半蔵門かきもの倶楽部コミュの第１６回　雛吉作　『こけし工場』

その工場は、私が通っている高校の先にあったので、自転車通勤できると思った。

全体的に錆ついた旧校舎の、渡り廊下抜けてすぐの掲示板だった。長年貼られていたのか雨風でたわんだワラ半紙の求人票だった。引きちぎると途中で切れてしまったけど、読めればいいか……と、担任に渡しに行った。
職員室にいた担任は、無口な私が突然きて話すことに驚いて、口をあんぐり開けていた。最初はおそるおそる会話をしていたけれど、話をしていくうちに、大学くらい行っておきなさいよ、とか、専門学校で技術を磨いて…とか、ぐちぐち言ってきた。けど、私の決断は揺らがなかった。昔から頑固だったのだ。

26歳になった今。
定員割れを起こして来年廃校予定の母校を左に見ながら、あのときの担任の話をもう一度聞きたいような気がしてきた。もう少し耳をかたむけてもよかったかな、と思う。
でも、右を曲がり大手家電店の前を通り、飲食チェーン店を横目で見て、山に向かっていくその道に、デカデカと「こけし工場」の看板が見えると、私は誇らしい気持ちで胸がいっぱいになる。私の職場はここで間違いはなかったのだ、と。

「本橋こけし工場」。本社は東京のどこかの市にあるらしい。
同期の大卒の女の子が研修で行って、「東京のくせに、チョー田舎だった！！」と笑っていた。そんな彼女も、もういない。以前のバイト先の既婚男性とかけおちしたという噂が流れた。もう名前すら思い出せない存在だ。
山道を入ると、ブヨが私の周りにたかってくる。ぶんぶんとまとわりついてきて、嫌な気持ちになるが、すでに工場の敷地内に入ってるため、手でふりはらうことはしないで済む。私は乗ってきた赤の自転車を止めた。
駐輪場のかたわらの喫煙スペースには、すでに人がいた。グレイの作業着に身をつつんでいる背の高い男だ。頭がパーマぽくて毛先がいつもはねている。

「もっさん、おはようございます」
「おは……よ」

ふあああと大きなあくびをして、もっさんこと本橋が答える。
役職は工場長、家庭内企業の分家筋の次男である。
気負わずなんでも話をしてほしいということで、「もっさん」と呼んでくれよというので、入社当時からそうみんなで呼んでいる。
遠目で見れば背が高く、なんとかという俳優に似てる。視線をはわせて見るような一重の目が特徴。それがいいという人もいればいやらしいという人もいる。
私の場合、今まではそのどちらでもなかった。
「ミワちゃん……。マリコが……家に来いって言ってるけど……」
「ありがとうございます」
「お前と２人だけでティーパーティをやりたいんだと」
もっさんは、何かを言いたそうに、顎をしきりになでていた。
「そうですか」
「あと…………この前の夜のことなんだけど」
「あのまま帰られましたよ」
私は即答する。すると、もっさんは見るからにホッとした表情を浮かべた。
「悪いな……おれ、だいぶ酒癖わるいから」
「だいじょうぶですよ～。もっと酒癖悪い人知ってますから、それ、うちのクソ親父なんですけどね」
こういう処世術も、勤務8年もすれば覚えるらしい。
なんの感情もなく、すらすらと口から出てくる言葉を自動で言うだけだ。
「じゃあまた」

ロッカーに入って、グレイの作業着に着替える。作業着といっても、ジャージみたいで、背の部分に「本橋こけし工場」という字が入っている。
６畳の部屋にロッカーがずらっと並んでいるが、いま使ってるのは経理のおばちゃんと、今年入ってきた中途入社の女の子と私だけになっていた。どんどん減っていく。
その女の子だって、いつ辞めるかわからないくらい無気力で、私と同じくらい他人に関心がないから無口だった。
工場に入って、伐採した材木をロクロの軸につけて、カンナで削っていく。木地挽きと言われる作業を熱心にする。１人でもくもくと作業するのが楽しい。他にも職人がいるが、それぞれ工程が違うため、かかわることもそうほとんどない。
技術もあがってきたのか、そろそろ仕上げ挽きも任される日もそう遠くないような気がする。
毎日毎日、同じ工程の仕事して面白いわけ？と母と、アパレルショップ店員の妹に、見下されるように言われたことがある。
母には「好きでもない男に、毎日食事を与えてるより楽しい」と言い、
妹には「職場の男と付き合って別れる、を繰り返して、仕事を転転としてるより楽しい」と言うと、
それ以来なにも言わなくなった。２人はたまに旅行に行くから、そのときに私の悪口を言いまくってるのだと思う。私と話すことももうないのでよくわからないけれど。
　相容れない仲があるように、逆にひと目あったときから、前世でなにかあったんじゃないかと思うくらいしっくりくる仲がある。
私の場合、それはマリコさんだった。
マリコさんは、もっさんの２番目の奥さんで、元従業員だった。
私と同じように、こけしに魅せられてわざわざこの地域に移り住んできたのだという。
私が作業しているとき、後ろから視線を感じ振り返ると、それはたいていマリコさんだった。
もっさんのあの目よりさらに粘着力があると思うのは、私だけだろうか。
じとっとなめくじが体中を這いまわるように、見てくるのだ。

「ミワちゃん、もうちょっと顔は丸い方がいいわよ」とかいろいろアドバイスをしてくれる。絵付けはマリコさんがほとんど担当しているから、やはり原型が整ってないといけないのだろう……と解釈していた私だったが、どうやらそれだけじゃないらしい。
ロクロをまわすときに後ろから抱きしめるように指導してくれるのだ。何かの映画でそういうシーンを見たことがあるが、密着度はそれと同じくらいだ。
「おっぱい、全然ないのね。ふふふ……ペッタンコ」とか平気で言ってくる。
一種のセクハラかと思うが、なんだかもう慣れてしまった、

「おっぱいもおしりも出てない女の子の人形、ってこけしくらいじゃない？」
「……世界中にはありそうですけど」
「木彫りでさ、ペタペタしてて、うすら笑いしてて、昔は気味わるかったんだけど、今はほんとに好き。大好きなの、私こけしって。なーんにも言わないし」
「そうですね、私もです」
私がそう言うと、マリコさんはじっとあの這うような目をして見つめる。
感情がうまく表に出ない私の口調だったから、本気で好きということが伝わらなかったのかもしれない。
「ホントですよ。私も本当に好きなんですよ。疑わないでください」
「ううん、ちがうの……。ミワちゃんって、鼻を削ぎ落したら、こけしっぽいな……って思っちゃった」
「…………」
そういわれるのは、何回目だろうか。ことあるごとに言ってくるので、最初のうちは「えー。鼻を削ぎ落すなんて怖いですよ～」と口から言えてたのだが、最近は思わず無言になってしまう。
それに、私は自分でいうのもなんだが、目は二重だし鼻は高いしで、けっこうバタ臭い顔をしている方だ。それなのにこけしに似てる……と言われるのはなぜだろう。
「嘘よ嘘。だって鼻がなくなっちゃったら、紅茶の匂いも嗅げなくなっちゃうものね。２人だけのなんでもない日のティーパーティができなくなっちゃうわ」
なんでもない日のティーパーティは、「不思議の国のアリス」になぞらえている。実施日はそれこそ何でもない日。マリコさんがきまぐれで開きたいときに開く。
場所は家だったり、工場の休憩室だったり……。
イギリスから輸入したというバカ高い紅茶を淹れて、もてなしてくれる。
「私、紅茶には目がないの。飲んでるだけで気持ちが落ち着くのよ」
マリコさんはそう言って、何杯でも飲んだ。
紅茶の香りがしたら、そこにはマリコさんがいるといって過言ではない。
そんなマリコさんでも、一時期、飲まなかったときがあった。
……妊娠してたときだ。

「ご招待ありがとうございます」
「なんでもない日のティーパーティーにようこそ」
今回の場所は、本橋家のリビングだった。工場からもう少し山の上をのぼっていくと、別荘風の木造コテージが見えてくる。あたりには季節折々の花と植物が植えられている。
マリコさんは髪をショートに短く切って、さっぱりした印象になっていた。
「最近、ご無沙汰だったよね」
吹き抜けになったリビングに通されると、こけしがずらっと並べられていた。
独身の頃から集めていたこけしだという。価値があるものも多そうだ。
「はい。いろいろ忙しくて」
「ソファに座ってて。いま紅茶入れるわね」
数十万円すると思われる白いソファに座ると、お尻になにか当たった。
ゴツゴツしたダイヤのついた指輪だった。
「マリコさん、これ……」
「あ、やだやだ。探してたのこれ。どこにあった？」
「ソファの間に……」
「ほんと？　ごめんね」
そう言って指輪を私から受け取ると、左手薬指にはめる。指輪はなんなくはまったが、逆にブカブカすぎるみたいだった。
本当にマリコさんのものだろうか。キッチンで紅茶をそそぎいれている様子のマリコさんの後ろ姿を見ながら、そう思った。
マリコさんの入れる紅茶はおいしい。マリコさんのいる空間はこけしに囲まれていて落ち着く。それに……マリコさんの言うことやること何もかもが、私の胸に染みて、いつしかあこがれの存在になっていた。
だから……同じ男を共有したくなってみたのかもしれない。
マリコさんが好きだからこそ。
今までの社内の女の子たちが、もっさんと関係を持ったのも仕方がなかった。もっさんのあの目が……マリコさんのあの……瞳と重なる瞬間に、女の子たちはもう押し倒されているのだろう。私も８年目にしてようやくわかったのだ。
このあいだの夜……私はもっさんに抱かれた。

「今日の紅茶はちょっと……最初に苦みがあるかもしれないわ。でも一気に飲んでみてちょうだい。すうっと気持ちが良くなるから」
もうすぐマリコさんが、私のためだけに淹れたお茶を持ってきてくれる。
いつも以上においしいのかもしれない。
私を見つめるたくさんのこけしが何か囁いているような気がした。
あの中には、私が原型を作ったこけしもあるはずだ。なんとなく見なれたこけしを見つけた。できれば全工程を通して１つのこけしを作ってみたかった。けど、後悔はない。
私はこれから、大きなこけしになってみようと思う。

コメント(5)

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[1] mixiユーザー 05月09日 01:19

今回はホラーのような作品が続きますね。たかーきさんの作品も不思議の国のアリスをモチーフにした、という話がありましたが、今作もそういう言葉がありますね。
やはり紅茶とこけしがそうするのでしょうか？

＞＞母には「好きでもない男に、毎日食事を与えてるより楽しい」と言い、
妹には「職場の男と付き合って別れる、を繰り返して、仕事を転転としてるより楽しい」と言うと

この部分の会話が非常に好きです。皮肉が効いていて、女らしさを感じさせてくれます。
マリコさんの得体の知れなさといい、こけしという暗喩？　も効いていて、情念を感じさせてくれる面白い作品でした。

[3] mixiユーザー 05月09日 12:16

作品の醸し出す雰囲気が好きです。無駄のない表現で、無理なく世界観に引き込まれました。淡々と日常を綴りつつも、最後に軽くホラーをにおわせる……作品の残す余韻が見事に感じました。

[4] mixiユーザー 05月09日 18:03

女性の怖さをヒシヒシと感じました。

全体的に作品からは、なんとも言えない暗い感じを受けました。

この暗い感じの正体が個人的に気になってます。

ゆうさんの作品を読んでからこちらの作品を読むと、なんとなく対照的な家族の姿が思い浮かびました。

[5] mixiユーザー 05月10日 20:50

皆様

コメントありがとうございました。

ちょっぴりこそばゆいですが、嬉しく思います。

皆様の感想で、はっと気がつくところがありました。

また機会がありましたら、宜しくお願い致します。

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