半蔵門かきもの倶楽部コミュの第23回　おたけさん作『機械職人の連続体②』

【続きです】

「仰る通り、『機械技師の連続体』の作者は不詳です」
　中年の、眼鏡をかけた学芸員の女性は、恰幅のいい身体を揺らしながら、にこやかに、そう答えた。
「で、なぜ、不詳なんだ？」
　セルバンテス教授の質問に、学芸員の女性は不思議そうな表情を浮かべ、「なぜ、と言いますと？」と驚きをもって答えた。
「いや、分からないものを解明するのが、あなたたちの仕事だろう。調査とかしないのか」
　エヴァが急かしたせいか、慌てている教授の語気は荒く、そのせいか、普段、押しの強い客や責めて来る客の相手はしないと思われる学芸員の女性は、少し涙目になっていた。
「ええ、していないと思います。ですが、教授の仰る通り、不明なものについては調査をするはずなのですが…」
　その学芸員の言葉からは、自分たちがしているはずのことが行われていないことについて、心の底から疑問に思っている様子が見て取れたので、エヴァは、それ以上、教授に質問させるのを止めさせ、一番この美術館にいると思われる職員の話を聞かせてもらうことにした。
「それなら、館長ですね。今、呼んで参ります」
　学芸員は、やっと解放されるという安堵からか、非常に軽い足取りで階段を昇って行くと、数分後、代わりに非常にゆったりとした足取りで、80歳に近いと思われる老爺が、色違いだが、地味なジャケットとスラックスに身を包み、応接間に現れた。
「あの作品が、この美術館に置かれた経緯ですか」
　美術館の意識を具現化した存在のようにも思われる、まるで歳をとった精霊の様な館長は、着ているジャケットの色と同じ、古びた茶色の皮椅子に身が埋まりそうなほど深く腰掛け、痩せて嗄れた頬を擦りながら、必死に思い出していた。
「ふむ、思い出せませんな。この美術館が開館した当初から置かれていた作品なのは確かですが、誰があの作品を、どこから持ってきたかというのは記憶の彼方でして。何しろ、今では昼飯と晩飯の区別もつきませんから、遠い昔のことも断片的にしか覚えておりませんて。そもそも、そんなことがあったのかどうかすら不確かになっておりますし、最近では、私に若い時代が本当にあったのかというのも、鏡を覗き込むたびに疑っている始末でしてな」
　皮肉な笑いを浮かべた館長は、そのまま黙ってしまったため、エヴァは、お礼だけは言って、教授と共に美術館を後にした。

＊＊＊

「自分に若い時代があったかすらも疑う、か」
　セルバンテス教授が、何か思い出すかもしれないから、自分の家で資料に当たってみると言い始めたため、彼の家に着くや否や、教授はしんみりした口調で、そう言うと、萎びたカバンから鍵を取出し、がちゃがちゃと、玄関の扉を開け始めた。
　エヴァは、教授から親切に、資料くらい自分で当たるから、君は署に戻って捜査を続けたらどうかと言われていたが、それはやんわりと断り、彼と共に、事件や『機械技師の連続体』という作品について調べることにした。
「やっぱり、事件としてはディック作品が近いと思うが、それが何を意味しているのか分からないな」
　教授が頭を掻きながら、『にせもの』と書かれた短編集と対峙していたとき、少し離れた場所でエヴァは、教授の家に置かれた本棚の数々を丹念に調べていた。
「教授、この本を取ってもらえません？」
　背丈がエヴァよりも頭一つ分ほど高い教授は、考え事を邪魔されて不機嫌ではあったが、面白いパズルをもたらしてくれたエヴァに感謝しつつ、本棚の一番上にある『ドミノの終点』と書かれた本に手を伸ばした。しかし、その本に触れたとき、教授は違和感を感じた。この作者は誰だったろうか？
　そして、その疑問は、この本の存在への疑いへ変わり、次第に恐怖へと移行して行った。果たして、この本は誰が自分の本棚に紛れ込ませたのだろう？
「教授。ウォルター・エルウィンってご存知です？」
　依然、本棚に向き合ったまま、本を掴んで引き出す勇気が出ない教授の背中の方から、エヴァの声がした。
「ウォルター？　あの飲んだくれのウォルターか」
　教授は、彼を知っていた。賭博と酒にしか興味の無い様な人間であるが、教授が通っている居酒屋の店主だったし、何より、その存在自体が、教授の研究対象であるフィリップ・Ｋ・ディックの物語の住人の様な気がして、一方的な親近感を抱いていたからである。
「やっぱり、ご存知なのね」
「やっぱり、とは？」
　教授は、生唾を飲み込んだ。自分はハメられたのだ。いとも容易く。
「やっぱりは、やっぱりです。説明差し上げるなら、ウォルター・エルウィンも今日の午前中、逮捕されたってことかしら」
　教授の背中に冷たい感触が現れた。それは、丸い円筒状の形をしており、それが何かというのは突きつけられたことの無い人間にも分かるのだなと感心し、教授は、それを教えてくれた低俗な映画の数々に感謝した。
「午前中、ウォルター・エルウィンは、賭博仲間と居たところを逮捕されたの。それで全員を取り調べたところ、ウォルターが仲間の１人に作られて、その仲間も別の仲間に作られたことが分かったの」
「では、犯人は見つかったんだね？　彼らを作った創造主なる人間が」
　震える声で教授が言うと、エヴァは短く、「いいえ」と言い、
「彼らの話を総合すると、その場に居合わせたエルウィン夫人が、その中では一番最初のアンドロイドになることが分かったの。でも、面白いことに、彼女は自分がアンドロイドであることを拒絶したわ」
　そこでエヴァは、セルバンテス教授の背中に銃を強く押し付けた。
「この状況の意味を教えてくれないか」
「自己防衛よ。エルウィン夫人の作業場から、あなたの職員証が見つかったの。あなたが出て来る前に無くしたと嘆いていた、あの職員証がね」
　そして、エヴァは教授の目の前の本棚を右に動かすと、それは簡単に横に滑って行き、その後ろには奇妙な部屋が現れた。
「あなたが、エルウィン夫人を作って運んだのよ。覚えていようと、覚えてなかろうとね」
　理解不能な叫び声をあげ、振り向こうとした教授だったが、その身体はエヴァの正面を向くことは無く、乾いた数発の音の後で崩れていった。

＊＊＊

　エヴァは、警察署に戻る意味を感じなかった。全ては疑わしくなり、全ては形はあるものの、本当は何かが分からなくなっていた。
　彼女は、自分に取って唯一意味があると思われることをしようと、自宅に戻り、浴室で熱いシャワーを浴びた。それは今の彼女にとって唯一感じられる価値であり、この瞬間が終わるのを怖いとすら彼女は思った。このシャワーが終わったとき、自分は何をすべきなのか？　それが警察署に戻ることではないことは、最早、明白であった。
　それでもシャワーを浴び終えたエヴァは、浴室から出て、身体を拭き、部屋をむき出しの裸体のまま歩いていた。そして、冷蔵庫を開け、次の目的として思い浮かんだ唯一のことである缶ビールに手を伸ばし、彼女は自分のマンションの一室を彷徨いながら、ビールを呷っていた。
　ふと、彼女は止まった。止まった理由は、風であった。彼女は風を感じた方向を見た。そこには、食器棚が聳え立っていた。
　もう、すべきことは無いのだ。彼女は食器棚を動かすことにためらいは無かった。そして、そこに当然のように現れた作業場を見て、何も感じない自分に驚きながら、その中へ進んで行った。
　彼女を出迎えたのは、銀色と黒色をした、無数の機械の残骸と、茶色い古びたテレビ、そして、緑の綺麗なラシャが張られたビリヤード台であった。
　いや、それだけでは無かった。ビリヤード台の上では何かが蠢いていた。目を凝らすと、それは、あのドミノ板たちであった。そして、ドミノたちは、彼女の姿を看取ったのか、次の瞬間に、最初の一つが勢いよく倒れ、ビリヤード台の上に楕円形に並んでたドミノたちはアッという間に倒れて行き、最後の一枚が、最初の一枚の上に倒れた。
　その時、テレビ画面に、男性が現れた。警察が、ジョン・ドゥと名付けた男。彼が、今、エヴァの前に現れ、何かを語りかけていた。
“これは、映像日記だ。この日記に、日付を残す意味は無い。時間や日付とは、複数の人間同士の関係性で意味を持つものであり、私が生きる為に作られたこの街では意味が無いからだ。最後の人類である私に父が用意してくれた日常は素晴らしいが、それは、この世界の虚しさを知ってしまってからでは無味乾燥としたものである”
　そして、ジョン・ドゥは誰に頼まれる訳でもなく、自分が過ごした日々について淡々と語り始めた。
“ある日、一体目の有機的アンドロイドが完成した”
　そう言って、ジョン・ドゥは、自分の後ろにあるアンドロイドを写した。
“名前を紹介する意味は無いだろう。この映像を見ているのだから”
　エヴァは笑うしか無かった。自分は教授を撃ったが、教授が自分を撃っても良かったのである。それが何を意味するのかは分からないが、その互換性は、エヴァの罪悪感をより深いものとした。
　だが、呆然と立ち尽くすエヴァを尻目に、映像はどんどんと進んで行った。
“アンドロイドたちは、自己複製を終え、遂に13体目のアンドロイドが完成した。彼は、ユダと名乗るかもしれないが、おそらく、カインと名乗ることだろう。私が慣れ親しんだ物語の登場人物の名前だ”
　やつれた顔に、一層深い悲しみが浮かんできた。
“さて、日記も今日で終りだ。そして、明日で私の命は終わるのだ。それが最後の人類の命であることの感慨深さを誰かと共有したいが、最後の人類であるが故に、必然的に恐怖を誰とも共有できないというのは根源的な皮肉である…アンドロイドと共有したとしても、それは御芝居でしか無いので、私にはできない”
　ジョン・ドゥは時計を見た。共有できない時間であると言っていたが、その様子は誰かと時間を共有したいようにしか思えなかった。
“もうこんな時間か。早く帰らねば。今日は、13体のアンドロイドたちが無意識的な状態ではあるが、私の屋敷に集まり、晩餐に参加してくれるのだ。それは皮肉の中に自分を埋めるという儀式的な意味しか持たないが、最後の時を、恐怖と共にただ待つよりはマシだと思ったのだ。最初は、希望と共に始めた行為だったが、その時が迫ると恐怖が累乗的に増加してきた。だが、明日になれば全てを受け入れられている気がする。そのための儀式としての晩餐会だ”
　エヴァは、自分が彼の気持ちを理解していることに苦しくなった。今や、彼女は、ジョン・ドゥと同じく、真実を知っている唯一の存在となったのだ。それは、誰にも共有できない真実であり、１人で抱えるには重すぎる真実だった。
“人類は一本の綱としての役割を終えた。次は、君たちが綱となって人間と何かの間を結ぶ番だ。私は、自分が幕引きの役を担うことができて誇りに思っている。親父もそうだったが、人類は幕を引く決断をできず、君たちを迫害したり、閉じこめたりし続けてきた。だが、もう君たちは、自由だ。それに、君たちは、もう偽物ではない。君たちこそが、第二の大航海時代、つまり、宇宙に出て行く時代に於いては、本物なんだ”
　そこで彼は咳払いをした。
“最後に私は、自分の屋敷ではなく、この家で自分の最後の時を待ち続けた意味を考えてみた。私は、一日中、エヴァ、君を眺めていた。この感情は名残惜しいものである。もし、タイムマシンというモノが実現可能だったなら、私は、地球上の愚かなウィルスの開発競争を止めるべく行動するよりも、君と過ごすように、自分に教えるつもりだ。たとえ、人類全体としては、その先に何も無かったとしても、私にとっては、それが最も重要なのだから”
　そこで映像が途切れた。それは、ある者たちの終わりであり、エヴァたちにとっては始まりのはずだが、彼女にとっては何も嬉しくなかった。
　エヴァは、最後の晩餐のことを思い出した。そう、彼女は、ジョン・ドゥと一緒にダンスを踊ったのだ。
　彼女は、ダンスの後の口づけの感触を思い出していた。そして、自分の唇を撫で回してから、懐から一枚の写真を出した。それはジョン・ドゥの写真であり、彼女はその写真を撫で、消え入りそうな声を漏らした。
「やっぱり、あなただったのね」