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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第17回初めて発表させていただきます。小山右人

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小説「珠」の2章までです。忌憚のない新鮮なご意見をお待ちしております。
  


    珠(たま)
     
生みの苦しみと熱愛


                          小山右人


       1 崩れゆくものの中の微笑

 始まりは、見当もつかない崩壊だった。――耳の奥が真空になったと思った瞬間、鼓膜が乾いた音立てて内へめり込んだ。うろ覚えの解剖図にあった耳小骨の関節がひしゃげ、内耳の蝸牛がメリメリひび割れていく。――ついに、ボンと破裂した。同時に女の甲高い叫び。続いて蓮葉女がカラカラ笑う声。だが勝ち誇った調子に変わってゆき、モーツアルトの魔笛のパパゲーナさながら、小鳥のように自在に飛び回るソプラノの歌声が、都心の摩天楼の空に響き渡った。――なおも私はこねくり回され、木偶か死後硬直の体にまでなっていくのではと恐怖が先走った。――強張った体が粘つく糸に引っ張られ、蝸牛の螺旋形に沿う軌跡を描いて倒れ込みつつあるのを悟った。捻りが加速された最悪のタイミングで、側頭から舗石にしたたか打ち付けられた。血しぶきが撥ねた。ビルのガラスが粉々に砕け雨霰と降り注ぐ音ともまごう響きが轟き渡った。なぜか白昼にもかかわらず、深い洞窟を想わせる闇にすっぽり覆われた。――ははあ、これは法螺貝でも頭から被せられた具合だな。極限の中でもかろうじて私が思ったのは、巻き貝さながらの洞の奥から、ボー、ボーと恫喝するような低い唸りが木霊してきたからだ。それは、いい知れない災禍の幕開けを告げるファンファーレにも聞こえた。――身につけているものは一つも奪われてはならない。ましてや、艱難辛苦の中で磨き上げてきた珠だけは損ねてはならない。――捉え処のない混乱の中でも、あたかも物質的な宝物でもあるように、珠を必死で守ろうとしていたのを覚えている。――たしかに誰かが奪おうとしていた。ソプラノの高笑いを発する主だったか? 空間を、女の鋭い眼差しが過るのを見た気がした。定かでない分、不気味な魔の影が迫ってきて、私の最も大切なものを奪おうとするのと、死に物狂いのつかみ合いの様相を呈した。意識の混乱の中で、夢魔の幻影がぶつかり合っただけのことだったのかもしれない。いずれにせよ、敵も小手調べに襲っただけだったのか、間一髪、私は懐深くまで侵されずに済んだ。向こうで、たおやかな弧を描いて裾を翻す気配があった。真っ白な踵を返す残像も見た気がした。が、不気味な唸りの恨みがましさが尾を引き、やっかいな戦いを挑まれた後味が残った。――とりあえず自分を確認した私は力尽きた。もう魔の気配も感じさせない闇が、深々と覆いかぶさってきた。滑らかに裾を翻した影が去っていった螺旋形の洞の奥へ、浮遊しだした私は、ゆっくり回りながらどこまでも深く飲み込まれていった……。


       2 珠の由来 

 ゴッホの糸杉が、目蓋の裏でゆらゆら揺れていた。ふくらはぎの方から、不気味に捻られる感覚が這いあがってくるのにひやりとなった。――この捻りは、ふらつきながら帰り着いたとき、私の体に残ったものか? 微かに甦った意識の中で、その感覚を伝に、帰り着いた場所を恐々探った。どうやら私が横たわっていたのは救急病院のベッドでもなければ、ましてや精神病院の鍵付きの保護室などでもなさそうだった。慣れ親しんだシーツの感触を確かめたとき、私は深い溜息を吐いた。どこをどう通ったものか、武蔵野の池の脇に建つ自宅に戻り、頭に血糊がこびりついたままベッドにもぐり込んだらしい。――蝸牛の螺旋をなぞるようなあの倒れ込み方と、あえて不規則な歪みを加えて外壁に取り付けた鉄製の螺旋階段を昇る感覚が重なった。もしや、片時も画家の遊び心を失うまいと、身辺に様々な意匠を凝らしてきたのが仇になったか? ――しかし、夢中でそうしなければ、またあの悪夢に連れ戻される……。避け難いジレンマ。
 画家に転じる以前、会社にいつも通り出勤したら、自分の席がなくなっているという、酷い解雇を受けたときが甦ってきた。あれが、今の突端ではなかったか? 日本のバブル経済崩壊の真っただ中、問答無用の切断という、体の軸が震えるような恐怖が心の底に染みついたのも、あのときにちがいない。――だがそこから、誰も想像すらしなかった絵の道に進み、画家として這い上がってきた。自分でも奇跡としか思えない成就も、珠に導かれた賜物ではなかったか。
 茫然自失の体で街をさ迷っていた頃、偶々見かけたテンペラ絵画の珊瑚朱色の温もりが心に沁み入ってきた。密かに野心を抱き、会社勤めの傍ら描き続けてきた絵心が、俄かに沸騰した瞬間だった。が、再就職に見向きもせず、絵に没頭した結果、生活の逼迫と家庭破綻の憂き目を見た。のめり込んだ絵自体、公募展に出してもほとんど落選した。私をかろうじて救ったのは、一滴の月の雫を想わせるほの明かりだった。極小の光の核は、ちょうど黒蝶貝の中で、刺々しい異物が転々とするうちに魔法の艶を帯びて結晶するように、綻びたキャンバスの片隅に見え隠れしながらかろうじて認められるまでになった。私は、その幽かな一点を目指し、しゃにむに描き続けた。――我を忘れた試行錯誤の末、西洋画の艶と日本画の温もりを混血させた技法を編み出した。それに加え、元々雪国育ちの空想好きが功を奏し、独特の幻想絵画の風合いも帯びた。私の絵の動物、花々、人物は、両洋の血を併せ持った神秘の影をまとった。知る人ぞ知る存在となり、熱心なコレクターも現れた。さらに、自分の鬱屈した心境を、拘束された少女の姿に投影した《呪縛》と題する奇抜な絵をきっかけに、広く脚光を浴びる幸運にも恵まれた。――ひとたび個展が開催されれば、すべての作品が売り切れるまでになった。疑う余地もなく、私は成功を手にしたのだ。私は不遇を嗤った者たちに、報復の見得を切ってみせたくもなった。
 だが、もうそんなことはどうでもよくなっていた。物狂いのように描きまくり、力を使い果たすと正体を失うまで酒を飲んだ。私の取り憑かれぶりを、ある精神科医は「創造の病」と揶揄って、なんとか診断を下す面目を果たそうとした。が、私の実感からすれば病とか狂気からは程遠く、それは熱い血の疼きだった。夢中で描いているとき、腹筋の奥の内臓辺りがかっと熱くなり、四肢の末端まで広がる。柔和な汗が滲みだした指先が、ずきずき疼きだす。そんな熱い血を湧かせる源、心臓よりももっと血に富んだ腸の奥に、意外にも、ちょうど柔らかな貝の果肉に守られた真珠さながらの珠を意識するようになった。冷たく澄ましたふうではなく、内に秘めた華やぎを押し殺しつつ、冬の夜空一番の輝きを放つシリウスの煌めきをたたえ、私をじっと見つめる女の眸を彷彿させもする。あるいは、北メソポタミアから出土する、古代の海のブルーを内に秘めたビーズ玉のような奥ゆかしさも包み込んでいる。
 私はそれを静かに瞑想して見つめたり、恋する人の肌を愛撫する感覚に浸ったりして、いつのまにか馥郁とした汗に包まれていた。独り身になった私が、束の間の恋に熱くなることはあったにせよ、ついぞ永遠の愛など誓ったりする気が起こらなかったのも、この珠がもたらす多幸感に勝るものを見いだせなかったからではなかったか。――こんな情熱、愛情を抱いている者が他にいるだろうか? 何かの集まりのついでに、同類がいないか、探偵の眼差しになっていた。あるいは、友人に暗示的にほのめかし、私の心中まで察しがつくか窺ったが虚しかった。鈍感な周囲にしびれを切らし、詩人と称する男にあからさまに告白してみたが、馬耳東風だった。
 だが、稀に鋭い感性の音楽家が、私の絵から流れ出す音色とリズムを敏感に感じ取り、奥底の珠玉にまで肉迫するかと感じられることがあった。彼は、音楽と絵とのコラボレーションに、私を誘った。光を落したホールのステージ上の大スクリーンに私の絵が投影され、その前で音楽家が演奏する趣向だった。彼が私の絵のために作曲演奏したマリンバの音色は、深く臓腑に沁み渡るほど幻想的で、私は我を忘れ、恍惚となった。私にも、ディオニュソスさながら歓喜に浸り切り、それを表現できる才能があれば! 音楽家への強い羨望と同時に、私は心の蔵に、新たな艶が加わった珠が収まっているのを実感した。
 しかし、私の至宝に滋養が注がれる機会などはむしろ稀で、珠を損ねたり貶められそうになる危険の方が多かった。私の意匠を露骨に真似た、贋物まがいの絵を見かけることも珍しくなくなった。また、法外な宣伝料を吹っかけ、断ろうものなら、逆に悪口を喧伝して回る手合いも後を絶たなかった。だがより深刻だったのは、案外身近にいた者たちだった。私の絵が売れだすまでの友人が、ふいに無言になり、陰に回って不利を画策したり、褒めそやしておいてぷいと梯子を外したり、にわかに豊かになった懐具合にたかろうと、日夜を選ばず押しかけてきたりと、その変わり様によって見せつけられる人間性に、大いに消耗させられた。
 成功に付きものの不自由な牢獄に幽閉される名誉に浴する機が訪れたと、むしろ誇るべきだったか? しかし、守るべきものに汲々となり、ひたすら自分中心に生き出す自らに、憂鬱を禁じ得なかった。私は、果てしない寂しさに突き落とされた。その分逆に、心の珠へのいとおしさが募った。滾々と体の芯からエネルギーを迸らせ、きょう描く絵のイメージを早くも湧かせ、囁き励ましてくれる珠を喪いでもしようものなら、命を脅かされるのにも匹敵する恐慌に見舞われるにちがいない。


コメント(8)

幼稚な感想で申し訳ないのですが……とても難しかったです……。普段すぐに理解できる簡単な本しか読まない私では、理解力が及ばなかったのだと思います。そういう、奥行きのあることを鋭い文体で、ハイレベルなところで表現されているということだけはわかりました。

タイトルにもなっているくらいなので、「珠」がテーマなんだとお見受けしました。珠というのは、人の奥底にある、創造の源となる精神力のようなものなのでしょうか?

「そんな熱い血を湧かせる源、心臓よりももっと血に富んだ腸の奥に、意外にも、ちょうど柔らかな貝の果肉に守られた真珠さながらの珠を意識するようになった。」

主人公が、なぜそれを珠だと意識し始めたのか、そこが最大の謎でした。これは主人公が実感としてパールのようなものを肉体の中に知覚?しているのでしょうか?それとも自分の創造力が珠なのだと、意識的に例えているのでしょうか?つまり感覚的なものなのか、観念的なものなのか……。どちらなのかで、読者の読解の方向性が変わってくるような気がします。
的外れな感想でしたらごめんなさい。
あ、ご挨拶が遅れてしまいました。失礼いたしました。第17回の文芸部に参加します、かとうと申します。当日はどうぞよろしくお願いいたします。
かとう様、鋭いご指摘ありがとうございました。結論から先に申し上げますと、珠は、観念的な創造性のエネルギーの核でまずあり、あまりにも主人公に実感されるようになり、ついには感覚的、物質的にまで顕現するに至った両様の性格を持つ存在であることが、後半に行くほど具体的になってまいります。それが作者の挑戦の意図でもあります。観念的な珠にリアリティを与え、心を動かす小説を作り得るか? 筆力と構想の挑戦ですが、その辺をどのようにお伝えできるか、当日が楽しみです。
>>[3]
なるほど、納得いたしました。観念的なところから感覚的なところへ「腑に落ちる」となった時、小説として大変意義深いものがあると思います。しかしそれが、物質的なところまでいくとは、予想外でした。
珠という概念が観念的な納得され、さらに感覚的にも読者に受け入れられた時、それは普遍的な真理のようなものを描くのだと思います。そしてそれが物質的なところまでいくと、ファンタジーになりますね。当たり前のようなことですみません。
気になるのは、創造性のエネルギーを珠にしたところには必然性があるのか、どんな意図があるのかというところです。
その点も当日是非お伺いしたいです。
グリズリー秋緒様、大変嬉しいご感想を、誠にありがとうございました。短い部分だけで、ご理解いただけるか不安もありましたが、さすがですね。実はこの作は、すでに出版されているもので、版権の都合上これ以上は載せられませんが、当日、後半の部分についてもお話したいと思います。さらにご感想を伺うのを楽しみにしております。
初めまして。
この会の副部長を務めるゆうです。
今回は中編製作中なので作品を投稿しませんが、ゆうの部屋というところに作品がありますので、よりしければ一読ください。(個人的にお気に入りは『青梅』です)
私は普段純文学はあまり読まない人間ですので、それを考慮していただけると助かります。



●まず初めに抱いた感想は「難しい」というのは他の方と同じですが

『私の取り憑かれぶりを、ある精神科医は「創造の病」と揶揄って、なんとか診断を下す面目を果たそうとした。』

ここから先はよくわかり、ストンと胸に落ちてきました。こう言う感覚ってありますよね。特に音楽と絵の共作というのは個人的にも興味があることなので良かったです。


●気になったポイントを少し上げると
『――ははあ、これは法螺貝でも頭から被せられた具合だな。極限の中でもかろうじて私が思ったのは、』
本作品は一人称で綴られていますが、ここで句点を打つと一人称なのに会話文や独り言のように感じられて、もう一人の自分と話しているようで少し違和感がありました。


●スタートの状況がわかりづらいのが多分入りづらい要因ですかね?
爆発に巻き込まれたのか、病気で鼓膜が破れたのか、誰かに襲われたのか、状況がわからないかなぁ、と。
あと鼓膜が破れたあとに音を使った表現が多いのは意図してですか?
(鼓動、とか振動、揺らぎとかならわかりますが、鼓膜が破れて音の表現はどうなんだろうなぁ……と。物質としての音ではなく、精神世界の音なのかもしれませんが)

●これは文章の趣味の問題ですが、私は短文が続くと「読みづらいなぁ」と感じてしまいます。
(上梓されている方に何言ってんだって話ですが笑)


●言葉のチョイスが作品全体の雰囲気作りに役立っていて、すごく良かったです。
ゆう様、貴重なご感想誠にありがとうございました。今度参加させていただくのをとても楽しみにしております。私がこういう会に参加したくなった一番の動機は、近頃ネット小説を目にする機会が多くて、あと少し直し方なり、小説の見方を変えれば名作が生まれるのに、と歯痒い思いを重ねてきましたので、それを少しでも晴らしたいという思いが強かったからです。私はいろいろな分野に首を突っ込んで活動してきましたが、歳取った今、よく言われるのは、自分はともかく私と関わりのあった人たちの多くが成功していったことです。若い頃主催していた勉強会のメンバーは、直木賞作家になり、都心の美術館長、弁護士、大学教授、建築家、詩人、と気が付けば皆大活躍をしています。最近まで意識しなかった自分のそういう側面を、若い方々に還元できるのが、自分にとってもいちばんの刺激になると考えたからです。

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