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ご質問歓迎! ぬえの能楽通信コミュのご質問はこちらっ!ここが分からん、ここじゃ分からん

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「ご質問歓迎」と言っておきながら「質問トピック」がありませんでした。開設して1年も経って何をいまさら。。という感じですが、ご質問はこちらでまとめて頂けるとありがたいです。どうぞよろしくお願い申し上げます〜 m(__)m

コメント(98)

迦陵頻伽さん はじめまして〜

謡と舞のお稽古のご相談ですね?
なるほどグループの稽古ですと、同じ進度の方同士でわからないところを教え合ったり、励まし合ったりすることができるから、お稽古も楽しいと思いますし、ぬえ自身もカルチャースクールでグループ稽古をしていますが、これは楽しいですね。

が、ぬえにとってグループ稽古の一番のメリットは、楽典を教えることができること。能の謡の音階理論はかなり高度なので説明するのは大変で、これは正直なところ一対一の個人稽古で生徒さん一人ひとりに説明するのは不可能です。この点カルチャースクールなどでは ぬえ、ホワイトボードを駆使してグループで教えるのです。やっぱり。。み〜んな「??????」となりますけれども、そこはそれ、空き時間に生徒さん同士で話し合ったり研究したりされて、なんとかついてきてくれているようです。

反面、グループ稽古というのはデメリットもあります。自信がなくて小さな声で謡っていると、大きな声の人の陰に隠れてしまって、その場では稽古は進んでも、じつは自分自身の進歩とは必ずしも一致していない場合もあります。先生としては声を出してくれなければ直しようもないですから。。

また、グループ稽古ばかりに慣れてしまうと、一人では謡えなくなる、ということもあります。ご自分では自力で謡っておられるおつもりなのが、じつは勘の良い生徒さんに合わせて謡っているだけになってしまったり。。グループ稽古では先生も全体の進度に注意しますので、その中で遅れが出た場合に、必ずしも対処しきれない、ということもあります。すると欠席もしにくいし、欠席した場合はその次の稽古がチンプンカンプンという場合さえあるかも。

グループ稽古であれば、その中でご自分の進度を客観的に捉えられるように工夫されるもの必要かもしれません。やはり先生と一対一で習う。。ということは個人として欠点を指摘されてこそ初めて自分の上達につながるのも事実ですね。

さてお薦めの講座ですが、いまはカルチャースクールの謡曲教室も盛んにありますので、通いやすい場所・期日の教室を探してごらんになったらいかがでしょうか。

通いやすいのが一番!
東京・千葉・北関東方面なら ぬえも教えてあげますよ〜んσ(^◇^;)
> ぬえさん

ご無沙汰しておりました。トピックで返信頂いてから、日常の忙しさを理由に能楽を習いたいモチベーションが下がっておりました。
お礼が大変遅れて、恐縮です。丁寧なレスポンスありがとうございますm(__)m

都内在住ですぬえ先生は具体的にどちらで、お稽古なさっていらっしゃいますか?
迦陵頻伽さんこんばんわ〜

お稽古始められるのは大変結構ですね〜!
ぬえの稽古は。。昼間が中心ですのでお仕事のある方にはあまり便利ではないかも。。

以下の ぬえのサイトをご参考くださいまし〜

http://homepage3.nifty.com/nue-nohgaku/hakujukai.htm

爆笑・納得のお稽古にぜひともお誘いしたい!
迦陵頻伽さんと同じ質問になっちゃいますが・・・。
(♪ かりょうびんがの〜なあれなあれし〜〜って羽衣になかったっけ?)
一度、お休みしていたのですが、謡のお稽古を復活させたいんですよね〜。
一応、2年半習っていてお休みしているので、まったくの初級ではない
んですが、仕事もしていますし、平日は無理〜
とっても習いたいプロの方にこの間、お会いして、直接コンタクトを
取るのって、無礼かしら〜と迷っています。
できれば、一生続けて生きたいので、お素人の方じゃなくてと贅沢な
ことも考えているのですが〜
ぬえさま、やっぱり無礼者でしょうか?
かおたんさん、どもです〜

迦陵頻伽の馴れ馴れし〜はご指摘の通り『羽衣』ですね。
それから『吉野天人』にも「迦陵頻伽の声ばかり」と出てきたり、能の中には時々現れます。「迦陵頻伽」は声の美しさが仏の声の形容とされたりする想像上の鳥で、鳳凰のようにとっても美しい鳥を想像してしまいますが、頭は人なんですよね〜。でも美人の顔らしいです。

さてお稽古を始められたい由、大変結構ですね。
「とっても習いたいプロの方に… …直接コンタクトを取るのって、無礼かしら〜」

能楽師はお稽古の指導も仕事のうちだから、連絡先をご存じであるならば直接連絡を取られるのは問題ないと思います。連絡先をご存じでなければ、その能楽師が所属する会に連絡を取って、取り次ぎをお願いするのがよろしいのではないでしょうか。

謡曲は本当に素晴らしい詩の世界ですよね〜
かおたんさんが末永くお稽古を進められ、上達される事をお祈りしております〜
はい、ぬえさま。
連絡をしてみようと思います。
一度、お稽古を見学させていただこうかな〜とも・・・。
この間のワークショップの主催団体に伺うってのも
手ですかね?
お久しぶりです^^
いつも詳しくて判り安い答え、まことにありがとうございます。
今回もご質問ですが、石川五右衛門が出てくるお能はあります?^^;;
ふぁんさん、どもです〜

石川五右衛門ですか〜、能には出てこないですね〜。
というか、能の台本の多くは室町時代に書かれたもので、石川五右衛門は桃山時代の人ですから…

とはいえ、少数ながら江戸期の前半までは新作も作られていたので、少し調査してみました…結果は、すくなくとも曲名からはそれらしい人物が登場しそうな曲は見あたりませんでした…

まあ、もっと精緻に探せば見つかるかも、です。なんせ新作の中には桃山期にも太閤能というのがありましたし、ずっと後世の明治期には「朝日新聞」なんて新作まであるんです。これはなんと後シテが飛行機! はっきり言って新作能は「なんでもアリ」という風潮が、古来からあるように思います。その中で自然に淘汰されて現行曲となるのでしょう。

でもまた、石川五右衛門が義賊とされるようになったのは近世の歌舞伎などでそう描かれたからであって、その影響下であっても体制側から見れば釜ゆでに値する宿敵だったわけです。能は近世には完全に武士階級のものであったので、そういう立場から能が作られるかなあ? という疑問はありますね。歌舞伎以前に至っては義賊だったかどうかも疑わしいわけで、もし彼が万民の敵であったら、舞台化されるはずもない、とも思います。

そのうち新作能「ルパン三世」でも作られれば五右衛門さんも登場するかも…(意外に可能性は高い??)
^^
お答えまことにありがとうございます。^^
調査までして下さって、申し訳ございません。

やはり能は近世には武士のものだったんですか?
浮世草子に引用されたりしてたの見たことあるんで、
町人のものでもあるのかなと思いました。

また「朝日新聞」という曲があるんですか?面白そうですね。
「ルパン三世」ができたら必ず見に行きます。^^

いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。^^



初めまして!ぬえ先生。
いつもブログを楽しく拝見させていただいております。

笛のお稽古をしていて気になったのが盤渉楽です。
質問させていただきます。

盤渉楽は(楽の変化形でありながらも)舞事の一つの種類として成立していると思うのですが、どうして小書きが付いた場合にしか用いられないのでしょうか?

ほかの一般的な舞事と比べると、圧倒的に汎用性が低い気がします。

確かに獅子も使用曲は少ないですし、揉、鈴の段も三番三だけですが、盤渉楽が楽の曲に小書きが付いた場合にしか演奏されないというのが不思議です。

大陸系舞楽を取り入れた、もしくは模したことと、なにか関係あるのでしょうか?
おとどさん 初めまして〜(^^)V
ご質問ありがとうございます! お返事が遅くなりまして申し訳ありません〜m(__)m

お笛のお稽古をされておられるんですか! しかも盤渉楽のご質問とは熟練の達人と見た!(`´)

たしかに盤渉楽は小書がついた時にしか演奏されませんね。その理由となると、決定的な証拠はない(現在のところ、ぬえが知る限り、ですが…)ので推測の域を出ないのですが…

盤渉楽はとっても浮きやかで面白く、非常に複雑な構成を持っている舞です。これを作曲した先人は偉大だなあと思いますが、であるからこそ黄鐘楽よりも遅れて、それをベースとして後世に作曲されたのではないか、という印象を ぬえは持っています。盤渉楽が小書の時にしか用いられないのは、能の演出効果を増すために、本来の舞である黄鐘楽の「替エ」として別に用意されたものではないか、というのが ぬえの考えです。

これだけではちょっとお答えとして簡単過ぎるので、もう少し盤渉楽について考えてみますと…

まず盤渉楽が演奏される曲を考えてみると、『天鼓』(弄鼓之舞、盤渉…)『菊慈童』(遊舞之楽)『邯鄲』(藁屋…)『唐船』(盤渉)『富士太鼓』(現之楽)『梅枝』(越天楽)…ぐらいですか。あまり多くはないですね。黄鐘の「楽」を演奏する曲目の多さから考えても、かなり考え込まれた選曲であるとも言えますが、脇能のシテが舞う楽は盤渉にしないことも大きな要因ではないかと思います(幕末に作られた小書らしい『竹生島・女体』は例外)。

盤渉という調子は大陸から伝わった音楽の律のひとつで、日本で独自に発展を遂げたようです。これらの律は古来陰陽説によって五行に配当されて、能で通常用いる「黄鐘調」は火・夏・南・朱を表すそうです。これに比して「盤渉調」は水・冬・北・玄(黒)を表す…と。能ではわずかにこの二つの律を用いるだけで、ほかにはわずかに小書として「双調」「平調」が出てくるだけですね。黄鐘と盤渉は単に調性が異なるだけではなくて、陰陽説によれば火と水のようにまったく相容れない性質をもつ律で、まさにこの二つを用いれば「陰陽」の差を直感的に体現できて重宝だったのでしょう。能はコンサートではありませんから、いくつもの調性を持った曲を次々に演奏できるわけではありませんから…

こうなると黄鐘・盤渉の調性を舞台に持ち込むのには、その能の曲趣が陰陽説に鑑みて妥当かどうか、という判断が、当然作者(または編曲者)によってなされたと思うのですが、とは言え、ぬえはそれが根本的に盤渉楽をその曲に持ち込んだ決定的な理由とは言えない、という点も見逃してはならないと思います。

良く言われるのは『天鼓』『菊慈童』『唐船』などに盤渉楽が用いられるのは、これらの曲が共に水にちなんだ曲だから、という説があるのですが、『邯鄲』は水に関係がありません。これを説明する理由として邯鄲という地方が雨が多い土地だから、と言われるわけですが、どう見てもこれは理由としては苦しいでしょう。それならば『三笑』の方がよっぽど水に縁があるように思えますし… (^_^;

むしろこれら盤渉楽を舞う能に共通する点と言えば「遊興性」みたいなものではないでしょうか。浮きやかな喜びを最大限に表現する舞として盤渉楽は優れていますし、その気分は閑寂な雰囲気も併せ持つ『三笑』とはちょっと違う気がするし、むしろ『邯鄲』に似つかわしいと言えると思います。
考えてみれば「楽」という舞そのものが「祝言性」に満ちていますよね。大概の曲で「楽」が始まる直前の地謡の文句が「ありがたや」「面白や」であることも、「楽」という舞の性質を表していると思います。それでも脇能に「盤渉楽」が用いられないのは、前述の陰陽説で「盤渉調」が冬や北を表す律で、そのような不吉な舞が神性を重んじる脇能にふさわしくないと考えられたからだと思われます。

一方、音楽的には高い調子である方が溌剌と聞こえ緊張感も増すそうで、クラシックでもコンサートピッチと言ってコンサートでは少しチューニングを上げるのだそうですが、東洋の…わけても日本の音楽はそこに陰陽説のような精神性を導入しているために、なお複雑。「盤渉調」の舞はピッチを高く取った上に技巧も凝らされて「遊興」の気分を表しながら、同時に陰陽説の「非祝言性」との矛盾を常にはらんでいて、それに葛藤しつつ、なんとか乗り越える理論を構築して…というか折り合いをつけて台本が作られているのではないかと思います。長くなるので割愛しますが、これは「楽」に限らず「早舞」や「盤渉序之舞」にも大なり小なり影響している問題でしょう。追善能で頻繁に上演される『海士』や『融』が盤渉調の舞である「早舞」を舞うこと、それから『富士太鼓』『梅枝』だけに見られる「祝言性」のない楽の意味など、考えなければならない問題はたくさんあると思います。

ところで ぬえは以前から考えているのですが、「楽」というのは他にこれに代用して奏できる舞が他にないように思うのです。唐土が舞台であったり、唐人や渡来人、そして伶人が舞う舞であったり。こういうシチュエーションで舞われる舞は「楽」以外にはちょっと代用は利かない感じです。そうして、黄鐘楽は神楽と並んで笛の譜が厳密であるために呂中干の舞と比べて編曲がしづらかったのではないですかね。常の『邯鄲』や『菊慈童』の「遊舞之楽」や『富士太鼓』の「現之楽」を見ても、通常の譜と大きく異なるのは三段目の「吹き返し」だけであって、それがこれらの曲の共通する特徴である事を見ても、「楽」という舞がバリエーションを作るのが難しい譜であることを物語っているように思います。

そのため小書という形で新演出が導入された場合など、黄鐘楽の全体の構成をそっくり編曲して組み替えた盤渉楽のような舞…常の黄鐘楽と基本線は変わらないけれども、効果だけが変わるような舞を導入する事が現実的な選択だったのかも知れません。盤渉楽は相当に黄鐘楽に熟練した囃子方によって、より高度に洗練された、新しい楽として誕生したのではないかなあ、というのが ぬえの、これは憶測にしか過ぎませんけれども…

さて神が登場する脇能には導入されなかった盤渉楽は、四番目に属する曲では「遊興」の気分をさらに盛り上げる演出として歓迎されたでしょう。そういう、舞台芸術としての実演上の必要性や欲求による工夫によって盤渉楽は生まれた、と ぬえは推測するのですが、また一方 精神性を重んじる伝統のためにその理論的な意味合いや整合性も問われる… こういうところ、日本文化のひとつの特徴をよく表しているような気がします。

ちなみに舞楽を模した、と言われる「楽」ですが、舞の型も囃子の譜もまったく舞楽との関連性はなく、能役者によって独自に作り上げられた舞です。そしてまた、能の舞の盤渉調も黄鐘調も、雅楽で用いられる調性とは実際には無関係で、笛の指穴をおさえる指の二つのパターンを、そう呼んでいるに過ぎないのだそうです。

これはすなわち、能の実演上の技法とその精神性とは、当初から根元的な部分まで厳密に摺り合わされて作り上げられたものとは考えにくい事にもなります。二つの間には時代的な差異がある…まず実演が先にあって、それから能の上演そのものの精神的な拠り所としての理論が追加された、と考えるのがやはり自然だとは思いますが、これもまた推測の域を出るものではないですね…でもまた、実演上の必要や、より高度な完成度に対する欲求という、舞台人であれば当然追求するべきものが、やはり昔の能役者にもあったんだなあ、と思うと、世阿弥よりずっと以前の、原初の能の姿も垣間見えたり。なんだかロマンを感じてしまう ぬえなのでありました。

え〜…脱線もいいところですが… とりあえずお答えの代わりとさせて頂きます〜 ごめんなさ〜い ; 。;
はい、学生時代を京都市内で過ごし、能楽部に在籍しておりました。
同時に能管を森田流の先生に習い、以来12年になります。
謡と舞は部活の4年間だけでしたが、笛はキャリアだけは長くなってまいりました…(>_<)
そして最近、太鼓(金春流)も習い始めた次第です。

さすが、ぬえ先生はお囃子にも造詣が深いですねえ。
鋭いご考察、ありがとうございます!

能も(そのほかの古典芸能も)当時の人たちには新鮮な舞台芸術だったんでしょうね。
そして、いろんな文化を吸収して発展し、現在の形にいたったということが垣間見えた気がしました。

また疑問があれば、ご質問させていただきます〜(*^_^*)
ぬえさん、
はじめまして。
東京在住の能楽師でいらっしゃるので、教えていただきたいのです。
演能の後の拍手のことです。
もしかすると、これまで同じことを尋ねた方がいらっしゃるかもしれませんが、よろしくお願いします。

国立能楽堂でお能を見たのですが、終わってシテが退場するとき、誰も拍手しなくて、ワキ、地謡と退場し、お囃子の最後の方が幕に入ってからようやく一瞬拍手が起こって、それで終わりでした。

能の前の狂言も、やはり最後にシテが幕をくぐる時にようやく拍手がありました。

わたしは最近関西から来たのですが、東京ではこれがマナーなのですか?前からずっとそうですか?

関西では、シテが三の松まで来たら拍手が起こります。

能のシテは好きな方だったので、退場されるときに盛大に拍手したかったです。

本来、能は神様に奉納するものなので、昔は拍手しなかったという話を聞いたことがあります。また、奈良の興福寺の薪御能は昔の形式にのっとって拍手なしらしいです。それと関係あるのでしょうか?

ひろこさん はじめまして〜。せっかくご質問頂いたのにお返事できなくて申し訳ありませ〜ん (・_・、) お返事が遅れた理由は、最近ちょっと、ご質問された問題について考えるところがあったためです。最後まで読んでね〜(^^)V

能の拍手のタイミング…毎度問題になるテーマですよね〜。

結論から言わせて頂ければ、これは正解のない問いだと思います。演者の側からコントロールするものでもないと思うし(特別な演目の場合 演者が番組に記載してお客さまにお願いすることはある)、お客さまの方でも寄り集まって取り決める事柄でもないでしょうし…。自然に変化していくものだと思いますし、流行り…みたいなものもあるのかも。言葉が時代につれて変化していく様子とちょっと似ているようにも感じたりします。

ぬえもかつては ひろこさんが関西でご覧になったように、シテが三之松にかかったあたりで拍手をするのが基本だと思っていましたし、現に実際の舞台でもその通りだったように思います。

いつの頃からかなあ、静寂の空気の中で終わる曲…たとえば『定家』とか『大原御幸』『野宮』…といった、要するに重厚な三番目物の能では、拍手をしないことが主調となってきたように思います。曲が残す「余韻」を楽しむため、という理由づけがどこかでなされ(なにか書籍で読んだ記憶があります)、ぬえは、これはこれで鑑賞の深化と捉えることもできるのではかいかと思います。

ぬえが印象的だったのは、もう10年も以前の事になるでしょうか。あるお舞台を見所で拝見していた時のこと。それは重い三番目物の曲で、流儀を代表する演者がシテであったため、そのお舞台は、ある種ものすごい静寂感(←矛盾?(^_^;) に包まれて終わりました。幕に向かって静かに橋掛リに歩みを進めるシテ。そうして三之松にかかるかどうか、というところで、一人のお客さまが盛大に拍手を始めたのです。

…当時、そういうお客さまが たしかにありました。「シテが三之松に掛かったら拍手」という「定法」に囚われて、真っ先に拍手をすることに情熱を傾ける…これはこれでまた、非難されることでもないとは思いますが、その日、その瞬間…

能楽堂全体に「…む。。」という、明らかに不愉快な気分があふれました。。ぬえの隣りのお席のお客さまは、その拍手を聞いて「…チッ!」と舌打ちをされました。もちろん誰もその拍手に同調しなかったし、ぬえも不思議な気分ではありましたが、「…そうだろうなあ」と、この舞台には拍手はいらないという見所の気分に共感はしました。

が、一方、ぬえは最近の舞台ではこれが少々過剰になってきたような気もしますね。

どちらかと言えば ぬえは、拍手が欲しい演者です。(^◇^;) まあ、ぬえの立場やキャリアでは、なかなか重厚な三番目物の能を勤める機会も少ないですが、能を大過なく勤めて橋掛リを引くとき…パラパラ。。という感じの拍手を受けると「あれ…?」と思います。シテを勤めるとき ぬえは、かなり準備に時間を費やしますし、非力ながらできるだけ工夫や計算も盛り込むように考え抜いて舞台に臨んでいるつもりなので、それで大体思った通りに舞台が進行した場合、さて曲が終わって橋掛リを歩んで幕に入るときに拍手が頂けないと、なにか自分で気がつかないミスがあったのか、はたまた自分の工夫が自己満足だけで終わっていて、お客さまの鼻についたのか…なんて、一挙に不安になるんです。

世阿弥は「離見の見」と記しましたが、なかなか演者は客観的に自分の芸を見ることはできません。ましてや ぬえのような未熟者には到底 到達できない境地で、そのために自分を見失わないように、常に自分の芸について客観的な評価を下してくださる声には敏感に反応してしまう…ぬえにとっては拍手はそのバロメーターのひとつなんですよね。誉められた態度じゃないかもしれませんが…

さてここで、お返事が遅くなった理由についてなんですが、最近 ぬえが拍手について知ったことで、かなり衝撃を受けた事柄がありまして。このことを ぬえのブログでいつご紹介しようかな〜、と考えていたところでした。ひろこさんのご質問はまさにタイムリーにこの話題に突っ込んで来られたので、いろいろ考えてしまったのです。

…というのも、ぬえはこの数年来、東海地方在住の研究者と一緒に、師家に残された古い音源や映像資料をデジタル化する作業を手伝っておりまして。これまでもSP盤とか16mmフィルムのデジタル化作業を、現在も継続してお手伝いさせて頂いております。

そうして最近は師家所蔵のオープンリールテープをデジタル化したのですが…
オープンリールテープは、能楽師が自分が記録したいと思う舞台や稽古を、録音し、また自由に再生できるという画期的な手段をはじめて獲得した機器でありまして、商品化された当初から、能楽師はこの高額な機器に飛びついたようです。自分の芸を客観的に見聞きする…「離見」に簡単に近づくことができるかもしれない画期的な大発明だったのです。

これらのテープのほとんどは公演当日の録音ではなく、申合の舞の部分ばかり…ようするに囃子方をお呼びしないで自習稽古をするために録音されたものばかりでしたが、その中でいくつか公演当日の録音がありまして、これに録音されていたお客さまの拍手が… ぬえには衝撃的でした。

すなわち、これらの録音では能を舞い納めたシテが橋掛リに赴くタイミングで拍手が起きるか…どころではなかったのです。

なんとこれらの演能の録音では、シテが舞台で能の終わりの「締め」として踏む足拍子…「トメ拍子」を踏むやいなや、盛大な拍手が起きています。わかります? たとえば『羽衣』であれば、トメに地謡が「霞に紛れて〜、失せに〜け〜…パチパチパチ〜!」ってな具合。(^_^;) ぬえにとってこれは衝撃的でしたが、また一方、お客さまからの演者に対する愛情が伝わって参りました。

この録音は昭和30年代あたりのものでしたが、当時のお客さまは能を楽しんでご覧になっておられる…鑑賞する、というよりは、まさしく「お芝居を楽しんでいる」というノリを感じました。この、昔の能の録音のデジタル化については ぬえのブログで折々にご紹介させて頂いておりますのですが、この拍手のことはまだ書いておりません。なかなか時間が取れなくて… そこでブログに書くより先に ひろこさんから拍手についてミクシイでご質問を頂いてしまったので、ブログとミクシイのどちらに先に書こうか…と考えてしまった、というのがお返事が遅れた理由のひとつなんです。ゴメンなさいね〜

さて ひろこさんは「本来、能は神様に奉納するものなので、昔は拍手しなかったという話を聞いたことがあります。」とお書きになっておられます。ぬえもそういう話を聞いたことはありますが、ぬえはあまり賛同しない考え方です。

…というのも、能は古来神事で演じられたものではありますが、神事そのものではなくて、その「もどき」だと思うのですよね。「もどき」というと「まがいもの」「ニセ物」という語感がありますが、これはそういう意味ではなくて、「斎」(いみ)としての神事から平常の生活に戻るための「直会」(なおらい)のようなものではなかったかと思うのです。日本には伝統的にこういう文化が深くありますよね。

能に関して言えば、ほかの曲とあきらかに異質な『翁』が「斎」であって、その後に演じる定めのほかの曲が「直会」に当たるでしょうし、能と狂言の関係もそれに近いものがあるのではないかと思います。『翁』の中でも「翁」と「三番叟」はそういった役割にあるでしょう。三番叟が掛ける「黒色尉」の面は、時代が古い作ほど野卑な表情なのが、近世になってからの面は表情が整ってくるのだそうですが、これも近世の「式楽」としての権威化の必要があったもので、原初の能がもっとダイナミックな存在だったことを物語っているようです。

そうして、よく知られていることですが、かつて『翁』は能役者とは別の「翁猿楽グループ」…おそらく役者ではなくて寺社に専属する専門集団が独占的に演じていました。能はその『翁』の後に能役者が演じたものなので、ここにも「直会」の思想が反映されているのだろうと思います。その後『翁』は能役者が演じるようになりましたが、奈良では古い慣習が残っていて、明治維新まで能役者は『翁』を演じることができなかったそうです。

ですから、ここから先は想像でしかありませんが、原初の能はもっと民衆が「楽しむ」ものだったと思うのです。能の中にもユーモアのあふれた曲もたくさんありますし。もちろんその後の能が長い歴史の中で深化を進めていったことは素晴らしい事ですし、その一つの到達した姿が現代にあるわけですが、その一方で ぬえは、能は鑑賞されるものであるよりも、お客さまに楽しんで頂くものであり続けたいなあ、とも思うのでした。演者に応援を送りたい、というお客さまの気持ちは、そのまま拍手の形となって現れるのが自然ですし、マナーとして決められないものでもあると思うのですよね。
とはいえ、演者に応援を送りたい気持ちがあったとしても、たった一人で拍手するのも現実的には難しいですよね。上記の通り、たしかに「余韻」を楽しむ曲…というか ぬえは個別の演者の「成果」だと思いますが、そういうものもあるので、拍手を慎む、というのも能の「深化」のひとつだと思いますから、これは尊重したいと思いますが、お客さまが大いに楽しむことを期待して作られた曲(?)もありますので、そういう曲では(演者にミスがなければ)盛大に拍手を頂きたい、というのが演者としての ぬえの正直な気持ちです。

前述のように能の拍手のあり方は、自然に変化していっています。そうして ひろこさんがおっしゃるように関西と東京でも違いがあるらしい。こういうことも長い歴史の中で能が変化し続けていることの証しであるわけですから、拍手のタイミングも常に動いている事も当然であるかも。舞台芸術は常に過渡期で終着点はないのですよね〜。お一人で拍手が出来にくい雰囲気であれば、それに無理に反抗する必要もないですし、そういう要求がお客さまにあることも尊重して、どうぞ心の中で演者に盛大な応援をして頂ければありがたいと存じます〜 m(__)m
ぬえさま、

お答えいただいているのに先ほど気がつきました。お礼がおそくなり、申しわけありません。

思ったよりもはるかに深いご考察を読ませていただきました。

演者の方ならではの熱い思いが伝わってきましたし、拍手ひとつとっても歴史があって、さすがは600年以上続いた伝統芸能ですね。

演じる方も見る方も生身の人間で、舞台は二度とない一期一会のイベントなのですから、それをしめくくる拍手もいろいろあっていいかもしれません。

読ませていただいているうちに、アマテラスが姿を隠した岩屋の外でアメノウズメが踊って、まわりの見物人が喝采した、という神話のエピソードを思い出しました。

面白ければ、感動すれば、素直にそれを伝える、というのは見る側にとって本能のようなものかという気がします。

なので、やっぱりこの前の舞台では、拍手したかったです。

でも、郷に入れば郷に従え、という言葉もありますね。

それにしても、舞台が終わったとたんに拍手していた時代があったとは。それも割と最近なのですね。びっくりしました。いつから今のようになったのでしょうか。

ちょっと前に大阪で見た狂言の舞台ですが、学生さんが大勢見所に来られていて、このときはなんと、シテが橋掛に出てきたとたんに拍手が起こりました。習慣を知らなくてやったのでしょうが、舞台に対する期待が感じられて悪くないと思いました。

道成寺の鐘をつるすヒモが一発でうまく天井にかかった時や、別の舞台ですが、シテが見事に鐘入りされたとき、拍手が起こったことがあります。これも大阪の舞台でした。「よかったな〜うまくいって」という気持ちを見所で共有できました。

こういうのはルール違反だと眉をしかめられる方があるかも。でも、わたしとしては、生の舞台を見る醍醐味のひとつです。

これからもよろしくお願いします。
ぬえ様、最近能を見るようになりましたOscarと申します。

マイナー舞台芸術と思っていたら(失礼)、本当にあちこちで催しがあり、しかも良い席は入手困難と知り、驚いています。夜間休日しか見られないのが痛いところ。

ところで、舞台を見る以外に、能楽の歴史とか各演目の出典などを知るのも能の楽しみの一つかと思うのですが、お勧めの本とか、注目評論(家)などはありますでしょうか。評論でしたら結構理論的なものが好きなのですが。
もし何かお勧めがありましたら教えてください。
おすかーさんご質問ありがとうございます!
お返事が遅れまして申し訳ありません〜

さて能の歴史や演目の出典を調べる方法についてですが、うん!良いところに着目されておられると思います。最近能を見始められた、とのことですが、能の見方についてよくわかる本のご質問でないところが良いですね〜。

能の入門書のようなものは、大きな書店であればいくつもすぐに発見できるでしょうが、能の出典や背景などについてはなかなか見つけるのは難しいと思います。簡単なものならば入門書にも曲目解説で触れられているでしょうけれども…そうして、そういう能の作品について深く調べると、日本人の感性みたいなものが見えてきて本当に面白いんです!

ちょっとご質問の範囲を拡げて、能の演出にまで踏み込んだ研究者として、ぬえがお勧めするのが清田弘(せいだひろし)さんです。ぬえはこの人を尊敬しています。

能の演目についてシテ方五流の違いにも精通しておられる方で、観世流しか知らない ぬえにとっては氏の著作によって能の曲の見方が変わるような発見の触発も何度も経験しています。

ところが…いま手に入る著書は Amazonなどによっても2冊くらいしかないようですね。ぬえがお勧めするのは流儀の機関誌的な月刊誌『観世』で、毎号1曲を取り上げて「特集曲」として作品研究がなされている中で、清田氏が作品の演出の紹介として「謡と舞台」という連載をかなり長期に続けておられます。

ある曲をご覧になるとき、ぬえはあらすじだけではなく本文を調べて行かれることをお勧めしますが、できれば『観世』誌で特集された作品研究を一読されることをお勧めします。…なかなか『観世』誌を取りそろえている図書館はないでしょうが、たとえば東京にお住まいの方は国立能楽堂の地下にある図書館で手軽にご覧になることができます。

…さて、では『観世』誌の中でどの年の何月号にお目当ての作品研究が載っているか、を調べる方法ですが、国立能楽堂の図書館では作品別に文献がカードに分類されているので『観世』誌に限らず調べることができます。

そうでない場合は『観世』誌そのものが過去に何度か作品研究の所在の一覧を誌面に掲載したことがあります。ちょっと古い情報になってしまいますが、昭和35年1月〜平成15年12月号までの索引が…ええと、ちょっと手許の資料に出典を書き忘れていたようで正確にはわかりませんが、平成15年12月号か、その翌号に載っています。

そのほか、もうちょっと気軽に能の演出などを細かく書いた本としては三宅襄さんの著書『能の鑑賞講座 一〜三』が参考になります。こちらはネットでも書店でも手に入ると思いますが、著作自体は少々時代が遡るものです。

能をもっと総合的に、俯瞰的に捉えたいとお考えならば、これも古い本ですが、東京創元社から出ている「能楽全書(綜合新訂版)」(全七巻)に勝る書籍はなかなか見つかりません。学生時代の ぬえのバイブルでした。

この書に代わる役目として、最新の研究成果を踏まえて登場したのが(…と言っても10年以上前のことですが)『岩波講座 能・狂言』(全七巻・別巻1)ですが、どちらかといえば研究者向けの書籍かも。

ぬえも最近の本はあまり知らないのですが、より良い書物に出会われることを祈っております〜(^^)V
さっそくのお返事ありがとうございます。

実は「岩波講座」、結構心が動いたのですが、7巻となると…。(でも、来年の今頃は誘惑に負けて購入しているような気がする自分が怖い。)

検索のことを考えると、「観世」は「自炊」で電子書籍にしちゃおうかウッシッシ

まずは清田弘さんですね。さっそく検索してみます。

でもですね、発見したのです。ぬえ様のブログがとても興味深いな、と。楽しみにしています。

どこかで誰かが同じ質問をしているかも、なのですが、探す気力が無いので。
(既にされた質問ならそこの解答を教えていただければ幸いです。)

本日初めて喜多流の公演を見たのですが、そしたらこの前観世に出ていたワキや囃子の人が…。ワキや囃子は全ての流儀をカバーするものなのですか?
そして、流儀によって少しずつ演出やセリフが異なると思うのですが、ワキや囃子のひとたちは全部に対応できるように練習するのですか?考えただけで大変そうなのですけれども。

自分で質問しておいて何ですが、答えみつけましたので、ご報告します。
「幻視の座 能楽師・宝生閑聞き書き 土屋恵一郎 岩波書店」
の「井筒」の章で答えを見つけましたので、ご報告します。

今は、ワキはすべての流派に対応できるようにおけいこするのですね。
ぬえ先生、こんにちは!
以前も質問させていただいた、おとどです。

鏡板を作ることになったのですが、どんな松の絵を描けばいいのでしょうか?
ネットでいろいろ見てますが、能楽堂で作風がバラバラで、迷っています。
個人的には、京都観世会館の特徴的な松を見慣れているのですが、これは一般的ではないですし。。

ちなみに母校能楽部では、「学内の演能」をモットーに、構内や学内のホールに舞台を作って発表会を開いていました。
そのときは、あまりこだわらずに部員たちで、ダイナミックな松の絵を描いていました。
しかし、今回はプロの先生方の公演で使います。
きちんとしたクオリティーに仕上げなくてはなりません。

いま分かっていることは、

狩野派、老松、三段で七五三の枝数。
根上がりはOKでも根は描かない。
「久」の裏返しの形。
国立の鏡板は相生の松。

ということぐらいです。
ほか、アドバイス、ご意見あればよろしくお願いします!
おすかー さんご質問ありがとうございます…って、もうあまりのレスの遅さに合わせる顔がない。

すでにお答えも探されておられるようですが、仰るとおり現在はワキ・囃子方・狂言の各お流儀(これを三役と呼んだりしています)はシテ方五流のすべてとお付き合いするようになりました…が、かつては「座付き」と言って、シテ方には専属の三役のお流儀がありました。正確にはシテ方の流儀に属している、というよりは、「座」という演能組織に属していたのですが、世阿弥時代頃は、ふだんはそれぞれ自由に活動していた三役が、座の公式の公演の時に参集して「棟梁」とか「長(おさ)」…この二つはちょっと性格が違いますが…と呼ばれるその座の責任者の下で、その一員として行動したようです。

おそらく座は独占的にシテを舞う棟梁のほか、ツレや地謡、後見など直接にシテに関わる中核的なメンバーが固定的にいて、これが現在のシテ方の形の基礎になっているのだと ぬえは理解していますが、このようにかつては三役を入れた座のメンバーとなると、割と流動的だったように感じます。「座付き」流は、そのようなメンバーが固定化したり、また座の棟梁の子息の中で囃子を専門に勤める人物が出てきたり、という事情があって、能が式楽となる頃に専属化し、シテ方を含めて「流儀」という形となったのでしょう。

こういう経緯もあってか、また地域によって事情も異なるからか、ひとつのシテ方に対する三役のそれぞれの役にも「座付き」のお流儀は複数ありました。

現在のように三役がシテ方五流のお相手をして頂けるようになったのは「座」が解体した近代以後のことです。しかし、それまでお付き合いのなかった他流のシテ方の詞章も勉強して…という簡単なものではなく、はじめて共演する時には「申合」が不可欠なのです。「申合」とは、現在では公演の直前に原則ただ一度だけ行われるリハーサルのことを指しますが、楽屋言葉としては流儀の責任者(つまり宗家)同士による演出…というかどのように舞台を勤めるのかを確認・決定する流儀としての公式な取り決めのことを言います。これを取り決めることによって、どの地方でどの演者がその曲を上演しても、必ずそのやり方が同じになるわけで、自分の流儀にない曲への出演を依頼されて、適当にその場だけで上演してしまう混乱を避けるために行われます。

現在のように基本的にすべての三役がシテ方の流儀のすべてのレパートリー曲に対応して出演できるようになるためには、このような申合が大変な労力によってなされたのかと思うと頭が下がりますが、それでもその申合は近代…明治期に一斉に行われたものではなく、それ以後も長い年月を掛けて整備されてきました。珍しい小書によってはいまだに「申合」が済んでいない流儀同士もありますし、その申合が最近整った、という話を時折楽屋で聞くこともありますね。
ところで(これも申合の結果ですが)、能の上演は基本的にはシテ方の台本…つまり謡や型、演出に三役がお付き合いをする、という形で行われます。逆にシテ方が三役の定めに合わせる場合も、例外的とは言えないほど多いのですが、それでも圧倒的な分量はシテ方の演技を尊重して頂き、それにお付き合いをして頂いています。

お客さまにもよくお判りになる違いがおワキの詞章の違いですね。おワキのお流儀により、その詞章がシテ方の謡本のそれと微妙に違う…もちろんまったく違うのでは会話が成り立ちませんが、そうではなくて同じ能の曲の中の会話の進行で、流儀の違いにより言い回しに微妙な違いがあるのです。ですから、シテ方の謡本だけ見て申合に臨むと、お相手のおワキのお言葉が「あれ? あれ?何をおっしゃっているの??」と思うこともあります。それでも、そのお言葉が進んできて、シテに文句を渡して頂くところでは、ちゃあんとシテ方の謡本通りのお言葉で渡してくださいます。これはおワキの方の習いで、相手(つまりシテ方)に迷惑を掛けない部分のご自分の謡はお流儀の詞章のままで謡いますが、シテに渡すところではシテ方の詞章の通りに謡われるのだそうです。そうしないと、どこで渡されたか解らず、シテが絶句してしまいますからね。

それでもこれも画一的なものではなく、お流儀の主張を通されて、その詞章のまま会話を渡される場合もありますから、このへんは経験や申合(リハーサル、の意味の)が重要になって参ります。書生時代にツレを勤めた時など、一生懸命におワキの謡本の文句を覚えて申合に臨んだりしたものですが、おワキはシテ方の流儀によって言葉を替えられるのですから、これは不勉強のために陥りがちな無駄な労力でした。

上記はおワキの例ですが、お囃子方でも間狂言でも同じように、ご自分のお流儀の主張や定めを最大限に守りながら、舞台に破綻がないよう、シテ方の流儀の演技に合わせる工夫が凝らされています。そういえば以前に必要があってお狂言の先生に間狂言の台本を見せて頂いたことがあるのですが、基本の詞章が書かれているあとに「観世流相手の時」「金剛流の時」「ワキ宝生流のとき」と、もの凄い数のバリエーションが書き加えられているのを見てびっくりした事があります。

こんな事から、シテ方は自分の流儀の台本ひとつあれば事足りるように思われることもありますが、じつは同じようにシテ方の方でも三役の主張に合わせる場合はあります。三役のために言葉を替える、というような大きな違いは稀ですが、地謡が囃子方の打たれる手によって謡の長短を瞬時に判断して謡い分ける、というような事は日常的にあるわけですから、どちらが大変、とも言い難いかもしれませんね。
おとどさん こばわ〜

鏡板についてのご質問…ぬえはあまり知識がないなあ…すでに おとどさんが調べておられる事で おおかた網羅しているのではないかと思うのですが…

それなので、今回はぬえの経験話でお茶を濁させて頂きます… (・_・、)

ぬえの師家の稽古舞台の鏡板の松はとっても均整が取れていて、書生時代から慣れ親しんではおりますが、いつ見ても「美しいな〜」と思います。

この松の絵なんですが、「結城天童」さんが描かれた由、切戸口を入った舞台の裏に書かれていました。書生当時はどういう方か存じませんで…

その後、書生時代にずっとお側にお仕えした先代の師匠が逝去された時に ぬえは、記録を残しておかないと、昔の事はわからなくしまう…という危機感を覚えまして、当時としてはかなり大掛かりに、戦前の師家の舞台の事などを調査しました。

この時に驚いたのが、戦災で焼失した戦前の師家の舞台の写真で、なんと現在の師家の舞台の松とまったく同じ物だったのです。戦災で焼失した舞台の鏡板だけが保存されていたとは考えにくく。。師家の舞台の調査は進んだのですけれどもこの問題だけは解けず ぬえの中でずっと悩みでありました。

そんなことがあってしばらくしたある年、どこかの地方公演で、突然 結城天童さんが楽屋に姿を見せられました。どういう経緯かは知りませんが、師匠を訪ねて来られたようです。驚いた ぬえは、用事を済まされて楽屋のロビーに出てこられた結城さんに、この戦前と現在の鏡板の絵がまったく同じ理由を伺ってみました。

結城さんのお話は次のようなことでした。

ああ…戦前のあのお舞台の鏡板は私の師匠…川端龍子が描いたものなんですよ。戦争で焼けてしまって…。そうして戦後の昭和30年頃でしたか、あなた(=ぬえ)のご先代のお師匠さんが舞台を建てられるとき、同じように私の師匠に鏡板を描く依頼をされまして…。でも、もう当時師匠は高齢で鏡板を描くことができず、それで弟子の私に描くように命じたんです。師匠は「梅若の松はこうだ」と、とても厳しく注意されましたよ。なんとかお役に立てていればうれしいですが…

…こんなようなお話だったと記憶しています。川端龍子は、たしかどこかで ぬえの師家と縁戚関係にあるはずで(すみません、ちょっと資料が見つからないので確定的なことは言えませんが…)、その関係で戦前の師家の舞台の鏡板を描くことになり、戦後もその関係が繋がっていて、結城さんが描くことになった、というわけだったのですね。

しかしこの時は開演前の楽屋だったこともあり、「梅若の松」というものが、ほかの鏡板の松の絵とどう違うのか、までは伺うことができませんでしたのが悔やまれます。

…悔やまれます、というのは、この記事を書きながら結城天童さんの事を検索してみたら…
なんと今年の5月に他界されておられました(!)

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110517/art11051700080000-n1.htm

ああ…またしても。というのも、去年から ぬえは名古屋の研究者の方と一緒に静岡の三保の松原に建つ「羽衣の碑」…別名「エレーヌ夫人の碑」の研究をお手伝いしているのですが、その調査を始めた矢先、最も有力な証言者たるエレーヌ夫人の夫君・マルセル氏が、その半年前に逝去されていたことを知ったのでした。

やはり記録は大切です。思い立った時にちゃあんと記録しておかないと、あとでは取り返しがつかない…
ご丁寧なご返事ありがとうございます。

>もうあまりのレスの遅さに合わせる顔がない。

いえいえ、被災地に行ってらしたのだなー、と思っていました。
それなのに、とても丁寧に教えていただいて感激しました。
おすかーさん

すんません〜早いレス。。
ずっとお答えをお待ち頂いていたのでしたら。。ううっ(・_・、)

>>いえいえ、被災地に行ってらしたのだなー、と思っていました。

…むしろ、その計画を立てておりました。
今週末から能楽師有志とともに避難所に慰問に行って参ります!

これからもお引き立て賜りますようお願い申し上げます〜m(__)m
ぬえ先生、ありがとうございました。

ワタクシの質問の結果、ご逝去が判明したのは何とも複雑な気持ちです。
ご冥福をお祈りします。
もともとの鏡板は川端龍子の作だったとは、それは貴重な…。

今回用意するという鏡板ですが、実は地元高校美術部に絵を依頼しました。
資材は業者さんで用意、そして資料集めがワタクシども。
まさに、いま各能楽堂や、日本画を参考に松の絵を描いてくれてます。
もちろん、有料のプロの舞台で使用されるという自覚、責任感もきちんと持ってくれています。

これが、なかなか良い出来映えになりそうです。

ワタクシのつぶやきに写真アップしております。
http://mixi.jp/list_voice.pl?owner_id=1344736

この前で高名な先生に舞っていただけるのは、高校生にもいい経験になるかと思います。

うれしいのは出演者の先生に下絵を見ていただき、事務局の方にも興味深い取り組みといっていただけたことです。

これを機会に、高校生にも能狂言に親しんでもらえれば、と思います。
仕舞についてお尋ねします。

 仕舞の本を見ていますと,「差込」「ヒラキ」とか,動きを指示すると思われる書き込みがあります。幾つかは判明したのですが「右ウケ」「左ウケ」がわかりません。

 どうやら基本中の基本のようで,多くのサイトでも見かける言葉なのですが,あまりにも当然過ぎるのか,それ自体がどんな動きであるのかの説明は無く,判らないままです。
 お教えいただければ幸いです。
>>[91] お答えが遅くなって申し訳ありません。。

右ウケ、左ウケという型ですが両足を同時にひねって右または左斜めに向くことを言います。

もともと能の方向転換には足を「カケる」方法「ネジる」(ひねる)方法の二つしかないのですが、そのどちらの方法を用いるかは場面や前後の型によって厳然と決められていますね。

簡単には、方向転換をする角度が浅い」場合は「ネジ」て向き、深く方向を変える時は「カケ」る、というのもありますが、ぬえの師家では舞台の中央に立っていて真っすぐに角柱の方ヘ行く場合は「カケ」ることになっています。このへんは型として演技の内容を左右するほどの違いではないので流儀による違いもあると思いますが、逆にたとえばワキに向く(ワキに語りかける、という演技)のときは「カケ」ることに決まっていて、これは「カケ」る方向転換の方法にシテの積極的な意志としてその方向にエネルギーを放出して向く、という意味があることを示していますから、これは流儀を超えて共通しているかもしれません。

この中ではウケて向く型はカケるよりもやや消極的、というか、思わずそちらの方に目をやる、というような、対象物の存在の方が大きい場合にそちらに目を向ける、というような意味合いの型だと思います。

能ではこのように微妙な演技の差でシテの意志を表現しようとしますが、そういう微妙な演技は現代ではなかなか分かって頂きにくいですね。お客さまにも注視して頂きたいと思っております。

さて右ウケという型は、方向転換の演技の中ではちょっと特殊な位置にあると思います(左ウケは舞台構造上あまり例がありませんし、あっても上記のように浅い角度で方向を変えるため、という場合がほとんどなので、ちょっと右ウケとは異なると思います)。

。。と言いますのも、右ウケは、それだけで独立・完結している型だと思うのです。
そうして、ほかの型よりも少し様式的に使われることが多いですね。

たとえば「羽衣」のクセで「色めくは春の印かや」と左足拍子を踏み、その次に「面白や天ならで」と右ウケをし、「ここも妙なり天つ風」。。と正ヘ出て行って、舞い続けることになります。この曲では「面白や」と言っているから三保の松原の景色を見渡している型なのですが(上記のように思わず、という意味合いでよいと思います)、それと同時に、クセを舞い始める場合の定型の型でもあるのです。

どんな曲のクセにもあるか、と言われればそうではないので定型とは言いにくいですが、三番目物の舞があるクセで、その前に置かれたクリ・サシの間には立ちつくしていて型がない場合など、すなわち感情がほとばしり出て舞うのではなく、むしろ様式的に作られた曲の場合、その不動の状態からクセを舞い始める、そのキッカケとして、足拍子とともに右ウケの型がつけられている事が多いように思います。

さらに言えば、舞の中だけではなく、シテの登場にも右ウケの型が多くありますね。

シテが登場する囃子が「真之一声」「一声」「出端」「下リ端」「早笛」「大ベシ」。。ほかにもあったかな? 。。の場合、シテは幕を揚げさせて登場する刹那に、一旦右ウケをし、つまり見所の方角に向き、改めて橋掛リの方向に向き直してから橋掛リを歩み始めるのです(早笛・大ベシの場合は右ウケのあとにサシの型をしてから歩み出す)。

これは単純に、シテが橋掛リを歩む際には見所からは横顔しか見えないので、幕を揚げた瞬間に見所に向かって姿を見せる、という意味ではありません。ちょっとこのあたりは 未だに ぬえにも解釈が出来ていないのですが、見所に姿を見せる型ではない(実際には幕の奥に立つしての姿は、右ウケをしても見所からは見えないと思いますし)理由として、「次第」や「アシライ出シ」の囃子の場合は右ウケをしないで歩み出すこと、一声などであってもシテが乗り物に乗っている、という設定の場合は右ウケをしない(例:小塩、鵺など)、などから明らかです。

このように、右ウケの型には見渡す、という、消極的ではあっても演技として意味のある場合もあるけれども、能の様式の部分を司る大きな要素ともなっている型なのだと思います。能は演劇の一種ではあろうけれども、こうした様式性、儀式性を多く持っていて、それが独特の神秘性を醸し出す要因になっていますね。右ウケは単純な型ではありますが、そういう雰囲気づくりにもひと役を担う型なのでしょう。

ちょいと脱線したかもしれませんが、お答えになっていますでしょうか〜〜???
>>[92] ぬえ様。お答えありがとうございます。お礼が遅くなり誠に申し訳ございません。

 実は,当時は二ヶ月間,週に一度の能楽体験講座に通っており,最後の日に猩々の仕舞いを各人が一人ずつ披露するという課題が出ていたのです。
 毎回,きちんと確認していれば良かったのでしょうが,判ったような気になっていただけでしたので,直前になって慌てふためいて調べまくっていたのです。
 当日,結果的には「ウケ」だの何だののはるか手前で,あちこち行ったり来たりするばかりの為体でございました。
 その後一念発起というわけでもないのですが,能に興味が湧き,講座終了後も先生のお稽古を受けるつもりになっていたのですが,先生の都合を待っているうちに,こちらが腰と喉を病むという間の悪さから,一旦白紙の状態となっています。

 基本的な知識が絶対的に不足しており,正直なところ,ぬえ様のお返事の内容については半分も理解できていませんが,理解したいという気持ちがあるだけ興味はあるのだろうと,人事のように己の気持ちを判断しています。

 体調の回復を待ちつつ,機会があればお稽古を始めようかと画策しておりますが,どうなることやら。
さちさちさん はじめまして〜
お返事が遅くなって申し訳ありません。

さてお申し越しの件ですが、大河ドラマは時間があるとき見たり見なかったりなもので。。
そのドラマを実見していないのでよくわからないのですが、ぬえの暗記した能の曲の中に
「新しき年の始めにかくしこそ」という文句は出てきません。。
よって 能ではないのではないかと思います。

残念ながら ぬえも能の全曲を覚えているわけではないので遺漏があるかもしれませんし、
また謡曲は本歌を少し改変したり、その一部だけを流用したりという例もあるので
一部だけ引用されていて ぬえが気づかないだけなのかも。

ちなみに「新しき年の始めにかくしこそ」は古今和歌集に出てくる読み人知らずの歌です。
古今集の最終、巻二十の冒頭に「大歌所御歌」として納められている歌。
「大歌」というのは神楽歌のような歌謡のことなので、古今集の巻二十に載るこれらの
和歌はちょっとおかしいですね。問題視する研究もあるらしいですが。。

ちなみに先日のドラマは見たのですが、そこでは業平の有名な「ちはやぶる神代も聞かず竜田川」
が謡われ、舞われて秀吉が見物していました。

秀吉は「能狂い」として有名ですが、これも能ではなかったですね。
業平の「ちはやぶる」の歌も古今集所収の歌ですから、ドラマの原作か台本の作者が
意図的に古今集をドラマの中に取り入れようとする意図があるのかもしれません。

すんません。。お答えになっているかどうか。。
さちさちさんどもです〜
論文の出所、机をひっくり返せば出てくると思いますが。。
時間がないのと、そこまでいくと能へのお問い合せと外れてしまいますので〜

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