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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 随想㊼ タシュケントの「日本人」女性

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2021-05-04 07:434

 私は外務省時代、一度、強い「やるせない思い」をしたことがある。

 私は1993年ウズベキスタンに大使として赴任した。と言っても、まだ大使館の建物も大使公邸もなかった。ホテルの一部屋で大使館、別の部屋が大使執務室兼寝室だった。
 その当時突然電話が鳴った。ロシア語で「大使、私日本人です。会って下さい」
 ウズベキスタンが独立して経済は大混乱の中にある。まだ日本から企業の人はほとんど来ていない。旧ソ連時代、タシケントに日本人が住んでいたとは聞いていない。そもそも日本語でなく、ロシア語で「私日本人です」というのも不思議である。話を聞くと、シベリアに抑留されていた日本人とロシア女性の間に生まれた人が電話をかけてきたようだった。
 彼女は執拗に「私日本人です。家に来てください。その時説明しますから」という。
 ウズベキスタン人の運転する車で指定の場所に出かけた。タシケント市街の外れにあるような場所であった。当然住宅も貧相である。集合住宅の前に40歳位の女性(A)が立っていて、案内されて部屋へ入った。部屋には60才位の女性がいた。Aさんが話始めた。
「こちらが私の母です。
 元々はシベリアにいました。日本人抑留者の世話をしていたのです。そのうち、日本人捕虜のXさんと仲良くなりました。勿論、Xさんの姓名は知っています。Xさんは十年近く収容所にいて、もう自分は日本へ帰れないと思っていたようです。それもあって、私の母と親しくなったのだと思います、そして二人の間に私が生まれました。ところが日ソ交渉があって、日本人抑留者は日本に帰っていきました。Xさんも帰っていきました。母はシベリアで私を育てましたが、日本人との間で子供を産んだということで、周りから相当いじめられました。その頃、ウズベキスタンはロシア人以外の民族も暖かく扱うという定評があったので、母はタシケントに来ました。
 母はXさんと何とか連絡を取ろうとしましたが、幾度試みてもうまくいきませんでした.母は、Xさんのことはもういいと言っています。
 母が諦めたとしても私はXさんの子です。私は日本人です。大使、お願いです。Xさんを見つけてください。私は会いたいのです」
 母は黙って聞いていた。弱弱しく「私はもういいよ」と言われた。
 私は、大使館に帰って電報をうち、「Xさんを探して欲しい、そして娘さんが会いたいと言っていると伝えて欲しい」と依頼した。私の報告は外務省から厚生省へ、厚生省から抑留者の会に伝えられ、本人が東北地方に住んでいることもわかった。娘さんの「会いたい」という思いも伝えられた。Xさんの返事は「会うつもりはない。この話は私には迷惑なのでこれ以上しないでほしい」ということでした。Xさんは帰国後、婿養子として結婚し、この話は自分の現在の環境を壊す可能性があるので止めて欲しいということだった。
 私は「Xは日本で生きている。だが会う意思がない」と伝えにでかけた。Aは「何故私と会わないの。私は彼の子供なのよ」と述べました。説明もできず、帰えった。私もまた「何故合わないのだ」という悲しさと怒りのような気持ちがこみ上げた。「人の道か」。

コメント(3)

フィリッピンでも、あらゆる戦地で、同じような不幸が起こっているようですね。
日本人として情けない話ですが・・・でも、彼らも犠牲者でもあります。
>>[1]

ええ。戦争の影響でさまざまな不幸も起きていますね。

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