ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

改憲阻止!民治主義を_市民の会コミュの(9/10)砂川事件 (【資料】 昭和三四年一二月一六日  最高裁判所大法廷  砂川事件本判決全文 掲載)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 裁判官奥野健一、同高橋潔の意見は次のとおりである。
 憲法九条一項は、わが国の、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の
行使は、国際紛争を解決する手段としてはこれを放棄したものであり、従つて、同
条二項の戦力の不保持も、わが国が自ら指揮権管理権を有する戦力の保持を禁じた
ものと解すべきが当然であり、わが国が指揮管理し得ない外国軍隊に関するもので
はない。従つて、安全保障条約により、わが国に駐留する米国軍隊は、わが国が指
揮権管理権を有するものでないことは明らかであるから、右九条二項に直接違反す
るものといい得ないことは明白である。しかし、右米国軍隊の駐留が、憲法九条二
項の精神又は憲法の前文の趣旨に反しないかは、更に、検討する必要がある。
 米国軍隊がわが国に駐留するのは、安保条約に基き、その実行としてするのであ
るから、米国軍隊の駐留の違憲性を判断するには、先ずその前提として、安保条約
が違憲であるか否かを判断する必要がある。然るに多数意見は安保条約の違憲性に
ついては裁判所に審査権がない旨判示する。その趣旨が、一般に条約の違憲性につ
いては裁判所の審査権が及ばないというのであるか、或いは条約については審査権
があるが、本件安保条約はいわゆる統治行為に属するから審査権がないというので
あるか、明らかでないが、その何れにしても、われわれは異見を有する。元来、条
約は国と国との国際法上の契約であるが、同時に条約そのままが国内法的効力を有
する場合があり、又条約が直ちに国内法規としての効力を有しないで、別に国内法
- 45 -
律を制定して、これにより条約を実施する場合とがある。条約がそのまま国内法規
として国民を拘束する場合は、その国内法的効力は、原則として最高法規である憲
法の下位に立つものであつて、この場合国内法律と同様、憲法八一条により憲法に
適合するかしないかの裁判所のいわゆる違憲審査の対象になるものと解する。この
ことは、条約を前提問題として判断する場合も同様である。また、条約実施のため
の国内法律が右憲法同条の法律として裁判所の違憲審査に服すべきことは勿論であ
る。あるいは、右八一条中に「条約」なる文字がないから、条約については、裁判
所に違憲審査権がないと論ずる者があるが、たとえ、裁判所が条約を違憲であると
判断しても、それは条約の国内法的効力を否定するに止まり、国際法上における条
約の効力を否定するものではなく(政府としては、かかる場合、条約の廃棄、修正
の手続を採るか又は条約実施の義務違反の国際法上の責任を生ずるかは別問題とし
て)、依然国際法上は条約として有効なのであつて、裁判所は国際法上の条約自体
の有効、無効まで審査判断するものではない。この意味において、右八一条中に特
に「条約」なる文字を插入しなかつたものと解すべく、条約の国内法的効力につい
て裁判所の違憲審査権を否定する趣旨と解すべきではない。繰り返していうなれば、
憲法八一条は憲法の下位にある一切の国内法規についての司法審査権を規定したも
のであつて、同条規定していない憲法九四条の「条例」なども当然司法審査の対象
となることは疑を容れないところであり、条約も右八一条に列挙されていなくても、
その国内法的効力については当然司法審査の対象になるものであり、この意味にお
いて条約は国内法規としては右八一条中の「法律」のうちに包含されているものと
解せられる。このことは、また、憲法七六条三項及び九八条一項の「法律」のうち
に国内法規としての条約も包含されていると解すべきでると同様である。従つて、
九八条一項に「条約」の文字がないからといつて、条約が憲法の下位には立たぬと
か、或いは裁判所の違憲審査の対象にならぬとかという根拠にはならないし、また、
- 46 -
九八条二項の条約遵守の義務から、当然に憲法に違反する条約でもすべて国民を拘
束し、裁判所の違憲審査権が及ばないとする根拠にはならないと考える。また、若
し条約に違憲審査権が及ばないとすれば、他国との間に憲法の条章に矛盾・背反す
る条約を結ぶことによつて憲法改正の手続を採ることなく、容易に憲法を改正する
と実質上同様な結果を生ぜしめることができることとなり甚しく不当なことになる。
 また、司法審査権の限界について、われわれは、いわゆる統治行為ないし政治問
題として審査権の及ばない或る部面のあることは必ずしも否定しない。しかし、問
題が政治性が高いとか、国の重大政策に関する問題であるからというだけの理由で、
当然これに該当するとすることには、われわれは賛同できない。けだし、元来、法
律の制定とか条約の締結の如き行為は、概ね国の重大政策に関する政治性の高い事
項であり、従つて、これに対する違憲審査は当然政治性の高い判断を必要とするも
のであるから、単に、政治性が高いとか、国の重大政策に関する問題であるという
だけの理由で裁判所の違憲審査権が及ばないとすると、政治的問題となつた重要法
律等の多くは裁判所が違憲審査ができないこととなり、わが憲法が、特に八一条の
明文を設けて、裁判所に法律以下の一切の国内法規並びに処分についての違憲審査
権を賦与し、以つて、国会や政府の行為によつて憲法が侵犯されないように配慮し
た憲法の精神に副わないのみならず、同七六条、九九条により特に憲法擁護の義務
を課せられた裁判官の職責を完うする所以でもないと信ずるからである。これを要
するに、多数意見は条約には裁判所の違憲審査権は及ばないという意見と本件安保
条約は統治行為に属するから審査権がないという意見とを最大公約数的に包括した
ものと思われるが、何れにしても本件安保条約は裁判所の司法審査権の範囲外のも
のであるとしながら、違憲であるか否かが「一見極めて明白」なものは審査できる
というのであつて、論理の一貫性を欠く(殊に若し条約には始めから司法審査権な
しという意見者もかかる理論を是認しているものとすれば、甚だ理解に苦しむとこ
- 47 -
ろである)のみならず、安保条約はわが国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ
高度の政治性を有するものであるから、一見極めて明白な違憲性についてだけ審査
するに止め、更に進んで実質的な違憲審査を行わないというのであつて、この態度
は矢張り前述のようにわが憲法八一条、七六条、九九条の趣旨に副わないものと考
える(しかも、多数意見は結語として安保条約は一見極めて明白な違憲があるとは
認められないといいながら、その過程において、むしろ違憲でないことを実質的に
審査判示しているものと認められる)。われわれは、安保条約の国内法的効力が憲
法九条その他の条章に反しないか否かは、司法裁判所として純法律的に審査するこ
とは可能であるのみならず、特に、いわゆる統治行為として裁判所がその審査判断
を回避しなければならない特段の理由も発見できない。
 そこで、安保条約が果して憲法九条の精神又はその前文の趣旨に反しないか否か
を審査するに、憲法九条一項は「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の
行使を国際紛争を解決する手段とする」ことを禁止しているのであつて、その趣旨
は不戦条約にいう「国際紛争の解決のために戦争に訴えることを不法とし、国家の
政策の手段としての戦争を放棄する」というのと同趣旨に解すべきものであり、か
くて、また国連憲章二条四項の趣旨とも合致するものと考える。従つて、憲法九条
一項は何らわが国の自衛権の制限・禁止に触れたものではなく、「国の自衛権」は
国際法上何れの主権国にも認められた「固有の権利」として当然わが国もこれを保
持するものと解すべく、一方、憲法前文の「......われらの安全と生存を保持しよう
と決意した」とか「......平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とか
との宣言によつても明らかなように、憲法はわが国の「生存権」を確認しているの
である。然るに、今若しわが国が他国からの武力攻撃を受ける危険があるとしたな
らば、これに対してわが国の生存権を守るため自衛権の行使として、防衛のため武
力攻撃を阻止する措置を採り得ることは当然であり、憲法もこれを禁止していない
- 48 -
ものと解すべきである。けだし、わが国が武力攻撃を受けた場合でも、自衛権の行
使ないし防衛措置を採ることができないとすれば、坐して自滅を待つの外なく、か
くの如きは憲法が生存権を確認した趣旨に反すること明らかであるからである。そ
して、かかる場合に、わが国の安全と生存を保障するためには、国連憲章三九条な
いし四二条による措置に依拠することは理想的ではあるけれども、国連の右措置は
未だ、適切有効に発揮し得ない現況にあることは明らかであるから、次善の策とし
て、或る特定国と集団安全保障取極を締結し、もつて右特定国の軍隊の援助により
わが国の安全と生存を防衛せんとすることは止むを得ないところであつて、その目
的のために右特定国軍隊をわが国の領土に駐留することを許容したからといつて、
それはわが国の自衛権ないし主権に基く防衛措置に外ならないのであるから、憲法
前文の平和主義に反するものではなく、また、憲法九条二項の禁止するところでも
ない。而して、安保条約は平和条約五条(c)と六条(a)但書に則りわが国と米
国との間に締結された条約であつて、「無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐され
ていないので」、日本には武力攻撃を受ける危険があることを前提として(かかる
「危険」があるか否かの国際情勢の判断については、いわゆる政治問題として裁判
所の審査判断すべきところではなく、既に、政府と国会が安保条約の前文において、
かかる判断を下している以上裁判所としてはこれに従う外はないものと考える)、
わが国は、国連憲章の承認しているすべての国の固有する「個別的及び集団的自衛
権の行使」として、わが国に対する武力攻撃を阻止するため、日本国内及びその附
近に米国軍隊を維持することを希望し、米国に対しその軍隊を右地域に配備する権
利を許与し、米国はこれを受諾し、その配備した軍隊を「外部からの武力攻撃に対
する日本国の安全に寄与するため等に使用することができる」ことを協定したもの
であつて、国連憲章の制約と国連の一般的統制の下に、国連憲章五一条の「個別的、
集団的自衛の固有の権利」に基き、専ら「武力攻撃が発生した場合における」自衛
- 49 -
のための措置を協定した集団的安全保障取極である(昭和三二年六月二一日の共同
コミニユケ、昭和三二年九月一四日交換公文、参照)。すなわち、右条約は各国の
固有する自衛権に基く防衛目的のための措置を定めたものであつて、固より侵略を
目的とする軍事同盟であるとはいい難く、従つて前記説明の趣旨において憲法九条
の精神にも、その前文の趣旨にも反するものとはいいえない。(なお、安保条約が
米国軍隊が極東における国際の平和と安全の維持に寄与するためにも使用せられる
ことを規定しているところがら、米国軍隊が極東平和のため行動することにより、
わが国がその防衛に関係のない戦争に巻き込まれ、わが国に再び戦争の惨禍を招く
危険があるから憲法前文に反するとの議論について一言する。米国軍隊が安保条約
の右規定によつて出動し得るのは、国際連合の機関の決定または勧告に従う場合の
外は、国連憲章五一条に従つてその要件の下においてのみ行動すべきものであるこ
とは、前記交換公文により日米両国間に確認せられているところである。従つて、
この場合には、極東において現実に「武力攻撃が発生した場合」であることを要す
るのはいうまでもない。そしてこの武力攻撃の発生は、極東の平和と安全が日本の
平和と安全と極めて密接不可分の関係を有するものであるから、同時に日本の平和
と安全をも脅かすものであり、従つてかかる米国軍隊の行動はわが国の平和と安全
をも保障するものであるとの議論も成立し得るのである。このような、日本の平和
と安全とが極東の平和と安全と密接不可分であるとの判断の是非は、国際情勢ない
し軍事情勢等に対する判断の如何にかかるものであつて、政府や国会の判定すべき
いわゆる政治問題に属し、それらの機関において既に右のような判断を下して前記
の如き規定を設けた以上は、司法裁判所としては右判断に介入審査し得べき限りで
はないと考える。)
 以上述べたように、安保条約は憲法九条及びその精神並に憲法前文に反するもの
とはいいえない。(なお、行政協定は、特に国会の承認を経ていないが、既に国会
- 50 -
の承認を経た安保条約三条の委任の範囲内のものであると認められるから違憲とは
認められない。)従つて、右安保条約及び行政協定に基く米国軍隊の駐留も、また
違憲とはいいえない。よつて、これが受入国たるわが国が、その軍事施設の安全に
つき保護を与えることは、当然であり、米国軍隊の施設及び区域内の平穏を保護す
るため本件刑事特別法を制定しその違反行為に対し、軽犯罪法一条三二号所定の法
定刑よりも重い刑を定めたからといつて、立法機関の裁量に任された範囲における
立法攻策の問題であつて、憲法三一条に違反するものとは勿論いいえないし、また、
両者の法定刑に差異を設けたからといつて、その法益を異にするものであるから、
これを以つて不合理な差別的取扱をしたものとして、憲法一四条に違反したものと
もいえないことは勿論、憲法一三条に反するものでもない。されば、原判決は憲法
の解釈を誤つたものであり、本件上告はその理由があつて、原判決は破棄を免れな
い。よつてわれわれは多数意見の主文にはもとより同一意見であるが、その理由は
以上の如く異にするものである。(なお、憲法九条が自衛のためのわが国自らの戦
力の保持をも禁じた趣旨であるか否かの点は、上告趣意の直接論旨として争つてい
るものとは認められないのみならず、本件事案の解決には必要でないと認められる
から、この点についてはいまここで判断を示さない)。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

改憲阻止!民治主義を_市民の会 更新情報

改憲阻止!民治主義を_市民の会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。