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JCFN聖書通読!コミュのローマ人への手紙 16章

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16章でパウロが挨拶をしている多くの人達、それぞれが、パウロを通して主と出会ったり、パウロをサポートしたり・・・と神と共に歩んだことによって、こうして、聖書に名前が載って、語り継がれることになったのでしょうね。

フェベ(フィベ)、プリスカとアクラ(アキラ)は、よく知られていますが、今回は、断片的な言葉からひとりひとりの人生に想いを馳せました。

私達も、この人達に続く者なのですね。

コメント(4)

自分の欲ではなく、いつも主キリストに仕えるものであれますように。
「私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆうる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでにありますように。アーメン。」(25-27)

素晴らしい終わりの挨拶。とてもローマのクリスチャンにぴったりの内容で神様をほめたたえて終わってるね。

メールの最後にいつもGod blessって書いてるけど、なんとなく「かしこ」とか「さよなら」と同じになってる気がした。

もっと本気で意味のある言葉で終われるといいな。
もちろん相手を祝福して終わりたいけど、神様をほめたたえて終わるのもなかなかクリスチャン風に内容の濃いオシャレかもしれない。
「あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。」(19)

NIVでは I want you to be wise about what is good, and innocent about what is evil.

NKJVでは I want you to be wise in what is good, and simple concerning evil.


この箇所、善にはそれに敏感に気づいて、自らも積極的に善を行ない、悪に対しては鈍感であれ、みたいに思ってたんだけど、そういう解釈でいいのかな。悪に対して鈍感、というのは、誰かに自分の悪口を言われたり、嫌味を言われたりしても、繊細にすぐに傷つくのでなく、どーんと構えてへっちゃらでいれる、みたいな意味で。鈍感に平気で自分も悪いことをするっていうのじゃなくてね。

最近は、繊細で傷つきやすい人が多すぎるって、いうけど、それは一理あるなって思う。善にはさとく、悪にはうとく… 悪に簡単に自分の心の平安や喜びを奪われてしまいたくない。
パウロのもっている交わりの層の厚さってすごかったんだろうね。
いろんな人たちの人生に関わり、教え、戒め、励まし、励まされ...。
旅をしながら、いろんな人たちと交わりを持ち、主にある友情を
築いていったパウロの半生、そんなことをかんがえさせられた。

色々な人がいて、いろんな信仰の形がある。いろんな文化があり、
それぞれの信仰の表現がある。

多くのクリスチャンとの交わりによってパウロ自身もとても柔軟に
なっていったのだと思うし、他の人の信仰を受け入れる者に
なっていったんだろうなあ、と思う。

自分もそういうクリスチャンとして交わりを広げていきたい。

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