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JCFN聖書通読!コミュのレビ記16章

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「アロンは二頭のやぎのためにくじを引き、一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためとする。」(8)

アザゼルってなんだ?

生かされ、荒野に放たれるやぎ。

「アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。」(21−22)

この人間の咎を全部負いながらも、いけにえとして捧げられず荒野に放たれるヤギってここからどうなるんだろうう。

いけにえのヤギとアザゼルのヤギ???

ちょっと混乱。

コメント(11)

思わず笑った。ほんと、アザゼルって、何よ。
…で、まず英語の聖書を見てみたら、何の事はない「scapegoat」と訳されている! スケープゴートって、ここから来てるんだー。 

One animal would be slain to picture substitutionary dealth and the other sent to the wilderness to represent removal of sin. ... This goat pictured the substitutionary bearing and total removal of sin which would later be fully accomplished by Jesus Christ. だって。(John MacArthur Study BIble より)
シャローム!

「アザゼル」について書かせてもらいます。

霊的な正統性を欠くため聖書正典に入らなかった、「典外書」と呼ばれてれる書物が多くあります。 その中に「旧約儀典」と呼ばれるグループがあり、その一つに「エノク書」と呼ばれる書物があります。 「エノク書」の中で、「アザゼル」は堕天使たちの頭として書かれています。 「ルシファー」のような存在ですね。 昔ユダヤ人たちは、「アザゼル」を堕天使たちの頭の名前の一つとして考えていたようです。

「エノク書」では「アザゼル」は捕らえられ、「底なし淵」のような牢獄に閉じ込められていると書かれています。

「一方、自分の領分を守らないで、その住まいを捨ててしまった天子たちを、大いなる裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。」
(ユダの手紙6節)

「アザゼルの山羊」は、これに民に罪を載せて、「アザゼル」のもとに送りこむものだそうです。

なお「アザゼルの山羊」は、「アザゼル」に送り届けるために、野に放たれるだけではなく、断崖まで引いていって、そこから突き落とされたという話もあります。

キリストの祝福がありますように!
ほほぉー。なるほど。
じゃあ、一匹はほふられ、もう一匹は逃げられてラッキー、っていうものじゃないのね。やっぱり二匹ともいけにえなんだ。
それにしても面白いですね。

イエス様の十字架の死についても、

1.サタンへの引渡し説
2.神の怒りへのなだめの供え物説

など色々な説っていうか要素があるじゃないですか。

今回のいけにえとアザゼルはまさにこの2つを現しているんですね。
v.29以下を読んで、なるほどと思った。
神様の贖いの約束や、すべての人に及ぶことが約束されている。

「この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も・・・」

年に一度、大祭司が至聖所にて贖いをするようにとの戒め。
罪から人々が贖われるようにとの戒め。

ここでの戒めが、キリストの贖いがすべてのもののためであることを、物語っているのだな。
今年の復活祭は、このアザセルの山羊からのメッセージだったんだよねー。
去年は「アザゼルって、何よ?」と思っていた私だったけど、今年はその意味がよくわかるようになり、感謝です。

アザゼルのやぎからのメッセージの要約
http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20070407
まず 16章を読んで、やはり「アザゼル」??? 何?? でしたが、
皆さんのコメントを読んで、ふ〜ん なるほど、でした。
コメント 終わり。
今、限定復刊された「キリスト者の標準」を 読んでいます。まだ 読み始めたばかりですが、2章に書かれていることと、この「アザゼル」のやぎは どこか通じているかもしれないと思い、引用します。
前後の文脈なしでは その主張がわかりにくいかも知れませんが・・・。


『私たちは、血が私たちの罪を処理するということを客観的に知りました。主イエスは、私たちの身代わりとして、それらの罪を十字架上で負い、私たちに罪のゆるしと義認と和解とを得させて下さいました。しかし、私たちに内在する罪の原理を神がいかに処理されるかを理解するためには、もう一歩前進して神の御計画の深みに立ち入る必要があります。血は私の罪を洗い落とすことができますが、私の「古い人」を洗い落とすことはできません。そのためには私を磔殺する十字架が必要です。血は罪を処理します。しかし十字架は罪人を処理しなければならないのです。』


血は罪を処理する。
十字架は罪人を処理する。
これが、2匹のやぎなのかな、と思いました。


なお、著者ウォッチマンニーは、もちろん最初に「血」の価値、その価値の大きさを教えています。
1章に、レビ16章に関係ある箇所があったので、そこも引用します。

『旧約の暦において、私たちの複数形の罪に関して大きな意義を持つ日があります。それは贖罪の日です。この日ほど、複数形の罪の問題をはっきり説明するものは、ほかにないでしょう。レビ記16章には、贖罪の日に、罪祭の動物から血が取られ、至聖所に運ばれて、主の御前に七たび注がれると書いてあります。このことをまず心に銘記しておくべきです。その日、罪祭のささげ物は、幕屋の庭で公に献げられました。すべてのものがなんの覆いもなくそこにあり、誰もがそれを見ることができました。しかし神は、大祭司以外の者が、幕屋の中に入ることを禁じました。彼のみが血を持って至聖所に入り、贖罪のため主の御前にそれを注いだのです。なぜでしょうか。それは大祭司が、あがないのわざにおけるイエスの型であったからです。(ヘブル9:11.12)すなわち、大祭司は、型としてのあがないのわざをなしたのです。大祭司以外の者は、至聖所に近寄ることもできませんでした。しかも至聖所で行う行為は、一つしかなかったのです。それは、神に受け入れられ、神の喜びに適う物として血をささげることでした。それは聖所における大祭司と神との取引であり、それによって益をこうむる人たちの見えないところでなされました。主がこのことを要求されたのです。それゆえに、血はまず第一に神のためのものであったのです。』


"It is a Sabbath of all Sabbath. You must fast."

え?こんな箇所あったっけ?と思って日本語訳を見ると、「身をつつしみなさい。」だった。
なるほどー、身を慎むってことは、飲食を断つ、自分を喜ばせる一切のものを断って、すべてを主に捧げる日としなさい、ってことなんだ。
Day of Atonementかあ。

ヨムキッパーは、学校が休みになる日だけど、ほんと、大祭司が年に一度Holy of Holiesに入る日として聖別されなければならないんだね。

キリスト教史においても、たくさんの行事っていうのがあるけれど、ユダヤ教史のように厳粛ではないものが多いかなあ。もしくは、アメリカや日本の文化がもともと厳粛な行事をカジュアルなものにしてしまった、か。

今だったら、Day of Atonementに当たる日はやっぱりGood Fridayかしら。
ヤギを野に放ったりいけにえを捧げたり、は今の私たちにはできないけれど、主の前に厳粛に出る日として、聖別して捧げる日を持つべきだなあ、と思ったのでした。
16:1 Now the Lord spoke to Moses after the death of the two sons of Aaron, when they offered profane fire before the Lord, and died;

アロンの息子2人が主の火で死んだとき、神さまってどんな気持ちだったんだろう。感情の動きは書かれてない。
ご自分の聖を侵害されて怒ってたのかな
ことばを守らなかったアロンの息子たちを悲しみながら殺したのかな

ヤコ  1: 17
「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。」

旧約の神さまも新約の神さまも同じ。
使徒行伝でもアナニヤとサッピラだっけ?聖霊さまに殺されちゃったね。
同じ神さまなんだよなあ。
俺が日々感じてる神さまとは、どうしても一致しないなあ・・・
俺が成長してくれば一致してくるのかな。


16:16 "So he shall make atonement for the Holy Place, because of the uncleanness of the children of Israel, and because of their transgressions, for all their sins; and so he shall do for the tabernacle of meeting which remains among them in the midst of their uncleanness.

ここ、おおっ?と思った。
つまり、イスラエルの民の汚れと罪と咎があるから、
そのただ中に置いてある会見の天幕も聖所も、民の汚れに汚染されてるから
会見の天幕も聖所もきよめる必要があるってこと?
英語の聖書で読むと、Day of Atonementということが、すごくクローズアップされているけれど、日本語の聖書だと、「贖いの日」みたいな書き方はされていないね。
もっとも、英語の聖書でも、本文にDay of Atonementという表現が出てくるわけではなく、そういう見出しがついているんだけど。

リカバリーバイブルの欄外には、The Day of Atonement is a thematic pivot point for the book of Leviticus. For the Israelites who participated in the ceremony with hearts of faith, this solemn day provided assurance that their past sins had been completely dealt with . Today, through the sacrificial work of Christ, we too can find assurance of forgiveness and a right standing before God. We can leave our past failures behind to build a new life govened by obedience to God's program. とあった。ふむ。
「油をそそがれ、その父に代わって祭司として仕えるために任命された祭司が、購いをする。彼は亜麻布の装束、すなわち聖なる装束を着ける。」(32)

という箇所に目がとまった。
7月10日、Day of Atonementの時は、祭司の息子が購いをするの?まずお父さんである祭司が罪のいけにえをささげたり、イスラエルの全集会のために購いをして、その後服を脱いで、そしたら、今度は息子が衣装を着て、至聖所の購いをするのかな?

今まで気がつかなかったなあ。それとも読み方間違ってるかしら。

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