ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

鼻声のアーカイブコミュの人間ビーダマン事件

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
23年という短い人生の間でも、絶望感を味わったことが何度かある。
その記念すべき1回目が5才の、秋も深まった頃だっただろうか。

その日は夕方から自宅に母の友人が来ていた。いつもより豪華な夕食を食べ、両親と友人Aが会話に花を咲かせている間、私は隣の部屋でひとり遊んでいた。
少し脱線するが、幼少期の私は1人で遊ぶことが好きな子供だった。幼稚園の終わったあとはたいてい、1人黙々と「究極の砂団子」を作ることに没頭していたらしい。ここでいう究極とは、少しの歪みも傷もないツルツル完全球体を指す。

話をもとに戻そう。その日、私の遊び相手は当時最高のパートナーともいうべきビー玉だった。砂団子の逸話から分かる通り、私は丸くて奇麗な球体を好む傾向にある。
ビー玉は見て美しく、触って肌触り良く、転がしたその姿は何とも清々しい。
畳の部屋でビー玉を転がしては取りに行き、また転がしては取りに行くという、恐ろしく非生産的な遊びを繰り返しながら、今日食べた夕食の美味しさを振り返ってみたりして、小さな幸福を噛みしめた。

夜も更け、そろそろ遊びの時間も終わりかなというとき、なぜか無性に寂しくなった。ビー玉と離れたくないと思った。どうすれば良いのだろう。
俗に言う人間の始まりは、アダムとイブが「足りないところに余ったものを入れた」ことであるように、人間は足りないところに余ったものを入れたがるらしい。
私も1人の人間としてそのDNAを確かに受け継いでいたらしく、好奇心のおもむくままに、ビー玉を鼻の穴に詰めてみた。両穴にである。

詰めきった瞬間、パズルが完成した時のような感慨の海に気持ち良く身を委ねた。しかし2分、3分と時がたつうちに、しだいに不安が押し寄せてきた。抜けない・・・。少年老い易くビー玉抜け難し である。
正直、あの瞬間は「俺はここ日本で、一生鼻の穴にビー玉を詰まらせながら暮らしていくんだ・・・」と子どもながらに確信し、絶望し、泣いた。

・・とその時、両親と友人Aが部屋入ってきた。鼻の両穴にビ―玉をしこたま詰め込んで泣いている私を見て、さすがに焦ったらしい。
母が指でビー玉を出そうと奮闘していたが、生来不器用な母のせいで、ビー玉は逆にぐいぐいめり込んでいく。人生であの時ほど強く「小学校に入ったら図工の授業を極めて手先を器用にして、鼻に詰まったビー玉を抜いてやるんだ」と決意したことはない。
しかし、友人Aの一言で事態は急展開を迎える。
「鼻を、ふんっ、ってやってみ!」
神のお告げを聞いたかの如く、その通りにしたら鼻からビー玉が飛び出した。

私はビー玉を通して、玩具と適切な距離を保ちながら遊ぶことの重要性を思い知らされた。
玩具は玩具であって、人間は人間である。玩具と人間は間違っても共存できないのである。

そんな教訓から小学校に上がった私は、ビーダマンを介してビー玉と遊ぶようになった。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

鼻声のアーカイブ 更新情報

鼻声のアーカイブのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング