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永田寿康・伊丹十三・矢野暢コミュの矢野暢事件

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小野和子 『京大・矢野事件』

京大・矢野事件―キャンパス・セク ハラ裁判の問うたもの

作者: 小野和子 出版社/メーカー: インパクト出版会 発売日: 1998/09 メディア: 単行本 購入: 2人 クリック: 84回 この商品を含むブログ (1件) を見る

まあ、何というか、最近思うところあってです ね。読んでみました。キャンパス・セクハラの嚆 矢となった有名な事件です。まだ15年くらいしか 経ってないんですね。この事件を期に、淀みきっ ていた大学世界も少しずつ風通しがよくなってき たようです。当時の関係者の方々が費やした膨大 な労力を思うと、今も頭が下がります。

「京大・矢野事件」。1993年に発覚した、京都大 学教授・東南アジア研究所所長の矢野暢による、 研究所非常勤職員女性たちに対する前代未聞のセ クシャル・ハラスメント事件だ。この本は、当時 京大で女性教官懇話会の世話役をされていた小野 和子教授による事件レポート。事件発覚当初、新 聞紙上で矢野氏の騒動に触れ、大学における人権 感覚に遺憾の意を表明した小野教授は、あろうこ とかその後矢野暢に名誉毀損で訴えられる。矢野 氏は他に3件の無茶苦茶な訴訟を同時に起こして いて、時間的に一番先行していた小野訴訟におい て、事件の事実関係がまとめて審理されることに なった(もちろん訴訟はすべて矢野氏の全面敗 訴)。本には小野氏の歴史家らしい簡潔な文体 で、事件の概要、発覚と経過の詳細、裁判資料、 判決文などがまとめられている。

最初の告発、他の男性教授たちによるかばい合 い、隠蔽体質による初動の遅れ、調査が進むにつ れボロボロ出てくる悪辣な行為など、官僚的組織 の浄化作用を考えるうえで、事件の経過そのもの も非常に興味深い。が、本書に収められた数ある 文書のうち、読者にとって一番衝撃的なのは、や はり矢野暢氏が毎朝研究室の秘書たちに唱和させ ていたという「五訓」だろう。当時から散々紹介 されているらしいが、資料として引いてみよう。

1. 矢野先生は世界の宝、日本の柱です。誇り をもって日々の仕事にはげみましょう。 2. 矢野先生が心安らかにご研究とお仕事に専 念できるよう、私たちは、自分の持てるす べてを捧げてお尽くしいたしましょう。 3. この研究室は日本じゅう、世界じゅうの注 目の的、私たちは、すきのない仕事を通じ て、この研究室の名誉と権威を守りましょ う。 4. 矢野先生のお仕事は、大学の皆様の心に支 えられています。職場の人びとには礼儀正 しく接しましょう。 5. それぞれ健康に留意し、身辺をきれいに保 ち、勤務に支障がないよう心掛けましょ う。(p.232)

思わずもらい泣きしたくなるような悲しい訓戒だ が、これを読むと彼の欲望の源泉が見えてくる。

要するに矢野暢って、大学で「大奥」を作ろうと したのだ。いわゆる後宮。彼はそこで「皇帝」 ごっこをやっているつもりだったのだろう。学界 での権威をかさに着て、好みの女性を見繕い、詔 勅を出して「研究室」へと召し上げる。彼女たち は、皇帝が「公務」をつつがなくおこなうための 寝所要員。つねに身綺麗にして、いつでもお側に スタンバイ。そういう風に考えると「五訓」に透 ける幼児的全能感も大変わかりやすい。彼の脳内 では、自分への奉仕を許された彼女らは、天(= 学会)に仕えるかのごとき栄誉に浴していたわけ だ。

だから、「外」(=他大の非常勤)で手を付けた 女性(なんと当時学部3年生!)を「後宮」(=研 究室)に迎え、別の秘書候補に「男」がいると知 れば無礼者と憤り、紹介者の首切りをちらつかせ る。好き放題やった末に、事態が手に負えなく なったら「出家」して、自分の失脚は「政治的陰 謀」だと言い張る(ハイ注目、これセクハラで告 発された人の常套句です)。最後まで被害者たち に謝罪はなく、有罪確定後は「亡命」して終わ り。たぶん、本人の心情的には貴種の島流しだっ たにちがいない。出立の際、梅の木相手に「主無 くとも…」くらい詠んでいても驚きませんね。 だって溜息が出るほど一貫してる。

しかしこんなのが「権威」って…東南アジア研 究って一体…と呆れた瞬間、ふと疑問がよぎる。 矢野氏のこの醜悪さは、果たして日本の東南アジ ア研究全体のレベルを表しているのか?つまり、 もともと東南アジア研究の学会体質が腐りきって いて、そこに矢野氏みたいなのが異様にフィット して、結果、高い地位を得たのか。あるいは、生 来痛いヒトだった人間がたまたま権力を手にした 結果、かくも悲惨な「自己実現」に走ってしまっ たのか。この問題は、突き詰めると「能力と人格 に相関はあるのか?あるとしたら、どちらが原因 で、どちらが結果なのか?」という気の重い問い に重なっていく。

人格と能力。私は、原則的に、両者に相関はない と思っている。その人が良い人か悪い人かと、そ の人の書いた論文が良いか悪いかはまったく独立 だし、そう評価されなければならない。それに 「研究を否定された=人格を否定された」という 図式はあまりにも不健全だ。そういう的外れな思 い込みからいろんな面倒事が派生する。不純物は そぎ落とし、能力はただそれのみにおいて測る。 それが鉄則だと思う。

ただし、「人格」というのがいわゆる「ハラスメ ント体質」を意味するとき、事態は微妙になる。 どれだけ考えても、ハラスメント体質だけど能力 は高いよね、という事例が、少なくとも人文社会 科学の分野では見つからないからだ。私の知る限 り、パワハラだろうがセクハラだろうが、ハラス メント体質の人に学者として本当に優秀な人はい ない。ほとんどが「過去に優秀だった(らしい) 人」「中身に比して自己評価だけが異様に高い 人」ではないだろうか。

人格と能力に関して、知人によると、短期的には 相関はないが長期的にはかなりはっきり出てくる という。研究者の場合、その分水嶺は安定したポ ストに就いた後も研究を続けているかどうか。こ こでいう「研究」とは、一般向け教養書やエッセ イではなく、学会で通用する学術研究のことだ。 研究者には、本当に研究が好きで論文書いている 人と他人から賞賛されたくて論文書いている人の 二種類いるが、キャリアの最初の頃は、この二つ はほとんど見分けがつかない。だが、長期間観察 すればある程度みえてくる。そのメルクマールが 「研究の継続」、ということ。そして「好きで書 いている人」はたとえその後に能力が低下したと しても、周囲に大きな害は与えない。問題なの は、自己顕示欲だけがモチベーションで高い地位 に就いてしまった人。そういう人間は得てして書 いている人を憎み、書こうとする人を潰しにかか る。研究者志望の院生にとっては、いかにそうい う人間と接触を避けられるかが生存の成否を分け る。

なんとも不穏な話だ。当時の矢野氏にどれだけあ てはまるのかはわからない。ただし、一つだけ確 実に言えるのは、誰かがこのような事件を起こす とき、その裏には確実に研究能力の無残な劣化が ある、ということ。「あれだけの知性がこんなこ とで失われるのは惜しい…」という論調は、それ ゆえに事態の本質を見誤っている。秘書への執拗 な性的嫌がらせが「些事」だとすれば、それらは 原因ではなく症状にすぎない、という意味におい てである。もちろん小野教授が言われるように、 「優秀さ」ゆえに人権侵害が容認されるような事 態があってはならない。しかしそれ以前に、そう した行為が発覚した時点で、「惜しむべき知性」 など本当はとうの昔に失われているのだ。

1993年の矢野事件、発覚当時はずいぶん週刊誌に 騒がれた。私はほとんど関心なかったが「添い寝 強要」の文字だけは妙に覚えている。えー、添い 寝って……添い寝?単なる?べっつにいいじゃんそ れくらい。だってもうおじいちゃんなんでしょ? なんて思ってた記憶あり。バカですね。はい、バ カでした。認知症の老人が介護要員に添い寝をね だってあらあら大変、くらいにしか思ってなかっ たんですね。大学教授の勘違いメンタリティと老 人の性欲を全く知らなかったあの頃。社会的地位 が性的魅力をカバーする、本気でそう信じてる人 たちがいることを夢想だにしなかったあの頃。っ て、今でも直には知りません。念のため。

http://d.hatena.ne.jp/somnu-ambulare/touch/20090514/1242250018より

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