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新生!琉球独立党コミュの9.1第三回政治集会に向けて総蹶起せよ

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プロレタリア通信 第三次ブント(June - Nov.)書記局発行 電子書翰 version 第二号(mixi よりの抜萃を中心とする)

各位

阿斯蔓土耳古派の日記 全体に公開

2006 年 08 月 01 日
13:43 7.31【再び三星天洋旗を掲げ琉球共和国 the LOOCHOO Republic の政治集会 the political meeting of the LOOCHOO Independent Party に圧倒的に勝利 新宿職安通りネイキッド・ロフトに 60 年代末期全共闘叛乱ソノモノが突如現出】

昨日は月曜日の夕刻からという,通常の勤め人には思い切り条件の悪い設定にもかかわらず,いよいよ 1960 年代の東京地区反戦青年委員会世話人の望月彰を先頭にして第二次ブント・マル戦派(マルクス主義戦線派の略称。第二次ブントで実務を担当した部隊。公然文書資料一式は霞ヶ関の国立国会図書館で誰もが閲覧することが出来る)本隊の極一部,数名(ブント高校生細胞三名〔高橋博史,甲野信夫、俺。ちなみにこの三人は高校生社学同書記局員でもあった〕と社会主義学生同盟高校生委員会一名〔林秀明〕)が本格的に見参した。

元・第四インターナショナル日本支部の雑誌ライター國貞陽一さん(10 年にわたる舞台監督でもある。スキンヘッドにサングラス)がとにかく真面目に台本通りに進めようとするのを片端から俺(レーニン主義者協議会正規構成員)が各言語の「インターナショナル」の乱入で紊乱していく。早大一文でマル戦派の周囲をうろうろしていたパネリスト吉田司(「ひめゆり忠臣蔵」)の「仕切のくせして,おめえが一人でぶち壊してんだろうが,バカヤロ」に,すかさずマイクを取って「うるせえ,俺の今日の役回りはぶち壊し屋(ちなみに力道山から馬場時代まで日本のプロレス産業に尽力してくれたザ・デストロイヤーの本名はジャック・ベイヤー Jack Bayer。バラエティ番組では和田アキ子の良き敵娼いや相方でもあった)そのものだ。文句あんのか,この野郎」と応じたおいら。ボトルで焼酎を呑みながらも一瞬のチャンスを見逃さず,すっくと立ち上がった白百合女子大学教授・高橋博史(第二次ブント高校生細胞キャップ,俺の一代前の高校生会議議長,一学年上。レーニン主義者協議会正規構成員。当時は小金井近傍に居住。近代日本文学専攻)の的確なアジテイションには実に心底痺れました。街頭での論理的アジテイション一発でその場を完全制圧というのは,ああいうのを言うのだよ,お立ち会い。それを俺がまたソウルフラワー・モノノケサミットによるチンドン・サウンドの「インターナショナル」で掻き回す。國貞さんが普通の台本ソノモノに戻ろうとする間に,はしこい俺はちゃいちゃいと客席の在日ウチナンチュ過激派,マーキーこと平安真喜さんを仕込んじゃう。今度はマル戦派軍団はマーキー応援団兼ヤジ部隊に突如変身よ。

とうとう入り口で受付をやっていた森田暁君(東大駒場で清井礼司〔レーニン主義者協議会書記局員。高卒の弁護士。麻原アーチャリーの後見人,青色ダイオード裁判で大勝利。花岡裁判闘争の黒幕〕の手下だった。バリケードの中で失火事件を起こしたことがあるらしい。『検証 内ゲバ』〔社会批評社〕共著者の一人)までが本格的アジテイターに一挙変身。最後は独立派平和運動「命どぅ宝(ぬちどぅたっち)ネットワーク」の島袋陽子まで夢中になって拍手してやがんの。辺野古の平和なだけの,つまりメリハリのない「運動」でゾンビ的カルト革マル派の復活を助けとるだけのド素人の分際でアホか,お前らは。初回の政治集会に一番くだらない感想を寄越したのが,このバカ女だよ。とんちき。

今回,お約束の締めは当然ながら亜米利加合衆国で思い切り差部され続けてきた伊太公(伊太利亜男の蔑称)のプレスリーによる「リパブリック(republic)讃歌」すなわち「アメリカの祈り(An American Trilogy)」(前回は Tuva 共和国版「インターナショナル」)。残念ながらゲバルトこそ全然なかったもののハプニングに次ぐハプニング,いやァ余りといえば余りにも面白過ぎる展開となりました。

俺と愚妻,極道ライター中野ジロー君@獄中通算 17 年の打ち上げは,明治通りで東新宿駅そばのディープかつ思い切り安い四川料理屋「麻婆TAN」→ゴールデン街「フラッパー」(月曜日は「唯尼庵」が休み)。フラッパーでは井内秀明達サンカ研究会グループが終電に間に合わせて帰ってしまった後で,森田君とのみ邂逅。翌日の仕事があるというのに,森田君はタクシーで帰宅しなければならない時間帯まで付き合ってくれ,そそくさと帰宅していきました。「フラッパー」二階ギャラリー・スペースでの有料『聚珍録』拝観会の打ち合わせは今回はなし。

今回の画像はクリックしても大きくなりません。



2006年08月01日
13:48
阿斯蔓土耳古派
9 月1 日(金曜日夕刻より飯田橋徒歩5分「東京都しごとセンター」地下講堂〔300 名収容可能〕)の琉球独立党東京第三回政治集会は,いきなり実質的に物凄過ぎる勉強集会=巨大な学習会になります。会場は「琉球独立老人会」(これからは,団体ナンバー 132)の名で「夜間」(実質的に遣える時間は 18 時から 21 時くらいか)を押さえてある。施設使用料及び講堂用映写装置使用料は,琉球独立党教育出版局新宿支局すなわち有限会社築地電子活版が早急に払い込む。払ってしまえば誰も文句を言うことはできない。翌日は土曜日だよ。二次会は当然皆でタクシーに分乗してゴールデン街だ。プロの仕事とは,こういう配慮まで含んでいるものを指して言う。第二期琉球独立党はもう二度とロフトなんたらというセコで手狭なスペースに戻ることはない。8 月 18 日も空いてはいたが,2 日 17 時ぎりぎりに飯田橋の財団法人東京しごと財団〔管理係03-5211-2307,http://shigotozaidan.jp〕まで思い切りアナログに講堂予約の空き情況を聞きに行っていきなり18日では,さしもの俺でもアナログまで吹くんだ情宣はしきれない。受講時の飲み物は基本的には各自持参されたい。

いよいよ東京大学名誉教授・板垣雄三先生が琉球独立党政治集会に本格的に推参する。これに客席の高橋博史と近畿大学教授・すが秀実(学習院のノンセクト。革マルを完膚無きまでに叩きのめした 68 年 6.9〔最後は,追いつめられた革マルが立て籠もった早大一文自治会室に多数のバルサンをほいほいと放り込み,最後は「命だけはお助け」と投降したフランケン高島〔マル学同革マル派委員長〕以下の早大革マル幹部連を,連行した理工学部の一室で針金で縛り上げ目一杯リンチしやった。高島なンぞ涙を流して悔しがっていたな〔痛がっていたのかもしれないが〕〕で一文の現場にいたことが判明して学習院の革マルにリンチされたことがある。現・琉球独立党埼玉支部長。拙宅から思い切りかわいいアメリカン・ショートヘア@当然純血種を一匹,埼玉県のド外れ坂戸市のボロ家まで拉致していきおった極悪人)や早大教育学部教授・高橋順一(70年からはブント叛旗派。最近はただの常識人)あたりを絡ませる。仕切役は当然俺だ。まだ大分時間もあることだし「インターナショナル」とジ・エンジェルス御一統の踊りも,マ,物凄くとでも申しましょうかね,とにかく思い切りド派手なバージョンを仕込むつもり。獅子は兎一匹を狩るのにも全力を尽くすものだ。琉球独立党画像処理局長・西川茂が気合いを入れて処理した,1979 年 4 月,沖縄海浜でのブルー・コーラル・コンサート。“皆余りにも若かった”ピカピカな静止画像(トリは宇崎竜童とダウンタウン・ブギウギ・バンド)も出現する。知名定男と照屋林賢がタイトなジーパンでステージの上に立っているんだぜ。

何せ道理政党が本格的に理論武装できていないのではお話になりませんからな。第三回政治集会以降は,受講者である党首の理論武装を公衆の眼前,余りにも公々然とし過ぎている場所で一気に進めていく。いわば帝王学の実況中継みたいなものですな。初代党首のもとで独立党活動家であった二代目党首は本物の琉球頑固党(竹中労『琉球共和国』〔ちくま文庫〕を御参看あれ)のお孫さんで,かみさんは大陸支那出身の,つまり支那人 cultural chinese だよ。「ナショナルにしてインターナショナル」とは,こういう人士をこそ言うのだ,ベイビー。

指定学習文献は,ラフディ・エルマンジュラ(コーネル大学卒,元ユネスコ事務次長,現・モハメド五世大学教授)+板垣雄三(編輯=仲正昌樹〔金沢大学教授〕)『イラク戦争後の世界 メガ帝国主義の出現とイスラーム・グローバル現象』(ISBN4-7927-2069-9,世界書院,西紀〔グレゴリオ暦〕2004 年 5 月,定価 1200 円+税。四六判 192 頁,本文 14 級だから簡短に読めてしまう)。8月が完全に休みとなったのだから,余裕のある向きは小松聰さんの『世界経済の構造 アメリカ経済を中心として』(世界書院)や栗本慎一郎さんの経済人類学入門書『パンツをはいたサル』(カッパブックス)にも,ざっと目を通しておいていただきたい。マル戦派の大先輩・栗本慎一郎さんがコーカサスへの調査行から帰国された後のスケジュールによっては,9月にもう一度の政治集会を挙行して,8月の空白を一挙に埋める。劉備玄徳 136 代の末裔,劉賢国(79 年ソウル学生蜂起のリーダー,現・国立大学法人つくば技術大学助教授。現在家族一式を連れて韓国にいる)にも日本に戻り次第どこかで穴は埋めて貰いたい。11月までには,お約束の鈴々亭馬風「私が落語協会の会長になるまで」30人殺しバージョン(金原亭馬生が生きていたころのバージョン)も必ず推参させる。


2006年08月01日
14:00
阿斯蔓土耳古派
本日はゴールデン街各店に,1968 年 6 月 15 日,日比谷公園で実際に撒かれた本物の「高校生会議緊急アピール」が推参する。ダイナミックな運動は必ず,その相対的な“内部”に絶えず仮想敵を作り出し,その敵を実際に叩きのめしていくことによってしか前進しなし。68-9 年,沖縄闘争に関する見解の根本的相違をこそ主題として最も原則的かつ武闘的に中核派との党派闘争を貫徹したのは,俺が最後の代の議長を務めた高校生会議→68 年 7 月以降は全都高校生連絡会議(議長池田憲二〔故人。俺と同学年。共産主義高校生会議議長。当時は恵比寿の高級住宅地の二階家に居住。両親は天理教〕。レーニン主義者協議会正規構成員)と,全都の学生マル戦派の精粋にこそ外ならないレーニン主義者協議会であった。せっかくの勝てる戦をやらないという法はないに決まってるから 1968 年 6 月 15 日から当然のように俺が仕掛けた政治焦点化=ゴリゴリの党派闘争ソノモノだ。69 年の 2 月 11 日@赤坂見附・清水谷公園,根っから濫妨者の江澤隆志(共産主義高校生会議正規構成員。現宝島社取締役。俺と同学年。父親は「やっちゃ場」勤務で,とにかく麻雀が鬼のように強かった。当時は御茶ノ水駅近くの二階家に居住)に至っちゃ「この糞どもがァ」とぶち込んだ回し蹴り一発だけで中核派のデモ隊列(100 名弱)自体を文字通り蜘蛛の子を散らすように潰乱させたものであった。

ビラの内容は弊社のウェブサイトを参看されたし。
http://www.tsukiji-type.co.jp
大きな大衆集会で撒かれたビラでは,高校生会議議長として俺が起草した多分最後の代物だ。この集会を最後として俺は「裏」のオルグ(組織)部門へと躬ら配転したからな。それから,L 協系高校生組織の表の「顔」は池田憲二が実に律儀かつ恰好良く務めてくれた。



2006年08月01日
14:16
阿斯蔓土耳古派
ゴールデン街フラッパーのママ北条博子は「ハイティーンに戻ったみたいな気分になった。学生気分でしっかりと勉強もしてみたい」と総括しておりました。

井内秀明,今井従容(俳句誌編集長)ら 80 年代サンカ研究会の面々数名も大満足。彼らと中野ブラック・エンペラーのカシラで組業界関係者でもあったライター,中野ジロー君をつなぐことも出来た。

最大の政治的勝利は,集会の途中,次の用事のためにタクシーで二丁目方面に消えようとする元サンカ研究会の沖縄大学人文学部長・緒形さんに追い縋った俺と井内が沖縄支部長就任を要請。「うんうん」と返事してタクシーに乗り込んだ緒形さんを後目に俺はしれっと場内に戻り「ただいま緒形さんが沖縄支部長就任を承諾されました」と報告してしまい大受けを取ったことだ。何しろ井内がしっかりとすべてを目撃していたんだから仕方がなかろうってもんよ。今更取り消しは一切認めない。

これで,埼玉支部長の近畿大学教授・すが秀実に続き,最大のネックであった沖縄支部長も決定してしまった。東京都支部長は,東大名誉教授・廣松渉なき後の今日では,やはり東大名誉教授,イスラーム史については日本一の板垣雄三先生で決まりだろう。



2006年08月01日
14:20
阿斯蔓土耳古派
ネイションとステイトを混同したままでは琉球独立党に勝ち目なぞ百パーセントありえないのだよ。



2006年08月01日
14:24
阿斯蔓土耳古派
イスラーム史については日本一の板垣雄三先生で決まりだろう。



イスラーム史については世界一かもしれない板垣雄三先生で決まりだろう。

が正しい。



2006年08月01日
14:27
阿斯蔓土耳古派
俺は60年代以来一貫して「日帝の沖縄返還策動粉砕」一点張りだ。

一度として「即時返還」だの「奪還」だのという囈言を抜かした試しはない。染み一つない綺麗な体とはこういうのを言う。「還」の一字がある限りは清水丈夫(革共同全国委員会政治局員。第一次ブント→プロ通派→坊主懺悔の自己批判をして革共同全国委員会)や白井朗(革共同全国委員会政治局員。革共同機関誌『前進』〔「フォルボーテ」の和訳〕編集長。筆名山村克)ら前進社官僚のアホタレがどう足掻いたところでどうにも仕方がなかった。思えば,この一字のおかげで何人の学生中核派活動家が一言も反論できずに俺達に気持ちよくブチのめされてしまったことか。これももとはと言えば67年の『戦旗』でマル戦派の編集長・矢沢国光さんが仕込んだ挑発に奴らが乗ってしまい,引っ込みがつかなくなっただけの仕掛けよ。



2006年08月01日
14:30
阿斯蔓土耳古派
曜日はとにかく土曜日だ。



曜日はとにかく金曜日夕刻からか土曜日昼間だ。打ち上げ=二次会は悠々かつ粛々と行う。

が正しい。東京都の交通中心は飯田橋だ。

本当の沖縄裏情報を知る男・岩永文夫(元・法政のプロレタリア軍団)が来てくれなかったのが何としても恂に痛い。



以上で総括終わり。二代目=屋良朝助さんは泡沫政党の党首には終わらせない。大昔からスピード感と切れと悪智慧だけで,なぜか金と力だけは不思議とあった試しのない俺が本気で勝ちに行ったときの酷薄かつ悪辣極まりない手口を汝等目を開いて見よ。

   我等ガ所業終リ候処ヲ爾等眼ヲ開イテ看ヨ(大塩中斉)

[追伸1]

各位

いよいよ原稿入力屋さんから請求が来てしまった。フクインへの支払いも済ませていない。サラ金数社に寄生して事実上無利息の自転車操業で凌いできたミスター 1968 こと府川充男も,琉球独立党二代目党首出現の煽りをもろに喰らって,いよいよ有利息状態に一挙顛落だ。愚妻の面(おも)もいよいよ暗くなってきたし,俺の頬もこけてきた。

年利 3 パーセントの社債の債券は幾らでも発行する。365 を分母として返金までの日数を分子とする利息が発生することになる。

第一勧業信用組合目黒支店 普通預金口座 6815289 店番 014 有限会社築地電子活版

三菱東京 UFJ 銀行目黒支店 普通預金口座 3720643 店番 508 有限会社築地電子活版

なお当然のことながら,集会翌日(8 月 1 日)のゴールデン街エリア各店には俺が見参してビラを撒いてきた。ウチナンチュのママが20年間にわたりやってきた「一歩」で種々と話し込んできました。昨晩(8 月 2 日)は,夕刻わざわざ弊社へと推参なされた河出書房新社・茂木敏夫さんと弊社取締役・小池和夫を含む三者会談で,小池の河出文庫からの漢字本デビューが実質的に決定された。とにかく忙しくって堪らねえ。

[追伸2]

今回のメイン仕切・國貞君の「7.31メモ」と題した総括は以下。

「各位

台本は(編集と同じで)壊すためにあるのですから、
私も現場で、壊しまくっていました。
前後を入れ替えたり、ネタを再編成したり、
即興的な演出につとめまました。
(台本作成は、「趣味」のレベルです。)
ただし、充分に仕切れたとは思いませんし、
論点を整理して、展開していく腕力が
不足していたと自覚しています。
それと、笑いをとる話芸というものは難しいものです。
7.31は、6.27よりも、「語やびら」(語りましょう)の方向を
強化しました。これが功を奏したと自負しています。
「平場」の議論こそが重要であると私は考えているので、
(この点は、府川氏と方向性が若干違いました。)
私はどんな議論が出ようとも、会場を沸騰させるためには、
エネルギーを引き出していく演出が必要と思っています。
私は、呼吸(法)を軸に人間関係を捉えているので、
相手に息を吐かせないコミュニケーションは不毛だと考えているのです。
つまり、声を上げさせることは重要な演出です。
また、笑わせるというのも、息を吐かせることで、重要なんです。
その意味で、7.31は、私の目論見としては成功しています。
もちろん、話し足りない部分は、どうしても出てしまうのですが。

吉田・高橋論争は、興味深く聞きました。
吉田氏をフィーチャーしたのは、沖縄の「被害者平和主義」批判の
ためであったのですが、「ひめゆり忠臣蔵」的な爆発は、残念ながら不充分でした。
高橋氏の論点は、首肯しうるもので、その意味でここが沸点になったと思います。
マーキーからは個人メールが来て、
>前回と比べるといくらかは進歩したかんじがします!
>党首もそうですが、パネリストに問題があります!
と言われてますが(笑)。あいつも辛辣だよな。

演出の作法としては、徹底的なエンターテインメントを
話芸として披露するか、会場を平場として議論を沸騰させるか、
いずれかであると思います。前者の場合、笑いを重視すること。
党首の話芸は、まだまだでしょう。話を簡潔にされますよう。
それから、抑揚をつけて、感情を吐露すること。
言葉にメリハリをつけること。演説で回りくどいと、みんな寝てしまいます。
と、私も口が悪い(笑)。でも、だんだん慣れてきているのでは。
早く、沖縄で演説会を準備されますよう。

最後に。
6.27→7.31で、一応、私の任務は終了したと思っています。
8月は執筆に専念しますので、イベントは関わりえません。
皆様のご健闘をお祈りします。
感想、ご意見、どしどしお聞かせください。

國貞陽一 拝」。

コメント(4)

昨夜,ケニアのエンジェル一人を調達。マサイではないが,とんでもない超弩級の美女である。身長約180センチ。ものすごく顔が小さい。とにかく綺麗。乞御期待。

9.1政治集会の入場料は『琉球独立党文書資料集』込みで2500円。『資料集』をすでに持っている者にも込みとする。万一余った分は誰かに売られたし。

中央打ち上げ会場は,弁財天近く,出版会館の坂の下にある神楽坂・鳥竹。全店貸し切り。
7月1日は土曜日ではなく金曜日であった。各位におかれては気を付けられたし。花金の政治集会だ。勤め人の殆どは翌日は休みですな。明日には関係各方面に正しいデータを横流しする。

入場料は2000円の予定。1800円の本がつくのだから安い。

飲酒禁止となっている会場内だが,「水の水割り」500円と「氷入りウーロン茶」500円を準備する。
9.1第三回政治集会

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