ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

聖書研究入門編・中級編・上級編コミュの【2/7 日曜日 さまざまな種類の安息日】

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
★マタイ11:29
29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。


この聖句は、今週の暗唱聖句の次に書かれている聖句ですが、イエスは私たちに安息、すなわち魂の休みについて言及しておられました。それは以下のエレミヤの聖句を少し変えたものでした。
先祖たちの宗教に立ち返るならば、安息が得られると約束しています。

★エレミヤ6:16
16 主はこう言われる、「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。・・・」

では、聖書の中のでの安息とは何でしょうか。聖書の中の安息は深い意味がありますが、それは主の創造の終了、主が創造を終わられて主ご自身が休まれたのです。ですから安息は神ご自身から始まっています。

★創世記2:2
2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。

またレビ記、出エジプト記などでもさまざまな形で祝われています。

★レビ記16:31
31 これはあなたがたの全き休みの安息日であって、あなたがたは身を悩まさなければならない。これは永久に守るべき定めである。
★レビ記25:8-10
8 あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない。安息の年七たびの年数は四十九年である。
9 七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、・罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。
10 その五十年目を聖別して、国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。この年はあなたがたにはヨベルの年であって、あなたがたは、おのおのその所有の地に帰り、おのおのその家族に帰らなければならない。
★出エジプト記23:11
11 しかし、七年目には、これを休ませて、耕さずに置かなければならない。そうすれば、あなたの民の貧しい者がこれを食べ、その残りは野の獣が食べることができる。あなたのぶどう畑も、オリブ畑も同様にしなければならない。

七という数字はここから始まっていて、完全数、神の数といわれています。

安息は神がご自分の民とともにおられるときに与えられうるものでした。
★出エ33:14
14 主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。
★王上5:4
4 ・・・・敵もなく、災もなくなったので、
★申命記25:19
19 それで、あなたの神、主が嗣業として賜わる地で、あなたの神、主があなたの周囲のすべての敵を征服して、あなたに安息を与えられる時、
★ヨシュア記1:13
13 「主のしもべモーセがあなたがたに命じて、『あなたがたの神、主はあなたがたのために安息の場所を備え、この地をあなたがたに賜わるであろう』と言った言葉を記憶しなさい。
★創世記18:4
4 水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みください。
★ルツ記1:9
9 どうぞ、主があなたがたに夫を与え、夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように」。
★箴言29:17
17 あなたの子を懲らしめよ、そうすれば彼はあなたを安らかにし、またあなたの心に喜びを与える。

このように、安息というのは、敵もなく、災いもなく、神の民にお与えになった土地で、彼らが捕囚から戻った時に享受され、見知らぬ人をもてなすこと、安定した家庭生活を楽しむこと、などで、共有されたのです。休息、安定、平和、もてなしなど、心地よい空間があります。

しかし捕囚の民には安息がありませんでした。
★出エ5:4-5
4 エジプトの王は彼らに言った、「モーセとアロンよ、あなたがたは、なぜ民に働きをやめさせようとするのか。自分の労役につくがよい」。
5 パロはまた言った、「見よ、今や土民の数は多い。しかも、あなたがたは彼らに労役を休ませようとするのか」。
★哀歌1:3
3 ユダは悩みのゆえに、また激しい苦役のゆえに、のがれて行って、もろもろの国民のうちに住んでいるが、安息を得ず、これを追う者がみな追いついてみると、悩みのうちにあった。
★イザヤ57:20
20 しかし悪しき者は波の荒い海のようだ。静まることができないで、その水はついに泥と汚物とを出す。

このような民の安らぎは死と墓しかありません。
★ヨブ3:11,13,16-18
11 なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。腹から出たとき息が絶えなかったのか。
13 そうしなかったならば、/わたしは伏して休み、眠ったであろう。そうすればわたしは安んじており、
16 なにゆえ、わたしは人知れずおりる胎児のごとく、/光を見ないみどりごのようでなかったのか。
17 かしこでは悪人も、あばれることをやめ、/うみ疲れた者も、休みを得、
18 捕われ人も共に安らかにおり、/追い使う者の声を聞かない。

人は苦しみの渦中にある時、「死んだほうがまし」という言葉を吐きます。まさしくそのような意味です。

黙示録では、
★黙示録14:11
11 その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。

獣とその像を拝む者とは、神にそむく偶像礼拝者たちのことです。彼らには平安がないと警告しています。これは大争闘の終わりの時、神の側でなく神の敵の側に立つ者たちのことです。

イエスが与えられる安息となんと大きな違いがあるでしょうか。

 『キリストは安息を与えることで私たちの失われた状態を受け入れ、あらゆる面で私たちを回復なさいます。そして、私たちが何か失敗する時にも、救い主のそばで休む場所が保証されています。』


■安息日のほかに、私たちはどのような方法で神から提供される安息を教授できるようになりますか。私たちはどのようにしてイエスの中に魂の安息を見出したらよいでしょうか。(ロマ4:1-6)



前半の質問:マタイ11:28でイエスは私たちに安息の保証をやくそくしてくださっているので、イエスに信頼する時のみ安息を享受できます。

後半の質問:★ロマ4:1-6
「1 それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。
2 もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。
3 なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。
4 いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。
5 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
6 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、 」


私たちには信仰も義もありません。それは神の賜物であります。
私たちの良心が目覚めるのは聖霊の働きによります。これはただで下さるものなので、私たちが手をのばしてそれをつかみさえすれば自分のものとなります。そして罪の告白と悔い改めをした時にはじめて安息を得ることができます。それは上記の聖句のとおり、私たちが何かよいことを行ったということではなく、ただ、主を信じることから義と認められるのです。アブラハムのような信仰だけです。
それはキリストの十字架の赤い血潮によって私たちは罪の縄目から解放され、キリストの義の衣を着せられたからです。
これ以外に決して心に安息を享受することは可能ではありません。


アーメン!!








コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

聖書研究入門編・中級編・上級編 更新情報

聖書研究入門編・中級編・上級編のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。