
「火薬の臭いがするよ」
「母さんの知り合いの神主さんのところに持って行こうか。お祓いをしてもらったほうがええじゃろ」
　私も、それが一番いいと思った。

　竹林の葉の揺れる音は、穏やかで、草の香りが私たちを包み込んだ。私の横をすっと風が通ったような気がした。

　目を上げると、木の陰に嬉しそうに微笑む少年と少女が立っているのが見えた。