ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

半蔵門かきもの倶楽部コミュの第23回 かとう作 「父と母と、咀嚼のためのオムニバス〜歯科医師の名誉のために〜」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
一 咀嚼と母
(2017年公開予定)

二 父の死
(2017年公開予定)

三 歯科医院におけるエロス
(2017年公開予定)

四 歯科医の懺悔(1)
(2017年公開予定)



五 歯科医の懺悔(2)
「これは君のお父さんの歯だよ」
 歯科医はふるえる手で、小さなケースを私に差し出した。私はベッドの上から手を伸ばして、それを受け取る。歯科医が私の足下に座って、うなだれた。
 歯科医が私に手渡したのは、陶器と金属でできた、アクセサリーでも入れるようなケースだった。陶器にはバラの絵が印刷されていて、すっぽりと手のひらに収まってしまう。ふいにケースを傾けると、ことりと言うごく小さな音と振動を感じて、私の心臓は小さく震え上がった。この中に、父が。
「君のその十字架」
 私はつい反射的に、胸に手をやる。情事のあとで、一糸まとわぬ姿でベッドの上にいる今でさえ、それは私の胸にあった。これは、亡くなった父の形見だ。私の家庭はクリスチャンなのだ。
「見覚えがあると思ってたよ。君の話を聞いてるうちに、だんだん思い出してきた。まさかと思って、事故当時の記録を読みあさったよ」
 ホテルの窓から差し込む西日に裸の背中を照らされて、歯科医の横顔から表情をよく読みとれない。ただ彼の白髪が夕陽に赤く染まっていた。出会った当時は黒々とした髪で若い印象を受けたけれど、ここ最近は染める余裕もなかったのかもしれない。私の父が生きていたら、こんな感じだろうか? とぼんやりと考えていた。
 お父さんはなんて名前なの? 以前歯科医が私に尋ねた。それは世間話の延長線上の、他愛のない質問だと思いこんでいた。しかし、
「事故の犠牲者名簿にね、君のお父さんの名前があった。僕はあの夏確かに、歯科医として墜落現場に出向いたんだ。まだ地元で開業したてでね。経験もなかったし、使命感に燃えていたんだな」
 歯科医師の唇の端に浮かんだ笑みは、自分を笑っているようだった。彼はその夏の記憶を語り始めた。私の父の命が、あの山に落ちた夏。
「人の役に立てると思った。DNA鑑定なんてない時代だったしね。だけど、あの蒸し暑い体育館で、ご遺体を前にしたら、僕はわからなくなった。これは、目の前にあるこの物体は、果たして人間なのか? って。足がすくんだ。毎日夢に出るんだよ。自分が情けなくなった。僕は驕っていたんだ」
 そう言って、歯科医はほんの少しの間、沈黙した。私の父について、どう言ったらいいのか迷ったのだろう。しかし意を決したように口を開いた。
「君のお父さんのご遺体は、顎から胸の部分しかなかった。というかそんな遺体がほとんどだった。だけど君のお父さんはね、胸から十字架をかけていたんだ。十字架は、墜落の時の衝撃のせいなのか、肉にめりこんでた。だから身元の特定も比較的早かったんだ」
 その十字架が、今私の胸にある。私は自分がクリスチャンであることの意味を、今ほど強く問うたことはないだろう。
「何体もの遺体の歯を診て、カルテと照らし合わせて、身元を特定して……。だんだんわからなくなるんだ。ひどい蒸し暑さとすさまじい腐臭でね。目の前にある、これは、これらは、本当に人間だったのか? 僕は今、誰のために、何をしているんだって」
 歯科医の声が震える。今彼の心は、あの夏にあるのだろう。
「だから君のお父さんの十字架を見た時に、なぜだかほっとしたんだ。それと同時に、無性に悲しかった」
 彼は私の方に向き直って、私の手を握りしめた。私の手の中にある、父の十字架ごと。
「僕はあの時何を考えていたんだろう? 君のお父さんの、今にも崩れてくるご遺体からこぼれた歯を、ポケットに入れたんだ。そしてあの夏の、作業に心が折れそうになるたびに、そっと触れてみた」
 歯科医は私の腰あたりに抱きついて、頭を私のお腹に押しつけるようにした。
「あの時きっと、僕らは会っていたよね。僕の検死のあとに、警察は君のお母さんに遺体を引き渡したんだ。あの時確か、幼い君もその場にいた。僕はこっそり、君のお父さんの歯を盗んで返さなかった。それで、それ以来、記憶を封印したつもりだったのに、僕はこうして、君と偶然出会って、僕たちは……」
 彼はそれ以降、言葉を継げなかった。そして私の膝の中で、嗚咽した。私も何を言えばいいのかわからなかった。右手で彼の白髪を撫でながら、左手で父の歯を握る。父の歯は、歯科医が嗚咽するたびに、ケースの中でかたこと揺れた。歯科医が自分の懺悔に泣くたびに、父はその存在を主張しているようだった。
 どうして? どうしてなの? 神様は、どうして?
 私の思考は「どうして?」を繰り返すだけで、何一つまともな答えを投げ返さない。どうして、私たちは出会ったんだろう? それは私の人生に何をもたらすの?
 私はただ、ぼんやりと、歯科医に父性を求めている自分に気がついていただけだった。その関係には未来がなく、行き詰まりと息苦しさを感じながらも、私は彼の手を離せなかった。
 その関係のなんらかの結果が今、私の両手に収まっている。私は左手の父に、心の中で語りかけた。
 お父さん、やっぱりあなただったのね。

コメント(12)

>>[1]
ありがとうございます!終わりが決まっているお題で苦労したので、ついついこんなかたちにしてしまいました。おしゃれだなんて!驚きつつも嬉しい評価です。ありがとうございます。
無駄のない文章に込められた人の思いが濃密ですね
一から四を読んで全体がつかめたらまた違うのでしょうが、今回発表された部分抱だけでも、一編の短編小説のように世界に浸れました。
最後の一言の意味がちょっとミステリアスですね
>>[3]
ご感想ありがとうございます。今回の課題に合わせて?こんなかたちにしてみました。どう伝わるのか少し不安でしたが、この一編だけでも成立しているようで、安心しました。
最後の一言、もともとかなり含みのある文章ですしね……。何かいい余韻が残せていれば嬉しいです!ありがとうございました。
日航機墜落を題材にした壮大な構想があるのですね。
各編もう少し長いと読み応えがもっとありそうです。


>>[5]
ご感想ありがとうございます!そうですね、なかなか長いお話を書くのが苦手で……。チャレンジしてみようと思います。
難しい課題でしたね。
続き(というか、前半部分?)を期待しています。

歯科医がお父さんの歯を差し出すとき
なぜ震えているのかが気になりました。
>>[7]
難しかったですね!なかば投げやりでこんな形式にしてしまいました。前半は、書くだろうかどうだろうかと言う話ですが笑。

震えているのは、未公開の部分を読めば明かされるはず……です。ネタバレ?していいのかわかりませんが、今言えるのはとにかく恐怖から、ですね
>>[9]
今日は行かれず残念なので、こちらでプレゼンしようと思います。時間があったら紹介いただけますと幸いです。


「やっぱりあなただったのね」この一言に苦労しました。腑に落ちるストーリーと言えば、犯人系か恋愛系しか思い浮かばず。でもなんとなく、それ以外のものでいきたい、と考えました。あまのじゃくなので。
そこで、「やっぱり」というほど普遍的なものって、母親じゃないか?と思い、そこに無理矢理最近興味のある歯や咀嚼に関することを合わせてみました。真面目な話、PPAPのピコ太郎を見習いました。
母と歯、駄洒落にしたかったのですが、ストーリー的に無理があったので駄洒落は断念して、父親に焦点を当ててみました。

結末から書いたのは、単に時間がなかったのと、難しいお題で悔しかったので、その仕返し的にやってしまいました。あとは遊び心?と、やってみたらどうなるんだろう?という興味です。
でも書いてみたら大していい案にも思えなかったので、今後はたぶんやりません。でも各章についているテーマは、本当に関心のあることでもあります。歯科医とはなんだかエロティックではないか。咀嚼や歯というのは人間の発育にとって大切なことなのだ。口腔には進化の哲学を感じる。などなど。

長くなってしまいましたが、こんなことを思って書きました。
PPAPについては、「あの発想はどこから来るんだろう?」と驚きながら見ていました。そしたらピコ太郎本人によると、「曲を作っている時に、家にりんごとペンがあって、とりあえず刺してみた」みたいなことを言っていたのです。軽く衝撃でした。
そこで、興味のある事柄やキーワード、とりあえず合わせてみたらいいんや!と思い至ったのでした。
でも合わせてみたからと言って美味しくなるとは限らない……と書き終わって思い知りました。吟味と、もう少しじっくり組み立てる忍耐が必要ですね。でもとりあえず、やってみて満足しました。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

半蔵門かきもの倶楽部 更新情報

半蔵門かきもの倶楽部のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。