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改憲阻止!民治主義を_市民の会コミュの民治主義の切り口で見た 羽仁五郎著 『ミケルアンヂェロ』 を読もう会

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下記は、14/01/12 〜14/01/19 に掲載したブログからの抜粋
この時は、コミュも作りましたが、参加者一人でコミュは無くなりました(笑)

ソースは
第14-013号 今なぜ 『ミケルアンヂェロ』なのか?(No.001)http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-3959.html
第14-014号 今なぜ 『ミケルアンヂェロ』なのか?(No.002)http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-3960.html
第14-015号 今なぜ 『ミケルアンヂェロ』なのか?(No.003)http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-3961.html
第14-037号 今なぜ 『ミケルアンヂェロ』なのか?(No.004)http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-3983.html




●羽仁五郎著 「ミケルアンヂェロ」 (岩波新書)の、序文として書かれた第1章、

”十世紀も後に!”

私は、これほど美しい序文を知らない。

*−−−−−(p.1-p.3)本文引用開始−−−−−*

”十世紀も後に!”

 ミケルアンヂェロは、いま、生きている。うたがうひとは、”ダヴィデ”を見よ。
 ダヴィデは少年である。かれが怪物ゴリアをたおす決心をつげたとき、ひとびとはかれをとめた、が、確信をもったかれは、一本の石投げに石をもっただけで、ゴリアにむかって行った。そして、少年ダヴィデはついに怪物ゴリアを倒した。――
 ミケルアンヂェロの”ダヴィデ”は、ルネサンスの自由都市国家フィレンツェの中央広場に、その議会の正面の階段をまもって、立っている。身に一糸をつけず、まっしろの大理石のまっぱだかである。そして左手に石投げの革を肩から背にかけ、ゴリアを倒すべき石は右手にしっかりとにぎっている。左手はまさにうごく。見よ、かれの口はかたくとざされ、うつくしい髪のしたに理知と力とにふかくきざまれた眉をあげて眼は人類の敵を、民衆の敵を凝視する。
 それは当時、一の国家をなしていたフィレンツェ自由都市の市民民衆の代表者数千人が、かれらの愛する国家の政治をかれらの手で自ら処理するために、内には専制者が起り来るすきをあたえず、外には侵略者をふせいで、かれらの自立の政治を擁護し発展させるために、活気にあふれて集会し、討議し、議決し、実行にうつった広場である。ながい中世封建の圧制の暗い世界から、ついにそこからぬけだした人類が新しい世界にむかって、新しい社会にむかって進歩をはじめた、その先頭に立って走ってゆくルネサンスの花フィレンツェの自由独立の市民。そのフィレンツェ国家の自立がいくたびか危うくされた時には、かれらはいかにうれいをもって、しかし強い決意にもえて、この広場に集まったことであろう。いな、専制者また侵略者たちの攻撃にたいして、祖国の自由独立をまもる積極的の行動のために実力をもって起った市民が、あらしのようにこの広場にみちあふれたことさえ、いくたびかあった。しかしまた、平和のもとに繁栄のなかにフィレンツェの自立が一歩一歩成長して行くとき、かれらはいかによろこびにさけびつつ、はなやかな祝または祭に、花さくようにこの広場にむらがったことであろう。そうした群衆のまっただなかに、そのフィレンツェ自由都市の市民より選挙せられて成立していた最高政府シニョリアの政庁および議事堂パラッツォ・ヴェッキオの正面に立つミケルアンヂェロの”ダヴィデ”。かくのごとく美しいものが、この世にあり得るのか。これこそ、まことの芸術の限りなき美しさである。もとより、フィレンツェはつねに当時のフィレンツェではない。明朗はふたたびフィレンツェにかえらないのであろうか、かつてフィレンツェ自由都市国家のシムボルたりしパラッツォ・ヴェッキオは、かさかさに枯れてしまったように、昔日の光りを失い、ピアッツァ・デラ・シニョリアの広場は、いまは捨てられたように、いたずらにひろいその石だたみの上を吹きわたる風が淋しく、うるわしかりしフィレンツェの街はやぶれうなだれ、あの活気と毒舌とをもって鳴っていたフィレンツェ自由都市市民のすがたは今いずこかと思わせるが、ひとりミケルアンヂェロの”ダヴィデ”の裸身のみは、風霜をしのいで、いよいよ毅然と立っている。いな、その後の動乱の際に、パラッツォ・ヴェッキオにたてこもった市民たちが、その正面を破って侵入して来ようとしたメディチ専制主義の手兵にむかって、窓から投げつけたベンチが、”ダヴィデ”の左の腕にあたったあとは、修復されたが、フィレンツェ自由都市国家の繁栄と喪失とのすべての起き伏しをフィレンツェ市民といっしょに身をもってたたかって来たこの”ダヴィデ”は、その失われた歴史を人々がどんなに忘れ去ろうとしようと、かればかりはそのかつてのたたかいをいまのことのように、いな、将来の希望のように、語ってやまないのである。屈せざる歴史いな人生の希望スペランツアのために。そして民衆の明朗をおびやかす如何なる怪物ゴリアをもついには倒そうとする理知の憤怒にもえたその顔、辛苦から力を得たその大きな手、わかわかしさにみちて立つその両足、ああ、この純白の大理石にかがやく少年”ダヴィデ”の裸体こそは、真の芸術の何たるかを、むかしも、いまも、いつまでも、その前に親しくむれあつまる人々にかたりかけてやまぬのである。
 ”ダヴィデ”をながむる人は、現代の人は現代の心のかぎりをこめて、この像をみつめることがゆるされる。”ダヴィデ”を、ミケルアンヂェロを、近代的にあまりに近代的に理解すべきでない、などという凡庸歴史家たちに対しては、ミケルアンヂェロ自身が彼の言葉を投げつける、”十世紀も後になって見よ!”と。

*−−−−−(p.1-p.3)本文引用終了−−−−−*

(以下コメント欄に続く)

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