ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

JCFN聖書通読!コミュの使徒16章

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」【6-7】

パウロたちがこの二つの地方でみことばを語れなかったのは、別に彼らが整えられていなかった、とか、そういうことではなく、単に神様のみこころは、マケドニア宣教にあった、ということだけなのだ。

道が開かれないとき、がっかりすることなく、神様の導きを祈り続けていこう。主が道を開いてくださるところに進んでいくとき、私たちは従順を学び、神様が素晴らしい恵みを用意してくださるのを知って喜ぶことができるのだから。

コメント(3)

パウロたちは、聖霊によってはっきりと導かれて確信を持って行動している。
先にも、聖霊によって「行くな」と語られたという場面があったけど、実際のところ、たとえば声が聞こえてきたとか、そういうことだったのだろうか? ここでも、聖霊によって禁じられた、とあるけれど、それはどのように語られたのだろう?

現代の私たちと同じように、霊において聖霊の語ることを聞き分けていたのだろうか。多分そうなんだろうなぁと思う。それでも、私なんかだと、「多分こう言われていると思う…」みたいに自信がなかったりするけど、パウロたちははっきりと聞き分けていてすごいなぁと思う。(もちろん、パウロだしね。!?)

私も、神様との関係がもっともっと近くなって、聖霊の語られる言葉をはっきりと聞き分けることができるようになりたい。
「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると...」(25)

これってすごい。
鞭打たれて、背中ズタズタ状態の二人。
傷は痛むし、体は疲労コンパイ状態の二人。

その二人が神様を礼拝してる。神様を賛美してる。

礼拝のスタイルにこだわる教会が多い。
礼拝のスタイルに好き嫌いを言う人が多い。
バンドだと歌えない。オルガンだと賛美できない。
落ち込んでて賛美する気分じゃない。

多くの教会、多くのクリスチャンは礼拝を、そして賛美を勘違いしてるよね。

パウロとシラスは、バンドも心地よい椅子もない、冷たい牢の中で、激痛の中で、明日処刑されるかもしれない状況下で賛美し、礼拝していた。

自分の気持ち主体で神様を礼拝するんじゃなくて、神様の気持ち主体で礼拝できるようになりたいね。
二つ心に留まったこと。

ひとつは、テモテに割礼を受けさせたこと。
エルサレム会議で割礼は必要ないと決まったとはいえ、人々の誤解を避けるために、割礼を受ける、このフレキシビリティと人に仕える思いは非常にすばらしい。福音宣教の為に、「すべてのもののためににすべてのものになる。」というスピリットを感じることが出来る。
自分も、決まりがどーの、ということで言い訳することをせず、人にフレキシブルに仕えていく者になりたいと思わされた。

二つ目は、マケドニヤへの導きのこと。
どうしても道が開かれないときは、柔軟に神様の導かれるところに従うことが本当に必要だと思った。
それは、パウロが罪を犯したからでも、何かやり方が間違っているわけでもない。神様がそちらにパウロを遣わしたい、用いたい、と思っているからそうなるだけのこと。

私も今なかなか開かれようとしない道がある。
神様は何を求めているのか、見極めが必要。そして神様が開いてくださるところに行き、神様が求めておられることをしたいと心から願う。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

JCFN聖書通読! 更新情報

JCFN聖書通読!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング