八大龍王伝説（抜粋版） 〜トェゥカチンチラ王子〜
【３８３ 大爆発】（2015年8月23日掲載）
〔本編〕
（前段省略）
龍王暦一〇五七年――ソルトルムンク聖皇国では皇国暦元年の三月三日。ソルトルムンク聖皇国から南方の弱小国であるフルーメス王国に一つの書簡が届けられた。
八十カ条を超える長文のその書簡は、端的にいえば、ソルトルムンク聖皇国がフルーメス王国に送り付けた詰問書であった。
「フッ！ 馬鹿馬鹿しい限りの内容だな！」
三月一〇日にその書簡は、フルーメス王国に届けられ、その書簡を一読した時のフルーメス王国の現王であるヅダトロ王の一声がそれであった。
ヅダトロ王はフルーメス王国の現王にして、当代四賢帝の一人。
今年で六十七歳になったが、褐色の肌で恰幅がいい、まだまだ男盛りの王であった。
「第一条の先のヴェルト大戦における中立の立場への詰問は百歩譲って受け止めよう。しかし、第七十七条の龍王暦五〇〇年当時の聖王暗殺の件まで持ち出されては、もう酔狂を通り越して、いちゃもんのレベルだな。よく調べ上げたものだ……、黒宰相殿（ザッド）は……。馬鹿馬鹿しくて反論する気にもなれん！！」
ヅダトロ王はニヤリと笑い、家臣たちに呟いた。
「確かに子供の喧嘩であれば、王のようにそう笑って聞き流すことも可能でしょう。しかし、國同士のこととなると……。それも相手は超大国のソルトルムンク聖皇国ですから」
家臣の一人が冷や汗を流しながら、そう王へ進言した。
「だからこそだ。子供の喧嘩であれば、いかようにもわしは言い逃れができよう。しかし、これは超大国が弱小国への一方的な事実上の宣戦布告！ このようなものを回避する策があるか？！ 策でどうこうできる国力の差ではないぞ。わしらが動員できる兵は三万がせいぜい。それに対して今の聖皇国では三十万は動員できよう。はなから戦いの結果は目に見えている。しかしだ……」
深刻そうな顔で話していたヅダトロ王がここで、意地悪くニヤリと笑った。
「次の戦いはわしらに勝ち目はないが、次の次の戦いの勝敗はまだ分からないからのぉ〜」
ヅダトロ王は、自身特有の謎の言い方をした。
『？』
この王の言の葉に家臣一同が意味を理解しえなかった。
「……無理もない。ここから先のことが読めるのは、わしかミケルクスドのラムシェルぐらいじゃ。お前たちが気付くようなことでは、黒宰相殿も当然考えるだろう。とにかく、今は時間かせぎと次々戦への種まきが必要じゃな。おおぃ〜！ 誰か我が長子――愛すべきトェゥカチンチラ王子を呼べ。奴に特殊任務を与える！」
そう言うとヅダトロ王はまた、意地悪くニヤリと笑った。
【３８４ 弱小フルーメスの意地（一） 〜トェゥカチンチラ（前）〜】（2015年8月29日掲載）
〔本編〕
さてここで、フルーメス王国の現王ヅタトロの長子であるトェゥカチンチラ王子について少し述べよう。
トェゥカチンチラ王子は、今年（龍王暦一〇五七年）三十歳になった王子である。
ヅタトロ王の六十人の王子が全てフルーメス王国の行政、軍事、外交のいろいろな要職に就いているのに対して、この王子は芸術担当の大臣という職に就いている。
芸術担当といえば、現在の日本の文部科学省の大臣を想像させるが、実体は大いに違う。
この芸術担当の大臣の管轄（かんかつ）は文学及び思想の構築などであり、この大臣の下に十人ほどの職員がいるが、全て八十を越える老人である。
実質、大臣とは名ばかりの閑職であり、実権も全くない。
ここでトェゥカチンチラ王子は何をしているのかと言えば、書物を読み、自らも書や詩を作り、それを部下の老職員達に披露（ひろう）していた。
老職員たちは王子のそれらの作品について、大いに称賛（しょうさん）をしていたが、これも王国の王子であり、ヅタトロ王からそう対応するように言われていたためで、本心からではないが、王子本人は全く気付いていなかった。
褒められて悪い気がしないトェゥカチンチラ王子ではあったが、彼自身はこの待遇に甚だ不満であった。
彼の夢――野望ともいってよいが――、それはフルーメス王国の王となり、さらに彼のフルーメス王国によってヴェルト大陸全域を征服することであった。
トェゥカチンチラ王子は、自分が本気を出せばその夢は実現できると信じて疑わなかったし、彼が不満に思っているのは、父ヅタトロ王が、王子にその機会を作らないことであった。
トェゥカチンチラ王子は、凡庸（ぼんよう）な男ではなかった。身長は百八十センチメートルの長身で、見栄えもそんなに悪くない。
幼少時より、文武両道に励み、その理解力は他者より優れていた。
しかし彼に優れていたものは、理解力だけであり、それは観念的なものであった。
他の王子が繰り返し読み漁る思想書や兵法書を一度読んだのみで理解し、剣術や槍術といった武芸全般も一度教えられれば、全て頭で理解した。
しかし、それは観念的な理解であって、トェゥカチンチラ王子においては、それはむしろ欠点として彼の人生に作用することになる。
表面的な利発さによって、王子は挫折（ざせつ）することを知らずに育ち、兵法書なども一読以上はせず、場合によっては、途中で理解したと思い込み、読破しない書物もままあった。
武芸や学問にしても、かじっただけで全てを知ったように思い込み、極めるという境涯に至ったことがないままに育ってきてしまった。
さらに王子という立場から、帝王学を学ぶことにより必要以上に野望だけが膨れ上がってしまったのである。――自分はこの世で最も優れた特別な人間であるという……。
しかし、そのような彼に現実は容赦が無かった。
特にトェゥカチンチラ王子の父は四賢帝の一人と言われるヅタトロ王である。
実利第一主義のヅタトロ王にとってトェゥカチンチラ王の薄っぺらさはすぐにでも察知されるところとなった。
トェゥカチンチラ王が十六歳になった春――今から十四年前であるが――彼は、フルーメス王国の一地方の領主に任命された。
任命したのはヅタトロ王であるが、一年という短い期間で、ヅタトロ王はこの任命の失敗を思い知らされることになるのである。
地方の領主は、その地方の産業一般――主に農業、林業、畜産業、漁業等であるが――それらの運営及び行政全般であるが、トェゥカチンチラ王子が就任したその地方は、一年前の収穫の半分に落ち込み、さらに行政組織の三分の一が麻痺（まひ）するという異常事態に陥（おちい）ったのである。
原因はトェゥカチンチラ王子のいわゆる朝令暮改（ちょうれいぼかい）である。
極端な時は、一日に五回も命令が変わったのである。
この当時は、支配者自体が『法』であった。
つまり、不文、成文を問わず法が一日に五回も変わった日もあるのである。その地方は大混乱であったのは想像に難くない。
さて、フルーメス王国では地方領主がたとえ凡庸でも、地方行政は機能していくほど、組織がしっかりしていた。
全てヅタトロ王の実利的、組織的な政策の成果である。
ヅタトロ王としては、先ずは行政の勉強のつもりでトェゥカチンチラ王子を地方領主に任命したのである。 嫡子（ちゃくし）としての第一段階（ファーストステップ）と言って良いであろう。
それがあろうことかトェゥカチンチラ王子は、就任初日から部下にあれこれ指示を出していたのである。
それも彼が好んでやまない、例えれば論文のような難解な言葉で指示を出したため、部下にはチンプンカンプンであったらしい。
王子にとって難解な言葉を並べることは、彼は美点であると信じて疑っていない。
文学や哲学の世界ではそれでもいいかもしれないが、部下への指示は簡潔に分かりやすく伝えるのが上役としての義務であり、それが上役の優秀さに起因する。
『難解な物事を簡単に言い表せるのが賢人。難解な物事を難解に、簡単な物事を簡単に言い表せるのが凡人。そして簡単な物事を難解に言い表すのが愚人である。』
これはこの当時のある先人の言葉であるが、これで言えばまさにトェゥカチンチラ王子は愚人ということになる。
わずか一年で任地から中央へ呼び戻されたトェゥカチンチラ王子であったが、ヅタトロ王が唖然とさせられたのは、本人が全く自分（トェゥカチンチラ王子の指示による）の失敗と露ほども感じていなかったことである。
美辞麗句（びじれいく）を並べ立てたトェゥカチンチラ王子の二時間を超える――いわゆる言い訳についての詳細（しょうさい）はここでは触れないが、要は愚かな部下と愚かな人民が、自分の崇高（すうこう）な政策を理解できず、誰も指示に従わなかったといった主旨の内容であった。
さすがのヅタトロ王も呆（あき）れて物が言えなかった。
そして言った言葉の挙句（あげく）がこれである。
「父上。私……トェゥカチンチラに地方領主などといった瑣末（さまつ）な仕事は全く向きません。私は兵法書を多くかじり、武芸一般も習得しております。是非、フルーメス王国を束ねる大将軍としてご任命ください。必ずや三年をもってヴェルト大陸を平定し、他の七ヵ國を全て父王（ヅタトロ王）の膝下（しっか）に跪（ひざまず）かせましょう」
野望の大きさだけは誰にも負けていないトェゥカチンチラ王子であった。
ヅタトロ王はこの時にトェゥカチンチラ王子を嫡子の座に据えないことを決意したと思われる。
【３８５ 弱小フルーメスの意地（二） 〜トェゥカチンチラ（中）〜】（2015年9月5日掲載）
〔本編〕
それでも、まだ一人の人材としてはヅタトロ王も期待していたところがあったのだろう。
トェゥカチンチラ王子を千人規模の最下層の将軍職に任じたのである。
しかしこれも大失敗であったことをヅタトロ王はわずか三ヶ月で思い知るのである。
自分より上位の将軍を馬鹿にしきっているトェゥカチンチラ王子は、その上役の命を全く聞かず、独自に千人の兵を訓練したのであった。
その訓練は苛烈（かれつ）極まりない上に、トェゥカチンチラ王子の理論に基づいた何人（なにびと）にも理解不可能なものであったため、千人のうち一割が死傷――訓練で死者が一割も出たのが異常事態である――、三割が逃亡したのである。
なんとわずか三ヵ月間という短期間で、千人の兵が、戦（いくさ）も何もなかったのにもかかわらず、弱体化、いや無力化したのである。
兵の補充を直接、王に願い出たトェゥカチンチラ王子に殺意すら覚えたヅタトロ王であったが、王子の次の言葉を聞いて、あいた口がふさがらなかったと謂（い）われている。
「父上！ 私に一万の兵をお与えください！ 三月（みつき）頂ければ、大陸南方の聖王国を併呑（へいどん）してご覧にいれます！！」
「……、すごい自信だな。トェゥカチンチラ！」
「はい。父上。私はこの三月で完璧な戦略を思いつきました。それを理解できない一部の兵は死傷したり、逃亡したりしましたが、今、私の兵はヴェルト大陸で最も強い兵でございます」
「そうか……。……なら試させてもらう。王子（トェゥカチンチラ王子）の兵五百と、ヘルマン王子の兵五十とで模擬戦（もぎせん）を実践してもらう」
「弟のヘルマンですが……？！ 奴はまだ十歳ですぞ父上。それも五百と五十は逆ではありませんか？ 王はヘルマンを模擬戦とはいえ、命を落とさせるおつもりですか……」
トェゥカチンチラ王子は不平たらたらであった。
「良いからそれでヘルマンと戦え！ もしヘルマンに勝てば、一軍を率いて戦をしても構わぬ。しかし油断するなトェゥカチンチラ。ヘルマンは若干とはいえ、既に兵法を極めておる。心しないと負けるかも知れぬぞ」――。
そして、三日後にトェゥカチンチラ王子とヘルマン王子の模擬戦が行われたのであるが、結果はトェゥカチンチラ王子の惨敗（ざんぱい）であった。
十分の一の兵に平地戦で完敗したのである。
さすがに身に染みて堪えただろうと思っていたヅタトロ王であったが、トェゥカチンチラの言い訳術はそれをはるかに上回っていた。二時間以上の美辞麗句の言い訳の最後に彼はこう言い放った。
「私の兵は、ヘルマンの寡兵（かへい）に油断していました。さらにヘルマン自身の幼稚極まりない戦術に、私の兵は深読みをし自滅いたしました。今度は逆に私の兵の数をヘルマンの小僧の十分の一にしてください。必ずや勝利してご覧いれます。寡兵で多勢を破る妙味こそ兵法でありますゆえ！！」
“馬鹿か。こいつは……。先ずは敵の倍する兵を集めるのが戦略だ。集められない場合に、戦術でそれをカバーする。それをこいつは、十倍の兵数で敗れた上に、次は少数で勝つと抜かした。ヘルマンが模擬戦で、トェゥカチンチラを誤って除かなかったことが今一番わしには悔やまれる”
この日にトェゥカチンチラは将軍職を解任させられ、無職となったのである。
むろん、フルーメス王国の王子なので、食べていくのに困ることはない。
さて、トェゥカチンチラ王子の好きなことの一つに旅がある。
時間と金のあるトェゥカチンチラ王子は、これを期にヴェルト大陸全土を旅したのである。
王子が十八歳の時である。見聞を広めることは良いと考えたヅタトロ王は、特にこのトェゥカチンチラ王子の旅には反対しなかった。
トェゥカチンチラ王子の旅は、優雅で気ままであった。訪れた土地では必ずフルーメス王国の嫡子（ちゃくし）であると明かし、――実際はヅタトロ王の長子（ちょうし）ではあっても、嫡子ではないのであるが――その土地その土地で歓待を受けた。
これはトェゥカチンチラ王子にとって気持ちの良い出来事であったのであろう。
まるで自分が世界を動かしているような錯覚に囚われたかもしれない。
それでも人一倍認められたいという自意識の強いトェゥカチンチラ王子にとって、気に入らないことがあった。
それは、トェゥカチンチラ王子を歓待する人物の中にその国家の重要人物が一人として加わっていない点であった。
つまり王や王族は言うに及ばず、大臣や将軍といったその國の一級どころの歓待は受けらなかったのである。
トェゥカチンチラ王子を歓待する主催者は、良くて地方領主。場合によっては五十人規模を預かる中隊長レベルの武人か、直接行政実務等を行っている中堅から下っ端の役人とかであった。
どこの國でもちゃんと理解していたのである。
トェゥカチンチラ王子の旅行が単なる一王子の気まぐれの漫遊（まんゆう）であるということをである。
それでもトェゥカチンチラ王子がフルーメス王国の次期王候補であったりしたら事情は変わっていたであろう。
しかし、どの國でも他国に諜報員を送り込んで情報を収集している。
特に現王ヅタトロの長子の動向であれば尚更である。
当然、どの國もトェゥカチンチラ王子の地方領主としての失敗や、ヘルマン王子への模擬戦での大敗を情報として入手している。
特にヘルマン王子との模擬戦では、ヘルマン王子への警戒感が強まった反面、トェゥカチンチラ王子の王への就任、……いやそれどころか五十人もの王子を持つ子沢山の実利第一主義のヅタトロ王が、こんな無能王子（トェゥカチンチラ王子）を国家の重要な役職に就けるとはどう考えても有り得ない。
これが他国の共通認識であった。
それであれば、トェゥカチンチラ王子の漫遊の旅の歓待をまともに処遇する道理がない。その結果が、下級軍人や下級役人での対応であった。
その中で一度だけ異例中の異例があった。
ソルトルムンク聖王国の王城であるマルシャース･グールにトェゥカチンチラ王子が訪問したときである。
時は龍王暦一〇四八年の秋で、トェゥカチンチラ王子は二十一歳になっていた。
マルシャース･グール到着の初日に、当時ジュルリフォン聖王子の教育係であったザッドがトェゥカチンチラ王子の歓待の席に現れたのである。
昨年である龍王暦一〇四七年四月にジュルリフォン聖王子に見い出され聖王子の教育係となったザッドであるが、既に次期王であるジュルリフォンの片腕として将来を嘱望されている人物であった。
【３８６ 弱小フルーメスの意地（三） 〜トェゥカチンチラ（後）〜】（2015年9月12日掲載予定）
〔本編〕
トェゥカチンチラ王子は、これまでの漫遊でこのような一級品による人物の歓待を受けたことがなかった。これはプライドが人一倍高いトェゥカチンチラ王子も素直に嬉しかった。
歓待は三日三晩続けられ、その歓待の間、何人もの聖王国の人物が紹介された。それらの人物も今までのトェゥカチンチラ王子が歓待を受けた人物と比べると、遥かに地位が高かった。
トェゥカチンチラ王子はすっかり有頂天になったのである。
「さすがは大陸一の超大国であるソルトルムンク聖王国！ 他の六國と違ってよく分かっていらっしゃる。わたしに対する歓待ぶりがそれを良くあらわしておりまする。それに比べて他国は、わたしのフルーメス王国が弱小なのを侮（あなど）っておる。わたしにはそれが今回の外交で良く分かりました。しかし、聖王国は違う！ やはり本物の國（聖王国）は良く分かっていらっしゃる」
トェゥカチンチラ王子はご機嫌であった。
しかしこの歓待は、ソルトルムンク聖王国――いやザッドのトェゥカチンチラ王子を利用した一種の策略であった。
調子に乗ったトェゥカチンチラはこの席で、とんでもないことを約束をさせられるのである。
その約束とは、ヴェルト大陸海洋に出没する海賊退治のための船とその船を操る水夫等の技術者、そして兵たちの無償貸し出しであった。
当時の資料に詳細な数字は出ていないが、ヴェルト大陸海洋全般の海賊退治となれば、少なくともフルーメス王国の水軍の半数以上の数が必要であったろうと言われている。
それも、これは資料に残っていた事項であるが、その無償貸し出しの期限が五年というものであるから、かなり長い貸し出しといわざるを得ない。
その費用の膨大さもさることながら、五年間、フルーメス王国の主力といえる水軍の半数以上を、他国の手中にあるという状態は、いざ戦（いくさ）でも起こった場合、それが要因で国家が滅亡することもありうるほどである。
フルーメス王国のヅタトロ王は、トェゥカチンチラ王子がザッドとこの（形の上では）外交的な取り決めをしたことを聞き及んだとき、さすがに頭を抱えてしまった。
ヅタトロ王は、直ちにソルトルムンク聖王国に滞在している外交官を全て動員して、謝罪に謝罪を重ね、何とか三ヶ月に及ぶ長い交渉の末、五年間の水軍貸し出しの件の約束は撤回してもらうこととなった。
しかし、国家間の約定の撤回という大きな不始末の代償は大きかった。
フルーメス王国は違約料として莫大な賠償金を支払うことでソルトルムンク聖王国には納得してもらったのである。
国家予算の一部に相当する賠償金の捻出（ねんしゅつ）と、フルーメス王国の国家としての対外的な信頼度の大きな失墜（しっつい）である。
怒ったヅタトロ王は、トェゥカチンチラ王子を強制送還させ、さすがに今回は罪に問おうとした。
しかし、トェゥカチンチラ王子の気ままな漫遊を許していたのは王のヅタトロである。
トェゥカチンチラ王子を罰するとすれば、ヅタトロ王自身にも何らかの責任を問われることになる。
ヅタトロ王の責任は別にしても、この事件で、莫大な賠償金を払った上で王子の一人を失うのも、何らフルーメス王国にメリットがない。
いろいろと考えたヅタトロ王は、トェゥカチンチラ王子のために芸術担当の大臣を創設し、そこに就任させた。
そして国外どころかフルーメス王国の首都であり王城である『コリダロス・ソームロ』から外への出城（しゅつじょう）を永久に禁じたのである。
「ところで……」
ヅダトロ王がトェゥカチンチラ王子を呼んでいる合間に、部下に尋ねた。
「我が國の水軍の数は概算でどのくらいかのぉ？」
当然、ヅダトロ王は分かった上で、家臣全体に確認の上で聞いているのである。
「ハッ！」
それが分かっている軍事担当の大臣は誰もが分かっている事柄も事細かに説明した。
「我が國には、四種類に軍事用の船がございます。先ず、水上の拠点となり得る『巨大船』。これは百人乗りの最も大きな船でありますが、これが百艘。続いて、戦術の要になる『大船』。五十人乗りですが、これが同じく百艘。巨大船及び大船を守る中堅どころの『中船』。十人乗りの船が、三百艘。そして、攻撃及び偵察、伝令等を主に行う『小船』。五人乗りの小型船ですが、これが五百艘ございます。
これに定員一杯、兵を乗せれば、二万一千人まで兵を動員できます。我が國の三万の兵力の三分の二まで水軍として動員することが可能です」
「よく分かった」
ヅダトロ王の返事であった。
その時である。
「父王。このトェゥカチンチラをお呼びでしょうか？」
この言葉と共に堂々とした体躯の王子がヅダトロ王の玉座の間に入ってきた。
「おお〜！ よくぞ来た。我がトェゥカチンチラよ！」
ヅダトロ王は、今までトェゥカチンチラ王子に見せたことのない笑顔で彼を迎え入れた。それには、トェゥカチンチラ王子も素直に喜んだ。
「父上。いかがされましたか？」
「王子（トェゥカチンチラ）よ。お前の力を借りたいと思い、ここに呼んだ次第だ。この父の危機をお前の力で救ってもらいたい」
「私がお力になれることならなんなりと……、それでどのような事でございましょうか？！」
「うん。王子は今、このフルーメス王国がかつてない危機に陥っているのは分かっていよう。そこからいかにして乗り越えるかを、今、皆で議論していたところだ」
「……」
「そこでこの危機に対処できる方策を皆で考え付いた。この方策なら間違いない」
「それはよろしゅうございました。父上。それはどのような手でしょうか？」
「それは、トェゥカチンチラ王子！ お主に聖皇国の首都であるマルシャース・グールまで行ってもらうことじゃ。おぬしはソルトルムンク聖皇国の宰相であるザッドとも親交があると聞く。ザッドを説得して、この国難を回避させるのじゃ。
むろん、わし（ヅダトロ王）も書簡を書こう。簡単に言えば、その書簡をソルトルムンクの聖皇に渡せば、交渉は十中八九が終わる。どうじゃ。トェゥカチンチラお前の力で二國間の戦いが回避されるのだ。お前のいつも言っている実力とやらも十分示せるではないか。
むろん、王城コリダロス・ソームロからの出城禁止も解除する。たのむぞ。トェゥカチンチラ王子。この外交の後にお主を正式な嫡子としよう。約束する」
「はい。父上！」
トェゥカチンチラ王子は満面の笑みであった。
やっとトェゥカチンチラ王子は自分の野望が叶ったと思ったと同時に、自分の実力をやっと認められたと実感したのである。
当代の四賢帝の一人で『謀王』という異名を持つ父王――ヅダトロの遠謀とは露程も感じることができない、ある意味幸せな性格の御仁であった。
【３８７へ続く】
【３８３ 大爆発】（2015年8月23日掲載）
〔本編〕
（前段省略）
龍王暦一〇五七年――ソルトルムンク聖皇国では皇国暦元年の三月三日。ソルトルムンク聖皇国から南方の弱小国であるフルーメス王国に一つの書簡が届けられた。
八十カ条を超える長文のその書簡は、端的にいえば、ソルトルムンク聖皇国がフルーメス王国に送り付けた詰問書であった。
「フッ！ 馬鹿馬鹿しい限りの内容だな！」
三月一〇日にその書簡は、フルーメス王国に届けられ、その書簡を一読した時のフルーメス王国の現王であるヅダトロ王の一声がそれであった。
ヅダトロ王はフルーメス王国の現王にして、当代四賢帝の一人。
今年で六十七歳になったが、褐色の肌で恰幅がいい、まだまだ男盛りの王であった。
「第一条の先のヴェルト大戦における中立の立場への詰問は百歩譲って受け止めよう。しかし、第七十七条の龍王暦五〇〇年当時の聖王暗殺の件まで持ち出されては、もう酔狂を通り越して、いちゃもんのレベルだな。よく調べ上げたものだ……、黒宰相殿（ザッド）は……。馬鹿馬鹿しくて反論する気にもなれん！！」
ヅダトロ王はニヤリと笑い、家臣たちに呟いた。
「確かに子供の喧嘩であれば、王のようにそう笑って聞き流すことも可能でしょう。しかし、國同士のこととなると……。それも相手は超大国のソルトルムンク聖皇国ですから」
家臣の一人が冷や汗を流しながら、そう王へ進言した。
「だからこそだ。子供の喧嘩であれば、いかようにもわしは言い逃れができよう。しかし、これは超大国が弱小国への一方的な事実上の宣戦布告！ このようなものを回避する策があるか？！ 策でどうこうできる国力の差ではないぞ。わしらが動員できる兵は三万がせいぜい。それに対して今の聖皇国では三十万は動員できよう。はなから戦いの結果は目に見えている。しかしだ……」
深刻そうな顔で話していたヅダトロ王がここで、意地悪くニヤリと笑った。
「次の戦いはわしらに勝ち目はないが、次の次の戦いの勝敗はまだ分からないからのぉ〜」
ヅダトロ王は、自身特有の謎の言い方をした。
『？』
この王の言の葉に家臣一同が意味を理解しえなかった。
「……無理もない。ここから先のことが読めるのは、わしかミケルクスドのラムシェルぐらいじゃ。お前たちが気付くようなことでは、黒宰相殿も当然考えるだろう。とにかく、今は時間かせぎと次々戦への種まきが必要じゃな。おおぃ〜！ 誰か我が長子――愛すべきトェゥカチンチラ王子を呼べ。奴に特殊任務を与える！」
そう言うとヅダトロ王はまた、意地悪くニヤリと笑った。
【３８４ 弱小フルーメスの意地（一） 〜トェゥカチンチラ（前）〜】（2015年8月29日掲載）
〔本編〕
さてここで、フルーメス王国の現王ヅタトロの長子であるトェゥカチンチラ王子について少し述べよう。
トェゥカチンチラ王子は、今年（龍王暦一〇五七年）三十歳になった王子である。
ヅタトロ王の六十人の王子が全てフルーメス王国の行政、軍事、外交のいろいろな要職に就いているのに対して、この王子は芸術担当の大臣という職に就いている。
芸術担当といえば、現在の日本の文部科学省の大臣を想像させるが、実体は大いに違う。
この芸術担当の大臣の管轄（かんかつ）は文学及び思想の構築などであり、この大臣の下に十人ほどの職員がいるが、全て八十を越える老人である。
実質、大臣とは名ばかりの閑職であり、実権も全くない。
ここでトェゥカチンチラ王子は何をしているのかと言えば、書物を読み、自らも書や詩を作り、それを部下の老職員達に披露（ひろう）していた。
老職員たちは王子のそれらの作品について、大いに称賛（しょうさん）をしていたが、これも王国の王子であり、ヅタトロ王からそう対応するように言われていたためで、本心からではないが、王子本人は全く気付いていなかった。
褒められて悪い気がしないトェゥカチンチラ王子ではあったが、彼自身はこの待遇に甚だ不満であった。
彼の夢――野望ともいってよいが――、それはフルーメス王国の王となり、さらに彼のフルーメス王国によってヴェルト大陸全域を征服することであった。
トェゥカチンチラ王子は、自分が本気を出せばその夢は実現できると信じて疑わなかったし、彼が不満に思っているのは、父ヅタトロ王が、王子にその機会を作らないことであった。
トェゥカチンチラ王子は、凡庸（ぼんよう）な男ではなかった。身長は百八十センチメートルの長身で、見栄えもそんなに悪くない。
幼少時より、文武両道に励み、その理解力は他者より優れていた。
しかし彼に優れていたものは、理解力だけであり、それは観念的なものであった。
他の王子が繰り返し読み漁る思想書や兵法書を一度読んだのみで理解し、剣術や槍術といった武芸全般も一度教えられれば、全て頭で理解した。
しかし、それは観念的な理解であって、トェゥカチンチラ王子においては、それはむしろ欠点として彼の人生に作用することになる。
表面的な利発さによって、王子は挫折（ざせつ）することを知らずに育ち、兵法書なども一読以上はせず、場合によっては、途中で理解したと思い込み、読破しない書物もままあった。
武芸や学問にしても、かじっただけで全てを知ったように思い込み、極めるという境涯に至ったことがないままに育ってきてしまった。
さらに王子という立場から、帝王学を学ぶことにより必要以上に野望だけが膨れ上がってしまったのである。――自分はこの世で最も優れた特別な人間であるという……。
しかし、そのような彼に現実は容赦が無かった。
特にトェゥカチンチラ王子の父は四賢帝の一人と言われるヅタトロ王である。
実利第一主義のヅタトロ王にとってトェゥカチンチラ王の薄っぺらさはすぐにでも察知されるところとなった。
トェゥカチンチラ王が十六歳になった春――今から十四年前であるが――彼は、フルーメス王国の一地方の領主に任命された。
任命したのはヅタトロ王であるが、一年という短い期間で、ヅタトロ王はこの任命の失敗を思い知らされることになるのである。
地方の領主は、その地方の産業一般――主に農業、林業、畜産業、漁業等であるが――それらの運営及び行政全般であるが、トェゥカチンチラ王子が就任したその地方は、一年前の収穫の半分に落ち込み、さらに行政組織の三分の一が麻痺（まひ）するという異常事態に陥（おちい）ったのである。
原因はトェゥカチンチラ王子のいわゆる朝令暮改（ちょうれいぼかい）である。
極端な時は、一日に五回も命令が変わったのである。
この当時は、支配者自体が『法』であった。
つまり、不文、成文を問わず法が一日に五回も変わった日もあるのである。その地方は大混乱であったのは想像に難くない。
さて、フルーメス王国では地方領主がたとえ凡庸でも、地方行政は機能していくほど、組織がしっかりしていた。
全てヅタトロ王の実利的、組織的な政策の成果である。
ヅタトロ王としては、先ずは行政の勉強のつもりでトェゥカチンチラ王子を地方領主に任命したのである。 嫡子（ちゃくし）としての第一段階（ファーストステップ）と言って良いであろう。
それがあろうことかトェゥカチンチラ王子は、就任初日から部下にあれこれ指示を出していたのである。
それも彼が好んでやまない、例えれば論文のような難解な言葉で指示を出したため、部下にはチンプンカンプンであったらしい。
王子にとって難解な言葉を並べることは、彼は美点であると信じて疑っていない。
文学や哲学の世界ではそれでもいいかもしれないが、部下への指示は簡潔に分かりやすく伝えるのが上役としての義務であり、それが上役の優秀さに起因する。
『難解な物事を簡単に言い表せるのが賢人。難解な物事を難解に、簡単な物事を簡単に言い表せるのが凡人。そして簡単な物事を難解に言い表すのが愚人である。』
これはこの当時のある先人の言葉であるが、これで言えばまさにトェゥカチンチラ王子は愚人ということになる。
わずか一年で任地から中央へ呼び戻されたトェゥカチンチラ王子であったが、ヅタトロ王が唖然とさせられたのは、本人が全く自分（トェゥカチンチラ王子の指示による）の失敗と露ほども感じていなかったことである。
美辞麗句（びじれいく）を並べ立てたトェゥカチンチラ王子の二時間を超える――いわゆる言い訳についての詳細（しょうさい）はここでは触れないが、要は愚かな部下と愚かな人民が、自分の崇高（すうこう）な政策を理解できず、誰も指示に従わなかったといった主旨の内容であった。
さすがのヅタトロ王も呆（あき）れて物が言えなかった。
そして言った言葉の挙句（あげく）がこれである。
「父上。私……トェゥカチンチラに地方領主などといった瑣末（さまつ）な仕事は全く向きません。私は兵法書を多くかじり、武芸一般も習得しております。是非、フルーメス王国を束ねる大将軍としてご任命ください。必ずや三年をもってヴェルト大陸を平定し、他の七ヵ國を全て父王（ヅタトロ王）の膝下（しっか）に跪（ひざまず）かせましょう」
野望の大きさだけは誰にも負けていないトェゥカチンチラ王子であった。
ヅタトロ王はこの時にトェゥカチンチラ王子を嫡子の座に据えないことを決意したと思われる。
【３８５ 弱小フルーメスの意地（二） 〜トェゥカチンチラ（中）〜】（2015年9月5日掲載）
〔本編〕
それでも、まだ一人の人材としてはヅタトロ王も期待していたところがあったのだろう。
トェゥカチンチラ王子を千人規模の最下層の将軍職に任じたのである。
しかしこれも大失敗であったことをヅタトロ王はわずか三ヶ月で思い知るのである。
自分より上位の将軍を馬鹿にしきっているトェゥカチンチラ王子は、その上役の命を全く聞かず、独自に千人の兵を訓練したのであった。
その訓練は苛烈（かれつ）極まりない上に、トェゥカチンチラ王子の理論に基づいた何人（なにびと）にも理解不可能なものであったため、千人のうち一割が死傷――訓練で死者が一割も出たのが異常事態である――、三割が逃亡したのである。
なんとわずか三ヵ月間という短期間で、千人の兵が、戦（いくさ）も何もなかったのにもかかわらず、弱体化、いや無力化したのである。
兵の補充を直接、王に願い出たトェゥカチンチラ王子に殺意すら覚えたヅタトロ王であったが、王子の次の言葉を聞いて、あいた口がふさがらなかったと謂（い）われている。
「父上！ 私に一万の兵をお与えください！ 三月（みつき）頂ければ、大陸南方の聖王国を併呑（へいどん）してご覧にいれます！！」
「……、すごい自信だな。トェゥカチンチラ！」
「はい。父上。私はこの三月で完璧な戦略を思いつきました。それを理解できない一部の兵は死傷したり、逃亡したりしましたが、今、私の兵はヴェルト大陸で最も強い兵でございます」
「そうか……。……なら試させてもらう。王子（トェゥカチンチラ王子）の兵五百と、ヘルマン王子の兵五十とで模擬戦（もぎせん）を実践してもらう」
「弟のヘルマンですが……？！ 奴はまだ十歳ですぞ父上。それも五百と五十は逆ではありませんか？ 王はヘルマンを模擬戦とはいえ、命を落とさせるおつもりですか……」
トェゥカチンチラ王子は不平たらたらであった。
「良いからそれでヘルマンと戦え！ もしヘルマンに勝てば、一軍を率いて戦をしても構わぬ。しかし油断するなトェゥカチンチラ。ヘルマンは若干とはいえ、既に兵法を極めておる。心しないと負けるかも知れぬぞ」――。
そして、三日後にトェゥカチンチラ王子とヘルマン王子の模擬戦が行われたのであるが、結果はトェゥカチンチラ王子の惨敗（ざんぱい）であった。
十分の一の兵に平地戦で完敗したのである。
さすがに身に染みて堪えただろうと思っていたヅタトロ王であったが、トェゥカチンチラの言い訳術はそれをはるかに上回っていた。二時間以上の美辞麗句の言い訳の最後に彼はこう言い放った。
「私の兵は、ヘルマンの寡兵（かへい）に油断していました。さらにヘルマン自身の幼稚極まりない戦術に、私の兵は深読みをし自滅いたしました。今度は逆に私の兵の数をヘルマンの小僧の十分の一にしてください。必ずや勝利してご覧いれます。寡兵で多勢を破る妙味こそ兵法でありますゆえ！！」
“馬鹿か。こいつは……。先ずは敵の倍する兵を集めるのが戦略だ。集められない場合に、戦術でそれをカバーする。それをこいつは、十倍の兵数で敗れた上に、次は少数で勝つと抜かした。ヘルマンが模擬戦で、トェゥカチンチラを誤って除かなかったことが今一番わしには悔やまれる”
この日にトェゥカチンチラは将軍職を解任させられ、無職となったのである。
むろん、フルーメス王国の王子なので、食べていくのに困ることはない。
さて、トェゥカチンチラ王子の好きなことの一つに旅がある。
時間と金のあるトェゥカチンチラ王子は、これを期にヴェルト大陸全土を旅したのである。
王子が十八歳の時である。見聞を広めることは良いと考えたヅタトロ王は、特にこのトェゥカチンチラ王子の旅には反対しなかった。
トェゥカチンチラ王子の旅は、優雅で気ままであった。訪れた土地では必ずフルーメス王国の嫡子（ちゃくし）であると明かし、――実際はヅタトロ王の長子（ちょうし）ではあっても、嫡子ではないのであるが――その土地その土地で歓待を受けた。
これはトェゥカチンチラ王子にとって気持ちの良い出来事であったのであろう。
まるで自分が世界を動かしているような錯覚に囚われたかもしれない。
それでも人一倍認められたいという自意識の強いトェゥカチンチラ王子にとって、気に入らないことがあった。
それは、トェゥカチンチラ王子を歓待する人物の中にその国家の重要人物が一人として加わっていない点であった。
つまり王や王族は言うに及ばず、大臣や将軍といったその國の一級どころの歓待は受けらなかったのである。
トェゥカチンチラ王子を歓待する主催者は、良くて地方領主。場合によっては五十人規模を預かる中隊長レベルの武人か、直接行政実務等を行っている中堅から下っ端の役人とかであった。
どこの國でもちゃんと理解していたのである。
トェゥカチンチラ王子の旅行が単なる一王子の気まぐれの漫遊（まんゆう）であるということをである。
それでもトェゥカチンチラ王子がフルーメス王国の次期王候補であったりしたら事情は変わっていたであろう。
しかし、どの國でも他国に諜報員を送り込んで情報を収集している。
特に現王ヅタトロの長子の動向であれば尚更である。
当然、どの國もトェゥカチンチラ王子の地方領主としての失敗や、ヘルマン王子への模擬戦での大敗を情報として入手している。
特にヘルマン王子との模擬戦では、ヘルマン王子への警戒感が強まった反面、トェゥカチンチラ王子の王への就任、……いやそれどころか五十人もの王子を持つ子沢山の実利第一主義のヅタトロ王が、こんな無能王子（トェゥカチンチラ王子）を国家の重要な役職に就けるとはどう考えても有り得ない。
これが他国の共通認識であった。
それであれば、トェゥカチンチラ王子の漫遊の旅の歓待をまともに処遇する道理がない。その結果が、下級軍人や下級役人での対応であった。
その中で一度だけ異例中の異例があった。
ソルトルムンク聖王国の王城であるマルシャース･グールにトェゥカチンチラ王子が訪問したときである。
時は龍王暦一〇四八年の秋で、トェゥカチンチラ王子は二十一歳になっていた。
マルシャース･グール到着の初日に、当時ジュルリフォン聖王子の教育係であったザッドがトェゥカチンチラ王子の歓待の席に現れたのである。
昨年である龍王暦一〇四七年四月にジュルリフォン聖王子に見い出され聖王子の教育係となったザッドであるが、既に次期王であるジュルリフォンの片腕として将来を嘱望されている人物であった。
【３８６ 弱小フルーメスの意地（三） 〜トェゥカチンチラ（後）〜】（2015年9月12日掲載予定）
〔本編〕
トェゥカチンチラ王子は、これまでの漫遊でこのような一級品による人物の歓待を受けたことがなかった。これはプライドが人一倍高いトェゥカチンチラ王子も素直に嬉しかった。
歓待は三日三晩続けられ、その歓待の間、何人もの聖王国の人物が紹介された。それらの人物も今までのトェゥカチンチラ王子が歓待を受けた人物と比べると、遥かに地位が高かった。
トェゥカチンチラ王子はすっかり有頂天になったのである。
「さすがは大陸一の超大国であるソルトルムンク聖王国！ 他の六國と違ってよく分かっていらっしゃる。わたしに対する歓待ぶりがそれを良くあらわしておりまする。それに比べて他国は、わたしのフルーメス王国が弱小なのを侮（あなど）っておる。わたしにはそれが今回の外交で良く分かりました。しかし、聖王国は違う！ やはり本物の國（聖王国）は良く分かっていらっしゃる」
トェゥカチンチラ王子はご機嫌であった。
しかしこの歓待は、ソルトルムンク聖王国――いやザッドのトェゥカチンチラ王子を利用した一種の策略であった。
調子に乗ったトェゥカチンチラはこの席で、とんでもないことを約束をさせられるのである。
その約束とは、ヴェルト大陸海洋に出没する海賊退治のための船とその船を操る水夫等の技術者、そして兵たちの無償貸し出しであった。
当時の資料に詳細な数字は出ていないが、ヴェルト大陸海洋全般の海賊退治となれば、少なくともフルーメス王国の水軍の半数以上の数が必要であったろうと言われている。
それも、これは資料に残っていた事項であるが、その無償貸し出しの期限が五年というものであるから、かなり長い貸し出しといわざるを得ない。
その費用の膨大さもさることながら、五年間、フルーメス王国の主力といえる水軍の半数以上を、他国の手中にあるという状態は、いざ戦（いくさ）でも起こった場合、それが要因で国家が滅亡することもありうるほどである。
フルーメス王国のヅタトロ王は、トェゥカチンチラ王子がザッドとこの（形の上では）外交的な取り決めをしたことを聞き及んだとき、さすがに頭を抱えてしまった。
ヅタトロ王は、直ちにソルトルムンク聖王国に滞在している外交官を全て動員して、謝罪に謝罪を重ね、何とか三ヶ月に及ぶ長い交渉の末、五年間の水軍貸し出しの件の約束は撤回してもらうこととなった。
しかし、国家間の約定の撤回という大きな不始末の代償は大きかった。
フルーメス王国は違約料として莫大な賠償金を支払うことでソルトルムンク聖王国には納得してもらったのである。
国家予算の一部に相当する賠償金の捻出（ねんしゅつ）と、フルーメス王国の国家としての対外的な信頼度の大きな失墜（しっつい）である。
怒ったヅタトロ王は、トェゥカチンチラ王子を強制送還させ、さすがに今回は罪に問おうとした。
しかし、トェゥカチンチラ王子の気ままな漫遊を許していたのは王のヅタトロである。
トェゥカチンチラ王子を罰するとすれば、ヅタトロ王自身にも何らかの責任を問われることになる。
ヅタトロ王の責任は別にしても、この事件で、莫大な賠償金を払った上で王子の一人を失うのも、何らフルーメス王国にメリットがない。
いろいろと考えたヅタトロ王は、トェゥカチンチラ王子のために芸術担当の大臣を創設し、そこに就任させた。
そして国外どころかフルーメス王国の首都であり王城である『コリダロス・ソームロ』から外への出城（しゅつじょう）を永久に禁じたのである。
「ところで……」
ヅダトロ王がトェゥカチンチラ王子を呼んでいる合間に、部下に尋ねた。
「我が國の水軍の数は概算でどのくらいかのぉ？」
当然、ヅダトロ王は分かった上で、家臣全体に確認の上で聞いているのである。
「ハッ！」
それが分かっている軍事担当の大臣は誰もが分かっている事柄も事細かに説明した。
「我が國には、四種類に軍事用の船がございます。先ず、水上の拠点となり得る『巨大船』。これは百人乗りの最も大きな船でありますが、これが百艘。続いて、戦術の要になる『大船』。五十人乗りですが、これが同じく百艘。巨大船及び大船を守る中堅どころの『中船』。十人乗りの船が、三百艘。そして、攻撃及び偵察、伝令等を主に行う『小船』。五人乗りの小型船ですが、これが五百艘ございます。
これに定員一杯、兵を乗せれば、二万一千人まで兵を動員できます。我が國の三万の兵力の三分の二まで水軍として動員することが可能です」
「よく分かった」
ヅダトロ王の返事であった。
その時である。
「父王。このトェゥカチンチラをお呼びでしょうか？」
この言葉と共に堂々とした体躯の王子がヅダトロ王の玉座の間に入ってきた。
「おお〜！ よくぞ来た。我がトェゥカチンチラよ！」
ヅダトロ王は、今までトェゥカチンチラ王子に見せたことのない笑顔で彼を迎え入れた。それには、トェゥカチンチラ王子も素直に喜んだ。
「父上。いかがされましたか？」
「王子（トェゥカチンチラ）よ。お前の力を借りたいと思い、ここに呼んだ次第だ。この父の危機をお前の力で救ってもらいたい」
「私がお力になれることならなんなりと……、それでどのような事でございましょうか？！」
「うん。王子は今、このフルーメス王国がかつてない危機に陥っているのは分かっていよう。そこからいかにして乗り越えるかを、今、皆で議論していたところだ」
「……」
「そこでこの危機に対処できる方策を皆で考え付いた。この方策なら間違いない」
「それはよろしゅうございました。父上。それはどのような手でしょうか？」
「それは、トェゥカチンチラ王子！ お主に聖皇国の首都であるマルシャース・グールまで行ってもらうことじゃ。おぬしはソルトルムンク聖皇国の宰相であるザッドとも親交があると聞く。ザッドを説得して、この国難を回避させるのじゃ。
むろん、わし（ヅダトロ王）も書簡を書こう。簡単に言えば、その書簡をソルトルムンクの聖皇に渡せば、交渉は十中八九が終わる。どうじゃ。トェゥカチンチラお前の力で二國間の戦いが回避されるのだ。お前のいつも言っている実力とやらも十分示せるではないか。
むろん、王城コリダロス・ソームロからの出城禁止も解除する。たのむぞ。トェゥカチンチラ王子。この外交の後にお主を正式な嫡子としよう。約束する」
「はい。父上！」
トェゥカチンチラ王子は満面の笑みであった。
やっとトェゥカチンチラ王子は自分の野望が叶ったと思ったと同時に、自分の実力をやっと認められたと実感したのである。
当代の四賢帝の一人で『謀王』という異名を持つ父王――ヅダトロの遠謀とは露程も感じることができない、ある意味幸せな性格の御仁であった。
【３８７へ続く】
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コメント(8)
僕が毎週アップしている八大龍王伝説ですが、ちょうどここ二週間ほど、連載小説史上最大のダメ男であるトェゥカチンチラ王子の話でありました。
あまりにも偶然過ぎるので（ホントに偶然です＾＾）、部長の許可を戴き、抜粋という形ですがアップさせていただきました。
ご一読いただければ幸いです
この部分の用語集も作成いたしましたので、下記に記します。
〔参考 用語集〕
（神名・人名等）
ザッド（ソルトルムンク聖皇国の宰相で、元ジュルリフォン聖王子の教育係）
ジュルリフォン聖王子（ソルトルムンク聖王国の王子）
ヅタトロ王（フルーメス王国の王。四賢帝の一人）
トェゥカチンチラ王子（フルーメス王国ヅタトロ王の長子）
ヘルマン王子（フルーメス王国ヅタトロ王の子）
ラムシェル王（ミケルクスド國の王。四賢帝の一人）
（国名）
ヴェルト大陸（この物語の舞台となる大陸）
ソルトルムンク聖王国（大陸中央部から南西に広がる超大国。第八龍王優鉢羅（ウバツラ）の建国した國）
ソルトルムンク聖皇国（龍王暦一〇五七年にソルトルムンク聖王国から改名した國）
ミケルクスド國（西の小国。第五龍王徳叉迦（トクシャカ）の建国した國。飛竜の産地）
フルーメス王国（南の弱小国であり島国。第二龍王跋難陀（バツナンダ）の建国した國）
（地名）
コリダロス・ソームロ（フルーメス王国の首都であり王城）
マルシャース・グール（ソルトルムンク聖王国及びソルトルムンク聖皇国の首都であり王城）
（その他）
四賢帝（当代の四人の優れた王の総称）
※掲載されている一話分は、おおよそ2500文字前後です。三話＋一話の半分ですので、限りなく一万字に近い文字数ですので、これも偶然にしては出来すぎです（笑）
- mixiユーザー
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