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離島・田舎の医療コミュの雑談トピ

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このコミュニティもすっかり静かになっていますが。
気楽に雑談できるところがあれば、また違うのかな、と思って、作ってみました。

コメント(8)

今、「病院の世紀の理論」(猪飼周平著 有斐閣)という本にはまっています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4641173591/

その第4章で、日本の無医村の歴史について、1930年代から振り返って書かれています。p148になかなか重要な視点が書いてあったので、一部引用してここに載せます。
「現在」の僻地医療が問題になるのは、こういう背景もありますね、確かに。

 20世紀以前においては、近代医学はまだ人びとの病気にあきらかに効く存在ではなかった。このため、医療サービスを受けられなければ生活が成り立たない、といった重大な責任を医療は追わされていなかった。貧しい人びとは医師にかかることができなくても、また医療が届かない山深い地においてでも、比較的平気で生活することができたのである。

 これに対し、今日では、医療サービスは必須の社会インフラとなっており、それが保障されなければ重大な人権に対する侵害であると考えられている。これは逆にいえば、医療が届かない地域においてはもはや住むことができないということであり、今日の僻地医療の困難の1つは、この要求水準の高さと、医療の効率性を達成することの間のジレンマに由来している。
 年末に、初めての八重山諸島へ行ってきました。
 西表島の医療そのほかのいろいろな話を、タクシーの運転手さんなどから聞くことができたので、ここへも書いておきます。

 診療所が東部(大原)と西部の2カ所あるのは、その集落が離れていたから。それぞれをつなぐ道路は本土復帰の5年後、昭和52年にできた。
 それまでは、その二つの集落を行き来するには、いったん石垣に渡って来るか、自前の船で行くか、山を越えていくしかない。山を越えて歩いていくと10時間くらいかかった。離島ではよくある状況。今でも、西部には車で行く道がなくて船で行く集落もある。
 そんな状況だったので、それぞれに診療所があるということらしい。

 現在は、島での看取りはほとんどない。石垣の病院で亡くなることが多いという。
 80歳くらいで病気で死ぬ人が多く、病気になり入院する。石垣に親戚がいることが多いので、入院となると石垣になる。そのまま西表に戻らず亡くなる。
 また、家で死ぬと家族に手間をかけるということで遠慮する人が多い。
 西部診療所の裏には亡くなった後の棺を設置するところがあり、その裏に火葬場がある。火葬場までは家から棺をみんなで担いで運ぶ。
 沖縄の離島では、島で死なないと魂が帰れないからかなり厳しい状況でも退院して島に帰ることがあると聞いたことがあるけれど、西表ではそうでもないようだ。

 出産は3週間前に石垣へ渡る。
 行くように言われるのを拒否していて、急な出産となりヘリコプターを呼んだ人は、島中の顰蹙を買った。「100万円くらい払え」と。ヘリコプターを出すことで費用はかかるし、事前に行くように言われていたのに言うことを聞かなかったからだと。

 診療所の医者が交代すると、診療所の混み具合はあきらかに違う。ある医師の時にはたくさん行くし、ある医師の時には明らかに暇な時もある。
 よく言われるような、離島だったらどんな医者でも逃げられないから、少々の医者でも患者は逃げない、なんてことはない。島のおじいおばあもしっかりしたもので、相手を見ている。
 私が名前を出したからいいように言ったのかもしれないけれど、K先生(マイコ先生と呼んでいた)は人気があったとのことだった。

 看護師もなかなか見つからなくて、代わりの人が見つかったからやめられるとのこと。
 内地の田舎でも看護師がみつからないで苦労することは多い。遠くから通勤してもらってでも確保することがある。離島ではそうも行かないから、定年過ぎてもやめられないという状況もあるのだろう。
 そういえば、Drコトーのモデル、甑島の瀬戸上先生は定年を過ぎても代わりがいなくてやめられていないなぁ。

 以上、行かないと聞けないような話、これまでの思いこみと違う話が聞けて、たいへん参考になった。やはり、八重山は沖縄とは違うのだな。
>八重山は沖縄とは違うのだな。
という言葉がおかしくて思わずコメントしたくなりました。

八重山の離島に保健師で勤めていましたが、
>沖縄の離島では、島で死なないと魂が帰れないからかなり厳しい状況でも退院して島に帰る。。。

この話は初めて耳にしました。
私のいた島では火葬場はないから土葬(風葬?)にしますが、
葬儀屋がないから土葬するのもユタの手配するのも
すべて近所の人たちの手を借りて自分たちで
行ないます。
遺体を安置するために土を掘り、
給食センターにあるような大きな鍋を四つくらい
持ち寄ってトラックいっぱいの牛肉を
牛汁にして行事食を振舞ったりします。

最近ではその大変さを考え、島外で火葬して、
お葬式まで済ませて帰られる方もいます。
こんにちは。

「死に方」「死に場所」
今は大半が、家族のためのやり方なんじゃないかと思います。
本当は自宅に・・と思っていても、遠慮して言えない。(本人が)
地域の目が気になる。
とりあえず病院にいれないと不安。
自己満足、責められない為に医療者を責める。
痛くても辛くても、家族は「がんばれ」といい続ける。「がんばったね、休んでいいんだよ」とは言ってくれない。
救急医療の疲弊。
昔の栄光を取り戻そうと自滅の道を走ろうとする行政。
必要な手はいつまでも差し伸べられない。

いつも「誰かがなんとかしてくれないから」

死に関して、身近に感じ考えれる環境に乏しくなり、子供の教育から外そうとする親が増え続ける限り、この問題はなくならないと思います。
医療は完璧じゃない。
自分の身は自分で守る(予防する)。
最後の時を自分らしく迎えるために、生きていく。
そのために、身近に相談して支えていける地域医療ケアの充実が必要なんだと思います。
コミュニティのあり方なんていっちゃうと、大げさかもしれませんが、そろそろ
「他人まかせ」の生き方からいい加減目をさましてくれないと、みんな疲れて
楽なほうに逃げちゃうし、止められない。

訪問看護の事業所を立ち上げても、患者の思いを通す為には、家族、親戚、包括、役場、地域、どうしてもからんできます。
その場その場の解決、今あるものだけで押し通していると、必ずガタがくる。
後に続くものを考えると、10年20年先をみていく必要がある。


こうやって言葉にするのは簡単なんですよね。
実際動こうとすると、どうしていいやら悩んでしまうし、行政との泥沼合戦を思うと二の足をふんでしまう。
というわけで、ただ今充電中でいろんな人の意見や進行中の医療の取り組みなどを勉強しています。

今住んでいる地域にあったものを作っていけたらなぁ、と思っています。


 福井県名田庄村(現 おおい町に合併)の中村伸一先生の、『寄りそ医』がNHKでドラマ化されます。
 タイトルは『ドロクター』です。
 ドクターならぬドロクターです。その意味は、ドラマの中か『寄りそ医』でご覧ください。

●放送日
NHK BSプレミアム
前篇:2012年9月16日(日)22:00−22:59
後篇:2012年9月23日(日)22:00−22:59

 原案 中村伸一著『寄りそ医ー支えあう住民と医師の物語』(メディアファクトリー)
山梨県 牧丘病院の古屋聡医師が書いた文章です。
へき地医療と、いわゆる「被災地医療支援」について、触れています。このコミュニティに興味のある方にも読んでいただきたいと思い、紹介します。
(以下引用)
「まだ被災地に医療支援に行っているのですか?」

...僕は山梨県の小病院に勤める医師ですが、昨年の3月16日から、ほぼ月2回のペースで現在も気仙沼・南三陸に赴いています。
(初期は月1週間程度、現在は月4-5日間)
表記のような質問を、直接的(これは少ない)、間接的に受けることがあります。
一般の方から見ても、医療関係者からみても、「被災地は復興し自立するもの」という前提がこの質問のもとにあります。

僕は阪神淡路大震災でも山梨県チームのひとりとして医療支援に赴きました。
すでに震災から一ヶ月以上経過していて、医療機関の半分くらいが再開していた状況で、可能な方は外部の医療機関を受診し、その避難所の救護室(小学校の保健室)は、社会的弱者の方がさらなる不利益を被って、さまざまな健康問題(とその他の問題を)訴えて来室されるという感じになってきていました。
避難所に続く仮設住宅での生活、そしてさらにその後の生活の再建につき、「復興の槌音」の影で不安に思ったことを覚えています。(現在、石巻の開成仮診療所に勤める長医師も、阪神淡路大震災での支援で、仮設住宅の健康問題に関わったことが、現在の石巻の活動につながっている、と伺っています)

現在の被災地、僕が具体的によく知るのは気仙沼です。
すでに震災から1年半が経過し、仮設住宅で暮らす人たちはどういう状況でしょうか?

もともとの医療資源の少なさ、ダメージの大きさ、インフラ復旧の遅れ、に加えて、現在の被災者支援(特に社会的弱者)に関わるマンパワーの不足、サービスの不足、なによりそこにかけられる被災自治体の予算不足、により、もともとの社会的弱者が、自然の無作為な暴威により運命を大きく変えられた上、人為的ファクターによりさらなる社会的不利に追い込まれています。
遠隔仮設住宅の医療機関アクセス困難がもっとも目立った問題です。

現在の時期は、震災によって作られた(一時的であるはずの)「社会的不利」が、以前からの恒常的状態にあったように、ひとくくりにされようとしています。

もともとが足りないところ、もともとたいへんなところに、口だけ「自立」というのは「前から不便なんだから、そろそろそのまま我慢しろよ」という、被災地に限らず、日本の一次産業を支え若い人材を供給(地域→都会)してきた日本のさまざまな地域の尊厳をないがしろにした言葉であると思います。

(続く)
(続き)
僕ら以外のひとびとは、日本全体を元気にすることで、東北を元気にし、そうして被災者に、さらには社会的弱者に、その利益や恩恵を還元していけると主張するかもしれません。

しかし、これまでの経済優先・多数優先、つまりは都市優先の施策のかずかずが、現在までの被災地(だけでなく全国へき地)の、社会的不利を増強してきたのでなかったですか?

さらに悪いことには、「復興支援」さえも、その地域較差・社会較差を悪化させる方向に動いていて(復興予算の使い道をみれば明らか)
そのうえ、唯一の被爆国で、原子力に対してあれほど悲しい思いをしてきたのに原発にさえイエスといおうとしています。

医療についてみれば
「必要とされている医療は全国どこにでもある」(それはその通りですが...)
「地域によって事情は違うので、その地域にあったやり方を地域の人が考えて、(医療を)作り上げていくべきだ」(これもその通り)といい、
現在の被災地医療に直接関わっていくことは、むしろよくないことのように、言われるかもしれません。

しかし医療や介護の分野でも、高度化・集約化・専門化が、一見同分野の効率化にむかうといいつつ、その実、医療の経済への過剰適応が、地域格差・(個人の)生活格差、つまりは社会格差の拡大に拍車をかけています。

現在の被災地医療の支援は、もちろん急場の復旧でも、そのあとに続く自立支援のための活動でもありません。すでに、社会的不利をさらに拡大させないための「ふだんの活動」といっていい。

そういう意味で、
・自分の診療している患者さんの社会的不利に配慮していくこと。
・自分の診療している地域の、あるいは都道府県内の医療の不足を助け合うこと。
・被災地はじめへき地のふだんの医療協力をしていくこと。
・世界のなかでも医療の足りないところで活動しようとする団体や機関に協力する、
 また、国による支援を支持すること。

と、すべて同一の視点による活動と思っています。
(ですから「被災地に直接医療支援に行ったかどうか?」はまったく問題になりません)
そして、全国にこの視点で活動する多くの仲間がいて、僕はこの仲間を尊敬しています。

僕は個人として上記のすべての活動に努力しようと思いますし、
「まだ被災地に医療支援に行っているのですか?」という質問をされる人には、余裕があれば上記のように説明しようとしています。
そしてお仲間を増やしたいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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