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JCFN聖書通読!コミュの民数記13章

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「そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」(30)

Why are we doing this? What is the purpose of this trip? Who do you think God is?

この3つのことがはっきりしていたカレブやヨシュアにとって、目に見える問題は単に、解決していくべきものにすぎない。they did not know how, but they knew it's gonna be theirs.

でも、他の10人はそうは思わなかった。

私にも日々色々な葛藤がある。ストレスがある。でも、だから今いる場所から逃げようとは思わない。あきらめない。Beucase I know that the Lord brought me here, and this is what He wants me to do, and I know who God is.

神様、どうぞリスクを負うことを恐れないように助けてください。前に進ませてください。40年の無駄足を踏むことなく、目的の地に向かっていくことができるように、助けてください。

コメント(11)

30節と31節。同じものを見ても、まったく違う反応をしている。

ヨシュアとカレブはイスラエルの民に主が約束してくださったことと、これまでに主がなさってくださったことを念頭において状況を見たが、他の10人は目の前に見えるものだけに気を取られてしまった。いや、目に見えるものには良いものだってあったのに(肥沃な土地とか)、彼らはその中でもネガティブな部分だけに焦点をあててしまった。

私も、状況を見るとき、自分のパースペクティブが何に影響されているのか、よく吟味しないといけない。

Be Thou my Vision, O Lord of my heart;
Naught be all else to me, save that Thou art
Thou my best Thought, by day or by night,
Waking or sleeping, Thy presence my light.

Be Thou my Wisdom, and Thou my true Word;
I ever with Thee and Thou with me, Lord;
Thou my great Father, I Thy true son;
Thou in me dwelling, and I with Thee one.

Be Thou my battle Shield, Sword for the fight;
Be Thou my Dignity, Thou my Delight;
Thou my soul’s Shelter, Thou my high Tower:
Raise Thou me heavenward, O Power of my power.

Riches I heed not, nor man’s empty praise,
Thou mine Inheritance, now and always:
Thou and Thou only, first in my heart,
High King of heaven, my Treasure Thou art.

High King of heaven, my victory won,
May I reach heaven’s joys, O bright heaven’s Sun!
Heart of my own heart, whatever befall,
Still be my Vision, O Ruler of all.
自分の思いや目に見えるものに惑わされるのでなく、
主よ、あなたが私のvisionになってください。
そしてそれに従って歩むことができますように。
神様はなんで12人を遣わされるように仰せになったんだろう。。。 その土地のことを何も知らずに、神様のinstructionに従って戦うことだってできたと思う。 信仰心が試されたのだろうか。

今の情報社会、情報を集めて、分析するのは大切だけれども、情報を集めれば、集める程、不安になることも多々ある。 まるで、その情報が”あなたにはこれは統計的に見て無理!”とでも言っているようで。 状況がどうであれ、どうやっては分からないけれど、神様がいるからできる、という信仰による確信によって歩むことができますように。
>神様はなんで12人を遣わされるように仰せになったんだろう。。。 


私もそう思いました。

>30節と31節。同じものを見ても、まったく違う反応をしている。

敵を知ることは大切と思う。状況をよく調べるのは大切だけど、そして、主にあってどうするのか、ということなのかな。
一房のぶどうを、二人掛かりで棒でかついで運ばないといけないとは、そりゃ確かにでかいわ。どれだけ肥沃な土地であったことか。

なぜ神様は、わざわざ偵察を遣わしたのか…
やっぱり、彼らの信仰を試すためだったのかな?

去年の祈り、今年も更新。
「そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」(30)

問題が小さいときに、信仰のエクササイズをし、神様の恵みを体験しておこう。大きくなった時にも、神様にとっては同じぐらい簡単なことだから。

神様の御心と目的、そして自分がどこから連れ出されたのか、それをきちんと思い巡らそう。
神様は秩序の神様なんだから。
「問題が小さいときに、信仰のエクササイズをし、神様の恵みを体験しておこう。大きくなった時にも、神様にとっては同じぐらい簡単なことだから。」

そうですねぇ。神様にとって、問題の大きさとか、統計上の確立はぜーんぜん関係ないのに、自分の信仰にとってはエクササイズのマシーンの錘の重さが変えられるような感じだったりするかも。偵察に送ったのは、彼らの信仰を試すためもあったし、同じ事実を見ても違う大きさの信仰をエクササイズする人がいるということと、それぞれの結果を体験させるためでもあったのかな。。。
私が偵察に行ったら・・・、どう報告するだろうか?

We seemed like grasshoppers in our eyes, and we looked the same to them.(33)
他の人と比べて 自分はどう見えるか、その人たちに 自分はどう見えるか、つい そういう視点を 持ってしまい、自己卑下することが よくある。
大切なのは、What do I seem like in the LORD's eyes? How do I look to the LORD? かな。
"the descendants of a race of a giants called the Anakim..."(22)
あ、これ、日本語の方には訳出されてなかったね。
Giants=ネフィリムといえば、創世記に出てきたきりだったけど、この時代にまで生息していたのね...。

"We should attack now and take the land; we are strong enough to conquer it." (30)

"No, we are not strong enough to attack them; the people there are more powerful than we are."(31)

自分たちがStrongかどうか、ということは何を基準とするのだろうか。
もちろん、計画や戦略は必要だと思う。

しかし、大前提が60万人を毎日養う神様がバックについている、ということ。
それは、エジプトを脱出させてくださった神様。アマレクとの戦いに勝利してくださった神様。水を岩から出してくださった神様だ。

私たちは何か物事を実行に移すときに、「神様の御心にかなっているかどうか。」をまず吟味しなければならない。そして吟味して、確かに御心でしょう、導かれてきているもの、と思うときは、どんな障害が大きそうに見えても、「神様、どうやってあなたはこの問題を解決してくださいますか?」と聞きつつ、先に進まなければならないんだなあ。

今日も山積みの問題、神様の光に照らされながら、一つ一つ忠実に進んでいくことができますように。



神様がイスラエルの民に与えようとしておられる土地は、強い異邦人が大勢住んでいる肥沃な土地だった…

ちょっと不思議なのは、神様はその土地をイスラエル人に与える土地として選んであったにもかかわらず、イスラエル人のために取り分けてあったのではなく、大勢の先住民が住むにまかせてあったということ。だからイスラエル人は、それを自分のものにするためには、戦わなくてはならなかった。

神様が私たちに与えようとしておられるものでも、外面的にはいかにも「俗」「世」「肉」にまみれているように見えるものがあるかもしれない。でもその中に私たちが入っていって、神様のために勝ち取っていくことが求められているものがあるのかもしれない。

もちろん主によく聞いて、神様が確かにそれを私たちにお与えになろうとしていることを、確信していないとできないけど。
「すぐ攻め上ってカナンを占領しよう。大丈夫、やれば必ずできる。」(30)
カレブの発言は状況ではなく、主を見上げたもの。
主の約束、これまでのプロセス、色々なところを通らされる中で培われた彼の信仰がこの発言をなさしめさせた。
 今まで導いてくださった神様を信頼するならば、与えると言われた土地を与える力を与えてくださるのは当然。だから大丈夫。

私もこの信仰を持ちたい。
状況を見るのではなく、今まで与えられた神様の約束を信じ、祝福を信じ、考えて祈って、そして信仰の決断をしていく者になりたい。

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