半蔵門かきもの倶楽部コミュの第30回　チャーリー作　『蝶』

月曜日

　奇跡のような蝶だった。
　私が見つけたのは、今朝羽化したばかりのアゲハチョウ科の仲間である。キャベツ畑やアブラナの花畑などでよく見られ、成虫は普通、黒い翅を持つ。
　だが、この蝶は違う。
　一見すればその翅は、鉄のような光沢を放つ銀色に近い。ところがよく観察すると、光の角度によって映る色は、淡い黄、橙、青、紺と目まぐるしく変わり、それらと翅の先の尾状突起の朱が鮮やかなコントラストをつくる。翅を広げて飛ぶ姿は、まるで空中に小さな虹をかけているかのようだ。
　新種かと思ったが、身体の形状を他と比較すると、どうやら同じ日に羽化した黒い蝶の雌らしい。趣味で蝶の観察を始めて数年になるが、同じ種類でここまで翅の色が異なるものは極めて稀だ。
　私はこの雌を、翅の色から“虹色”と名づけた。
　明日以降もここに通い、彼女の生態を記録することにしよう。

火曜日

　虹色は翅だけでなく、その行動も他の雌たちと一線を画していた。
　黒蝶の雌は羽化すると、すぐに雄の求愛を受けて交尾する。そして産卵後、成虫としてのおよそ二週間に満たない生涯を閉じる。
　ごく短期間で交尾と産卵を行わなければならない宿命から、雌は体力を温存するために普段はほとんど動かない。
　が、あの虹色は他とは対照的だった。
　さかんにアブラナの花畑を飛び回り、まるで交尾相手を探す雄のように、自分から他の蝶を追いかけ求愛しているのである。
　潔いほど合理化された昆虫の中にも、変わり種はいるらしい。
　あるいは童話の『眠り姫』のように待っているだけでは、蝶の雌も理想的な相手を見つけられない時代になったのだろうか。

水曜日

　今日、虹色を観察していて、どうやら私の認識が間違いであったことに気づかされた。
　虹色は雄ではなく、同性の雌に求愛している。
　彼女は、自分を口説く雄には全く興味を示さない。交尾を迫られても頑なに拒み、逃げるようにして雌を探しに出かける。
　気に入った相手を見つければ、彼女はあの虹の翅を羽ばたかせて求愛する。もし雌のあいだに雄が割り込み、横取りしようとすれば、彼女は躊躇なく恋敵を追い立てる。
　この行動だけ見れば、蝶を専門にする学者ですら虹色を雄と勘違いするだろう。
　私は彼女を捕まえて、その身体の形状――特に尾の先端にある交尾器――を細かく分析したが、やはり虹色は紛れもなく雌であった。
　

木曜日

　優雅に見える蝶たちも求愛行動になると、ときに惨めな姿を露呈する。それは虹色も変わらない。
　好みの雌の前に止まった虹色は、あの美しい翅を広げたり立てたりして相手の注意を引く。向こうが振り向かないときは、相手を頭で軽く突いて自分がここにいることを知らせる（人間で言えば、肩を叩くようなものだろう）。
　そこで雌が振り向けば、虹色はここぞとばかりに翅を大きく広げてみせる。
　頭の上の長い触覚で相手に触れ、匂いを嗅ぎ、ストロー状の口吻を伸ばして口づけするようなしぐさを見せる。
　雌もまんざらではないようで、気を許したようにおとなしくしている。
　彼女の求愛は一層熱を帯び、雌を押し倒し、白くふくよかな胸に顔をうずめて相手を固く抱擁する。まるで獲物を貪るように絡み合う二頭の翅は、もうどれがどちらの翅かわからない。　そして、彼女が尾の先を相手と重ね合わせようとした瞬間――、
　突然、雌は大きな羽音をたてて飛び去った。
　残された一頭は驚いて引っくり返り、足をじたばたさせてもがいている。
　虹色は振られてしまったようだった。

金曜日

　虹色は何度振られても諦めない。
　羽化してから連日、雌を追いかけ飛び回っているせいで翅の鱗粉はところどころ剥がれ落ちてしまっているが、それでも諦めようとはしない。
　しかし雌たちも学習したのだろう。一様に彼女から逃げるような行動を見せるようになった。
　彼女が少し近寄っただけで、雌は身を翻して飛んで行ってしまうのである。ある雌などはわざと雄の縄張りに隠れることで、彼らに身を守ってもらおうとしている。
　やはり蝶の世界で、同性が同性を受け入れることはないのだろう。当然と言えばそうであるが。

土曜日

　驚くべきことに、つい数日前まで虹色に求愛していた雄たちも、雌の行動に同調するようになった。
　それだけでない。彼らは逃げるだけではなく、虹色を威嚇し攻撃さえしている。
　もはや黒蝶にとって虹色は、縄張りを脅かす外敵に等しい存在のようだ。
　カブトムシやカマキリなど他の昆虫と違い、武器は持たない蝶だが、それでも自分の身を守るためなら体当たりぐらいの攻撃は厭わない。
　この日、一日中雄たちに追い立てられた虹色は、足が折れ、翅にも傷が目立つようになってしまった。
　ただでさえ求愛のために飛び回り、体力を消耗させている身である。
　これではどんどん弱ってしまう一方だろう。

日曜日

　案の定、今日の虹色は急激に弱っていた。飛ぶこともなく、人目につかない陰に隠れてじっとしている。
　あんなに美しかった虹の翅は、虫が食い散らかした葉のようにいくつも穴が開き、ぼろぼろに破れている。雄たちからまた体当たりされたのか、尾は曲がり、六本あるうち二本の脚はなく、残りの脚で何とかアブラナの茎にしがみついている。
　このままでは、持ってあと一日の命だろう。
　私は彼女を憐れみ、せめて食事だけでもと近くの樹液を採ってきて近くに置いてみた。
　が、虹色は陰に隠れたまま、風もないのに小刻みに震えているばかりであった。

月曜日

　この日、畑に虹色の姿はなかった。
　ただ育ち盛りのアブラナの根元に、身体からもげたのだろう、彼女の傷ついた前翅が落ちていた。私がそれを拾おうとしたときのことである。
　ちょうど目線の先に、葉や茎にぶら下がった蛹がいくつか目に入った。今にも羽化しそうな蛹たちは、磨りガラスのように中身が透けている。
　その表面に浮かび上がっていたのは、みな一様に、あの虹の色の翅であった。
　私は愕然とした。
　それまで信じていた常識が音を立てて、崩れていったような気がした。
　私が奇跡と喩えた虹色の蝶。それは決して物珍しい奇跡の存在などではなかった。
　私たちの身の回りにいる、ありふれた、けれどもこの上なく美しい蝶のひとつであったのだ。

コメント(3)

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[3] mixiユーザー 07月11日 20:39

読んでてドキドキしました～。始めの月曜に、蝶を「彼女」と呼び始めるところから……。
書き出しから無駄がなく、かつ幻想的で、途中、蝶を題材にした官能小説なのか？！と思うくらい、なんか艶っぽくなって、終わりに近づくと少ししんみりして……。そして最後に、「えっ、どういうこと！」となりました。虹色はやり遂げたわけですか？！

蝶が押し倒したり抱擁したりキスしたりっていうのはすごいですね。そういう発想がなかったです。でも描写が緻密なので、「学者や蝶に造詣が深い人から見れば、そういうものなのか」と何か納得してしまいました。

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