ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

聖書研究入門 コミュの天地創造のところで抜けていた部分の追加

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
***天地創造のところで抜けていた部分です。




地質学

 『地質学者は、地球がモーセの記述するところよりははるかに古代のものである証拠を地球自体から発見したと主張する。今日現存するものや、数千年経過したものよりは、はるかに巨大な人間や動物の骨、武器、樹木などの化石が発見されたことによって、創造の記録の中にあらわれいるときよりは、ずっと以前に現代の人間よりかなり大きな人種が生存していたと推論する。このような論理の結果、聖書を信じると称する多くの人々が、創造の一日は漠然とした不定の期間であるという見解を持つようになった。

 しかし、聖書の歴史を度外視して、地質学は、何も証明することはできない。発見したものについて、確信をもっている論じている人々は、洪水前の人間、動物、樹木などの大きさや、洪水の時の大変化について、充分な認識を持ち合わせていない。地中から発掘される遺物類は、多くの点で現在とは非常に異なった状態にあったことを証明しているが、そうした状態が一体いつ存在したかということは、聖書から学ぶほかないのである。洪水に関する物語のなかで、霊感は、地質学だけでは探りえない事柄を説明している。現在のものよりは数倍もある人間、動物、樹木などがノアの時代に埋没した。こうして、洪水前の人々が洪水によって滅びたことを後世の人々に証明するために保存された。神は、こうしたものが発見されたために、霊感による聖書歴史に対する信仰が強固になることを望まれた。しかし、人々は、いたずらに議論して、洪水前の人々と同じ誤りに陥った。彼らは、神が人々を益するために与えられたものを悪用して、それをのろいに変えてしまった。

 神を無視したり作り話を人々に信じ込ませることが、サタンの計略の1つである。というのは、そうすれば、きわめて明確に示されている神の律法をあいまいにし、人々を大胆に神の政府に反逆させることができるからである。彼は特に第4条を攻撃する。それはこの戒めが、生ける天地の創造主を明示しているからである。』




科学と聖書

 『「隠されたことは、われわれの神、主に属するものである。しかし表されたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属」する(申命記29:29)。神が、どんな方法で創造の働きをなさったかは、人間にあらわされていない。人間の科学は、至高者の秘密を探り出すことができない。神の創造の力は、神の存在と同様に理解することはできない。

 神は、科学と芸術の両方面において、世界に溢れる光をお注ぎになった。しかし、科学者と自称する人々がこうした問題を、単に人間的観点だけによって処理しようとするならば、必ず誤った結論を下すにきまっている。もし、われわれの説が、聖書に事実と矛盾しないならば、神の言葉の啓示を超えて推論しても害はないであろう。しかし、神の言葉をさしおいて、科学的原則によって神の創造のわざを説明しようとするものは、未知の大海を海図も羅針盤もなく漂うようなものである。もし、神の言葉の指導なしに研究するならば、どんな偉大な頭脳の持ち主でも、科学と啓示の関係を追及するのにとまどうことであろう。創造主と神のわざは、彼らの理解力をはるかに超えていて、彼らは、それを自然の法則によって説明することはできない。それで、彼らは聖書の歴史は信頼できないと考える。旧新約聖書の記事の新r内政を疑う者は、さらに一歩進んで、神の存在を疑うようになる。こうして、彼らは、いかりを失った舟のように、不信の暗礁にのりあげる。』







聖書と人間の知恵

 『神の清い言葉に対する固い信仰が必要である。聖書は、人間の科学的観念によって、試験されるべきではない。人間の知識は頼りがいのない案内者である。あらをさがそうとして聖書を読む懐疑論者は、彼らの科学および啓示に関する理解が不十分なために、この二者間に矛盾を発見したということがあろう。しかし、正しく理解しさえすれば、この二者は完全に一致しているのである。・・・・すべての真理は、それが自然であれ、啓示であれ、そのすべてのあらわれ方において常に矛盾はない。

 神の言葉の中には、偉大な学者でも答えられない質問が多く提出されている。こうした問題にわれわれの注目がひかれているのは、人間がどんなに知恵を誇ってみても、限られた頭脳では、日常生活のささいなことがらのなかにさえ、充分に理解できないことがいかに多くあるかを示すためである。

 それにも関わらず、科学者たちは、神の知恵、すなわち、神のなさったこととおできになることなどを理解できると考える。神は、神ご自身の法則に制限されておられるという思想が一般に広まっている。人々は神の存在を否定するか、あるいは無視するかして、すべてのもの、人の心に働く神の霊の作用させも説明できると考えている。そして、彼らは、神のみ名を敬わず、神の力を恐れもしない。彼らは超自然ということを信じず、神の律法、また、彼らを通じて神のみこころを行われる無限の能力を理解しない。一般に、「自然の法則」という言葉は、物質界を支配する法則について、人間が発見し得たことを言うのである。しかし、人間の知識は、なんと限られていることであろう。そして、創造主はご自身の法則にかないながらも、なお、有限な人間の思考を超えて働かれる範囲は何と広いことであろう。』







生命力と神の活動力


 『物体には、生命力があると多くの者が教えている。すなわち、ある特質が物体に与えられて、それはその固有の能力によって活動するようになっている。そして、自然のいとなみは、一定の法則にしたがって行われていて、神後私人でさえそれに干渉することはできないと彼らは言う。これは、偽りの科学であって、神の言葉の支持を受けていない。自然は創造のしもべである。神は、神の法則を破棄したり、それに反して働かれることはないのであって、かえって、神の器として常に用いておられる。自然は、その法則の中に一貫して、知性と実在と活動的勢力とが働いていることを証明している。父とみ子とは、自然の中で、絶えず働いておられる。キリストは言われた。「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」(ヨハネ5:17)。』


心臓の鼓動

 『 レビ人たちは、ネヘミヤ記のなかで、こう賛美している。「あなたは、ただあなたのみ、主でいらせられます。あなたは天と諸天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、・・・・・これをことごとく保たれます」(ネヘミヤ9:6)。この世界に冠する限り、神の創造のわざは終わった。「みわざは世の初めに、でき上がっていた」からである(ヘブル4:3)。しかし、神の力は、神が創造されたものを保つために働いている。心臓が脈打ち、呼吸が続くのは、一度始動させられた機構が、それ自体の力のよって動き続けるのではない。すべての呼吸、すべての心臓の鼓動は、われわれが神のうちに「生き、動き、存在」していて、神の全体にみなぎる保護のもとにある証拠である(使徒17:28)。地球が年々収穫をもたらし、太陽の周りのを運行し続けるのも地球自体の力によるものでもない。神のみ手が惑星を導き、それぞれを定められた位置において、秩序正しく天を運行させておられる。神は、「数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより、またその力の強きがゆえに、一つも欠けることはない。」(イザヤ40:26)。草木が茂り、葉が萌え出て、花が開くのは、神の力によるのである。

神は、「もろもろの山に草をはえさせ」、谷を肥沃なところになさる(詩篇147:8)。「林の獣は」「神に食物を求める」。小さい虫から人間に至るまで、すべての生命あるものは、日毎に神のみ摂理の守りに依存している。詩篇記者は、美しくこう歌っている。「彼らは、・・・・期待している。あなたがお与えになると、彼らはそれを集める。あなたが手を開かれると、彼らは良いもので満たされる」(同104:20,21,27,28)。神のみ言葉が風雨を支配する。神は、天を雲でおおい、地に雨を降らせられる。「 主は雪を羊の毛のように降らせ、霜を灰のようにまかれる」(詩篇147:16)。「 彼が声を出されると、天に多くの水のざわめきがあり、また地の果から霧を立ちあがらせられる。彼は雨のために、いなびかりをおこし、その倉から風を取り出される」(エレミヤ10:13)。』







アーメン!!

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

聖書研究入門  更新情報

聖書研究入門 のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング