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ほうじ茶サロンコミュの【個人】個人的なこと(とものすけ)

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「個人的な経験を、どう解釈して、どう活かしていくか」

(コメントにつらつら書いていくということに気づきましたので、本文を分けました)

コメント(6)

「個人的な経験を、どう解釈して、どう活かしていくか」
ここ最近の、僕が生きるテーマです。

個人的な経験とは、自分の行動、自分の発言、人との会話、ネコとの生活、読書、各種鑑賞、自分の心や身体に受けた経験をすべて含みます。

いま僕は、個人的な経験の記録として、考えたこと、思いついたことを、なるべくTwitterに書くようにしています。(アカウントは積極的に公開していないので、知りたい人は直接聞いてください)
日々の自分の行動や出来事から感じたこと、何かを見たり読んだりしたことを書いています。
Twitterでは、日常のちょっとしたことは除いて、ある行動や出来事についてどう思うとか、これのここが共感した、というような書き方はなるべくしないようにしています。これは経験ではなく、あくまで体験だろうと思うからです。
体験の前後での自分の考え方の変化や先入観との差異、また世間的な考え方とつきあわせて、それを自分の経験に昇華でき、自分の言葉になったら、書くようにしています。とはいっても、考えすぎないようにしていて、とても軽く書いています。「話す」に近い感覚、基本的には流れていっておしまい、という使い方をしています。
これはつい最近わかったことですが、経験として書いたことは、流したつもりでも、きっかけがあればいつでも思い出し話すことができるのです。

少し前から、日常のTwitterとは別に、ブログに挑戦したいと思っていました。しかし長い文章を書くのが苦手なのです。苦手な原因は、話を終わらせることができないからだと思っています。
そこで最近始めたのが、Twitterには書きづらい、ブログに書くにはまとまっていないことを書く場所として、手書きのノートを始めました。当初はテーマをつくり書いていくことを考えてましたが、実際はテーマを決めることすらできないことがわかり、ノートを開いたときに思いついたことを書くようになりました。

このように模索しているなか、このコミュニティへの参加は、ある意味すごいきっかけになるのではないかと思っています。

なぜなら、たわいもない話ではありますが、こうやって文章を書けたのだから。
文章を書くにあたって、僕がぶつかっている壁は、考えていることを表現する言葉の少なさです。本当は、表現できる言葉があるのに知らないかもしれないという無力感と、だったら言葉を尽くして説明すればいいのだと開き直ったところで、再び同じ壁にぶつかるということの繰り返しです。

言葉を使い表現をすることにおいて、言葉そのものを問題にしてしまうと、途端に八方塞がりに陥ることに気がつきました。感覚的なことをいうと、美味しい肉を食べるのに、その美味しさを感じる前に、肉自体のことを問題にして考えると、妙な気分になりませんか。

この妙な気分を言葉にも当てはめると、何によって解決できるだろうか。いまのところ、僕には解決できそうにありません。なので、この件は一旦棚上げにして、書いていくことにしました。



自己紹介には専門分野、学問を書いていません。
数学をやっていましたけど、学問をやっていたという感覚は消失してしまいました。

そんな屍のようなサラリーマンですが、サロンの主人に招かれました。
みなさんの血(思考)を吸うことを許されたのだと喜んでおります。

大学は社会にとって、学問をする場を提供する場所であるべきで、
かつてはそうだったかもしれません。
一部の専門的な職業を除いて、将来の就職とは関係なく存在していたと思います。
しかし今は、一般的な企業に就職するため、または、とりあえず行っておく、
というニーズが要請されるようになっています。
極端な貧乏でなければ、なんとか行けてしまうし、
行くのが当たり前と考える人が増えています。
このような社会のニーズに応えなければならなくなったり、
門戸が大きく開かれている大学は、もはや学校のようなものです。

それでも学問の場を提供している学部はあると思います。
そういう学部は、社会から切り離されています。または、切り離させることを許容している。
就職に有利にならない、とか言われるような学部ですね。
数学はどちらかというとこっち側で、数学は他の学問に使われてこそ、
社会にとって意味があるものであるため、社会との直接の関わりは薄い。
実際に、学校や塾の先生、大学院に進学するといったことを考えている人が多かったと思います。
しかし、数学は論理的だから論理的な思考ができるはず、
という評価を敢えてすることで、ときに数学が社会に顔を出すことがあります。

そもそも、学問ってなんでしょうか。
大辞林によると、
【学問】がくもん (名)スル ?一定の原理によって説明し体系化した知識と,理論的に構成された研究方法などの全体をいう語。「━に志す」 ?勉強をすること。知識を得るために学ぶこと。また,それによって得た知識。「━のある人」〔中世・近世には「学文」とも書かれた〕

いろいろ重要そうな装飾がついていますが、要するに「知識」ということだと言っています。

僕の学問へのスタンスをあえて書くならば、どんな学問でも、
必要になったら自分から近づいて、受け入れて、引き受けて、
自分なりに使って、経験にしていくよ、 こんな感じです。

ところで、この学問については、トピックになるでしょうか?
現役で学問している人、現役に近い人に考えてもらうのも面白そうです。
お邪魔します。


学問についてのトピック、とても面白いと思います。ぜひ、立てていただければと。

自己紹介のテンプレートに「得意な学問分野」という項目を入れるかどうかは、じつはすこし悩みました。分野、というふうに、学問をすっぱりと切り分けてしまっていいのかなあと思ったからです。学問とは、なんぞや?という気持ちも、確かにちょっと引っかかっていましたし。
ただ、こうも思いまして。感覚的な言いかたですが、人にはそれぞれ、世界をはじめて見た窓、と言うべきものがあると思うのです。たとえば私の場合、それは哲学でした。そしてもっといろんな窓から世界をみたくって、いま、いろいろと手を出しています。でもやはり、最初の窓から見える景色がいちばん印象深く、そして世界の理解の根本となっている気がします。無意識かも、わかりませんが。
やはり、積極的に触れている学問分野というのは、その人の論理の根底に脈々と流れていると思うのです。分野、と言うのがよくないならば、畑とでも言っておきましょうか。
そういうわけで、悩みましたが「得意な学問分野」という項目を入れてみました。まあなんだかんだ言っても、それぞれの馴染みある分野をある程度知っていたら、おしゃべりしていくうえで楽しいんじゃないかなーっていう気持ちがいちばん強い気もしますが。

rounded profession「丸みを帯びた専門性」という考えかたが、すごく好きで。
ひとつだけのことを極めていたら、針みたいにほんの一点しか見えなくなってしまうから。
バランスよく、まあるく世界を開くのが、大事なんじゃないかなって思います。
そういう意味でも、ほうじ茶サロンは意義のあるこころみなんじゃないかとひそかに自負しております。
>なつきさん

コメントありがとうございます!

そうです、分野はすっぱり切り分けられないんです。
無理に切り分けるから、俺は知らないから、などということになり、その先に繋がらないんですよね。
これは文系、理系の切り分けにも通じると思います。

世界をはじめて見た窓が哲学というのは、とても良かったのではないでしょうか。
なつきさんは世界を理解したくて、哲学に引き寄せられたのかなと、勝手に想像しています。

ほうじ茶、という言葉から感じたのは、やさしい印象でした。きびしさも、やさしさのうちですね。
さらに「丸みを帯びた専門性」という考え方から、僕を誘って頂けたのも、なんとなく分かりました。
思考が丸っぽいですもんね(話せば、たぶん)
僕自身、柔らかい丸さを持つことを理想としています。


学問トピックは、具体的な問いを考えて、立てます!
モヤモヤした数日間。

実は、同じことで何年もモヤモヤできてしまうのだけれど、
今は、それをできるだけ濃縮しようと、努力している。

モヤモヤしながら乗り超えた経験は、濃縮させてこそ活きるのだ。

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