ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

西岡の雑誌図書館コミュの「被告の援軍は『安倍官邸』『次期警察庁長官』『伊藤詩織さん』レイプ裁判に判決!闇に葬られた『ドアマンの供述調書』」(週刊新潮・2019年12月26日号20〜23ページ           )

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
------------------------

 この原稿の締め切りは判決の前日で、どう逆立ちしても結果を見ることはできない。とはいえ、確実に言えるのは、結果がどうあれどちらかが、あるいはいずれもが控訴するということだから、20年以降に両者は、東京高裁で更なるお上の裁きを待つことになる。
 その控訴審の帰趨を決するのが、ある陳述書の存在である。
 陳述書の作成者の氏名を明かすことはできないが、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。
 陳述書の提出日は19年10月23日。準強姦発生から実に4年半の歳月が流れている。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。
 ドアマンは、その理由について、<裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ(本件の民事訴訟が)結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ>たからだと綴っている。
 もっとも、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、詩織さん側は弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。つまり、今回の裁判官の判断に、作成されたドアマンの陳述書は宙に浮き、1フレーズも考慮されていない。


(「被告の援軍は『安倍官邸』『次期警察庁長官』『伊藤詩織さん』レイプ裁判に判決!闇に葬られた『ドアマンの供述調書』」(週刊新潮・2019年12月26日号20〜23ページ)20ページ)
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE-2019%E5%B9%B4-12-26-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B082JQ3D4V/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE&qid=1576796627&sr=8-1

------------------------

------------------------

 この原稿の締め切りは判決の前日で、どう逆立ちしても結果を見ることはできない。とはいえ、確実に言えるのは、結果がどうあれどちらかが、あるいはいずれもが控訴するということだから、20年以降に両者は、東京高裁で更なるお上の裁きを待つことになる。
 その控訴審の帰趨を決するのが、ある陳述書の存在である。
 陳述書の作成者の氏名を明かすことはできないが、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。
 陳述書の提出日は19年10月23日。準強姦発生から実に4年半の歳月が流れている。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。
 ドアマンは、その理由について、<裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ(本件の民事訴訟が)結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ>たからだと綴っている。
 もっとも、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、詩織さん側は弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。つまり、今回の裁判官の判断に、作成されたドアマンの陳述書は宙に浮き、1フレーズも考慮されていない。
 ではここで、事件当日から係争に至る経緯を駆け足で振り返っておこう。
 15年4月3日、TBSのワシントン支局長だった山口記者が一時帰国した折、ニューヨークで知り合い、TBSに働き口を求めていた詩織さんと会食した。山口記者のホームグラウンドである東京・恵比寿で2軒目までハシゴしたところから意識を失った彼女は、その後タクシーに乗せられた。タクシーはシェラトン都ホテルへ。山口記者の部屋に連れ込まれ、翌日未明、性行為の最中に目が覚めた。
 4月30日に警視庁高輪署が詩織さんからの刑事告訴状を受理。捜査を進めた結果、裁判所から準強姦(当時)容疑で逮捕状が発布された。6月8日、アメリカから日本に帰国するタイミングで山口記者を逮捕すべく署員らは成田空港でスタンバイした。しかし、その直前に逮捕は中止。捜査員は目の前を行く山口記者をただ見つめることしかできなかった。中止の命令は、当時の警視庁刑事部長で現・警察庁ナンバー3、官房長の中村格(いたる)氏によるもので、彼自身、「(逮捕は必要ないと)私が決裁した」と本誌の取材で認めている。
 中村氏は菅官房長官の秘書官を長らく務め、その絶大な信頼を得てきた。


(「被告の援軍は『安倍官邸』『次期警察庁長官』『伊藤詩織さん』レイプ裁判に判決!闇に葬られた『ドアマンの供述調書』」(週刊新潮・2019年12月26日号20〜23ページ)20ページ)
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE-2019%E5%B9%B4-12-26-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B082JQ3D4V/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE&qid=1576796627&sr=8-1

------------------------


------------------------

 この原稿の締め切りは判決の前日で、どう逆立ちしても結果を見ることはできない。とはいえ、確実に言えるのは、結果がどうあれどちらかが、あるいはいずれもが控訴するということだから、20年以降に両者は、東京高裁で更なるお上の裁きを待つことになる。
 その控訴審の帰趨を決するのが、ある陳述書の存在である。
 陳述書の作成者の氏名を明かすことはできないが、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。
 陳述書の提出日は19年10月23日。準強姦発生から実に4年半の歳月が流れている。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。
 ドアマンは、その理由について、<裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ(本件の民事訴訟が)結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ>たからだと綴っている。
 もっとも、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、詩織さん側は弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。つまり、今回の裁判官の判断に、作成されたドアマンの陳述書は宙に浮き、1フレーズも考慮されていない。
 ではここで、事件当日から係争に至る経緯を駆け足で振り返っておこう。
 15年4月3日、TBSのワシントン支局長だった山口記者が一時帰国した折、ニューヨークで知り合い、TBSに働き口を求めていた詩織さんと会食した。山口記者のホームグラウンドである東京・恵比寿で2軒目までハシゴしたところから意識を失った彼女は、その後タクシーに乗せられた。タクシーはシェラトン都ホテルへ。山口記者の部屋に連れ込まれ、翌日未明、性行為の最中に目が覚めた。
 4月30日に警視庁高輪署が詩織さんからの刑事告訴状を受理。捜査を進めた結果、裁判所から準強姦(当時)容疑で逮捕状が発布された。6月8日、アメリカから日本に帰国するタイミングで山口記者を逮捕すべく署員らは成田空港でスタンバイした。しかし、その直前に逮捕は中止。捜査員は目の前を行く山口記者をただ見つめることしかできなかった。中止の命令は、当時の警視庁刑事部長で現・警察庁ナンバー3、官房長の中村格(いたる)氏によるもので、彼自身、「(逮捕は必要ないと)私が決裁した」と本誌の取材で認めている。
 中村氏は菅官房長官の秘書官を長らく務め、その絶大な信頼を得てきた。ベッタリ記者逮捕の中止を命令する一方、安倍総理元秘書の子息による単なるゲームセンターでのケンカに捜査一課を投入し、相手を逮捕するという離れ業もやってのけたのは本誌既報(19年11月28日号)の通りだ。官邸絡みのトラブルシューター・守護神・番犬たる部長。その命を受け、捜査の仕切り直しを担った警視庁本部からの書類送検を受けた東京地検は、ほぼ1年後の16年7月に不起訴と判断。詩織さんは17年5月、検察審査会に審査申し立てを行なったものの、9月に「不起訴相当」の議決が出ている。


(「被告の援軍は『安倍官邸』『次期警察庁長官』『伊藤詩織さん』レイプ裁判に判決!闇に葬られた『ドアマンの供述調書』」(週刊新潮・2019年12月26日号20〜23ページ)20〜21ページ)
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE-2019%E5%B9%B4-12-26-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B082JQ3D4V/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE&qid=1576796627&sr=8-1

------------------------

------------------------

 この原稿の締め切りは判決の前日で、どう逆立ちしても結果を見ることはできない。とはいえ、確実に言えるのは、結果がどうあれどちらかが、あるいはいずれもが控訴するということだから、20年以降に両者は、東京高裁で更なるお上の裁きを待つことになる。
 その控訴審の帰趨を決するのが、ある陳述書の存在である。
 陳述書の作成者の氏名を明かすことはできないが、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。
 陳述書の提出日は19年10月23日。準強姦発生から実に4年半の歳月が流れている。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。
 ドアマンは、その理由について、<裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ(本件の民事訴訟が)結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ>たからだと綴っている。
 もっとも、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、詩織さん側は弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。つまり、今回の裁判官の判断に、作成されたドアマンの陳述書は宙に浮き、1フレーズも考慮されていない。
 ではここで、事件当日から係争に至る経緯を駆け足で振り返っておこう。
 15年4月3日、TBSのワシントン支局長だった山口記者が一時帰国した折、ニューヨークで知り合い、TBSに働き口を求めていた詩織さんと会食した。山口記者のホームグラウンドである東京・恵比寿で2軒目までハシゴしたところから意識を失った彼女は、その後タクシーに乗せられた。タクシーはシェラトン都ホテルへ。山口記者の部屋に連れ込まれ、翌日未明、性行為の最中に目が覚めた。
 4月30日に警視庁高輪署が詩織さんからの刑事告訴状を受理。捜査を進めた結果、裁判所から準強姦(当時)容疑で逮捕状が発布された。6月8日、アメリカから日本に帰国するタイミングで山口記者を逮捕すべく署員らは成田空港でスタンバイした。しかし、その直前に逮捕は中止。捜査員は目の前を行く山口記者をただ見つめることしかできなかった。中止の命令は、当時の警視庁刑事部長で現・警察庁ナンバー3、官房長の中村格(いたる)氏によるもので、彼自身、「(逮捕は必要ないと)私が決裁した」と本誌の取材で認めている。
 中村氏は菅官房長官の秘書官を長らく務め、その絶大な信頼を得てきた。ベッタリ記者逮捕の中止を命令する一方、安倍総理元秘書の子息による単なるゲームセンターでのケンカに捜査一課を投入し、相手を逮捕するという離れ業もやってのけたのは本誌既報(19年11月28日号)の通りだ。官邸絡みのトラブルシューター・守護神・番犬たる部長。その命を受け、捜査の仕切り直しを担った警視庁本部からの書類送検を受けた東京地検は、ほぼ1年後の16年7月に不起訴と判断。詩織さんは17年5月、検察審査会に審査申し立てを行なったものの、9月に「不起訴相当」の議決が出ている。
 

 高輪署からドアマンに、「本件で話を聞きたい」とアプローチがあったのは、事件から少し経った頃だった。まだ逮捕状は握りつぶされていないどころか、むろん出ていないし、中村部長も気付いていない。やってきたのは高輪署の強行犯係の刑事ら2人だった。社内の人間からその要請を聞かされたドアマンは最初、何のことだか思い当たるフシがなく、「記憶力があまり良い方とは言えず、思い出せる自信がない」と思ったという。
 捜査員はドアマンのところへやってくる前に、山口記者と詩織さんをホテルまで乗せてきたタクシー運転手から話を聞いていた。当の運転手は、「僕よりもホテルのドアマンさんの方が話を聞いているんじゃないですか」と告げたというのだ。
 そんなやりとりを聞きながら、ドアマンの頭に当日の光景が生々しく蘇ってきた。聞かれもしないのに山口記者の風采を話し出した彼に捜査員は虚を衝かれたことだろう。「記憶力があまり良い方とは言えない」彼がどうして「15年4月3日のこと」を詳細に覚えているのか。それは、「ドアマン生活の中でも忘れられない出来事だったから」だ。
 では、ドアマンの「私の見たこと」や「私の調書」について述べていこう。


(「被告の援軍は『安倍官邸』『次期警察庁長官』『伊藤詩織さん』レイプ裁判に判決!闇に葬られた『ドアマンの供述調書』」(週刊新潮・2019年12月26日号20〜23ページ)20〜21ページ)
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE-2019%E5%B9%B4-12-26-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B082JQ3D4V/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE&qid=1576796627&sr=8-1

------------------------

------------------------

 この原稿の締め切りは判決の前日で、どう逆立ちしても結果を見ることはできない。とはいえ、確実に言えるのは、結果がどうあれどちらかが、あるいはいずれもが控訴するということだから、20年以降に両者は、東京高裁で更なるお上の裁きを待つことになる。
 その控訴審の帰趨を決するのが、ある陳述書の存在である。
 陳述書の作成者の氏名を明かすことはできないが、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。
 陳述書の提出日は19年10月23日。準強姦発生から実に4年半の歳月が流れている。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。
 ドアマンは、その理由について、<裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ(本件の民事訴訟が)結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ>たからだと綴っている。
 もっとも、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、詩織さん側は弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。つまり、今回の裁判官の判断に、作成されたドアマンの陳述書は宙に浮き、1フレーズも考慮されていない。

(中略)

 高輪署からドアマンに、「本件で話を聞きたい」とアプローチがあったのは、事件から少し経った頃だった。まだ逮捕状は握りつぶされていないどころか、むろん出ていないし、中村部長も気付いていない。やってきたのは高輪署の強行犯係の刑事ら2人だった。社内の人間からその要請を聞かされたドアマンは最初、何のことだか思い当たるフシがなく、「記憶力があまり良い方とは言えず、思い出せる自信がない」と思ったという。
 捜査員はドアマンのところへやってくる前に、山口記者と詩織さんをホテルまで乗せてきたタクシー運転手から話を聞いていた。当の運転手は、「僕よりもホテルのドアマンさんの方が話を聞いているんじゃないですか」と告げたというのだ。
 そんなやりとりを聞きながら、ドアマンの頭に当日の光景が生々しく蘇ってきた。聞かれもしないのに山口記者の風采を話し出した彼に捜査員は虚を衝かれたことだろう。「記憶力があまり良い方とは言えない」彼がどうして「15年4月3日のこと」を詳細に覚えているのか。それは、「ドアマン生活の中でも忘れられない出来事だったから」だ。
 では、ドアマンの「私の見たこと」や「私の調書」について述べていこう。

(「被告の援軍は『安倍官邸』『次期警察庁長官』『伊藤詩織さん』レイプ裁判に判決!闇に葬られた『ドアマンの供述調書』」(週刊新潮・2019年12月26日号20〜23ページ)20〜21ページ)
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE-2019%E5%B9%B4-12-26-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B082JQ3D4V/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%B0%E6%BD%AE&qid=1576796627&sr=8-1

------------------------







コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

西岡の雑誌図書館 更新情報

西岡の雑誌図書館のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング