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JCFN聖書通読!コミュのイザヤ書38章

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ヒゼキヤが病にかかり、主に祈って命乞いをし、それが聞かれた箇所。


このヒゼキヤの病気の時期なんだけど、私はてっきりアッシリヤから助け出された後のことだと思ってたんだけど、そうじゃなかったのかな? 6節には、「アッシリヤの王の手から守る」って書いてあるよね。 ちょっと注釈を見たら、いくつか説があるらしい。

もしも、ヒゼキヤが病気ですぐに死んじゃってたら、彼はユダがアッシリヤから助け出されるのを見ないままに死んでいたってこと?
聖書の記述って、必ずしも時系列順に並んでいないから、時々混乱する…


10〜20節にあるヒゼキヤの言葉は、第二列王記には出ていなかったね。
主の主権、権威を認めつつ、だからこそ主に命乞いするヒゼキヤ。

コメント(4)

10〜20節のヒゼキヤの祈りは感動的。
本当にへりくだった祈りだと思う。

「何を私は語れましょう。主が私に語り、主みずから行なわれたのに。私は私のすべての年月、私のたましいの苦しみのために、静かに歩みます。」(15)

主の主権の下にへりくだり、従順に自分の身を主におゆだねするヒゼキヤ。

神の憐れみは彼のこの祈りへの応答だったのだ。
神様の前に、心を注ぎだし、憐れみを願い、神様に信頼すること。

ところで、神様は、どうしてまず、「あなたは死ぬ」と言って、その後、「15年の齢を増し加えよう。」と訂正したんだろうか。

ここら辺、神様の御心を思い計るのはとても難しい。
結局、私たちの祈りは、自分のそのときの正直な思いを神様の前に注ぎだしていくしかなくて、そして、神様はそれを聞いてくださるときもあるし、聞いてくださらないときもあるのだけれど、その祈りの結果すらも、結局そのよしあしは自分にはわからなくて、神様の御手にゆだねるだけの、本当によくわけのわかっていない者のすることに過ぎない。

神様の前に、だからこそ謙って歩むことと、全てを益として下る、という主の言葉を信頼するしかないんだよね。。。
"God says, 'Prepare your affairs and your family. This is it: You're going to die. You're not going to get well.'" (1)

神様がもし自分にこのことばを言われたら自分はどう反応するだろう。
多分、まずdenial、そして感情のupdownの時期をしばらく通って、最後には死ぬことを受け入れるかもしれない。

ヒゼキヤは違った。祈った。もう少し生きることができるように。

これってすごいことかも。
まず、ヒゼキヤにはまだ地上で遣り残した使命があったってこと。
アッシリヤの攻撃の最中、大変な苦労もあっただろうに、彼はまだまだ
自分が王としてやるべきことがあるって思ってたってことだよね。

私だったら、「あー、これでもう肩の荷がおりる〜。」って思っちゃうかも
しれないけど。

後、祈りが神様の御心を覆すことができるっていう信仰、神様との信頼関係
が深かったっていうもすごい。

私ももっともっと祈り神様との関係を深くしていきたいな。
御心が語られるとき、素直に自分の思いを神様に注ぎ出して祈ることが
できるように。

神様と語り合い、向かい合いながら日々歩むことができるように。
何度読んでも、主がヒゼキヤの嘆願によって彼の寿命に15年を加えたということは興味深い。

マッカーサー・スタディ・バイブルによると、この章のヒゼキヤの病は、36,37章のアッシリヤとのやりとり以前のことだとある。

だとすれば、ここで彼の命が助かったからこそ、イスラエルはアッシリアの手から守られた、とも言えるのかな。少なくとも、神様はヒゼキヤの忍耐を通してイスラエルを守られた。

何がどういうふうにつながっていくのか、時間の枠組の中で制限されている私たちにはわからないけれど、神様はすべてご存知。いろいろな状況の中で、神様に素直な私たちの思いを述べつつ、主に全幅の信頼をおいて歩んでいきたい。

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