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西岡の雑誌図書館コミュの西岡昌紀インタビュー(m9 Vol.2(普遊社・2008年8月1日発行)p.115〜119)その2

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 1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こったこの日に発売された、文藝春秋社の月刊誌『マルコポーロ』2月号に、1本の記事が掲載された。内科医・西岡昌紀氏による「戦後世界史最大のタブー ナチ『ガス室』はなかった」だ。これがユダヤ人組織「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」やイスラエル大使館からの強い抗議を招き、広告主企業が広告引き上げの動きを見せたため、文藝春秋は早々に『マルコポーロ』廃刊を決めた。世に言う「マルコポーロ廃刊事件」である。
 当時、西岡氏の記事に対する反論を拒否し『マルコポーロ』を廃刊に追い込んだSWCに対しても、誌上での検証などを行なわないまま廃刊を決めた文藝春秋社に対しても、フェアな言論姿勢を欠いているとして批判が集まった。一方で、ドイツがユダヤ人を迫害した歴史自体は否定せず、ナチによるユダヤ人絶滅指令やガス室の存在する物証が存在しないことなどを指摘した西岡氏の記事については、ドイツのユダヤ人差別・迫害自体を否定したかのようなイメージがつきまとうことになった。

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−−そもそも、なぜナチのガス室に興味を持ったんでしょうか。

西岡 実は偶然なんですが、『ニューズウィーク日本版』1989年6月15日号の「ホロコーストに新解釈・ユダヤ人は『自然死』だったで揺れる歴史学界」という記事に興味をもったのがきっかけでした。アメリカの有名な歴史学者アーノ・メイヤーが『なぜ天は暗くならなかったのか』という著書を批判する記事です。メイヤー教授は、アメリカでは左翼的と見なされている、どちらかというとソ連びいきの学者で、しかもユダヤ人です。そのメイヤーが、ガス室の存在は否定しなかったものの、「ユダヤ人の多くはガス室より病気や飢えで死んだ」と書いた。それに対してアメリカで非難轟々の嵐になっているというのが『ニューズウィーク』の記事でした。

−−それまでは西岡さんも、ユダヤ人ガス殺説は疑っていなかったんですね。

西岡 そうです。ガス室の存在も固く信じていました。ただ、この記事に出会う前に、広瀬隆さんの本で「ナチスが台頭するにあたっては、アメリカの財界がナチスを支援していた』とか『第二次大戦中、ナチスとアメリカの産業界の間には密かなつながりがあった』という話に触れて、自分の歴史観が揺れていた時期ではありました。広瀬さんの書いていることには、いま読めばけっこういい加減な部分もあるんですが、それまでぼくは第二次世界大戦と言えば「ドイツと日本が一方的に悪かった」と固く信じていたのが、実はそう単純ではなかったんだと思うようになり始めていたんです。その頃に『ニューズウィーク日本版』の記事を読んだので、『これは何かあるな』と。

ーーそこから、西岡さんの『ガス室研究』が始まった。

西岡 そうです。「研究」というほどのものではありませんが、英語の資料などを集めていくと、もっとストレートにガス室の存在を疑う意見があることを知って大変ショックでした。それまでのぼくは、ものすごく左翼益な人間で、いまでいうなら『週刊金曜日』の読者みたいな人間だったんですが。

ーー医師であってライターや作家ではなかった西岡さんが、なぜ『マルコポーロ』に記事を?

西岡 資料がかなり集まった94年頃、新聞などで、ドイツでこういう問題に関する言論規制が強まっているという記事が出るようになっていたんです。ぼくはすでにガス室問題をめぐる論争について予備知識があったので、「これは言論規制だ」と気がついた。ところが日本の新聞は、そういうことは書かないんですよ。「ネオナチを取り締まるためにドイツはこんな立派なことをしている」という論調でした。さらにTBSの『ニュース23』で筑紫哲也さんが、ドイツの言論規制のことを『他山の石』と言って、『こういうのもいいんじゃないか』みたいなことを『多事総論』で発言したんですよ。南京問題なども引き合いに出して。ぼくは、これはものすごく危ないことなんじゃないかと感じた。たとえばぼくは当時もいまも原発反対の立場で、電力会社がコマーシャルを使って、ニュース番組の原発批判を封じ込めることにも批判的でした。ガス室論争についても、ドイツと同様、日本においても言論を封じ込める動きが進んでいくのではないかと危惧を覚えた。ヒットラーを支持するわけではなく、何事についてであれ言論規制が進むことへの危機意識があった。

ーーそれで、『マルコポーロ』に記事を持ち込んだと。

西岡 すぐにそうしたわけではありません。無名である自分が何か書こうという気持ちはなかった。ただ、ガス室についてメディアも全然わかっていないんだろうと思ったので、自分が集めた英語資料をコピーして解説パンフレットを(116ページ)作り、新聞社や大学教授などに片っ端からダイレクトメールで送った。それに対して、たまに熱心な返事をくれる人がいました。たとえばジャーナリストの木村愛二さんが電話をくれて、「これは大変な問題だ。詳しく教えて欲しい」と言ってきた。そのうち勉強会なども開くようになり、ほかの有名なジャーナリストや編集者の中にも「西岡さんの言うとおりだと思います」という人が出てきた。右とか左とかには関係なく、たとえば朝日新聞社の雑誌で活躍している人もいた。文藝春秋社にも資料を送っていたんですが、『マルコポーロ』の編集長だった花田紀凱さんから電話がかかってきて「これは面白い。西岡さん、書いてくださいよ」という話になったのが、94年の7月くらい。

ーー原稿を依頼してきたのは花田さんの方だったんですね。

西岡 ただ、ぼくは自分で書こうなんて思ってなかったから、当時ぼくの意見に賛同してくれていた有名作家(西岡注:故・野坂昭如氏)を花田さんに推薦したんです。「ぼくが資料出してサポートしますから、○○さん(西岡注:故・野坂昭如氏)に書いてもらえませんか」って。でも花田さんに「西岡さんが書いてください」って言われたんです。その年の夏休みにポーランドのナチスの収容所の写真をたくさん撮ってきて、8月の終わりくらいに花田さんに原稿を渡しました。誌幅の都合か、掲載の可否を検討していたのかわかりませんが、それが95年1月17日発売号(2月号)に載った。そういう経緯でした。

ーーなぜ、それまでメディアはガス室論争を報じなかったのか?

西岡 よくわかりませんが、ひとつには、日本のメディアの情報の流れは、かなり上流でコントロールされているということではないでしょうか。たとえば共同通信だとかがよく言われるのは、「ヨコの文字をタテに直す「という言葉。それをみんながありがたく拝聴して、自分で英語の情報、資料を当たることはしない。実はマスコミは、本物のマスコミ以上に「情報の官僚」のような気がします。通信社が絶対の真理のようになっていて、元を疑う習慣がない。インターネットも未発達だった当時は、新聞やテレビの情報を一般の人がチェックするなんて、なかなかできなかった。新聞やテレビが、一般に伝える情報と伝えない情報を決めてしまっていいのか?という問題意識もありました。

ーーつまり、イデオロギー以前の問題だと。

西岡 そうです。ぼくは当時から、このテーマを右とか左とかの対決ではなく「事実とは何か」だと考えていました。資料は思想の左右を問わず送り、「どう評価するかは、それぞれの立場で自由におやりください」と。ぼくの役割は、欧米の論争に関する情報と資料を提供することで、それ以上の役割は考えていなかった。意図的にかどうかはわかりませんが、英語の資料はこれだけあるのに日本語の言語空間に全く入ってこない。これは恐ろしいことですから、右とか左とか言う前に、この日本の状況を何とかする方が先決だと思いますね。

−−記事の掲載後の反響は?

西岡 こういう言い方はどうかと思いますが、事件当時には勝利感に浸ってしまったような面もありました。多くの場で取り沙汰された際に、記事の内容について「ここが間違っている」という指摘がほとんどなかったからです。実際、細部では間違いもあったのに、それすら指摘がなかった(笑)。マスコミが行った批判は、「(収容所の)生き残りにインタビューしなかったのがいけない」とか「両論併記すべき」とか、ヘンな方法論の話ばっかりでした。

ーーそれもユダヤ人組織暗躍の影響ですか?

西岡 うーん。想像になっちゃいますが、そういうことよりも、メディアでぼくの記事を批評した記者たちの不勉強が一番の理由ではないでしょうか。事実関係の検証から逃げて方法論の批判ばかりだったのは、この問題を知らない人が大部分だったからでしょう。

ーーガス室があったということにしたがっているのは誰?

西岡 それも想像するしかないんです。「ユダヤ人」という言い方はしたくないんですが、シオニスト勢力には、ナチスによるユダヤ人迫害を誇張することでドイツから膨大な賠償金を取ってイスラエルに流れるようにした人々がいた可能性を論じないわけにはいかない。もちろん、ドイツがユダヤ人を迫害したこと自体は事実ですが。 

ーーその一環で、『マルコポーロ』にも広告引きあげという締め付けが行われたと。

西岡 廃刊の本当の理由は広告ではない、という人もいます。文藝春秋取締役編集総局長の岡崎満義が’96年に出版社の会合でのオフレコ発言で、「廃刊の本当の理由は広告ではなく、海外で日本人がテロにあう可能性が高いとの情報が入ったから」と発言したと、創価学会系の『第三文明』が「暴露」して発言を非難していました。外務省がそういった「情報」を口にしただけなのか、実際にテロ予告があったのかわかりませんが、本当なら、恐ろしい話です。

ーー西岡さん自身には、どういった圧力があったんですか?

西岡 廃刊の発表は95年1月30日。それ以前は、ぼくに対する圧力は一切ありませんでした。この日、ぼくに編集部から電話があって、『マルコポーロ』は廃刊になったと言われた。その日、『朝日新聞』の取材などに対してぼくは、記事に書いた自分の見解を撤回する気はないと言ったんですが、ぼくに圧力がかかり始めたのは、その翌日からでした。ぼくが当時勤務していた厚生省直轄の病院に出勤すると、ふだんは昼行燈みたいな院長が、まるで別人のように半狂乱で「お前は何てことしたんだ!」と怒鳴るんです。「おれは、夜中に電話で起こされて、『お前は何を監督してるんだ!』と責められた」とか「言論の自由なんていうものはないんだ」とも言いました。誰からの電話なのか彼は明かしませんでしたが、私には、厚生省と考えるに足りる理由がありました。院長は「お前の動きに日本という国の運命が関わっている!」などとも叫んでいて、要するに、ぼくによけいなことを喋るな、ということでした。

ーーそれでも西岡さんは記者会見を強行した。

西岡 職場の状況を木村愛二さんに公衆電話で話したら、木村さんが「明日、こちらも記者会見をやろう」と言って手配してくれた。ところが、その電話を切って1時間もしないうちに、また院長室に呼ばれたんです。「記者会見をするとは、どういうことだ!」と院長が叫んだのには驚きました。ぼくは誰にもしゃべってないので、木村さんがマスコミ各社に送った連絡が厚生省の耳に入ったんでしょう。仕方がないから「ぼくは記者会見に出ません」とガセネタを流したら、ピタっと妨害がやみました。なんとか記者会見に出ることができましたが、それまでの圧力は本当にすごかった。怖いのはユダヤ人ではなく日本人だった、というのが実感です。ぼくの会見の翌日には、SWCのクーパー氏と文春の田中社長が並んで記者会見を開きましたが、彼らの当初のシナリオでは、文春側から「執筆者も誤りを認めています」と「大本営発表」をするつもりだったのでしょう。だからこそ、私が彼らの前日に記者会見を開くことに大して、職場の上司を通じて激しい圧力がかかったのだと思います。

ーー文春も官僚的だった?

西岡 事件後、文春関係者から「外務省が動いていました」とは聞きました。「早く何とかしないとアメリカの新聞が動き出す」と言った文春幹部がいたそうですが、興味深い話です。ですから、『マルコポーロ』の廃刊は文春だけの判断ではないんでしょう。ただ、クーパー氏も会見で「われわれは廃刊なんか求めてない」と言っていましたが、これは本当だと思います。廃刊はSWCやイスラエル大使館が要求したものではなく、文春と、おそらく外務省が「自主的に」行ったシオニスト勢力への「過剰サービス」だったのだと私は思います。それが逆に騒ぎになって、この問題にみんなが関心を持ってくれるきっかけになったのだから、皮肉な話ですね(笑)。クーパー氏も後年、「我々の負けだった」と発言しているようです。

ーー現在、西岡さんはどういった生活を?

西岡 別の病院で、マルコポーロ事件の頃と同じく、週5日出勤の勤務医をやっています。当時働いていた厚生省直轄の病院はやめましたが、これは事件のせいではありません。私は、もともとジャーナリストや作家になるつもりであの問題を取り上げたわけではなく、いまもこれといって執筆活動はしていません。忙しくてブログもずいぶん更新してません。

ーーそのブログには「HIVは本当にAIDSの原因か?」という記事を載せていますね。

西岡 これもナチスのガス室問題と或る面では似ています。海外の文献では、エイズの中にはHIVが原因ではないケースもあるとか、HIVはエイズの原因ではないという主張があるんですが、それが日本ではほとんど知られてない。元・山口大学医学部の柴田二郎教授など、日本でもこうした見解の存在を指摘し、注意を喚起する人はいます。欧米の学界に、エイズの原因をHIVだけに帰する現在の「定説」に対する疑義が存在する事への関心の換気です。

ーーHIV以外の原因には、どういうものがあると?

西岡 麻薬常用者、同性愛者、血友病患者のエイズは、実は、それぞれ別の病気なのではないか?という疑問が提起されている。それからアフリカのエイズは先進国のエイズと病像が非常に違うので、これも別の病気ではないか?という疑問が存在しています。たとえばアメリカではエイズ患者には、ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)やカポジ肉腫が多いのに、アフリカのエイズ患者にはこれらが非常に少ない。また、これはとても重要なことですが、HIVの存在が確認されない「エイズ患者」もいる。HIVがエイズの唯一の原因なら、なぜHIV陰性のエイズが存在するのでしょうか?HIVとは別の複数の原因が存在する可能性があるのではないでしょうか。たとえば麻薬常用者であれば、ウィルスではなく麻薬そのものが免疫不全の原因であるというように。

ーーこれもまだ「論争」の段階なんですね。

西岡 エイズの論争について、何が答えなのかを断定するつもりはありません。しかし、「エイズ=HIV」説をめぐる論争がまだ終わっていないことだけは確かです。それなのに、日本のメディアがこうした論争の存在を伝えていないために、日本語の言語空間に英語では語られている議論が入って来ない。仮にHIVがエイズの原因だったとしても、ヘロインなどの薬物麻薬にリンパ球への有害な作用があるということ自体は科学的事実ですから、もっと社会に知られていいはずです。


(西岡昌紀インタビュー(m9 Vol.2(普遊社・2008年8月1日発行)p.115〜119)115〜119ページ)
https://www.amazon.co.jp/m9-Vol-2-%E6%99%8B%E9%81%8A%E8%88%8E%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF/dp/4883807827

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