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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第八回 おたけさん作「ヒストリア・エクス・マキナ」

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「スーパーマーケットは、虐殺された死体やその断片が、冷蔵され、買われるのを待っている空間です。」
最先端の人工知能が、つぶらな瞳で世界を見据え、そんな独自見解を公表してから、数十年後。地球の中心は、南極に移り、地球全体を示す地図の中心は、世界のどこで購入しても南極大陸であった。
クレアが雇用されているリーヴィズ社も、南極にあった。それは、CEOが物好きだからではなく、燦々と照りつける太陽のおかげで氷が溶け、南極大陸が、世界最大のコスモポリタン・シティーになっただけのことであった。
企業は、南極大陸が大好きであった。なぜなら、そこは、課税ルールが不明確な楽園〈ユートピア〉であり、彼らが“国家”に変わる覇権〈ヘゲモニー〉を握ることに成功し、大企業が集まって“企業体”という政治的な存在となった、地球上での記念碑的聖地だからである。
しかし、既に、地球という存在自体が、時代遅れであった。今や、太陽系の中心地は、世界最大の宙港〈ターミナル〉がある火星であったし、その火星ですら、中心地であってもフロンティアではなく、開拓に励む意気揚々とした人々が見られるのは、太陽系の外に存在するケプラー134などの外惑星だった。
だが、クレアは、南極にいた。理由は、仕事のためであり、それは、時代が変わっても変わらない、ある意味ノスタルジックな理由であった。
そんな彼女の仕事は、物語学者だ。物語学とは、物語を研究することであり、主人公の造形論、プロットの多層クラスターモデルによる分析、感情移入への心理学的アプローチ、世界観の種類の博物学的研究、そして、新分野の創世など、研究分野の裾野は広く、ゆえに、現代社会最大の学問であると言っても過言ではなかったし、事実、クレアはそう思ったからこそ、この仕事を選んだのである。
物語学者であるクレアは、物語を全宇宙に発信している大企業であるリーヴィズ本社の、とある研究室を訪れるため、透明な籠のようなエレベーターに緊張した面持ちで乗っていた。そこから下界を見下ろすと、先ほど、彼女がホバーボードを飛ばして来た磁導路〈マグウェイ〉が見える。磁導路は、常に美しい。それは、バクテリアが潜んでいる路面が、プラスチックゴミなどを分解し、塵すらも取り込むためであった。
そして、彼女は、磁導路のさらに下にある、暗渠の形をした「煉獄」を想像した。そこは、巨大な迷路のようになっており、無数の無職者が、幻覚剤を飲んだ状態で彷徨っているのだ。別に彼らは、互いを傷つけ合うことも無く、ただひたすら幻覚に己の精神を委ね、終わることの無い白昼夢を見ている。そして、身体だけは、副作用のために歩き続ける。
「あの世の世界には、天国と地獄、そして、その中間に、魂の彷徨う場所である煉獄が存在します。この世にも、明るい家庭を基盤とした社会という天国、そして、刑務所や流刑地という地獄が存在します。ならば、魂がさまよえる場所である煉獄も、この世に用意すべきであることは、必然の理なのです。」
企業体の議会で、あの油顔のジャニス・カーツワイルは、そう宣言した。それは、フェルナ教のミサでTBL(The Best Life)聖典を読み上げるかの如き仰々しい言い回しだったが、多くの議員は内容を聞いておらず、その語感の良さを頼りにして判断してしまったのか、賛成多数で当案を決議した。
この決議により、各国から難民として南極に来たものの、職にあぶれ、現実逃避するために幻覚剤を飲み、市内を白昼夢とともに彷徨っていた人間たちは、暗渠のような空間に誘導され、そして、閉じこめられた。しかし、ホンモノの暗渠とは異なり、陽は当たるように偏光板を用いているので、葉緑体ナノマシンが生成するエネルギーと口鼻に取り付けた水生成マスクにより、彼らは生きながらえていた。
そして、当然ながら、ジャニスが提起したこの提案は、彼の善意から出たものではなく、幻覚剤への非難を食い止めたい製薬会社と、大規模な工事をしないと会社の規模を維持できない大手ゼネコンたちの「気持ちの代弁」であり、それは歴史が証明する議員という存在の主要な役割そのものであった。

エレベーターから降りたクレアは、全身スキャンを経て研究室のロックを外し、中に入ったが、そこには、皇帝が座るような椅子に、深々と腰掛けた死体が鎮座していた。その首からはメッセージボードがかけられており、そこには古典的な言語で、“NoBody is here”と殴り書きされていた。クレアは、この身体の“所有者”であるロイド博士の趣味の悪いジョークに苦笑いをした。
彼女は、ロイドの死体の方に近づくと、メッセージボードに小さい文字で「連絡を取りたい方は、私の抜け殻が握りしめているVRSの出入力コードを、ご自身のコネクタに装着ください」と記されていることに気付き、そのコードの先を見ると、彼が手作りしたと思われる球形のVRS(仮想現実空間;Virtual Reality Space)用サーバーが、円柱状の磁界の中に浮かんでいた。
そして、クレアは、仕方なく、その指示に従い、VRSの世界へと入り込んでいった。

「ようこそ、我が世界へ。」
目が覚めたクレアは、座り心地の良いソファーに腰掛けていた。そして、目の前のソファーには、元気そうなロイド本人が座っていて、その周囲には、そよぐ風に靡いている草原が広がっていた。
「今頃、コードでVRS接続するなんて、用心深いわね。」
「無線接続は、会社の奴らに侵入される危険性があるからね。インターネット時代の企業がイントラで会社を守ったように、古典的な防御策が最も効果的なのさ。」
そう言いながら、ロイドは、仮想現実にしか存在しない虚無の紅茶を啜る。彼が、カップを揺らすと、周囲に茶葉の芳醇な香りが広がるところから考えると、このVRSは、なかなかの処理速度を持っているようだ。となると、CPUに量子回路を使っているはずだが、一個人であるロイド博士が、それを入手したルートについては、あまり考えない方が良さそうであった。
「早速だが、クレア。今日、君を呼んだのは、新しいプロジェクトのためだ。」
そして、それはネット回線では教えることができなかったヤバい案件なのだと、クレアは心の中で、ロイドの説明に付け加えた。
「プロジェクトと君の任務を発表する前に、もう一度おさらいしておこう。クレア、この世界で必要とされていることは何だね?」
見た目は二十代に見えるロイドが、芝居めいた口調で問いかける。クレアは、リーヴィズ社で日々繰り返される、この洗脳を目的とした質問に嫌気がさしながらも、
「一つは、言語の最適化。つまり、最もジョークをたくさん作ることができ、かつ、より少ない文字と最大最適化された文章構造などの言語体系により、より多くの情報を伝えることが可能な言語を創造すること。二つ目は、新しい物語を創り続けること。これは、現在、幻覚剤を飲み、日常を失った人々が住むための新しい世界を用意することでもあり、なおかつ、新しい世界の実現可能性を探るための機会でもある。」
ここで、クレアは、一呼吸おいた。しかし、身体を機械化しているロイドは、“一呼吸おく”という動作を忘れてしまっているのか、クレアの所作を“思い出せない”のだと受け取ったようで、「もしかして、忘れた?」と不安そうに彼女を見つめる。しかし、クレアは、首を横に振り、
「三つ目は、宇宙の可能性を探ることね。人類以外の文明の発見は、停滞している世界を一挙に救うことになるわ。」
以前は、四つ目の目標として不老不死の完成が掲げられていたのだが、社会に停滞感が蔓延しているため、フェルナ教の如く、死は救いであるとの潜在的な考えが広まり、不老不死は価値があるどころか、逆に苦痛な事象として、目標からは消されてしまったのだ。
「それで、プロジェクトって?」
「ああ、単純なことさ。新しい日常のモデルを作成するのさ。」
途端に、クレアは眉間に皺を寄せ、渋面を作る。
「そんな難しい顔しなくても。朝起きて、顔を洗って、食事をし、歯を磨いて、愛する者にキスをして、出勤して、嫌な上司の顔を見た後に、別の階にいる職場の愛人の顔を見て、働き疲れて、同僚と上司の悪口を言いながら昼食を食べ、残業をしつつ、今夜は遅くなると妻に連絡を入れ、その後、愛人と愛し合い、ぐったりした様子でタクシーに乗って帰ることの繰り返しに代わる世界を創る。ただ、それだけだよ。」
「えらくスラスラと言うわね。練習したの?」
クレアが、クスクスと笑いながら言うと、ロイド博士は、「媒脳のメモリに、予め文章を用意しておいて、それを今、起動させて自分にしゃべらせたのさ。」と、技術の無駄遣いともいえる行為のタネ明かしをしてくれた。
「それに、今すぐ世界を変えるように革命を起こすことを期待している訳では無くて、単に新しい日常モデルを物語で呈示してくれれば、それで構わない。」
「要するに、今までに無いライフスタイルのモデルを組み込んだ社会設定のある物語を作れば良いということかしら。」
「まあ、そんなところだね。」
ロイドは、満足そうに頷く。
「でね、まずは、この男に同行して、素材集めをしてほしい。」
奇術師のように、ロイドが虚空から出したファイルには、カイル・レマークという名前が記されていた。
「フリーの素材屋?」
物語のネタとなる素材を集めるにしては、カイルの顔のホログラムは、非常に無骨な印象を受ける。
「兼冒険家だな。昔は、リボルト社航空宇宙局の探査官として辺境を調査していたみたいだが、他の例に漏れず、お役所仕事に嫌気がさして、自分で買った宇宙船で辺境を自由気ままに旅するようになった変態さ。探査官だった頃、開拓惑星で生じた、十字軍を模したような血みどろの戦場での実戦経験もあるようだ。昔、彼に会ったとき、なぜ、そのような精神崩壊しかねない冒険をするのかと尋ねたら、『世界を理解するために、世界の全ての様相〈アスペクト〉を、この目で見たいんだ』と答えたよ。まあ、筋金入りの変態ってわけだな。」
つまり、ロイドのお仲間だということだが、ロイドのような華奢な感じではなく、全身ホログラムを視る限り、野性味溢れる身体つきであり、視ているだけで男臭さが漂ってきて、クレアは思わず鼻を押さえたくなった。
「で、彼と、どこのフロンティアでデートすれば良いのかしら。」
何気なくクレアが聞くと、ロイド博士は「地球さ」と、軽い調子で答えた。
「地球? ここのどこに冒険場所が残っていると言うの?」
クレアの疑問に、ロイドは、曖昧な微笑で答える。その表情を見たクレアは、一つの事実にたどり着く。
「まさか、地球上の物語空間を旅しろって言うんじゃないでしょうね。」
クレアは、現実世界の冒険家に同行するという話だったので、てっきり現実を旅するのかと思っていたのだが、ロイドは、
「その通りさ。この地球に打ち捨てられている“樹海”を旅してもらう。」
現在、地球上で、最も繁栄しているのは、企業体が統治している南極である。
では、南極以外がどうなっているのかというと、そこには相変わらず旧国家が、瀕死の状態ではあるが存在していた。その打ち捨てられた国々には、スラム街に生きる人々以外にも、時代に取り残されることを選んだ富豪や地主、中産階級の市民が存在し、彼らは無人機に警備された自身の“城“に籠り、VRS体験機という惰性に身を包まれながら、全自動の家事/介護システムなどが用意した点滴などで身体を維持し、汚物も処理させることで、仮想現実での人生を謳歌していた(それについて、ロイドは、「外形は、透明な棺桶に入ってひなたぼっこを楽しむ死体である」と表現している)。
そして、彼らが生きるVRSは、インターネットで無数の旧国家の量子サーバーと繋がっており、その全容を確認したものはいないと言われているものの、概算では、人間が現実世界で生存圏として確保している世界よりも遥かに広い世界が広がっていると言われ、その得体の知れないイメージから“樹海”と呼ばれている(樹海は、情報量だけで考えると、この宇宙自体よりも大きいのではないのかと言われているが、ロイドは「樹海も、この宇宙の一部なんだから、情報量がイコールになることはあっても、仮想樹海の方が大きくなることはあり得ない」と、重箱の隅をつつくようなことをいつもぼやいていた)。
「私にとっての、この旅のメリットは?」
樹海に踏み入れた者の中には、発狂する者が多いという。いくら業務命令とはいえ、退職をした方がマシであるという選択も考えられなくは無い。
「メリットか。それは、きっと新しい物語の枠が見つかるということかな。つまり、君は、一挙にヴィザール物語賞候補になれるという訳だ。ミラン・クンデラ的に言えば、“不滅の殿堂入り”できる訳さ。」
ヴィザール物語賞。それは、過去に於けるノーベル賞以上の重みを持つ、人類最高峰の栄誉であり、歴代で、十人足らずの人間しか受賞しておらず、その希少価値は保持されていた。
“物語とは、現実世界に起こりうる可能性が排除されない現象を扱う予測学的側面を持つ。”
これは、予測歴史学者であるヴィクトール・マクスウェルの格言であり、物語の予測学的重要性を示唆している。
そして、各企業は、人工知能にはできない“歴史上の未発生事象の予測”、つまり、今後、歴史上起こったことの無い、社会的に未知の事象として何が起こりうるのかを占う必要性を感じており、物語がそれをしてくれると信じている。
だから、世界は、物語を最重要としているのだ。
今や、世界の構造は、単純化すれば、“現実世界で日常生じる出来事や、人々が娯楽として楽しむVRSゲームなどで紡がれている物語の一部を、カイルのような素材屋が採取し、素材を購入したクレアのような物語学者が、それを組み合わせて物語を作り、世に発表する”と言える。その物語の売買という構図は、コナン・ドイルが『パスカヴィル家の犬』の元ネタを、船で乗り合わせた人から安く買い叩いたのと同じである。
そして、物語学者たちに試されているのは、新しい世界観の創造だ。物語の構図や世界観には、限界があり、故に、新たなものを見つければ、ヴィザール物語賞が送られる。現代に於ける不滅の殿堂に入るためのルールは、極めて単純であった。
このような社会を、過激な言動で知られる風刺画家のレイ・カーティスは、「日常は、今や物語工場である」と表現し、人々が物語の素材という糸を吐いていて、それを素材屋が回収して糸にして、それを買った物語学者たちが服を編んでいるというカリカチュアをネットに掲載した。だが、数分後には、発禁処分を喰らった。
また、陰謀論が好きな人々は、企業体は、物語を紡がせるために樹海を放置したのだと語る。つまり、打ち捨てられた人々が生きる樹海は、未来を占う水晶玉となることを期待されていたというのである。それが本当かどうかは、どうでもいいとして、クレアは、無骨な男と一緒に、良質なシルクを集めに樹海に行かねばならないのだ。
「もし、旧国家で、機械仕掛けの警備隊に見つかって、殺されそうになったときは、赤いランプの方を見て、『私はフェルナ教徒なの。』と冷静に言えばいい。そうすれば、奴らは手を出せない。賢すぎる人工知能ちゃんは、死を崇高だと考えている人間を殺しても、罰にはならないと知っているからな。」
そう言って、ロイドは、♂のマークと♀のマークの輪が連結している、人差し指ほどの大きさの金属模型を取り出して、クレアに見せ、「フェルガナ・フォラーテ」と唱えた。意味は、「良き善の日があらんことを」であり、最適言語学者であり、フェルナ教の創始者であるボイド・フェルディナンドが考え出したフェルナ語の聖言であった。
この金属模型は、“解くことができない知恵の輪”であり、それはフェルナ教の教義の全てを包括していた。知恵の輪は解くための存在である。しかし、目の前の知恵の輪は解くことができない。だが、これは知恵の輪なのである。それが、フェルナ教の第一教義であり、それが人生の全てだとボイドは教えていたとされている。クレアは、そんなことを考えるのは無意味だと思っていたが、一応教徒であるロイドの前ではそんなことは言わなかった。
「僕はね、これを『決して解けない状態』だとは思っているが、それが意味するのは、不思議が世の中に残っている状態、つまり、世の中の不完全性だと思うんだ。僕は、世の中には解けない問題が残っていた方が良いと思う。それが人生を楽しいものにするところもあるからね。相手の心の中を完全に理解できないからこそ、相手は他人であり、自分とは違う、特別な存在になるんだと思うよ。」
とロイドは、当たり前のように話し始めたが、それは、フェルナ教の一般的な金属模型の解釈である「完全性」とは真逆の解釈であり、クレアは唖然とした。
「みんなが同じ信仰をしている中で、独りで違うものを夢想するなんて、あなたって、裏切り者ね。」
クレアが、呆れたように言うと、ロイドは、「自分の心を裏切る訳にはいかないさ。」と、ため息をつきながら述べた。
カイルの住所や樹海に入るルートなどが書かれたファイルを既に受け取ったクレアは、話が込み入って来たので、退席しようとしたが、最後に、ふと思いついた疑問をロイドに投げかけた。
「仮に、私が新しい“日常”を創造できたとしての話だけど、そのとき、今ある日常、つまり、あなたが“愛人と愛し合う”と表現した日常は何と表現されることになるのかしら?」
電子頭脳に量子回路を詰め込み、頭が“スパコンとバベルの図書館化”していると言われているロイドは、珍しく考え込み、
「どのような言語が与えられるかは、言語統括者〈ラングマスター〉でないから分からんが、少なくとも、もう“日常”と呼ばれることはないだろうね。」
クレアは、何に関しても適当であるロイドが、「それも日常と呼ばれるんじゃないかな」と、軽く流してくれ、自分を安心させてくれることを期待していたのだが、その期待は裏切られた。
「どうして、そう思うの?」
解けることの無い知恵の輪で手遊びをしているロイドに、クレアは問いかける。
「いやね、こういうたとえ話を思いついたのさ。ミジンコが、ものを考える能力を持っていたとしてだよ、彼らがミドリムシを食べまわる自分たちの日常生活と、水の中で、たとえば、二酸化炭素が水中に溶けて、水と結合して炭酸になり、イオンに別れて、という化学反応を比較して、後者を日常だと捉えるのかと思ってね。」
クレアは、笑うしかなかった。確かに、捕食のある日常からみて、化学反応を日常と解釈することには心理的な抵抗がある。しかし、やっていることは複雑さが違うだけで同じなのだ。そう考えると、我々の現在の日常が、より高次の日常から見ると、“化学反応”のように言われてしまう可能性は否定できない。
「じゃあね。」
疑問が一応解消されたので、クレアが、VRSから抜け出そうとすると、ロイドが「ちょっと待ってくれ」と言って、彼女を呼び止めた。
「何か未練があるの?」
クレアが冗談っぽく言うと、ロイドは「ありありさ」と言って、一冊の論文を何も無い虚空から取り出し、彼女に読むように勧めた。
「ミジンコの寓話まで説明したから、君には教えた方が良いと思ってね。こちらの意図を知らずに仕事をさせるのも、罪悪感で胸が痛むから。」
渡された論文の題名は、『全知全能の地獄〈The Almighty Inferno〉または、虚空点問題〈The Problem of Void-Point〉』と、まるで文学作品のようになっており、ロイドの話題性を求めている意図が見え透いていて、クレアは少し口元が緩んでしまった。だが、そこに記された問題提起を読むうちに、彼女は頭が痛くなってきた。
「何なの、これは?」
「そこに書かれた通りさ。人類の滅亡について説明しているんだ。今や、二十世紀の核戦争の恐怖よりも、そちらの方が、人類滅亡の原因としては有力だと思う。」
ロイドは、問題の内容を要約して説明し始めた。彼の語る虚空点問題とは、“人間の意識の消失”である。彼は、人間が滅びる原因は、社会環境や肉体、生殖能力面での破滅ではなく、精神面の空疎化であるとする。それは、何もかもが技術によって可能になった世界で、オートメーション化が進むと生じることであるとし、人間の日常が、まるで化学反応の如く、完全に流れが決定されていることである。そして、それはフェルナ教の開発しているTBLという人生予測システムによって実現されつつあるのだと述べる。
「TBLは、人間から決定能力を奪う。今や、フェルナ教の盲信者は、朝食に何を食べるのかすら、最適な選択を可能にすると言われるアプリケーション、つまりTBLの計算結果に従う。たとえば、自分の健康状態や今まで食べた食事などの情報を全てサーバーに記録していると、その朝食べるべき食事をTBLは答えてくれる。皮肉なことに、結婚相手まで、それで選ぶ人間も存在する。何がより良いことなのかというのを知りたいという気持ちは分からなくは無いけど、その計算結果に従うことが客観的に良かったのかは分からず、予言の自己成就的になってしまっていることが問題なんだ。」
そこに、ロイドは、虚空点の虚空とは、フェルナ教の創始者のボイド〈void〉という名前ともかけているという遊び心の説明をくわえるのを忘れなかった。
「そんな論文、発表してごらんなさい。」
クレアは、氷像のような凛々しくも固まった表情を浮かべ、
「あなたは、処刑されるわ。」
「そのときは、言ったろう?『私は、“敬虔な”フェルナ教徒です』というのさ。」
おどけていうロイド博士に、クレアは呆れた様子で、
「“敬虔な”という古語を使っている時点で、その“敬虔さ”を疑われるわよ。フェルナ教徒は、“敬虔”で当たり前なのよ。それに、処刑というのは、これからは、死を賜われるものではないわよ。」
クレアは、骰子サイズの黒い立方体である情報片〈イフォ・ビト〉を差し出した。VRSでしか形を持たない虚無の構造物であるが、実際に存在しているように思える。ロイドは、それを手に取り、頭にかざし、情報を受け取った。
「永続刑か。皮肉な名前だな。」
彼が受け取ったヴィジョンは、永続刑の説明文と風刺画であり、風刺画には人間が生きたまま、ホルマリン付けになっている様が描かれていた。
「自由を奪われた状態で、苦痛とともに、半永久的に生きさせ続けられる刑よ。酷いこと、この上ないわ。」
クレアは、そう吐き捨てるように言い、
「じゃあ、帰るわね。」
ファイルを持って、退席しようとするクレアに、ロイドは、手を振りながら、「ブエルボ・アル・スール」と言う。
「また新しい言葉を作ったの?」
クレアは、聞き慣れない別れの言葉に思わず、首を傾げる。
「新しくは無いさ。これは、スペイン語で、元々の意味は『南に帰る』だ。」
「ここが南極だということを分かってのジョーク?」
「いいや、これ以上南にいけないからこそ意味を持つ言葉だ。クレア、君の子どもが自宅にいるのに『お家に帰る』と言ったとき、それがどういう意味か分かるかい?」
「私が、頭のおかしい女で、子どもを誘拐してきて、自分の子どもだと思い込んでるってこと?」
ロイドは、それを聞いて、笑みを浮かべ、
「すぐに、そんな物語を思いつく君の才能に感心するけど、僕の意図した答えはもっと単純で、子どもが自分の家を自分の家だと認めていないということだ。」
クレアは、その答えを聞いて、鼻で笑い、
「そんな答え、それこそ言える訳ないじゃない。」
彼女は、後ろを振り向いて、帰りのゲートを開き、つかつかとそちらに向いて歩いて行った。そして、ゲートに差し掛かったところで、右手を振って、「ブエルボ・アル・スール」と、ロイドに言い残し、VRSを出て行ってしまった。
「全く、いい女だな。」

コメント(18)

ロイドは、そう独り言ちて、虚無の草原の上に、ごろりと寝転び、仰向けに大の字になった。視界には限りない青空が映り、久々に解放された気持ちになる。
もし、人間が、こうして寝転んで、青空を見上げることだけで満足する生物だったら、世界には直径五百キロを超える人工惑星などの巨大構造物やフロンティアなんて概念は存在しなかっただろうし、明日に悩むことも無かっただろう。ふと、ロイドは、人間の心を改変〈リコード〉して、青空だけ愛するようにしてしまえばいいのかもしれないと思った。しかし、彼は、そんな世の中で、みんながみんな、草原に寝転がって、ただ青空だけを見つめている光景を想像し、気分が悪くなった。
そう考えると、やはり、何かを愛する人間がいれば、何かを愛さない人間がいてもいいのだろうと思う。みんなが同じ方向を向く世の中なんておかしな話だ。
そんな群れから外れた考えを浮かべる彼が、上半身を起こし、風が吹き渡る広大な草原を見ると、草木が風の吹く方向に靡いていた。しかし、その中で、数本の若木が靡くこと無く、真っすぐと立っていた。絵にはならないかもしれないが、仮想の世界でも、そういうのがあっても悪くは無いだろう。ロイドは、ポケットから“知恵の輪”を取り出した。そして、呆れた顔をしてみせると、彼もゲートを開いて、現実世界へと戻っていった。
またオーバーしてしまいました。。申し訳ありません。
今回は、私小説を書きたかったのですが、まとまりきらず、こちらにしました。
ナンセンス小説として、未来世界を書いたつもりです。
幻覚剤を飲んだ人が、白昼夢を見ながら彷徨うのは、最近公開された、アリ・フォルマン監督のSF映画『コングレス 未来学会議』が衝撃的だったので、参考にしました。
最近、アニメでもあまりやらなくなってしまいましたが、このようなディストピア系のSFがけっこう好きです。
SF小説として非常に面白かったです。クレアとロイドの会話は軽妙で、未来という世界観に現実性を与えていると思いました。
観念的なSF小説で、細かい設定が沢山あって、この世界観のなかで実際に登場人物たちがスピード感を持って動いているところをもっと読みたいな、と思いました。
もちろん、おそらくこの小説が意図しているのは別の部分(うまく表現できないのですが、観念的なところ?)で、そこに私の理解がおぼつかないのだとは思いますが。
すいません、まだちゃんと読みきれていないのですが、途中まで読んだ時点で、とても興味深い、哲学的なテーマを含んだ話だと思いました。
このような話を書ける方は限られていると思います。才能を感じます。
またちゃんと読みきった後で感想を書かせてください。
設定が複雑なのにも関わらず消化しやすいのは説明のセンスでしょうか。
ロイド博士とクレアの会話にフォーカスさせているのが良い効果になっていると思います。
カタカナの名前が何かの繋がりを持っていると良いなと期待して読みました。
>>[3] コメントありがとうございます!
返事が遅れてすみません。
会話文に注目していただいて嬉しいです。題材が暗めなので、会話は深刻な感じにはしないようにしました。
肉さんが言ってくださったように、軽妙な会話というのは現実感に繋がると僕も思います。自分が好きな作品(SFだとフィリップ・K・ディック、伊藤計劃の作品や『銀河英雄伝説』。文学だと、クンデラ)が、軽妙な文章なのですが、これらはそうやって現実感を出すことに成功していると思われます。ぼくも、そんな感じで書けたらいいなと思っています。
>>[4]
コメントありがとうございました!
未来惑星ザルドスをご存じなことに驚きましたが、その世界観に近いのかもしれませんね。不老不死は果たして素晴らしいのか。それには疑問がありますし、それが現れることで、人間のライフサイクルのようなものが失われると思います。そういった限界があるんだと思います。
みけねこさんがおっしゃったように、感情を解くのには限界はありそうですし、仮に無かったとしても、それは良いことばかりでは無いのだと僕は思います。それをロイドのセリフに反映させました。
藤子・F・不二夫の短編集なんかはそういう作品が多いので、影響を受けているのだと思います。
とても面白かったです。設定がよくできており、商業出版にも耐えうるクオリティじゃないかと思いました。
地球温暖化で南極が世界の中心になっているというのは、秀逸なアイディアだと感じました。
>>[5]
お読みいただいてありがとうございます!
続きも書く予定で、今、プロットを作っているので、もしできたら読んでもらえると嬉しいです!世界観を全く理解されないかもしれないと思うと、続きを考えるのが不安だったので書けないでいました・・・
展開としては、カイルに出会うところから、旧国家に潜入し、物語世界を冒険することを考えているので、スピード感は出ると思われます。観念的な話も多いとは思いますが(笑)
>>[6]
おほめいただいてありがとうございます!
僕自身、哲学的なテーマのある作品が好きなので、わりとこういう作品を書くことが多いです。
また、よければ、追加で感想書いてください(^^)
>>[7]
感想ありがとうございます!
以前、『銀河英雄伝説』というSF大河小説のファンの集まりに出たときに、時代設定の説明文はつまらない、という意見がすごく多く、テンポの良い会話文が好まれているようでしたので、そういう構成にしています。
個人的に、メルヴィルの白鯨の説明箇所が辛かったというトラウマもあるのかもしれません。
カタカナの名前に繋がり、ですか。たとえば、聖書や神話に基づいているという感じですかね?
>>[13]さん
思い浮かんだとのは、「世界の中心で愛を叫んだけもの」の導入部とかのスムーズさ。star warsのとりあえずな垂れ流し的説明も別の意味で効果的ですよね。小説にするとどうなるかまでは考えてませんが。
名前の繋がりは尻取りだとかアナグラムだとかのその場で完結している簡単なものを意味しました。SFの名前は自由なのでその可能性をいかすためにと、併せて名前について変な意味を想像されず、より明解な解釈で受け取られるという効果もあります。
>>[14]
返信ありがとうございます!
『世界の中心で愛を叫んだけもの』をお読みになったことがあるところに、まず尊敬します! 出だしの参考になりそうな予感がするので、読んでみます。この短編の訳者である浅倉さんは、ディックの訳の多くをしている方で、訳が読みやすいので楽しみです。
「star warsのとりあえずな垂れ流し的な説明」というのはファンが聞いたら怒りそうですが、その通りですね(笑)確かに、あれも効果的な場合もあるんでしょうね。神話のような、若干、退屈だけど重厚な感じの演出にはなるのかもしれませんね。スターウォーズは、比較神話学のジョセフ・キャンベルの著書を元にしてますし。

名前の件は、尻取りとかアナグラムについてだったのですね! しりとりはコメディ感が出ちゃうのであれですが、アナグラムはこの作品にも使えそうです。さらに、設定の女主人公と博士(しかも狂い気味)というのは、『羊たちの沈黙』を参考にしてるので、レクター博士はアナグラム好きの設定ですからちょうどいいのかもいれません。
名前で変な意味を想像されないというのも重要ですね。エリスンの作品もセンフとかライナとか、あまり聞かない名前ですね。
>>[10]
おほめいただいてありがとうございます(^^)
設定は自分も気に入ってるので、話の先を作って投稿でもしたいですね!
南極の氷が溶けて・・・、という設定は、SFでは意外に無いのかも知れないですね。僕は全然SF小説もアニメも深く知らないので、あれですが、南極は古代文明が見つかって・・・、という描かれ方が多いのかも知れないですね(ex:ふしぎの海のナディア)。
私も詳しくないので、先例あるかもしれないけど(^◇^;)
あらためて読ませていただいたのですが、率直な感想としては、
「ぜひ続きが読みたい」ですね。

未来を予想すること、つまり考えられうるすべての物語を集めてしまうことに人類の活動は終息してしまうだろう、というアイディア(で合ってますかね…)に、深い感銘を覚えました。
そう言われれば、実際人類はそういう風になってしまったとしてもおかしくないかなと思いました。

実際、2045年問題という事が最近言われているようです。
2045年に、コンピュータの知能が完全に人類を凌駕するだろう、という問題ですが、
このような未来というのは、実際にそう遠くない未来に訪れるものだと思います。
こういうことを考えるのは、哲学として、非常に興味深いと思います。

物語の読み手としては、そういう背景があったうえで、
「じゃあどうするのか」という先の展開を期待してしまいます(笑)
そういう状態においても、人間として生きているんだという尊厳っていうか、そう言う物を守るために必死でもがく、というストーリーなんかを私は望んでしまいました。

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