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湘南モーツァルト愛好会コミュの音楽よもやま話

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こちらのトピックでは、モーツァルトだけでなくクラシック音楽全般の話題は何でもどうぞ。
コンサートに行きました。

こんなCDや本を見つけました。

そのほか何でも結構です。

コメント(7)

10月28日(日)、ウィーン国立歌劇場日本公演の「フィガロの結婚」を聴きに行ってきました。

"Ah tutti contenti (ああ、これでみんな満足)." 大団円での合唱が、観客の心をも温かいもので満たしていく。聴くたびに「生きてる事は素敵な事だ。」と言う気もちにさせてくれる「フィガロの結婚」。ウィーン国立歌劇場の来日公演
は、今回も期待を裏切らない素晴らしいものでした。

歌手が脇役に至るまでさすがのレベルの高さで、脇役にまで感情豊かな歌をつけているモーツァルトの手腕が一層輝いていました。スザンナ役のアニタ・ハルティヒはまだ20代。瑞々しい美声でスザンナを体現していました。フリットリの伯爵夫人の力強い歌唱も、運命に打ちひしがれる弱い女性というより、女盛りの美しさ強さを感じる伯爵夫人でした。フィガロ役のシュロットは、深い美声はいいのですが、少し歌い回しに重いところがあり、フィガロにはもう少し軽妙さも欲しいところでした。が、全員のレベルが高いので、アンサンブルでの響きの美しさはため息もの。

ポネルによる演出は、白と黒の衣装、セピア色を帯びたようなクラシックな色調で統一された舞台がとても美しく、これぞウィーン!と言いたい実に正統派の品のあるものでした。その中で人物たちはかなり細やかなお芝居を要求され、お話としても伝わりやすく楽しめる生き生きした舞台になっていました。あちこちで心地よい笑いを誘われ、三幕のフィガロの両親が判明する笑いと涙の六重唱では、しばらく拍手が鳴りやみませんでした。

ひとつだけ字幕で気になったところが。三幕冒頭、スザンナが浮気者の伯爵を懲らしめるため、嘘の逢引に誘う二重唱で、スザンナに誘われ喜び勇む伯爵に、スザンナが“scusatemi se mento"と独白するところ。まず大抵は「嘘をついてお許し下さい。」と訳されるが、今回「やっかいな事にならなければいいのだけど。(と言うような意味の言葉)」となっていました。ここは伯爵の権力の乱用に異を唱えつつも、人としての共感や思いやりを見失うまいとするスザンナの心の在り方を伝え、女性であり召使いであるという二重苦にある彼女を、気高さで伯爵より上にさえ置こうとする、とてもさりげなくひそやかな「新しい時代の息吹」と感じて来たので、この訳はそれが伝わらずちょっと残念だった。オペラ台本には時代により少しずつ解釈の変化がある場合があるらしいので、ひょっとしたらこれもそうなのかもしれないですが。

ペーター・シュナイダー率いるウィーン国立歌劇場管弦楽団の奏でる音の艶やかさもまた極上でした。外へ出ると土砂降りの雨の中、心は温まって家路につきました。

先般、9月22日に所属するオーケストラ「アンサンブル・クローバー」第3回定期演奏会が行われました。

 そのときのプログラムにピアノ協奏曲20番ニ短調がありました。

 ピアニストは素人の方ですが、1年半の猛練習で、本番は非常に上手に演奏されました。オーケストラは上手とは言えないにしても、やはり猛練習の結果、何とか無難に演奏出来たと思っていました。

 とこらが、聞きにきてくれた友人(光茶庵さん)はピアノは上手だったが、オケは出だしがおかしかったといいました。

 最近、その時のビデオが手に入り、光茶庵さんのいうことがわかりました。

 この曲の冒頭は第1,第2ヴァイオリンのシンコペーションで始まっています。

 この冒頭部分は弾きやすいので、つい大きな音になってしまいます。CDで聞くとピアニシモ演奏で殆ど聞こえない、聞こえないこのはないが、シンコペーションとは聞こえないかもしれない、それが我々の演奏では得意になって演奏したため、光茶庵さんには異様に聞こえたのではなかと思います。(今度あったら、確かめます。)

 そういえば、交響曲25番も単調でシンコペーションから始まっています。

 モーツアルトはシンコペーションが多いし、上手く使っていますね。

 言いたいのはモーツアルトの魅力の原因は何かということで、何十年も考えてきたのですが、未だにわかりません。このシンコペーションは一つの要素にすぎません。吉田秀和氏はMozは音階の作曲家といいましたが、これも一要素にすぎません。このトピをかりて、モーツアルトの魅力について、語りあいませんか。


 
 
ヴォルフィさん

私もモーツァルトの音楽に、自分の心身をこよなく活性化されながら、この魅力の原因は何なのか、分かっていない者ですが。モーツァルトの音楽を聴くことと、モーツァルトとその音楽について懇談することを愛好していまして。私もモーツァルトの音楽の魅力について、追々、書き込んでみたいと思います。
モーツァルトの音楽を情熱を込めて聴き、その人物と音楽の魅力を表現しようとした一人は、ドイツの詩人メールケだと言われていて、確かに、あの有名な小説『旅の日のモーツァルト』がありますが。
それに、この詩人には、K475の幻想曲について現わした『ヴィルヘルム・ハウトラウトに』という34行の詩があって、モーツァルトの音楽についての、ある意味での、ある種の驚くべき表現ではあるのですが。しかし、この大詩人の名詩をもってしても、モーツァルトの音楽の魅力を充分に表現出来ているとはとても言えないと思われ。
ということは、モーツァルトの音楽の魅力とその要因について、真に語り得た人はいないのではないかとも思われ。
このテーマについての話は、行けども行けども到着しないという、蜃気楼のような、逃げ水のような、掴みどころのない、それだけに、魅惑的な、果てしのない、興味深いものになるのでしょうか。
スルさん

敬愛する作曲家の、愛好するオペラを、正統で品のある演出と衣装で鑑賞できたとは、素晴らしい時間だったことでしょう。
私も、オペラの演出などは、あれこれの奇抜な意匠をこらすより、正統で基本をしっかりと押さえたものであって欲しいと思っています。

それに、台本の台詞の細部にまで思いが及んでいる、スルさんの文章に驚かされますが、確かに、
>うそをついてお許し下さい・・・の件も、
この訳で良くて、
スルさんの書かれていますように、
>気高さで伯爵より上に置こうとする・・・
>新しい時代の息吹・・・
の表現として大切なのであって、変に考え過ぎた訳にしなくていいと考えます。

私も、この台本を読むのが好きで、時折、読み返しています。
モーツァルトの歌劇は、台本のひどさを、モーツァルトの音楽が救っていると言われていますが。そうでしょうか。私は台本も、とても優れていると感じます。
ダ・ポンテという、詩の純粋さも、日常語の豊かさも、両面をこなせる、やり手の台本作者だから書けた台本ですね。

ダ・ポンテは、まさにスザンナのように、下層から殿様や夫人のお側近くに使えるようになった人物ですから。スザンナの心理の綾の表現は、得意だったことでしょう。それを、モーツァルトが音楽で、更に豊かに展開してくれたのですから。彼は、どんなにか嬉しかったことでしょう。
モーツァルトにとっても、本気で議論出来る人物に出会えた訳で、神はいいタイミングで、いい二人を出会わせたものです。
それに、スザンナを歌ったナンシー・ストレース。繊細で愛らしい歌唱だったという、このソプラノ歌手がいたればこそ、モーツァルトはスザナを生き生きと表現出来た訳でもあって。
いろいろな多彩な才能が出会って実現した、素晴らしいオペラを、素晴らしい演奏で聴くことも、また、私たちの素晴らしい出会いの機会のようです。




ヴォルフィさん、スエダマさん、書き込んで下さったのに気付かず大変失礼いたしました。コメントへのお返事は近いうちに書き込ませていただくことにして…

今日は「ラジオ・モーツァルト」のご紹介です。フランスのウェブラジオと思われますが、モーツァルトの名曲を一流演奏家による録音で24時間流しています。
1曲通してではなく、楽章ごとに細切れなのが好みの分かれるところですが、モーツァルト好きな方にはたまらないと思います。

http://www.radionomy.com/FR/radio/radio-mozart/listen#
<video src="11815917:b15eca282ce19aeb99f5e6605bb952ca">
何とも悲しい音楽ですが、母マリアを思いだいしたか、ちょっと微笑むとこがあって、すぐ悲しくなり、最後は泣き叫ぶ様に終わる音楽です。
このbたまりませんね。
この微妙なゆれに翻弄されます。たまりませんね。

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