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A//T magazineコミュのA//T magazine #1 (創刊号)

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特集:「郊外」

 郊外とは一体なんだったのか・・・。郊外はもうその役目を終えたのか。終えたのだとしたら役目とはなんだったのか。
 郊外を多面的に考察します。



次号予告 (A//T magazine #2)

特集:「なぜユニット・協働か」
ここ数年のごく少人数でのユニットや創作集団や協働と   いった概念が頻出してきてる。現代おいて、一人でな    く、特定の名前のもとに個人が集って活動していくこと   の意味を、可能性を探ってみたい。

コメント(2)

・「<縦並び社会・格差の源流に迫る>消費者優先の果てに」
 Alan Smithy

 街の名は「ぶらぶら歩く」が由来ともいわれる。しかし、今は歩く人よりも自転車で通りすぎる人の方が多く見える。和歌山市中心部の「ぶらくり丁」には八百屋も酒屋もない。市郊外や大阪府南部の大型店に客を奪われ、5年前に老舗百貨店が倒産したことで衰退が加速した。
 大型店の出店を規制する大規模小売店舗法(大店法)は00年に廃止され、大型店で買い物しやすくなった一方、全国でシャッター商店街が増え続けた。
 市内で薬局を経営する岩本研さん(55)は「彼の進める規制緩和が100パーセント正しいとは思わない」と言う。高校の同級生で選挙の応援もした竹中平蔵総務相のことだ。
 竹中氏は履物商を営む家に生まれ、高校までこの街で暮らした。95年、雑誌への寄稿で大店法を「悪名高い」と批判し、24時間営業も少なくない米国の大型スーパーについてこう触れている。「好きなときに欲しいものが買えるような社会。これこそが自由の国アメリカの真髄である」
            * 
 97年夏。大店法の見直しを検討する国の合同会議の委員3人は欧州各国を視察した。結果を報告する「委員限り」の資料が残っていた。
 パリのフランス建設省。大型店の出店を規制するロワイエ法について委員が「競争の自由を害しないか」と尋ねると担当者は「近隣に小売業がなくなるのは困る」と答えた。「消費者は安い方が良いだろうが価格だけの問題ではない。大型店は都市中心部から離れ、自動車や大型の冷蔵庫を持つ必要があり、街の高齢者には不便だ」
 フランスは規制緩和どころか、96年にはロワイエ法を強化したラファラン法を制定している。
 やはり郊外への大規模店の出店を規制するドイツのベルリン市。「食料品は自動車なしで買い物ができるようにすべきと考えている」
 合同会議は欧州の実情を重く見た。ではなぜ現実は逆に向かったのか。97年12月、合同会議は最後の4回の議事録を非公開にした。毎日新聞が入手した議事録にはこんなやりとりがある。
 「大店法という船から新しい船に乗り換えよう。冷たい海に飛び込むのではなく、新しい船を用意している」(議長の故田島義博・学習院長)
 「なぜ年内の結論にこだわならければいけないのか。生活がかかっている中小商業者に、姿が見えない船へ飛び乗れといっても説得不可能だ」(谷村昭一・日本商工会議所参与)
 大店法は米国が日本に撤廃を求め96年に世界貿易機関に提訴した。政府は97年5月「法的措置を含めた抜本的な検討を行い12月までに結論を得る」と閣議決定していた。合同会議の複数の委員は「大店法廃止の結論ありきだった」と証言する。
 谷村参与は今、後悔する。「泥舟とまでは言わなくても、不完全な船に乗せられてしまった」
 この10年、海外の流れとは逆に規制を緩和した日本。「消費者のために」と大店法が廃止された後、何が起きたのか。大型店同士の競争が激化し、経済産業省によると、04年6月までの2年間に全国で大型店の1割にあたる1561店が撤退した。
 自分たちの街を守ろうとする動きも出ている。福島県は昨年10月、売場面積6000平方メートル以上の大型店出店を事実上規制する「商業まちづくり推進条例」を全国で初めて制定した。竹中氏と親しい本間正明・大阪大教授ら、経済財政諮問会議の民間4議員はこうした動きをけん制する意見を表明した。
 「民間に対する規制を強化し、構造改革に逆行することになるのではないかと懸念している」
 和歌山市の商店街「ぶらくり丁」。パンを買いにきた阪部登志代さん(84)は「昔はこの辺りを歩けば何でもそろったもんだが。ほんま年寄りには不便な街になってしまった」と嘆いた。
 竹中氏は故郷の現状をどう見ているのか。取材に「ぶらくり丁の人は消費者の嗜好の変化に対応策を取れなかった。創意工夫の問題だ」と答えた。
・「」
ゲーリートマソン

 日本で郊外住宅、いわゆる団地が建設され始めたのは1955年の日本住宅公団の設立以降である。
 55年以降、高度経済成長と共に東京都への転入人口は増加し、62年〜63年に一つのピークを形成している。この頃は中学を卒業したばかりの団塊の世代が金の卵と称され、高度経済成長を推進するための労働力として、多大な期待を寄せられていた。こうした青年を中心とする人口流入に対応して、東京では木賃アパートが大量に建設されれた。しかし、彼らはすぐに結婚し子供を産むだろう。その時どこに住むのか。彼らのために住宅を建設することが喫緊の課題であった。しかし、東京だけでは足りない。郊外での住宅建設が必須であった。
 ここで冒頭の日本住宅公団による団地の建設に結びつくのである。
 こうして、高度経済成長期、膨大な数の核家族が生まれ、彼らのすみかとして郊外が拡大していった。この意味で、家族や郊外というものは、高度経済成長期の日本においていわば意図的に作りだされてきた一種の「装置」である。その家族は自然なものでもないし、伝統的なものでもない。少なくとも、今われわれが普通に思い描く家族は、戦後の高度経済成長期に作られた、きわめて特殊なものである。もちろん、そうした近代的な核家族の基礎はモダニズムと結びつきすでに大正期につくられていた。近代的な核家族が理想化されたのである。さらにそこに、戦後、大衆消費社会の発達の中で、経済的な豊かさや物質的な欲望を実現する単位としての家族という、それまでにないまったく新しい家族のイメージが一挙に普及した。つまり家族は人々の欲望を充足させるだけでなく、同時に欲望を喚起する装置になった。すなわち家族は大量生産されたのだ。そして家族はマスメディアを通して大量に広告され、大衆によって大量に消費されていった。
 家族という「装置」に二つの機能を持たせる、(つまり1、人々の欲望を充足させる2、人々の欲望を喚起する)ことで、この新しい家族は家族足り得た。そしてそれは、それまでの伝統的な地域社会から離脱していくことを意味してしていた。だからこそ消費という行為で家族を纏め上げる必要があった。

一方80年代以降の都市の変化。
バブル崩壊以降都市(これは往々にして東京を指す)は、
“政治”にとって1、不良債権処理の対象・2、経済再生の切り札としてしか捉えられてきませんでした。そして、’98年の小渕内閣での経済戦略会議を皮切りに、’01年の森内閣での都市再生委員会、’02年の小泉内閣での都市再生本部と、“政治”の世界での都市政策の中枢では、一貫してこの考え方が貫かれ、加速度的に規制緩和を推し進めてきました。これが、現在「都市再生」と称して都心に馬鹿でかい超高層のマンションやオフィスビルが、供給過剰で叩き売りされる程建設され続けている理由です。
何を言いたいかというと、こういった大きな「都市」を取り巻く経済の流れの中で、僕たちにできることは何なのかということ。それを、僕は一人一人の「消費行為」だと思うのです。これが「街をつくる意思表示としての消費」です。“使い捨ての消費”ではなく“投資としての消費”とも言い表せるでしょう。つまり、好きなもの残ってほしいものにちゃんと投資することが、僕たちにできる最善で最高の方法なのではないでしょうか。

郊外がいま「問題」とされている理由には、それが「家族」という単位のためにお膳立てされて、生産行為以外の生活の全てが賄えるように作られた結果だと思います。少しオーバーですが、そこでは、家族以外の単位で行動していると奇異に映るように思います。そこでは消費行為すらも規定されているのです。


引用・参考文献
三浦展、『「家族」と「幸福」の戦後史 郊外の夢と現実』、1999、講談社現代新書。
松原隆一郎他「東京未来予想図 言葉を持って街に出よう!」、『東京人 1986-2005「東京人」が見てきたもの』133−140頁(都市出版、2006)。

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