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石原莞爾平和思想研究会コミュのナポレオンの生涯と石原莞爾2

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だが、これは元来無理なことだったので、どうしても成功しない、とうとうナポレオンは腹を立てて、ロシア遠征を企てたのでした。これは、ドイツの遠征と同じように惨憺たる失敗に終わりました。戦いには大勝利を占め、いったんはロシアの首府モスクワまで占領したのだけれど、さすがのナポレオンも、酷寒と糧食の欠乏とには勝てませんでした。

雪と氷の中を飢えに苦しみながら退却してくる途中で、何十万という兵士たちは空しく凍え死んでしまいました。凍え死なないものも、コサックの追撃にあって殺されていきました。そして、最初ロシアに侵入したときには60万以上もあった大軍が、帰りには、ロシアの国境を越えた者が1万にも満たないという、悲惨極まる有り様になったのです。

この大失敗がヨーロッパ中に伝わると、まず、第一に武器を取って立ち上がったのは、長い間ナポレオンの圧迫をはねのけようとして、その機会をならっていたプロシャでした。続いて他の諸国も一斉にナポレオンに反抗し、同盟を結んで、フランスに攻めよせてきました。ナポレオンにも、とうとう滅亡の時がまわってきたのです。

今度ばかりは、ナポレオンもこの連合軍に勝つことができず、戦いに敗れて捕らえられ、エルバ島に流されてしまいました。その後、いったんエルバ島に脱出し、もう一度兵を集めて、有名なウォーターローの戦いで最後の決戦を試みたけれど、これも敗北に終わり、ついにアフリカの西のセント・ヘレナという離れ小島に、監禁されたのです。

気候の悪いその島で五年半、不自由な暮らしをしたのち、ナポレオンは寂しくそこで死んでいったのです。ナポレオンを研究していた石原莞爾はロシア遠征を国民党との戦いと同じだと分析しています。しかし軍内部では、事件の拡大に反対する声も強かったのです。

石原莞爾は明確にこう言い切った。「中国とは戦ってはならない。戦えば、必ず持久戦となる。今は対ソ連準備を完成するのが急務である」だが、首相の近衛文麿は中国出兵の声明を出してしまいました。近衛内閣の中国出兵声明は、中国側に想像以上のショックを与えました。南京政府主席の蒋介石も演説してその決意を示してしまいました。

「いまや中国は生死関頭にあり。予も国を挙げて抗日体制の先頭に立つ」その間、石原莞爾は参謀本部で、こう叫び続けた。「今のわが国の動員可能師団は30個師団で、うちその半分の15師団しか中国に当てられない。これではとうてい全面戦争はできない。だが、このままいけば全面戦争化、長期化の危険がある。」

「戦争を拡大すれば、戦史が示すように、スペイン戦争におけるナポレオンと同様、底なし沼にはまることになる。この際わが軍のとるべき道は、軍隊全部を、満州の国境までさげるべきである。そして近衛首相みずから南京に飛び、蒋介石主席と膝を交えて会談し、当面する根本問題を解決していただきたい。その時にはおよばずながら、この石原も同行させていただく用意がある」だが、歴史は石原莞爾の思うようには進まなかったのでした。

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