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JCFN聖書通読!コミュの申命記16章

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「あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。」(16)

年に3回のお祭りは、主を覚え、感謝し、楽しみ、Celebrateする時。

私たちも年に3回ぐらいはお祭りをするべきかも。まあ、ECを年に3回やるのは無理だけど、そのぐらいの頻度でみんなで集まって主を喜び、賛美してお祝いするのは、きっとよいことなんだろうな。

コメント(10)

申命記に入ってから、「主が御名を住まわせるために選ぶ場所」みたいな表現が何度も出て来てるけど(調べてみたら、申命記12章5節に始まって、26章2節まで15回あった)、この場所って、どこなんだろう? 毎回いろいろ変わるんだろうか。 

えーと、ちょっと今調べてみた。
Various places of worship were chosen after the people ssettled in Canaan, such as Mt. Ebal, Shechem, and Shiloh, which was the center of worship through the period of Judges. The taabernacle, the Lod's dwelling place, was located in Canaan, where the Lord chose to dwell. ... Eventually, the tabernacle was brought to Jerusalem by David.

約束の地に入って定住しても、好き勝手な場所で礼拝するのでなく、ちゃんと神さまが指定した場所で礼拝しなさいよ、ということかな。

私たちが主を礼拝する場所は、神さま御自身が選ばれるということ。(今の私にはズシッと来る。)

12章に戻るけど、8節の「あなたがたは…おのおの自分が正しいと見ることを何でもしている」というのは、荒野をさまよっているうちに、捧げものの捧げ方、礼拝の仕方がだんだん「自分流」になってきて、神様が定めたものからずれてきたことを示しているらしい。

主を礼拝する時、形式に縛られた律法主義的な礼拝でなく、神さまの愛と恵みへの応答として心からの自由な礼拝を捧げたいと思うけれど、それでも礼拝の中心におられるのは神さまであるということ。礼拝のコンスーマーは主であり(レビ9:24)、あくまでも主に対して捧げるもの、主に喜んでいただくもの。私たちの好みや気持ちを満足させるためのものではないのだ。

私の目に正しいと見えるやり方ではなく、あなたのお心にかなったやり方であなたを礼拝できますように…
>まあ、ECを年に3回やるのは無理だけど、

だめ?やっぱり??なんてね。
もうすぐCCがあるね。楽しみだ!!


>あくまでも主に対して捧げるもの、主に喜んでいただくもの。

本当に、神様に喜ばれる礼拝を、心から捧げていきたいですね。感動。
シャローム!

『主はシオンを選び そこに住むことを定められました。
「これは永遠にわたしの憩いの地。 ここに住むことをわたしは定める。」』
(詩篇132編13-14節)

『主』はシオン、即ちエルサレムを「『主』が御名を住まわせるために選ぶ場所」として選ばれていたようです。 実際、ダビデ王がエルサレムを都として、幕屋がエルサレムに運ばれてから、ローマ帝国によって神殿が破壊されるまでは、預言者による特別な『主』からの指示が無い限り、献げ物(特に動物)はエルサレム(の神殿)のみで行われました。

神殿が破壊されて以降今に至るまで、ユダヤ教徒たち動物犠牲を献げないのは、こういう理由によります。 ユダヤ人たちは、かつての神殿跡に、また新たに神殿を建てようと考えています。 もし再建されたら、動物犠牲等の献げ物の儀式が再開されるでしょう。
ですが、かつての神殿後とされる場所にはイスラム教のモスクが建っているので、できないでいます。

しかし、『イェス』という最高の犠牲が既に献げられ、動物犠牲はもう必要ないといことを、彼らが受け入れてくれると良いですね。

キリストの祝福がありますように!
LINNEちゃんがコンピュータを返さなければならなくなり、通読担当ができなくなった、と連絡がありましたので、急遽シモベがまた3日間やります。

「ただ、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ぶその場所で、夕方、日の沈むころ、あなたがエジプトから出た時刻に、過越のいけにえをほふらなければならない。そして、あなたの神、主が選ぶその場所で、それを調理して食べなさい。そして朝、自分の天幕に戻って行きなさい。」(6-7)

過越しの祭りって外で行われたんだね。そして朝まで外にいて、朝になって自分の天幕に帰る。
主が寝ずの番をしてくださったことを記念して、主のために寝ずの番をするのである、って出エジプトに書いてあったけど、今回この箇所を読みながら、「そっかー、過越しの祭りって徹夜してするんだー。」って気がつきました。
繰り返し登場する「主が御名を住まわせるために選ぶ場所」…

今は、それが私たちの心であるとは、なんと感謝なことだろう。
16:9 七週間を数えなければならない。かまを立穂に入れ始める時から、七週間を数え始めなければならない。

聖書版の四十九日(笑)
稲刈り・・・とは違って麦だから・・・季節はいつだ?
その次の日が50日目のペンテコステ。・・・何する日だ?
知らんことばっかりだなぁ。


16:13 あなたの打ち場とあなたの酒ぶねから、取り入れが済んだとき、七日間、仮庵の祭りをしなければならない。

現代風に言うと、「テントのお祭り/仮設住宅のお祭り」かな?(笑)
前者だとキャンプみたいだな。後者だとまた・・・うーん(汗)
"The right! The right! Pursue only what's right! It's the only way you can really live and possess the land that God, your God, is giving you."(20)

強烈な箇所。
正しいことと間違っていることがあまりにもあいまいなこの世の基準に流されている自分を発見するとき、神様の前に正しいこととそうでないことの区別ははっきりとされていることをしっかり握り締めて歩まなければならない。
七週の祭りと 仮庵の祭りの時は、息子 娘 男女の奴隷 レビ人 それに異国人 みなしご やもめも一緒に 喜ぶんだね! いいなあ、こういうの。
何日たったらあれをして、これを食べて、それからまた何日たったらあれをして、これを食べて…
 
なんでそんなに細かいことにこだわるの、神様?って感じだけど、当時のイスラエル人にとって、こうやってしっかり暦を決められ、いつ何をするかが定められていることで、1年を通しての生活の枠組みができ、リズムができるんだろうな。
現代の私たちは、聖書の暦がなくても、会社や学校の暦があるから、否応無しに、生活に規則性がある。こういう枠組みは、窮屈なようでいて、人間の生活にはとても大切なもの。

たとえばアメリカの夏休みは長くて2ヶ月以上あるけど、日曜日に教会に行くというリズムがあればこそ、一週間のけじめがつく。クリスチャンでない人にとって、夏休みって、ただだら〜〜っと長いだけの時なんだろうか。想像するだけでもちょっと嫌だなぁ。

こういった枠組みを、当時のイスラエル人にも与えてくださった神様は、さすが。
「至るところで正義が行わなければなりません。でなければ、神様が下さる国で成功を収めることはできません。」(20)

正義が行われるために、金銭的なものから守られるように、性的な誘惑から守られるように、偶像礼拝を避けるように、貧しい人達に貸すように、祭りを守るように...。すべて、神様が私たちの祝福の為に用意してくださったものをもっと喜べるための規則。

正義が天で行われているように地でも行われますように!
私の内に神様の義が全うされますように!イエス様の流された血潮を感謝します。

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