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chopstick undergroundコミュのマイケル ドリス/朝の少女

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わたしは朝の少女。この島に住んでいるだれよりも早起きで、草や木や鳥や海が夜の夢から目をさますのを毎日見守っている。
朝の少女って名前は母さんがわたしにくれたものの中でもとびきりのお気に入りで、わたしは夜ねむっている時もお昼ごはんの時も次の朝のことばかり考えている。


ぼくは星の子。ねえさんの朝の少女とは反対に、ぼくは夜とおしゃべりをする。
だからぼくは夜になってもねむらずに、コウモリのように目をあけて星とともだちになる。星の子、父さんがぼくをそう呼んでから、ぼくは夜で、夜はぼくだ。




マイケル ドリス/朝の少女


アメリカ、インディアンの血を引く哲学者マイケル ドリスがドロップする児童文学。灰谷健次郎訳。ドリスはあまり著名な作家ではないらしく、ネットで検索してもあまり情報がない。Wikipediaにも出典がない。

古本漁りをしていたわたしが偶然手にとった一冊。児童文学?なんじゃこれは、と数ページめくってビビッときた。このビビッとくるファーストコンタクトは重要である。視覚から恋がはじまるのと同様、ルックス、つまり小説の顔である文体に強く惹かれた。
児童文学ゆえに化粧気のない天然たまご肌がベースであるが、目鼻立ちの整った自然体の美しさが際だって光っていた。
装飾を極限まで控えてなおも詩的。この本を読み終えたわたしはこの文体/ルックスをそう評する。
そこには広い海があって青い空があって緑の木々があって虫や魚や動物がいる。
朝があって夜があって少女と少年と父さんと母さんがいる。
そんな360度自然と愛情に囲まれた島を舞台に、物語りは朝の少女と星の子の二人の視点から交互に一人称で語られていく。

伸びていく手足になんの頓着もなく、無邪気に、時間が流れるままに身をまかせていられた少年少女だった頃に戻って、わたしたちは二人の物語りを追いかける陽に焼けた夏の子供だ。
そうしてページをめくる度に強くなりたい。
そう望みながら訪れる衝撃の結末に、わたしたちは再び大人の自分自身に戻って、深い感慨と共にもう一度朝の少女と星の子を俯瞰することになる。

児童文学と名うってあるがこの本はそれだけに収まらない懐の深さがある。朝の少女と星の子の成長譚であると同時に、読者にも子供/大人という地続きのふたつの視点を要求している。模範的に言うなら子供が大人になる為の書であり、大人が子供になる為の書だ。誰しもが子供時代を経て大人へと成長していくわけだが、マイケル ドリスは本書のラストシーンでわたしたちを哲学的な問いに付すことによって成長の概念そのものを作品化している。
朝の少女、非常に読みごたえのある、教育的な児童文学である。



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