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JCFN聖書通読!コミュのヨブ記16章

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「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。...その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。」(19, 21)

メシヤ預言?かのようなことば。ヨブは仲介者がいない、と始めは言っていたけれども、今回は、「天に私の証人がいて、とりなしをしてくださる。」と言っている。

ヨブの内に働く聖霊さまがこのことばを言わしめたのだろうか。

コメント(7)

うんうん、私もそう思った!
人の子がその友のために神にとりなしをする、なんて、まさにイエス様のことだよね。

うーん、すごい。
これ以上罪を指摘されても苦しいだけですという裁き主としての神観が、とりなし・弁護してくださる友としての神観に変わったのはどうしてなのかしら?
人格的な神様の愛との出会いということかしら?
(英語の聖書を使っているので英語で失礼します)
“Yet if I speak, my pain is not relieved; and if I refrain, pain is not relieved; and if I refrain, it does not go away."(6)

確かにそうです。口にしたらといって傷は癒されないし、
嫌なことは改善されたりしないよね。
改めて学ばさせていただきました。
「神は私の内臓を容赦なく射抜き、私の胆汁を血に流した。
神は私を打ち破って、破れに破れを加え、勇士のように私に向かって馳せかかる。」(13-14)

ヨブにとって神様の仕打ちは本当に物理的に、容赦なく攻撃する者の手で、ヨブは本当にぼろぼろになってしまっている。
かわいそうなヨブ。

そんな中で、尚、ヨブは天を仰ぎ見、仲介者が自分と神様の間に立ってくださっていることを語る。

あぁ。神様はどんな風にヨブを見ていたんだろう。その痛みをどのように受け取っていたのだろう。
I have heard all this before. What miserable comforters you are! (2)

日本語の聖書では「煩わしい慰め手」。
エリファズたちは、最初はヨブを慰めるためにやってきたのだったけれど、いつの間にか、自分の正しさばかりを主張し、ヨブの痛みには共感を寄せられなくなっていた。
私も、痛んでいる友を前にするとき、miserable comforterになってしまうことがありませんように。
"I've had all I can take of your talk. What a bunch of miserable comforters!" (1)

たしかに、友人たちはもはや本来の目的(ヨブを慰める。)を忘れてしまっている...。あぁ、きっと売り言葉に買い言葉的なところも多くて、友人たちもこんなことを言うつもりじゃなかったのかもしれないけれど。

聖霊の慰めに満ちた言葉を友に話すことができますように。

ヨブの言葉にある、仲介者、イエス・キリストに希望を持ちながら話すことができますように。
「今でも天には、わしの身の潔白を証明するお方がいる。わたしの弁護人は高い所にいる。」(19)

結局人は、神様との間の仲介者、イエス・キリスト以外に望みはない。
自分の弱さを知り、罪を赦してくださる愛なるイエス様に頼ることによってのみ、神様との和解、そして人との和解がもたらされる。

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