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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第25回 肉作『外に出るまでは』

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 隣のマンション工事の音が一段落したところで、オーナーの門田から今日やってくる客に関する注意をもらった。いつも優しそうで真面目に見える門田オーナーだったが、その客の話を聞かせる時、いささか顔が強張っているように見えた。表情が厳しい。その様子から、今日応対しなければならない客が一筋縄ではいかないことを私は悟った。とんでもないVIPがくるのだろうか。それとも愛人みたいな曰く付きの誰かか。後者に関しては門田オーナーの人柄から考えてあり得なかったが、私は色々とその客がくるまで想像を広げ楽しんでいた。

 私がレストランのホールスタッフとして働くこの店は、こじんまりとした個人経営の店だ。門田はオーナー兼シェフであり、昼間の時間帯の従業員はアルバイトの私だけだった。基本的には午前十一時から午後三時まで週三日ここで働いていた。まだ高校生の頃、母に連れられてこの店に来て、私はオーナーの作った料理を食べた。その時の味に感激し、大学に入ったらアルバイトとして働こうと密かに心に決めたのだった。ほどなくして私は希望の女子大に入学した。入学式の後、まっすぐに私はこの店に来てそのままアルバイトに応募した。ちょうどランチタイムの時間、人手が不足していたようで、その場で採用が決まった。授業の合間にシフトを組んで入るだけでいいと言われた。夕方から夜の時間はサークル活動に費やしたかったので私には好都合だった。

 門田オーナーはもともと洋食、なかでもフランス料理のプロであり、若かりし頃は渡仏しその腕に磨きをかけていたそうだ。日本に帰国し、有名ホテルの副料理長におさまった後もその料理への探究心は一向に衰えることなく、次は和食を極めんとし、その道のプロに師事。次期料理長のポストを投げ打ってまで、和食の世界に入る。そのバイタイリティは見習いたいところだが、普通の人にはそんな冒険できそうにない。その後、彼は見事に和食も物にして、今では自分の店を持つに至っている。現在の店はフレンチのコースをメインにしつつも、その中には惜しげもなく和のテイストが混合し、独自のスタイルを築き上げている。
 あまり広い店ではないが知る人ぞ知る名店となった今、この店は相次ぐメディア露出もあいまって、急激に客が増えた。そのため店の外には長蛇の列ができるようになり、近隣住民からは苦情が出るようにもなった。今隣りで工事をしているマンションができれば、そのような苦情はもっと増えていたことだろう。
 門田オーナーは苦渋の決断を迫られた。店をたたむわけにはいかない。折角作り上げた自分の店をそう安々と手放すことはできない。移転したところで、同じように人気が出て儲かるとは限らない。そこで導入したのが完全予約の会員制だった。私が昔母と食べにきていた頃はまだ自由に店に入れ、その味を楽しむことができたが今はもうそうはいかない。一見さんはお断りなのだ。そのため、今日来る客もきっとオーナーにゆかりのある人に違いない。ただ、常連客ではなさそうだった。常連だったら私でも名前を聞けばわかったはずだからだ。

「ゆうこさん、今日いらっしゃるお客さんは僕が大変お世話になった人だからね」
「はい、わかりました。粗相がないようにしなくちゃいけませんね」
「そう気張らなくてもいいよ。いつも通りの接客で」
「はい、わかりました」
 オーナーは私に念を押してきた。これは余程のことだった。かなりの人物がくるのだろうか。
 店はこじんまりと言っても常時十人程度は受け入れることができる作りになっている。普段ランチ時間は予約で一杯になるのだが、今日は違うようだった。その客が最初の客であり、十五時のランチタイム終了まで他の客が入っていない。これは異常に近い。いつも満員の時間帯に、この人だけしか予約がないということは、オーナー自らが他の客を断ったということになる。
 店内の時計を見ると間もなく十二時がくる。多くの客はこの店の味を楽しみにして早めに店にやってくる。ところが今回の予約客は十二時を過ぎても店に現れなかった。ただ、それも珍しいことではない。道路の混雑、電車の遅れ、理由はいくらでもある。それでも、そういった場合は数分程度だし、あまりに遅くなる時は電話が来る。
時刻は十二時半を過ぎた。私は普段なら給仕をしたり、会計をしたりしているが、こんなに暇だったことは一度もなかった。まだ来ない客が心配になり、しびれを切らした私は門田オーナーに尋ねてみることにした。
「オーナー、お客さんがまだお見えにならないですが、大丈夫ですかね?」
「ゆうこさんにも、そんな心配をさせて申し訳ない。でも、そのうち来るから。待ってよう」
「わかりました。何か連絡とかはありましたか?」
「何もないけど大丈夫。僕はちょっと下ごしらえの準備があるから、戻るね厨房に」
オーナーは厨房に戻り、私も各テーブルのアイテムチェックをしておくことにした。すでに何度もやったことだが、それくらいしかやることがない。私が三つ目のテーブルに差し掛かった時、店の扉が開かれた。やっとお客が到着したのだ。私は元気な声で出迎えた。
「いらっしゃいませ」
あろうことかその客はペットを連れていた。あまり綺麗には見えない犬。その客はケージなどは持っておらず、長い紐で犬を従わせている。
 お世辞にも上品には見えない、飼い主と犬。
 うちの店に似つかわしくない客に見えた。ペットの持ち込みを明示しているわけではなかったがこんなケースは初めてだった。ただ、オーナーの大切なお客さんかもしれない。機嫌を損ねることを言ってはならないはずだ。私はその場を離れ、一旦、門田に相談しに行くことを決めた。
しかし、その男性客が私を呼び止めた。その口調は乱暴であり、一瞬理解ができなかった。
「おい、姉ちゃん、水はまだかい? 客待たせるなんて、大した店だね」
「申し訳ありません。すぐに用意いたします」
 謝るのがやっとだった。私は目の前のこの客に若干の嫌悪を感じ始めていた。
「あと、メニューちょうだい」
その要望は解せない。なぜなら、うちの店はランチは一択で、メニューを用意していないからだ。いわゆるシェフのおまかせという料理しか出していない。もちろん、パンかライス、食後のコーヒーか紅茶かなどの選択肢はあるがそんなものはメニューを用意するまでもない。それにオーナーが予約を取った時点で、いつもなら客に説明しているはずだった。目の前の男は事前に説明されていないのか、それとも忘れているだけなのか。私はメニューと水を用意するふりをしながら、厨房に入りオーナーに確認することにした。
「オーナー、お客さんがいらっしゃったんですが、本当にご予約の方なんでしょうか? 態度とか言動からみて、オーナーの大切な方には見えません」
 私は思い切って感じていることを言ってみた。一見客が間違って入ってきたのかもしれない。もし、本当のお客でオーナーにとっても重要な人物なら、かなり失礼だなと気づいてはいたが、その可能性は低いと私は確信していた。
「ゆうこさん、大丈夫。あの人で合ってるよ。厨房に声が聞こえてきたし。ああいう言い方しかできない人だから、許してあげてね。さ、早く水を出してあげて」
「はい、わかりました。でも、オーナー、あの人犬を連れてきてます、店内に」
「わかった。それは僕から注意してみるから」
 オーナーは私に対してすまなさそうにして、前菜の仕上げにとりかかっていた。私は言われた通りに水を運ぶ。
 きっとオーナーは何かを隠している。私はそう考えながら男の元に戻った。
「お待たせしました」
「遅えよ。まったく」
 男は水を半分飲んだ。喉が渇いていたのだろうか。
「不味っいな。東京の水は」
 私が出したのはミネラルウォーターであり、水道水ではない。反論しても仕方ないと思い、愛想笑いでごまかした。男は不味いと言いつつ、残り半分も飲み干してしまった。一貫性のない男の行動に私はさらに怒りを募らせる。
「姉ちゃん、もう一杯頼むわ。さっき駅前のラーメン屋で辛いの食ったからさ、喉が渇いてしょうがない」
 信じられなかった。これからオーナーの料理を食べる者が満腹に近い状態で来るなんて。目の前の男は一体何をしにきたのだろうか。私の怒りは相当なところまで来ていた。私の勘は正しいに違いない。この男は店にとっていい客ではない。多分、オーナーがこの客を招いた理由は他にあるのだろう。特別な理由が。そして、それを隠している。でなければこんな客追い返すところだ。私にそんな権限はないにしても本当に腹立たしい。はらわたが煮えくり返るとはこのことだった。顔にそんな感情が表れてあの男に見咎められると、また何か文句を言われるかもしれない。そう思った私は厨房に逃げた。そしてオーナーから何か指示を仰ぎたかった。オーナーはいつものように額に汗を浮かべながら、コンソメスープの具合を見ているところだった。うちのコンソメはその辺の料理屋とは違うといつもオーナーは言っていた。しっかり複数の具材から出汁を取る。パウチに入った、十分美味しいものが業務用にも出回っているがそんなものを使う気はないと以前話していた記憶がある。確かにオーナーの作るコンソメスープは絶品だった。これだけでコースの一品になるレベルだと素人の私は思っている。でも、あの客はこの味を解することができるだろうか。味だけではない。このスープが出来上がるまでにかけてきたオーナーの献金的な料理への熱情をあの客は理解できるのか。あのような態度で料理を口にして欲しくなかった。しかし、それは叶わないことだ。すでにオーナーは客の前に出て、料理を出して挨拶をしている。客が少ない時はこうしてオーナーシェフ自らがテーブルを回るのだ。ましてや今日の相手は一人。あの男は目の前の料理には見向きもせず、上の空で話を聞いている。私も近くに寄ってみる。あまりにひどい態度が続くようなら割って入ってやろうと思う。
「門田さんさあ、金の件なんだけどさ」
「はい、貸していただいてありがとうございました。先月全ての返済も終わっております」
「いやいや、それがさ、実は利子分が残ってるんだわ」
「そんなはずはありません」
「これこれ、これ見てよ」
男は鞄の中から何やら見せびらかすように用紙を取り出した。それはわざと私にも見せるようなやり方だった。オーナーはそれを目にすると表情を曇らせ、目を伏せた。うまく中身は見えなかったが、きっとオーナーにとって不利なものなのだろう。
「読み上げようか? まだね、あんたには、五百万以上利子の返済があるんだよ。そこの姉ちゃんもよく聞いときな。この男はね、まだ返してない金があるんだよ。とんだ雇い主だよな」
 オーナーは強請られている。私はそう結論付けた。払う必要のない金を巻き上げられようとしている。残忍な男の表情はオーナーをいたぶってより憎たらしく私には感じられた。どうにかしてオーナーを助けたい。しかし、ただの女子大生でアルバイトの私にはどうにもできない。
「金も返せないような信用のない店、誰が来ますかね、門田さん? マンションが隣にできたら各住戸に怪文書でも投函しておこうか? 隣の料理屋、借金まみれで食材とかいろいろ、手抜いてますよって」
「そんなの嘘じゃないですか」
 私はもう我慢できず、思わず叫んでいた。
「ゆうこさん、お客様に失礼だよ」
「しかし、オーナー、この人、強請りですよ。こんなの犯罪です」
「なんだと、てめえ、舐めてんのか」
 男も調子に乗って毒つく。私は何故か四面楚歌状態に陥り、返す言葉を失っていた。
「失礼しました。さあ、そんなことよりも、まずはスープから召し上がりください」
「ふん、バイトの躾くらい、ちゃんとやっとけよ」
 私はオーナーに厨房まで連れて行かれた。そこで注意を受けた。とても理不尽なことのように思えて仕方なかった。
「ゆうこさん、気持ちはわかるよ。でも、これは僕とあの方との問題だ。君が口を挟んでいい問題ではないよ。でも、ありがとう。気持ちはわかる」
「はい、すいません。私、悔しくて。オーナーの料理を知らないくせに、あの男」
「うん、うん、ごめん、全部僕が悪い。とりあえず、君は給仕はいいから、ここで休んでなさい」
 私は悔しくて、顔を伏せた。涙が自然とこぼれてきた。オーナーはどうしてあんなロクデナシの肩を持つのだろうか。お客様が第一優先なのは客商売として当然なのだろうが、私には全く理解できなかった。
 こっそりと厨房から顔だけ出して、給仕をしているオーナーを伺った。男は次の料理を咀嚼しているようだった。オーナーが男にお辞儀をした。こちらに戻ってくるかもしれない。皿を片付けたオーナーが引き返してくる。慌てて奥に引っ込む。厨房に入ってきたオーナーは私に軽く微笑みかけ、メインディッシュの準備に取りかかった。
 全ての料理を出し終えた頃、私は洗い物でもしておこうと思い、戻ってきた皿を見て愕然とする。男はオーナーの料理をほとんど残していた。あんなに美味しい料理を残すなんて信じられなかった。さきほどまで沈静化していた私の怒りは再び燃え上がろうとしていた。許せない。私はホールを見に行った。男は立ち上がり、ちょうど帰ろうとしているところだった。オーナーが私に気づき、軽く手で制するような仕草をする。来なくていいとその目は言っていた。それでも私は近づいて、お見送りだけでもといっしょになって外に出た。
「本日はありがとうございました。またのご来店、お待ちしております」
 こちらは最後まで丁寧な姿勢を貫いた。しかし、男は何か捨て台詞を言って駅の方向へ歩き出した。いっしょに連れているみすぼらしい犬は我先にと男を引っ張っていた。
「オーナーなんで、あんな男にも愛想良くできるんですか」
「店にいる間は誰でも僕のお客さんだよ」
「そんなもんですか」
 私は男が道の角を曲がるまでその背中を見送っていた。二度と来るなという呪詛を込めて。その時、乾いた、金属の擦れる音がはるか頭上から聞こえた。見上げると、工事中のマンションから鉄骨が一本落ちてきているところだった。スローモーションを見ているような光景。次の瞬間、激しい音と砂煙があがった。犬が全速力でどこかに駆けていく。私は唖然としつつ、横にいるオーナーを見た。彼は何事もなかったかのように店の中に引き上げていった。

おわり

コメント(8)

今年こそアップルパイ焼いていきます!
なんと!!Σ(・□・;)
とっても意外過ぎる結末に、お口があんぐりです!!
結末はそうなりましたが、はたしてただの事故なのか、意図したものなのか、それとも・・・?
大変気になるので、この後の文芸部でお話聞かせてくださいね☆彡
「店にいる間は」というのが良いですね!
むしろ、オーナーは、借りては殺してるのではないかと思ってしまいました(笑)
まさかオーナーが?!という含みのあるラストがいいですね!それに全体的に読みやすくて、世界に入り込みやすかったです。
面白かったです。
こんな風に、ドライ過ぎるほど
外と内で切り換え出来る人が
ちょっと羨ましかったりしますね。

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