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戦国時代/戦国武将コミュの信長の大陸侵攻プランについて

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信長は部下たちや親交のあるキリシタンに
日本統一後は大艦隊を率いて大陸へ直接侵攻するプランを考えていたそうですが
この時代に艦隊で中国大陸へ攻め込む事は可能だったのでしょうか?
また半永続的(最低でも100年位)に支配するとなると厳しいと思われますが

九州辺りから行き成り大陸へ侵攻するのはいくら何でもリスクは大きいと思いませんか?
秀吉のプランを参考にすると寧波辺りまで支配する予定だったので
攻め込む場所は浙江省北部や上海辺りと仮定すると

補給の安定をさせたいなら
沖縄、台湾、朝鮮南部の全羅道か済州島のどれかを所有した上で
大陸への前線基地として使用した方が安定する気がするのですが

コメント(49)

信長なら台湾海峡を制圧して、遥かに有利な状況で迎撃したり、夜襲したりしたと思う。
もし上陸戦になっても西蘭軍2000が上陸しようと、日本は10倍以上の20000は動員できる。
侵略戦争は大体序盤は勝てるのですが敵が体勢を整えると物量の違いで負けるケースも多く
人的資源の差で最後には負けちゃうんじゃないかと思います。
西洋諸国と組んで中国を分割するような話であれば武器も提供されてかなり行く気がしますね。
先ずはどこと政治的摩擦が起こるか、でしょうね。
まあ中国が乱世でもないときに一部地域でも征服した(もちろん劫掠とは別!)外国勢力がどれだけあったか?

それが一代で成し遂げたとなるとさらに少ないし日本が信長死後も引き続き征服事業を続けられるのかも疑問!

みなさんがどんな経過を想像しておられるのかもわかりませんが中国全土だとすると中国史でも一代で天下統一できた人物は数人なのに信長がそれを一代で成し遂げられるとは考えにくい!

となると一部地域の征服となりますが地続きの塞外民族でも思いつくのは阿骨打、チンギスハン、ヌルハチぐらいでしょうか?

それを海を越えて行うなんて夢物語過ぎて想像し難い!

実際やるなら秀吉がやった仮道入明って一番現実的だったんでしょうね!
あと造船技術うんぬんですが仮にスペイン・ポルトガルの全面協力を得られたとしてもスペイン・ポルトガルでさえ15万もの大軍勢を遠征へと繰り出す大作戦など当時経験ありませんよね!

アルマダ海戦でも5万ぐらいでしょうか?しかも敗北を喫してその後の軍事活動も目立った成果を挙げられずじまいです。

それが一回の渡海で済むはずのない大陸侵攻で有効に活用できるとは考え難いです。

戦争が長引く中では明もスペイン・ポルトガルの協力を要請して艦隊を強化して反撃することも十分に予想できますし。

なので中国はその歴史の中で治世にあって外国に征服された事が無いことと、スペイン・ポルトガルの協力を得られたとしてもそこまで有効ではなかろうと予想すればやっぱり信長といえど大陸侵攻は可能でも半永続的(最低でも100年位)に支配は無理だろうと思います。

中国を支配すると言うことは、中原地帯をおさえるということ。洛陽城とか許昌辺りに織田家の旗が立ったら一応政権確率したということ。
百年持つかどうか?
弩爾滾や皇太極が死ぬまで持ちこたえられるかどうかだと思う。
おそらく水師営とかに撤退したり進撃したりの繰り返しだと思う。
後金、南明、燕王織田天津長<信長のヤシャゴ>の慶長三國志の幕開け
慶長三國志1595〜1722まで繰り広げられた北金、南明、東燕王織田氏による大陸争奪戦。
最終的にはモンゴルから興ったポッポコハーンとチベットのチチパイ・ラマによる共同作戦により三国が滅びポポパカパハーンによる颯王朝が誕生する。
>>[17]

>陸戦に持ち込めれば確かにスペインORポルトガルvs日本は日本が圧倒的有利だと思います。

スペインORポルトガル領への侵攻は想定していませんでした。

このときフィリピンって全土がスペインに植民地化されてたんですか?

ヨーロッパの歴史を読むと彼らはまず港とその周辺を抑えて植民地が各地に点在している印象があります。

そして強力に要塞化するのでこの時の東南アジアもそうならばもしスペイン・ポルトガルと戦端が開かれたなら陸戦では平地での会戦より攻城戦の繰り返し、海戦ではしんちゃんさんのおっしゃる通りの制海権の確保も難しく不可能事だろうと思います。
>>[19]

全土か、というのは良く分からないですね。

>彼らはまず港とその周辺を抑えて植民地が各地に点在している印象

文禄年間の史料として、日本人数十人がマニラに赴き、表面的には巡歴のふりをしつつ港湾の調査を行い、その結果フィリピンの防衛能力が薄かったと秀吉に報告しているので、やはりそんな感じなのだと思います。
>>[20]

なるほどそうですか!

そしたら信長がフィリピン侵攻に興味をそそられたらスペイン・ポルトガルと敵対するのか、もしくはいくつかの港の租借を条件に協力を仰ぐことができるかもですね!

スペイン・ポルトガルは信長の軍事力を自分たちの目的のために利用するかも?

そもそも信長がフィリピン侵攻、東南アジア制覇に興味を持つかも疑問ですが?わーい(嬉しい顔)
〜明国宮廷において〜
張居正「倭国の織田信長とか申す成り上がり者が事もあろうに我が国の侵略を企てておるらしい。卿に五十万の兵を授けるゆえ、信長とやらの首を皇帝陛下の御前に持ち帰ってまいれ」
戚継光「はっ、倭寇の頭目ごときひと月で討ち果たして御覧に入れましょう」
>>[22]

そのうち40万は逃げたんだって!
中国の手抜き船
出港して5分で沈んだらしい。
>>[22]

そもそも明軍そのものの軍事力を無視しすぎですよね!

戚継光は海陸ともに活躍した名将。

ただ戚家軍という私兵集団っぽいのと規模がどれだけのものだったのかは気になります。
信長が明への軍事侵攻に興味(?)を示すかどうか、ですね。

それ以前に政治的衝突が起こるかどうか、になるわけですが。
信長が統一していたら、という前提ですが、
本能寺の変がなかったとしたら…
上杉滅亡、長宗我部滅亡、毛利大幅割譲臣下、北条とは婚姻関係、徳川は生き残れてるかな?
九州に織田家臣団配置予定らしいので、ほぼ滅ぼすのかな。信長は東日本にはあまり興味無いようなので本領安堵?
とすると、織田家臣団中心での大陸侵攻ですね。
明智や柴田あたりは代替わりしてそうですし、
人材厳しそうですね。
織田家も信長一代限りで戦国逆戻りでしょうか。
信長がどの国と政治・外交衝突すると考えているのか。

それを皆さんに聞きたいですね。
『フロイス日本史』によれば、信長は日本を統一した後、対外出兵を行う構想があり、「日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成して明(中国)を武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考え」を持っていたという(『フロイス日本史』第55章)。

となっていますが、日本統一前ですし、具体的な大陸出兵は計画してなかったのではないでしょうか。
対外貿易を重視していたようですが、宣教師の本当の目的、人身売買を信長が知れば激怒し、鎖国もしくは南蛮勢力との武力衝突はあったかもしれません。
そもそも信長が大陸信仰や海外進出を考えていたというのは、既出のルイス・フロイスの『日本史』や秀吉に宛てたとされる書状など、ごく一部の史料にみられるだけで、それにどれも信憑性に欠ける史料ばかり。
まあ、一種のファンタジーや架空戦記のノリで「信長だったら〜」とか妄想するのは自由ですが、本気で「信長だったら明を征服するか、スペインやイギリスに匹敵する海洋国家を建設できていただろう」と思ってる人は頭がおかしいと申し上げざるを得ませんな。
>>[30]

信長が本気で世界軍事制圧を考えていたなら、伴天連にそんな事言おうものなら警戒されてアウトでしょう。
でなければ単なるリップサービスか、「俺は世界一の大富豪になる!」的な話となります。

風呂椅子の信憑性をゼロ%という訳にはいかないものの、『日本史』だけで信長の構想を論じるのは軽率と言わざるをえないでしょうね。
信長(に限ったことじゃないかも知れませんが)の場合、経済・軍事の方針をあまり周囲には漏らしていませんね。
風呂椅子が知っているなら、村井貞勝・キンカン頭・堀Q・森乱や今井・近衛あたりが知っていても良いような気もします。
>>[32]
>風呂椅子が知っているなら、村井貞勝・キンカン頭・堀Q・森乱や今井・近衛あたりが知っていても良いような気もします。

おっしゃる通りですな。
信長がもし海外進出などという壮大なプランを持っていたのならば、少なくともその側近たち複数に構想を語っているはずです。
スペイン・ポルトガルと競合できるだけの艦隊を建造するだけでなく、それまで日本人が進出したことのない海域に進出する以上は、兵站だけでなく、海図や航路まで一から作成しなければならないでしょうし、そうなると莫大な人員と時間が必要でしょうから。
そんな大事業を信長以外ほとんど誰も知らなかったということは、そもそも信長自身そんなことつゆほども考えていなかったという証拠でしょう。
でも統一なった国家が外征を行うのは歴史のパターンでもあり(絶対とは言いませんが!)

頼朝の東北遠征も義経絡みもありますが当時の感覚では国外への遠征なのかもしれないですし!

信長も何らかの外征を行ったかも?という妄想も捨てきれませんわーい(嬉しい顔)
>>[34]

軍事侵攻の前提には政治的摩擦という段階があると推測します。
もしそれ無しにいきなり派兵という形になるとしたら、明は高麗を滅ぼし日本に攻めてくるでしょうし、明を滅ぼしたオランカイもまたしかりと思います。

当時の台湾やフィリピン、琉球の状況を見ても、いきなり外征という感じにはならないんじゃないでしょうか。
そもそも信長がどういう世界観を持っていたのか良く分からないですよね。
元亀・天正年間といえば世界地図や地球儀くらいは日本に入って来ていたでしょうが、インドやアフリカ、ヨーロッパがどれくらい遠くて、どれくらい広いのかを信長が理解していたのか疑問です。
秀吉の朝鮮侵略にも政治摩擦はなかったようにも思うのですがありましたっけ?

もしくはどこぞの宣教師に乗ぜられた風を装ってとか?

妄想がすぎますかね!
>>[38]
その先のプランを知っている者がほぼ皆無だったからこそ、信長の海外侵攻などまずあり得ないと申し上げているのですが。
普通それだけの大事業を構想しているのだったら、配下の武将や側近たちと5年、いや、10年ぐらい前から計画を練っていますわ。
確か秀吉も朝鮮侵攻を起こす10年ぐらい前から周囲の者たちにそのプランを語っています。
信長がそれをしなかったということは、そもそもそんなプランなど最初から頭になかったと考える方が妥当でしょう。
>>[36]
>信長の世界観
ルイス・フロイスあたりから仕入れた非常に微々たる世界観しか持っていなかったでしょうな、恐らく。
清の康熙帝などはヨーロッパの宣教師から天文学や幾何学などを学んだというエピソードが伝わっていますが、信長の場合、そうした逸話すら残っていないし。
秀吉10年計画かあ、10年前は武田滅亡、すると信長と秀吉が天正10年に唐入りを相談したんですか。
>>[41]

秀吉は、日本の統一を完成させるよりもかなり前から海外侵攻計画を抱いていた。これは秀吉が仕えた織田信長の支那征服構想[注 32]を継ぐものだったと広く信じられているが、実はこの説は根拠に乏しい。信長の夢に従って朝鮮に近い筑前守を請うて拝命したというのも俗説である。『朝鮮通交大紀』に現れる明との貿易を開こうと通交の斡旋を朝鮮に仲介を依頼した者(右武衛殿)を信長であるとするのは人物誤認であって[30]、これを基に信長の遺策を秀吉が受け継いだという説[31]がかつてあったが、それは辻褄が合わない[30]のであり、信長の影響については想像の域を出ない。

天正5年(1577年)10月、信長から播磨征伐を命じられた秀吉が「中国征伐の後は九州を退治し、更には進んで朝鮮を従へ、明を征伐する許可を請うた」という有名な逸話[32][33]は、堀正意が『朝鮮征伐記』に載せて江戸時代から広く信じられており、原典を確認できないので史実とは明言できないが、何らかの由来があった可能性はある。

しかしながら秀吉本人が海外進出の構想を抱いていたことを示す史料は、天正13年(1585年)以降のものに存在し、史学的には1585年が外征計画を抱いた初めであろうとされる[29]。関白就任直後の同年9月3日[注 33][34]、子飼いの直臣一柳市介(直盛の兄)の書状で「日本国ことは申すにおよばず、唐国まで仰せつけられ候心に候か」という記述がそれである[35]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9

10年はともかく、天正三年(1585年)、つまり実際に出兵する7年前から秀吉はほぼ確実に海外進出の構想を描いていたようですな。
>>[37]

なかば推測になりますが、島津であろうが北条・伊達であろうが基本は全て「畿内同前・九州同前」であり、明や伴天連、高麗・琉球・台湾・呂宋・アイヌなど含め、全てが「秀吉に対し敬意を評すべき国々」だったのだと思います。

嘘でも良いから「関白就任おめでとう」みたいな親書一つでも出しておけば軍事侵攻にはならなかった気がします。
もちろんアジア諸国からしてみれば、そんなん飲めるか!って話になる訳ですが。
明は、そっちからあいさつにこんかい、と言いそうですな。
台湾ってこの頃からあったっけ。
少なくとも中国は古代から朝貢貿易がデフォ。
日本と対等の立場で交易しようなどと持ちかけても鼻であしらわれるのがオチでしょう。
失礼しました。台湾は当時は高山ですね。
大本営広島において、今治造船所、佐世保造船所、呉造船所で建造。艦隊整備に10年、800隻くらいか同時の操船技術法や海戦法など。速くて1595年くらいかな。

ということは結局、信長の意思を引き継ぐものが必要ということだな。
まあどうやって伊達政宗が次の最高軍事指揮官になれるかが、大問題だけど

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