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JCFN聖書通読!コミュの詩篇7篇

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「主は諸国の民をさばかれる。主よ。私の義と、私にある誠実とにしたがって、私を弁護してください。」(8)

私の義と私にある誠実にしたがって、私を弁護してください。
これすごい。私だったら、
「神様、私は全然義も誠実もないんですが、弁護してください。」って言うに違いない。
ダビデは、心を尽くし、誠実を尽くして生きていた。
だからこそ、主に弁護してください、と言えた。
私はいつもJesusの十字架の上にあぐらをかいて、誠実を尽くしていないような気がする。

神様、ごめんなさい。あなたの前に、誠実に、忠実に歩む者へと変えてください。

コメント(5)

「正しい神は、心と思いを調べられます。」(9)

主の御前には何も隠せるものがない。

人は自分で自分の心を知らないうちに欺くことがある。
だけど神さまは自分でも気づいていないような心の傷や穴も調べて見つけ出し、それを示し、取り扱って下さる。
「私の神、主よ。もし私がこのことをしたのなら、もし私の手に不正があるのなら、もし私が親しい友に悪い仕打ちをしたのなら、また、私に敵対する者から、ゆえなく奪ったのなら、敵に私を追わせ、追いつかせ、私のいのちを地に踏みにじらせてください。私のたましいをちりの中にとどまらせてください。」(3−5)

ダビデのすごいと思うところは、自分で自分の罪の責任を負うところ。ここでもダビデは、私はあなたに従っていますが、私のうちに罪があるなら私を懲らしめてください、と言っている。ダビデほど神を愛し、神に愛される者となるには、この様に自分の過ちの責任を正々堂々ととれるようにならなければいけないと思う。
"God! God! I am running to you for dear life; the chase is wild."(1)

ダビデは神様の御心を歩んでいるのにどうしてこんなに苦労するんだろう、って思ったことはなかったんだろうか。
あくまで主を信頼し、逃げ続けたダビデ。
そして、神様に叫び続けたダビデ。

自分は平和な毎日の生活が少しでも揺るがされると、すぐに文句を言い、「神さまの意地悪!」と叫びたくなってしまうのに。

神様の最善を信じ、しかし自分の心の思いを主に知っていただく。
とても基本。でも、本当にこれをしていきたいな、と思った。
ヨブもそうだったけど、ダビデも自分の潔白を神様の前に訴えることができるような
人生を歩んでいる…
それって、本当にすごい。
もちろん私たちは自分で自分を義とすることはできないけれど、
どこかで神様の恵みの上にあぐらをかいて、「私は罪人だし」って開き直っている部分もあるかもしれない。
パウロは、「私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です」と言った。

実際にやましいところがあって「私は罪人です」っていうのと、やましいところはないにもかかわらず、人間よりもはるかに高い義の基準をもったお方に照らし合わせるならば、というレベルで自分をはかることの間には、大きな差がある気がする…

とはいえ、やっぱり私には、さまざまな見に覚えのある「やましさ」があるのは事実…(泣)

しかし。ダビデだって、実際にやましいことをしてしまった時もあったわけだし。

I will praise the Lord according to His righteousness. (17)

そうだ。私の義がどれほどのものかというのが問題なのではなく、主の義に目を留めることが大切なんだね。
うん。今回詩篇を読んでいくにあたって、ダビデが、罪と悪に対して非常に敏感になり、いつも自分の心にやましいところがないか、悪を行っていないか、チェックしつつ、それでも不当に取り扱われたり、大変な目にあっているときに、「神様、どうぞあなたが私の盾となり、私を守り、私の名誉を回復してください!」と祈っていることに気づかされる。

神様は、罪や悪が私たちと神様の間にあるとき、それをけしてうやむやにされる方ではない。神様の前に自分の悪を捨て去り、御前にでることの出来るものとなれますように。

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