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ありがとう♪親野 智可等さんコミュの子どもの友達力は親子関係から

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子どもの友達力は親子関係から

 子どものいじめが社会的問題になり、我が子が学校でうまくやっているのか気になる親も多いはずだ。実際、親から寄せられる質問で子どもの友達関係の悩みはとても多い。

 社会に出て、誰もが気付くのは知力や能力があっても、人間関係力が未熟だと仕事を成し遂げることができないということだ。難しいテスト問題を解く能力が必ずしも仕事に生かせるとは限らない。それは、仕事が一人で完結するものではなく、人間関係や組織を必要とするからだ。

 この人間関係力を養うのが友達関係だ。教師たちもクラスの子どもたちの人間関係がうまくいくことを一番願っている。


 わたしは友達との人間関係をうまく調節する力を「友達力」と名付け、本を出した。『「友達力」で決まる!』(光文社)は23年間の教師体験を通じて、子どもたちの人間関係力をどのように育てたらいいのか試行錯誤してきたエッセンスを詰め込んだものだ。

 そして、結論として断言できるのは友達力を作る基礎は家庭における親子関係にこそあるということだ。

 子どもの学力や人格を含めて総合的な能力を育てるのに親の力は必須である。わたしはそれを「親力」と名付け、わたしの名前もその「おやのちから」に由来している。
 ’中略

理想の子ども像とはどんなものだろうか。スポーツが上手で、勉強ができて、見た目もカッコいいと三拍子そろった子はさぞかしクラスの人気者になると考える方も多いのではないだろうか。

 実際、クラス替えをして4〜6月くらいまでは、こうした子がちやほやされる。

 かつてわたしが教えた学校で、隣のクラスにいた男の子はまさに三拍子そろっていた。いわゆるイケメンで、服もセンスよく、運動神経抜群でドッジボールではいつも大活躍。面白いことを言っては友達を笑わせるのも得意で、最初はクラスの中心になった。

 ところが、6月くらいになると、その子と遊んでいる子どもたちから苦情が出るようになった。勝手にドッジボールのルールを変える、ボールを横取りする、誰かを泣かせた、ある女の子の悪口を言うなど、その子が実はジコチュー(自己中心的)な性格であることが分かってきたのだ。

 担任はこの子を一生懸命に指導したようだが、なかなか変わらず、ついにはほとんどの子が彼と遊ばなくなってしまった。

 その反対に、スポーツが得意でなくても、見た目が地味で、面白いことも言わない静かな子でも、思いやりのある子はだんだん好かれるようになる。思いやりのある子がいつも多くの友達に囲まれているとは限らない。数人の友達と一緒にいたとしても、実は他の友達からも好かれていることが多い。

 子どもの友達関係というのは不思議なもので、いつも一緒に遊んでいる子同士が必ずしも好意を感じている者同士とは限らない。あまり好意を感じていないのに、いろいろな事情で一緒にいることもあるのだ。だから、表面的な付き合いで子どもの人間関係を判断してはいけない。

 クラス中から好かれている子は多くの場合、いつも相手の気持ちを考えて話したり行動している。友達が嫌がることはしないし、傷つけるようなことは言わない。友達が何かをなくしたら一緒に探すことができる。自分が主張したいことも相手の気持ちを考えながら話すことができる。

 こうした思いやりのある子はクラス全体にいい影響を与える。それはクラス内に生まれるグループの垣根を超えていろいろなグループの子たちと友達になり、人間関係を和やかにしてくれるからだ。

 それこそが友達力を持った子どもである。このような子はめったにいないように思うかもしれないが、そうではない。必ずクラスには数人いるものだ。思いやりを持った子に育てることこそ親の役目である。




「友達たくさん」は大人の幻想
 子どもの友達関係で親が悩むのは、なかなか友達が増えないということだろう。いつも特定の子と遊んでいて、友達の数が増えない。しかし、まず誤解を解いてほしいのは友達がたくさんいることがすばらしいことでもなければ、わたしの言う「友達力」でもないということだ。

 現代の子どもたちは幼稚園や保育園時代から「友達をたくさん作ろう」という教育を受けている。親も友達の数は多い方がいいという幻想を持っているのだろう。

 『友だち100人できるかな』なんていう歌があるほど、みんな仲良し、みんな友だちが金科玉条のようになっている。

 しかし、大人だって交友関係が広い人もいれば、狭い人もいるだろう。狭くても本当の親友を持っている人の方が豊かな友人関係を築いているかもしれない。

 子どもだって、多くの友達を作るのが得意な子と、そうでない子がいる。それは個性であって、友達作りに全く興味を示さないような極端なケースを除いて、友達が少なくても心配する必要はない。

 わたしが言う「友達力」とは、友達を作る力ではなく、友達との人間関係をうまく調節する力である。思いやりを持って相手に接すると同時に、ときには友達から離れて「一人でいる力」を身につけることも大切だ。

 「みんな仲良く」主義が強すぎると、一人でいることに親も本人も不安を抱くことになるが、必要に応じて友達から離れる力がないと、集団的ないじめに加担することになる。

 友達から誰かをいじめようと誘われると断れず、気が進まないまま一緒にいじめてしまう。いじめないと自分が逆にいじめられる、仲間はずれにされるという不安が強い。これが現在のいじめ問題の背景にある。

 一人でいる力のある子は人をいじめるようなグループから離れても不安を感じることなどない。だが、実際にそれができる子どもはとても少ない。そもそも、一人でいることも大切だと教わったことがないのだから。

 一人で過ごし、自分のやりたいことに熱中する時間は子どもにとって必要不可欠だ。そこで、自分の得意分野を伸ばし、内面を豊かにし、個性を磨き、自分の世界を作ることができる。

 我が子に「友達と遊ぶだけではなく、自分一人で楽しむ時間も大切だよ」と語りかけ、その子が好きなこと、熱中できることに取り組めるような環境を作ってあげてほしい。それが友達力を育てることになる。
 

一人でいる力を身につけるには何かに熱中する体験が必要だ。絵でもスポーツでも、音楽でも読書でもマンガでも何でもいいから、子どもが好きなことに熱中できるように親が支援する必要がある。

 例えば、歴史が好きな子だったら遺跡や博物館に連れて行き、歴史マンガや歴史かるたを買ってあげる。

 子どもは何かが好きでも、自分の力だけではそれを広げたり、深めることはできない。ところが親の手助けがあると、グンと伸びる。

 かつての教え子で、釣りの大好きな子どもがいた。小学3年と4年生の時に受け持ったが、家では釣り道具を驚くほどきれいにそろえていた。彼は3年からサッカーを始めたが、釣りという熱中体験を持っていたせいか、たちまちサッカーにも熱中し、そのうちキャプテンになり、とうとうサッカー名門高校に進学し、そこでもキャプテンになった。

 自分の世界を持っている人は強い。一人になっても困らないし、嫌なものは嫌と言えるようになる。仮に一時的な仲間はずれになっても、熱中することがあると自分を支えてくれるし、いつかはジコチュー人間から友達が離れ、自分の元に戻ってくる。

 そのためにも「みんなと違っているからいい」と子どもをどんどん褒めてあげることが必要だ。親や教師はとかく、みんなよりうまいとか、早いとか、点数が高いことを評価しがちだが、そうではなくて、独創性や個性を褒めることも大切である。

 「人と違うことを考えて、すばらしいね」「独創的でいいね」「誰も思いつかないアイデアだね」「個性的でいいね」など、異質なものを生み出す大切さを評価してあげることだ。

 そして、一人でいる力を身につける上で、一番大事なことがある。それは「自分が親に受け入れられている、愛されている」ことを子どもに実感させることだ。理解と受容と共感によって親の愛を実感している子は人間としての根源的な自信を育み、人への思いやりも持てるようになる。

 重要なことは親が愛情を持っているだけでなく、子どもに「実感させる」ことである。愛のムチは親の言い分であって、子どもから見れば単なるひどい仕打ちに過ぎない場合が多い。

  そのため、親は思いやりを持って子どもを育てる必要がある。ところが、この思いやりを誤解している親が少なくない。

 例えば、朝、学校へ出かける直前になって、子どもが「国語の教科書がない」と騒ぎ出したとき、「自分で前夜にちゃんと用意しておかない方が悪いのだから、ここは懲らしめるために放っておこう」と考える。

 しかし、こうしたやり方は決してよい結果を生まないということにわたしは気付いた。大人の理論では「自業自得だから仕方がない」と思うが、子どもの気持ちは違う。冷たいと思うのだ。

 道を歩いていて子どもがつまずいて転んだとき、「何をぼやっと歩いているんだ」と叱ることは子どもにとって何の役にも立たないし、親子関係に傷を付ける。自業自得理論はそれと同じだ。

 転んだら、まずは助け起こしてあげるのが第一だ。子どもは寄り添って、共感を示してもらうと心を満たすことができる。そういう子が思いやりのある子に育つ。


 自業自得理論で育てると、友達が何かをなくしても一緒に探してあげることができない。「なくした自分が悪いんじゃん」となるからだ。それは思いやりではない。

 一緒に探してあげて、その子の苦しみや悩みを共感できることが思いやりなのだ。まずは受容と共感が第一、しつけや指導はその次だ。

 実は自業自得理論で、子どもの態度や性格が改まるかいうと、必ず失敗すると断言できる。整理整頓が苦手な子が、自業自得で懲りたからしっかりするかといえば、それは無理だ。

 大人だって、自分を簡単には変えられない。分かっちゃいるけど変えられない。ましてや子どもが変えられるわけがない。

 父親はビジネス社会に身を置いているので、自業自得の発想になりやすい。すべては自己責任。信賞必罰が社会の掟だ。だが、これを子どもに当てはめてはいけない。

 実際にあった話だが、整理整頓のできない息子に腹を立て、「ちゃんと片づけられないなら、捨てるぞ!!」と言って、子どもが大事にしていた作りかけのプラモデルを本当に2階から庭に捨ててしまった。

 こうした強硬手段に出ると子どもは無力だ。確かにそれ以降、片づけをするようになった。ところが、それは父親の前だけのことだった。父がいないところでは相変わらず片づけることができなかった。

 その後、彼は父親を嫌うようになり、成人してからは家に寄りつかなくなったそうだ。父親は愛情からそうしたのかもしれないが、結局、整理整頓ができないという欠点を矯正しようと必死にやりすぎて、肝心の親子関係をダメにしてしまった。こうした愛のムチは百害あって一利なしだ。

 人間にはできないことがある。わたしも子ども時代から整理整頓が苦手で、いまだにうまくできない。結局、「三つ子の魂百まで」だ。できないことを無理やり矯正するのではなく、それを受け入れてあげることが思いやりにつながる。許すことができないと、人間関係は最後は崩壊せざる得ない

 子どもがいじめにあったとき、「そんなやつにはやり返してやれ」という父親も多いだろうが、それができないから子どもは苦しんでいる。だから、いじめなのだ。やり返せるぐらいだったら、ケンカであっていじめではない。

 我が子の弱みを受容し、共感で包み込んであげることは母親だけでなく、父親の役目でもある。いまだに「父親は威厳を持ち、子どもに進むべき道を指し示すべきだ」という人もいるようだが、本当の信頼関係のないところで、いくら威厳や強さを示しても、子どもは父親を尊敬しない。

 「巨人の星」の星一徹が父親の理想像などと勘違いしていると、親子関係が危うくなる。「巨人の星」は高度経済成長の時代だから通用した。いまや、「巨人の星」など夜空のどこにも見あたらないし、星一徹はナンセンスな存在だ。

 社会が成熟し、価値観が多様化する中で、親は子どもに道を示すべきではないし、できなくなっている。

 非行歴のある子や親子関係が断絶した子の話を聞くと、「親に何を言ってもダメだから」と言うことが多い。自分の気持ちやできないことを親が受け入れてくれないことから、子どもはストレスをため、親や社会に反発するようになる。

 父親がどしっと構え、子どもを理解し、受け入れてあげれば、子どもはそこで父親の大きさを感じ、それが尊敬の気持ちにつながる。

 そのためには子どもとの会話を豊かにすることが必要だ。母親とはよく話すが、父親とは話さないという子が多いが、それは子どもにとって大きな損失だ。父親から吸収できることが吸収できなくなるからだ。

なぜ、子どもが父親との会話を嫌うかというと、まず説教が多いからだ。何かにつけてすぐ子どもへの説教になる。すると、会話へのモチベーションが下がってしまう。

 もう一つは否定的な話し方をするから。例えば「4年生にもなってまだそんな字を書いているのか。もっとていねいに書かなきゃダメだ」「脱いだ靴はそろえなきゃいけない」など。

 これらの否定的言い方には相手を非難、攻撃する要素が必ず入ってくる。小さな子どもはそれを強く感じ取り、自信を失っていく。ところが、同じことでも肯定的に言うと全く違ってくる。

 「字を丁寧に書くと賢く見えるぞ」「脱いだ靴をそろえると気持ちがいいね」

 毎回、肯定的に言うのが難しいなら、単純な命令形で伝えた方がはるかにいい。

 「字を丁寧に書こう」「脱いだ靴をそろえなさい」

 わたしはある本で、否定的な言い方の弊害を知り、以来、口に出す前に肯定的な言い方に変えて話すように努力してきた。すると、だんだん考え方もプラス思考になってきた。これはわたしの実体験なので、自信を持ってお勧めしたい。

 もう一つ、会話で心がけてほしいのが、子どもを褒めることだ。いつも親に叱られている子は友達も叱るようになる。いつも親に褒められている子は友達も褒めるようになる。その方が当然ながらいい友達関係を作ることができる。

 そして、一番大切なのは子どもの話をじっくりと聞いてあげることだ。話の聞き方は友達力に大いに関わる。

 相手の話を聞かずに自分のことだけしゃべる。聞いている振りをして実は聞いていないので会話にならない。相手の話に反応しない‥‥大人だってこうした人とは話したくなくなる。子どもも同じである。

 まずは親が模範を示して、ちゃんと子どもの話を聞いて、理解し、共感してあげることだ。そうすると、子どももそうした聞き方を身につけることができる。

 父親の方から子どもに話すときには説教やアドバイスではなく、自分の子ども時代や仕事などの話をすると子どもは喜ぶ。特に子ども時代の話は大好きだ。それが会話のモチベーションになる。

 子どもの友達力とは結局、親子関係から発している。親が子どもと豊かな人間関係を作ることこそ、最大の子育てといえよう。









あっこです

長文でしたが読んでいただきありがとうございます

今回これをアップしたのには訳があります

夏休み我が家に午後からほぼ毎日次男の友人がメンバーが違えども誰かしらが遊びに来ていました
私の仕事が午前中だったのでお昼を食べ2時ごろに集合4時過ぎ涼しくなったら
野球のグラウンドに移り5時半〜6時ごろまで遊んでいました

彼らとは別の部屋に居ますが声は時々聞こえてきました

我が子の話だけを鵜呑みにする事はいけないと前々から書いてきています
今回も話すことだけを全面的に信じることはせず・・まぁマスコミ週刊誌の情報ぐらいな
気持ちで耳を傾けておりますwwww

時々女の子も混じる事があり一人吹き出すことも多々ありました
子供とはいえ小6にもなると人間関係って言うものが解ってきているようです

先生の愚痴もありました
友人の愚痴もありました(でも誰かが悪口は止めろ・・言ってました)

「明日俺00と遊ばなきゃいけないんだよなぁ〜きがすすまね〜なぁ」なんて言葉も・・
お前はサラリーマンか?と思わず心の中で突っ込んでみたりしていました

子供なりに子供の世界で人間関係を築いて行っているんですね

そんな時一人の子が夏休みの宿題の歴史新聞(歴史上の人物について書く)のプリントをなくしたと・・誰か持ってない?

でもみんな一枚づつしか配られていないしギリギリだから書き終えている子が多い
その中でもうちの子はまだ四分の一程度しか書いてなかったのでコピーをしてあげることになった

そのまま提出するなよ〜つーか読むなよなぁ〜と次男は何度も念を押していましたよ(笑)
内心このまま出してもバレルだって歴史好きの次男の新聞はマニアック過ぎだからwww
と思っていました

つい親ならプリント失くした〜〜〜っつ!自業自得だ!だらしが無い!と怒るところを
子供達はなんとみんな心が広いんだろうと・・

それは同じ立場だから・・気持ちが解る思いやれると言う事

ドラえもんじゃないけどね「しょうがないなぁ〜のびた君」と言いながらも助けてくれる
それが人間同士の交流だと思う

それを最初に学べるのは家庭なんだよね

なにか失敗をした時奥さんを責めるご主人を責める子供を責める
そんな家庭では相手を責める事しか学べない
相手を許す事受け入れる事そして尊重し相手の立場で考え見下さない事助け手を差し伸べる事
子供はしっかり見ているんだと思うのです


次男が言いました

俺がさ〜宿題やってなくて良かったでしょ〜〜!!


低学年の時は宿題を最初のうちに全て終わらせていた子供達

高学年になってぎりぎりまで残ってても平気になった

それはある意味頭の中である程度予測できるようになったからなのだ
もちろん子供なので失敗もする

思っていたよりも宿題が多かったTOTと言う予測の誤りだ

最初から宿題をやらない・・やる気が無い子は居ない
やらなきゃなまだ大丈夫だ・・もうちょっと良いだろう
そうやってのびのびになっていくのだ
でもそれも成長の証

びくびくして全部先に終わらせるのに必死だった低学年の時よりもある意味賢く
(ずるがしこく)なったと言うわけ

でもそれでやって行かなくても良いということではない

説得し背中を押し励まして慰めて時には手伝って

しょうがないなぁ〜のびた君〜〜ってやっていかなければいけない

それが後に人とふれあいながら思いやれる人間に育っていくように・・
人と協力し合える人間になって行ってもらいたいから



PS・・最近イクメンとか話題になってるが私は父親が母親の仕事を変わる必要はないと思っている

役割分担・・・って言うのはそう言うことだと思う

お風呂に一緒に入るとか父親が出来る事をする
がみがみママが言うのなら父親は優しく
逆に母親が甘ければ父親がちょっと厳しく
そうやってバランスは取れていくんだと思う

夫婦で子供の事で喧嘩する事もあると思う
価値観は同じじゃないから
両祖父母が甘い(孫は可愛いからね)
変えて欲しい・・と相談された事がある

子供に対して全員が同じしつけじゃないといけないから!と言うのがその人の持論だった


私はそれだと子供の逃げ道がなくなっちゃうなと思った

子供は色んな人の価値観で接する方が良いと思うから

ママは駄目だけどパパはOKとかそう言う色んな価値観があると言う事を学んで欲しいと思う

社会に出れば友達はみんな同じじゃない
すぐ怒る子も居るし怒らない子もいる
その中でうまくやっていかなければならないのだから


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