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A//T magazineコミュのA//T magazine #4 (第4号)

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特集:「1990年代論のための視座」

 2000年代に突入して今年で6年目。2000年代最初の10年が、その折り返し地点を回ったのだ。この現在を規定しているのが、先行する「90’s」の路線であることは間違いないだろう。この90年代を包括的に捉えなおすために、まずはそのための視座、視点を獲得しなければならない。本特集では、いずれなされるべき緻密で厳密な「90年代論」のために、検証の足が掛かりとなるべき地平を提示したい。

*第4号発行までに間があいてしまい、ご迷惑をおかけしました。今後も全力で「時代と添い寝」していきます。日頃のご愛読、ご寄稿を心より感謝しております。
  編集スタッフ 一同



特別号予告 (A//T magazine "Special Issue")

 総特集:Le 4eme colloque([A//T inside]と[SOS.])

この秋に開催される2つのイベントを総特集します。
どちらもA//Tが関わったものですが、その内容もコンセプトも大きく異なります。しかし、その両者をつなぐハブとして「Le 4eme colloque」が見え隠れします。こうした部分への視線を盛り込みながら、出演アーティスト紹介、プログラム内容などをご紹介いたします。お楽しみに。

コメント(4)

「オウム/ネット/ポスト産業社会、としての90年代」
 by Alan Smithy

やっぱり、繰りかえしになることだけどさ、オウムを中沢新一が擁護していたりとか、阪神・淡路大震災とか、だいたい同じ時期に登場してきたインターネットとか、産業形態の推移とかさ、今までわりと単順に「世紀末」「閉塞感」って言われてたことって、案外、外れてないと思うんだ。けど、どう?。
そんな風に考えてみるとさ、村上春樹が態度をデタッチメント→コミットメントに変えた一連のノンフィクション作品「アンダーグラウンド」「約束された場所で」とか、どのような立場の立つひとであってもなんていうかひとつの「転回点」を迎えていたのかもしれない。よね?どう?
その変化っていうのは、まぁオレはその頃「失われた10年〜」とか言われてる中で青春時代を送ってたわけだけど、時代の閉塞感とか終末感ってものが生活レベルで実感されてきたからなんじゃないかと思うんだけどもそんなことない?わりと、仕事に夢中で、教育熱なんて今の半分以下、みたいな。
う〜ん、いまになって、小林よしのりの初期の「ゴーマニズム宣言」を読むときに感じる"違和感"ってどこから来るのかなーって考えてるんだ。なにか、時代の空気自体が違う気がするんだよね。息が詰まる中で、熱気をムンムンさせてるみたいで。小林の思想じゃなくて、活写する社会が、ね。オウムにVXガスで暗殺されそうになった、とかって、いまだとリアリティないんだよね。だろ?
そういう中で、唯一、インターネットと現在につながるグローバリズムみたいな潮流だけが突破口としてあったように思うんだよ。あの頃に、そういうものに触れていた人とそうでない人の差って、いまになってみると結構大きい隔たりになってきてるんじゃないかな。でさ、そういう世界観は人間の考えの根本みたいな部分にもちょっと変化をもたらしてるわけで。うん。わかる?
つまり?ネットとサブカルの均質化?
だから、リアリティってものが変質したんじゃない?
近代的リアリズム小説に対するライトノベル、って感じに。
旧来的な社会的リアリティってものと、ネットに代表されるデータベース的リアリティが、混在してるって感じかな。
もっとちゃんと説明して。
小室哲哉の単調で反復的なサウンドさえも安定剤だった!?
ううん・・・。考えさせて。サブカルなんだよー肝の一つは。
でもさ、ガイナックスの商売っ気とは別の部分でさ、またエヴァの映画が三本もリメイクして公開されるのって、なにかの象徴としてみてみたほうが面白いと思うわけよ。オタク、萌え、ヴァーチャル、ジャパニメーション、ひきこもり、2ch。そういうのってぢつはみんな参照項が同じだったりするわけじゃんね。共通のシミュラークル=コード=記号のアレンジでしかないわけで、それらのデータベース(集積)が次の模倣を引き起こしてるわけで、決して現実の社会的なリアリティの反復・模倣ではないと思うの。違うかな??
もちろん似てるけどね。似てるんだけど、新聞から得られるリアリティの反復と、ネット的・データベース的リアリティの反復ではそのリアリティ=現実への態度に差異が生じてくるのだと考える。ってことねつまり。でしょ?
「好奇心と絶え間ない並列化の果てに獲得した個性」ってわけね?
まぁ、そういうのもあるかもね。
「『失われた10年』っていうなっ!」
by Comte

「日本においては、バブルの後遺症と、政府の失政(回復基調に転じた時点での消費税率の引き上げ等)により景気後退と長期不況が続いた。不良債権を抱えた大手銀行の破綻が金融不安を引き起こすなど、日本の経済に大打撃を与え、大中小とわず多数の企業倒産や、大手金融機関の統廃合などが相次いだ。
一方でこの期間に、優良企業で有利子負債の圧縮が進展。高度経済成長末期から続いていた日本企業の過剰レバレッジ体質が改善され経営体力が強化された。
失われた10年については研究機関や学者などが多くの研究成果を発表しており、政府も内閣府が研究会を発足させ、2007年中に報告書を出すとしている。」


「ねえねえ,『失われた10年』とかいってるけど,90年代って失われちゃったわけ?!」

「え?!そーなの??やばいよねー!うちらその10年間に小学校から高校まで過ごしてるっつーの!」

「だよね〜。勝手に失われたってことになってるけど,うちらのその10年ってなんだったわけ?マジふざけんなって感じ。」

80年代に生まれた僕らは真に90年代という時代に青春期を過ごしていた。地方のファスト風土化しつつある地域で過ごしていた僕は,この閉塞感の漂う時代を肌で感じていた…。
なんて嘘嘘(笑)
ただ単に部活に馬鹿みたいに打ち込んだ中学時代を経て,つまらん高校生活を過ごしていただけ。部活やってたのは<子供>だっただけだし,高校時代は,文化に触れたくてもそれを求めてももかなわなかったし共有もできず,いあわゆる国公立へ向かうべく一通過点なんだと自分に言い聞かせていた。
いったいこの10年ってなんだったんだろうか?
正直にいうなら,僕にとっては空白だったのかもしれない。
経済的に大変なんだっていうのは,身の回りから感じていたのは確か。少しでも<お金>のかからない生き方を求めていたような気がする。大人でも子供でも。それは往々にして,大人から子供にダイレクトにそして切実に伝わっていたのだろうと,思う。。少なくとも僕は。。周りの同級生たちも国公立の大学へと進学を目指していたのを思い出すと,そうだったのだろうと思う。
でもでも,一体あれはなんだったのだろうか?と思わずにはいられない。だって,だってよ!そのおかげでと言うか,時代のせいにするのはどーかと思うけど,あの何だかわけのわからん,つまらん/しらけた,ただただ,現実社会のだけで通用しなければいけないような,全く「明日の神話」も語ることのできないような時代の空気の中で,生きていた僕らの青春の10年ってなんだったわけよ!!と思わずにはいられないのですよ。
社会がそーいうちょ〜りゅうだったからとか,そういうのは聞きたくないわけ!

10年返せよ!!俺は「フェスティバル」したかったっつーの!1回だけそれっぽいのやったけど…ただの高校の文化祭の企画(笑)
もちろん恋もそれなりにしたし,トモダチとだべったりもしていた。ただ!文化に触れたと思った瞬間はなかった!少なくとも自分で求めていってぶつかったという感触は無かった。

とにかくさ〜言いたいのは,この90年代の10年って本当に失われてるって解釈していいのかっていうことよ!もちろんそういう部分はあるんだろうし,だから学者先生たちがそう言ってたわけで。でもさぁ,あまりにもそれだけがメディアに乗ってないかい??そんなんいわれたら「そうだったのかなぁ〜,でもつまらんことだっただけは確かだし…やっぱそうだったのかな〜」って思っちゃうわ。
その中で教育を受けていた僕らは,いまこの時代にどう生きるべきなのか。この自分自身で白紙の未来を前に自分の舵をきっていかなければならない僕らは,一体何を拠り所にしていけばよいのか。
2000年代に入って,「ニート問題」とか言ってるし。やたらと社会は(?)<問題>を作りたがる。それって問題なの?今の若者って問題なわけ??
このいわゆる<現在の問題>って90年代の検証からしかありえないと思うわけです。
そんな個人的な問題関心から,“失われた90年代の若者と街の変容”ということを考えたいと思います。

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