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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第25回 かとう作 「新宿にて」

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 抽象性は敵だ。あの日夫が、「君の話は抽象的すぎてわからないな」と言ったその瞬間から。そう言われてみると、人の話を聞いていてイライラして仕方がない。すべてを無難に包んでなるべく多くの人の共感に媚びようとする、なんだか「いいこと言ってる」風味の曖昧で、その実体はなにも掴んでいない、掴めていない、掴もうとすらしていない、それなのに無自覚な、虚しい抽象的な言葉たち。
 私はそんな言葉が溢れる世の中に、イラついているのだった。だからと言って、「お前は今から隣に住んでる大家さんである和田さんちの漬け物石になってこい。お前のような役立たずは、こんなところに住んでいるよりも、大家さんの漬け物石として役に立ったほうがまだいい」なんて言われても困る。それはあまりに具体的すぎる。選択の余地がない。無慈悲すぎる、具体性としては、あまりにも。
 しかしそういう類の具体性からは見逃してもらっているおかげで、私は毎日ここに暮らしているのですが、先日の文芸部では困った。「男二人、女一人、犬、借金という設定で小説を一つ書いてこい」うん、具体性としてはいい塩梅だ。いい塩梅の具体性だ。なかなかこれはどうして、おうちの神棚にお供えした後に床の間に飾っておきたいくらいの具体性。だけれども。
 やっぱり少し困る。あんまり具体的すぎるのも、抽象的すぎるのも、ほどよく具体的なのも、ほどよく抽象的なのも。ああ、悩ましい。具体と抽象なんて一昨日来てほしい。さようなら、二つのつまらない観念。私を人間たらしめていた、悲しいものたちよ。私はそれらを捨てて、今日から獣として生きていく。

 と、宣言したいところだが、今更人間をやめることもできない。だから考えなくてはいけないのだった。男二人に女一人、犬と借金。さてどうしたものか。
 男一人と女一人、借金ならちゃんとある。えっへん。言うまでもなく夫と私と、アメックスのご利用履歴だ。しかし、残念なことに男一人と犬が足らない。夫一人ならいる。亀ならいる。熊もいる。だけど犬には代えられない。
 男と言えば、こんな話を聞いた。男を男たらしめる、染色体の二十三番目のY染色体は、四十五個あるXと違って一つしかない。一つしかないYが何代にも渡ってコピーされ続けてされ続けてされ続けているから、Yは壊れつつあるのだと。それだから最近男は男らしくなかったり草食化しつつあるのではとかしたり顔で語るようなお寒い人間にはなりたくない。Y染色体が壊れつつあるって話もただうろ覚えで聞いて、実はちゃんと理解もできてませんと言うことは上記の説明の曖昧さでお気づきであろう。しかし、そこから「この話はどうにも筋がなく目的も不明確で退屈だ。文章も意味がわからぬ。よって書く意義も読む意義もなし!」という感想をいただいたとしても、まあそれはその通りなのだがどうだろう。そこから「さては作者は無教養で無知で無能で、それなのに物語風のものを書いている、自意識だけが肥大で幼稚なつまらない奴だ。きっと育ちも悪く学歴もないことであろう」なんて言われてしまったら。どうだろうか? 悲しくなるではないか。でも最近、世の中にはそんな風潮が流れているのではないかと思うのである。何か人の失敗や穴をあげつらって、そこから「お里が知れるわね」と。ああ、自意識と自意識のぶつかり合い。無意識の悪意からの批判家精神。抽象性の次に嫌いなものである。

 それで考えて考えて考えて、私は新宿三丁目A7出口から新宿南口に向かう坂道の途中で、「そうだ、こうして少し手を掲げて、犬の散歩をしているふうに歩けばいいのでは」と見えない犬のリードを想像しながら、閃いたのだ。
 そうだ、私は今犬を連れて新宿を歩いている。犬を連れているのだ、確かに。想像上の犬。観念としての犬。人の意識に遍く犬としての犬。実体がなくても犬は犬。だけど、柴犬は? パグは? あれらは本当に同じ犬? 犬でまとめてもいいの? 本当に。どこをどう分けたら同じグループになるの。
 それを理解するためにはダーウィンから学ばないといけないと感じたので、幻のリードはもう離した。犬も新宿駅に向かって逃げていってしまった。あとは男だ。でもどうだろう、既婚者として、「男!」というものが生活に現れてしまったらどうだろう。男性でもない、男子でもない、男の子でもない、オスでもない、「男!」だ。男が現れるならともかく、「男!」なら困ってしまうだろう。「男!」が現れてしまったら最後、私との間に間違いなく、ただならぬ関係性が生じるはずだ。だから「男!」も手放そう。架空の上の不倫相手もこうして、新宿駅方面に走っていった、青いお尻を冬の寒空にさらしながら。
 それでもう、犬ともう一人の男はいいかね、と思う。だから普通に歩くことにする。
 大股で一歩、坂道を踏み出す、着地したヒールから体重と同じ分の力が物理法則に則り私の足裏から股関節のあたりまで伝わって、私はその力で以て右脚を前に出す。まだ独身の頃クリスマスに夫が三越で買ってくれた、薄くて丈夫なドイツ製のショートブーツの靴底を通して、そのままずぶずぶと沈んでいってしまいそうな柔らかいアスファルトを感じる。その右足の下の地面の感触が一瞬脳をべろっと舐めるように意識をさらう、その途端にもう無意識に左足は踏み出している。また左足のかかとが地面を押した力の分だけ、私は脚を前に出す。雑踏の中、人にぶつからないように、注意深く。チラシを配っているハッピ姿の若者をすり抜け、改札に入るともっと難しい。無数の人々が、右から左から、前から後ろから上から下から、意識ではとらえきれないほどの分量で、行き来している。
 私は雑踏を歩くのが苦手だ。前から来る人に対し「ああ、どちらに避けよう」と思った途端に向かってくる他人と無意味に息のそろったステップを披露しあい、結局長い人生のうちの数秒、この広い新宿駅構内の中の半径数十センチを無駄にし、たいていの場合はお互い気恥ずかしく感じながら、時には舌打ちをされながら。そんな無意味なダンスとその後の恥じらいや戸惑いの間にも、前からも後ろからも人が来るので、人の行き来の交通を軽く乱したあげく、今やっとの思いで交わした他人の奥に潜んでいたこれまた他人にぶつかりそうになり、急ブレーキ、急発進、ステップ、会釈、軽やかなステップ、恥じらい、かなり大胆で情熱的なステップ&ダンス、舌打ち、急発進……
 とにかく疲れてしまうのだった。だけど大丈夫。そういう時は猛禽類になったつもりでいればいいのだ。
 決して近視眼的にはならず、目の前にばかり集中しすぎず、今前から向かってくるお姉さんを意識しすぎず、そう、視界も脳味噌も、この駅構内全体に広げて。
 たぶん、やせっぽちな私でも、切り刻んで弱火で何日も根気よくぐつぐつ煮込んで溶けなかったものはミキサーにかけて、できうる限り液体にしてしまえば、何十リットルかの液体になるだろう。常々思うのは、飲みかけのお茶でも牛乳でも、うっかりこぼすと思った以上に限りなく床に広がっていく。だから、私は牛乳を飲みながら、「ああ、今これをこぼしたら」と悲しい気分になる。まだこぼしてもいないのに。とにかく、床にこぼれて埃を飲み込みながら広がり続ける悲劇的な牛乳のように、私は全身を使って意識をこの空間全体に広げていく。
 そうすれば、ほら、この空間にいる数百人の、それぞれ途方もなくランダムな動きをする(だけどその一人一人には確かな意志と方向性がある、だからこそ途方もない)命ある物体の、エネルギーと速度と質量が、ほら、迫り、遠のき、押しては引き、引いては押し。ああ、粒子が見える。感じる。一空間の中でそれぞれがバラバラの動きをする無数のものが、なんらかのまとまりを持って私を飲み込む。吐き出す。
 それを感じながら、するりするりと交わしていけば、人にはぶつからない。ぶつからない。
 得意になって油が染み込んでくたびれた感じの、決してうちの父とは違う、だけどともかく誰かしらのお父さんらしい人を追い抜いたら、目が合った、若い男と。そしてそらす。また見返す。そらす、そらしかけてまた見る。彼は私に向かって言った。
「ああ、Rちゃん。何してるの? こんなところで」
 結婚する前、男の中で唯一好きだった人が、そこに立っていた。第二の男はこのようにして私の人生のにもたらされるのである。だから、明日目が覚めたら枕元に唐突にパグが座っていたとしても、人生においてはなんら不思議ではない。



 うまく騙すためには嘘に本当を少しずつ混ぜればいいと聞く。物語の、どこまでが嘘でどこまでが本当だろうか。事実と真実をどう選りわければいいだろうか。
 物語は現実に地続きだ。
 だから、文字はコンコースにとけていく。
 物語は現実に地続きだ。
 だから、文字はコンコースにとけていく。
 墓標に記してもらう言葉はもう決まっている、「抽象性と観念に屈した女、ここに眠る。」

コメント(13)

先日アップされていたゆうさんの作品に影響されたのと、みけねこ部長から「実験的に文芸部を使っていいですよ」と言うありがたいお言葉を頂いたので、書いて載せます。お二方ありがとうございます。
実験なのであまり面白いとは言い難いですが、お許しくださいませ。
あぁ、かなわないな!
言葉の選択が的確ですね
今はそれしか言えない
>>[2]
ありがとうございます!いやいや、そんな。でも嬉しいです(^ω^)
的確という言葉が嬉しいとともに意外でした。また当日ゆっくりお話しできたらと思います
>>[5]
ご感想ありがとうございます!新宿駅で一気に書きました……
テーマ?はあったんですが、メモやプロットはないですね。
雑誌に載ってそうなんて、恐れ多過ぎる感想です……でも嬉しいです(^ω^)ありがとうございます!
>>[8]
素敵な感想、ありがとうございます!エネルギーの流れみたいなのが書きたかったので、そのように伝わって嬉しいです(^ω^)
全然違うのはたぶん定まってないからなんでしょうけれど笑、実験を繰り返しつつ何か見つけていきたいなぁ〜と思います!
前回の文芸部に参加出来なかったので
事の経緯が分かりませんが、
とりあえず読ませて頂きました。
かとうさんの頭の中が、ちょっとだけ
覗けたようで、楽しかったです。
まめやさんもコメントされていますが
ファッション紙の巻頭に載っている
有名作家さんのエッセイみたいです。
>>[10]
ご感想ありがとうございます!
あっ、特に前回の文芸部で特別な経緯があったわけではないんですが、ゆうさんとか特に、いつも実験的なものを書いてらっしゃるので、私も実験をしてみました(^ω^)
面白いかとか作品のクオリティは置いておいて、「これを試したらどうだろう?」くらいの、気楽な気持ちで書くのをみなさん許してくれると言うか……

まめやさんに続き、私にはもったいなきお言葉( ;´Д`)恐縮です!
小説なんだか日記なんだかよくわからないものが書きたかったので、エッセイみたいと評価いただいて嬉しいです〜( ´∀`)
>>[12]
まちこお姉様!(と、あえて呼ばせてください……!)
私にはもったいなき褒め言葉、ありがとうございます。ここ数日その喜びを噛み締めておりました笑
ちゃんと何か伝わるものがあって嬉しいです〜!お恥ずかしながら町田康も阿部和重も読んだことがないので、ちゃんと読んでみようと思います。
励みになるご感想、ありがとうございました!

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