ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

JCFN聖書通読!コミュの詩篇77篇

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。」(2)

この詩篇は私の友達を思い出させる。

その人はいつも悩んでいて、神様にいつも叫び求めているんだけど、でも、そのたましいは慰めを拒んでいるというか、そんな感じ。

そして、7節とかにあるように、いつも主に拒絶されているかのように感じながら、また愛が与えられていないかのように振る舞い嘆いている。

でも、この「慰めを拒んでいる」のところは、the Messageによると、

"When friends said, "everything will turn out all right," I didn't believe a word they said

っていう風になっていて、多分その人は、神様からの慰めを拒んでいるのではなくて、人からの言葉だけの安っぽい慰めを拒んでいるのかもしれない、と思った。

後、the Messageで面白かったのは、「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」(10)のところ、

"The High God goes out of business just the moment I need him."

ってなっている。はぁ、なるほど。面白い。
そういう気になっちゃうんだね。

で、そんな詩篇の作者がどうやって解決を見出したかと言うと、神が何をしてくださったのか、神がどんなお方であるのか、っていうことにもう一度フォーカスするしかない。

ヨブの時も、結局"why" の答えはなくて、ただ、主の圧倒的な臨在そのものが答えだった。
それと同じように、私たちの究極の答えはは、主を知ることだけ。

私はこの意味が、多分まだ良く分かっていないのだと思う。
でも、このことをもっともっと深く知っていくときに、その人をどうとりなしたらいいのか、友としてなにをしてあげたらよいのか、わかるようになるのかもしれない。

コメント(6)

上沼先生の著作、「苦しみを通して神に近づく」が、この詩篇77篇を通しての学びっていうか、この詩篇の著者と共に苦しみを通して主に近づいていくプロセスをじっくり考察しています。

「叫ぶ」(1)、「嘆き」(3)、「心と語り」(6)、「思いを巡らし」(12)、と、この詩篇の著者の心の状態のprogressionに上沼先生は着目してらっしゃるんだけど、祐子ちゃんのそのお友達はこのプロセスの最初の部分でスタックしてしまっているのかもしれないですね…
「私は主のみわざを思い起こそう。まことに昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。私はあなたのなさった全てのことに思いを巡らし、あなたの実技を静かに考えよう」(11-12)

主の恵みを思いおこせば、自分は今日までずっと守られてきたことがわかる、見捨てられたことも一度もなく、辛い時は支えてくれた。それを日々忘れなければ怖いものは本当はなにもなく、これほど頼もしいものもない。
詩篇77篇
「あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。」(19)

神様って本当に「想定外」の方なんだな、って改めて思った。
だれも、海の中に道があるとは思わない。渇いた陸地に道を探す。しかし、神様はどんなところにでも道を作られる。だから人間には決してわからないのだ。
私たちにできることは、ただ主を信頼し、そして海の中の道を歩いていくこと。
神様、あなたを感謝します。どんなところにも道を開いてくださるあなたにできないことは何一つありません。どうぞあなたが今日も私たちのために道を作ってくださいますように。
不安にさいなまされる時でも、
次に神様が何をなさるのかわからなくて怯えてしまう時でも、
このアサフのように、ゆっくりと思いを巡らせ、
主がなしてくださったことを思い出し、
たとえ主の次のステップは私たちに知らされていなくても、
主が善なるお方であることをただ信頼して、
前進していきたい。
"Then I thought, "To this I will apeeal: the years of the right hand of the Most High." (10)

NIVだと10節は、まったく違う感じになる。
神様の右の手にAppealしたい、と。

実際問題が起きて、神様への態度ってどんどん変わっていく。
はじめはショックで、神様どうして?って言いつつも、慰めを拒むステージ。
そして嘆きつつも、少しずつ心を見つめ、それから神様に思いを寄せ、御心を探り求めていく。...。
最後は、主の偉大さをもう一度見上げて、この主に信頼しよう、と立ち上がっていくステージ。
一つ一つのプロセスに主ご自身が寄り添ってくださるんだな。
嘆きの中でも、試練の中でも、神様にあって道はあるんだな、ともう一度思わされた。
あ、また、神様から見捨てられてしまったように感じたときの詩篇だ。
神様がすごく近くにいるように感じるとき、そして、祈っても祈っても手ごたえがなく、神様が隠れてしまったかのように感じるとき、人はどうして両方を経験するのだろう。
闇を経験しながらも、その中にも自分の感覚を超えたところで、それでも主がいらっしゃるということを告白することが信仰を養い育てるからなんだろうか。本当にああいう経験は二度としたくないなあ、と思うけれど、でもまたきっとこれからも人生の中で何回かそういうところを通らされるんだろうな。そのときに、神様がしてくださったよいわざを忘れず、黙って神様の救いを待ち望む信仰が養い育てられますように。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

JCFN聖書通読! 更新情報

JCFN聖書通読!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング