ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

生きてる噺家はツマラナイ。コミュの三代目桂三木助。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
今月の歌舞伎座昼の部に音羽屋の魚屋政五郎で『芝濱』が掛かります。

そして『芝濱』と云えばこの三木助であります。
安藤鶴夫によって名人にされてしまったような感は否めませんが、理屈抜きに私はこの噺家が好きです。

三木助の噺の構成力には素晴らしい物があると思います。
そしてまたそれを助ける独特の口跡があって「江戸前」やら「粋」やら「いなせ」な藝と云われたのだと思います。
また、情景の描き方には本当に感服するものがあります。

「芭蕉(おきな)の句に、曙や白魚白きこと一寸なんてェのがありますな・・・」

『三井の大黒』『ねずみ』『ざこ八』『たがや』が好きです。
¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬
三代目桂三木助
1902年3月28日〜1961年1月16日
本名:小林七郎
1918年春風亭柏枝(後の六代目柳橋)に入門、柏葉で初舞台。
春風亭柳昇で真打ち昇進。
1949年NHK「とんち教室」のレギュラーになる。
1950年三代目三木助を襲名。
1960年藝術協会から落語協会へ移籍。
¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬¬

コメント(9)

当時の芸術協会には三木助、可楽、柳好と其々個性を持った、古典落語の名手が揃っていたんですね。「先生」柳橋を中心に、内部は左楽、小文治が睨みを効かせ、外部には柳橋と一緒に芸術協会を作った柳家金語楼がスーパーバイザー的な立場でいる。そしてお家芸の新作は今輔、米丸ら人気者・・と。当時落語協会を凌ぐ程の人気を誇っていたのも頷けますね。

三木助は師匠であり「とんち教室」で引き立てて貰った柳橋に反旗を翻す形で、最晩年落語協会へ行きましたね。香盤問題も絡んでいたと聞いた事がありますが、宇助さん詳しい事をご存知ないですか?

戦前の「爆笑落語」全盛時代の若きスターである柳橋と、戦後アンツルの「古典落語=芸術」の路線で売り出した三木助の対立は興味がありますね。
戦前、東京で落語家が「芸」だけではなく「爆笑」の部分も受け持っていたと思うんですが、戦後の「爆笑」の部分は他のジャンルの芸人「喜劇人」や「コントグループ」「漫才」が受け持つようになる。寄席から映画へテレビへシフトしていく・・。
芸術協会の創立者である金語楼が映画に、若手のホープだった桂小金治が映画、テレビにという流れが何かを象徴しているような気がします。

落語家の「爆笑させる人」の面が他のジャンルへシフトして行き、「古典芸能家」の面が強くなってくる。
その流れの中で戦前の落語の一面を代表していた柳橋と、アンツルが「古典芸能」として箔を付けた「鑑賞落語」の尖兵、三木助の対立は落語の変遷を表しているようで面白い・・と一人妄想しているのですが(苦笑

さて、三木助ですが、可楽、柳好と同じように、実に「現代」い届いてくる芸ですね。三人とも口跡が音楽的というか、分かりやすい。柳好の「歌い調子」、可楽の「くぐもった渋い声」、三木助は何というか独特の上品さ、軽みがありますね。
現在でいうと桂米朝師匠に通じる口跡だと思うのですが。
司馬遼太郎が米朝は「音韻的」だか「音楽的」だかの基礎がしっかりしている、とか何とか評してますが、そんな感じに通じるような気がします。

例の「芝浜」の「白魚」を使ったマクラの中で、銭湯で三木助が爺さんから「この辺にも白魚を売りに来たんですよ、なんて」(正確ではないですが)という艶、白魚に下地が入る描写とか、アンツルと練り上げた(爆 まくらは何回聞いてもうっとりします。個人的には「長短」なんかの軽い滑稽話も好きですね。

三木助には二代目と親子?という話や、元々上方の名跡ゆえに、桂米朝が桂文楽の斡旋で四代目三木助になりかかった...
とか面白い話もありますね。
本物の四代目は不幸な結末でしたが・・・。
レスポンス少々お待ちを。
一寸忙しくしているもので。。。
「芝浜」私も大好きな噺です。師走の時期に改めて聞きたくなります。今までは志ん生さんと志ん朝さんのものしか聞いたことがないので是非三木助師匠のものを聞きたいと、楽しみが出来ました。
紹介文を見ていたら可楽師匠に続きまたまた興味津々です。

歌舞伎でも『芝浜』をやることがあるのですね、初めてです。
今回は菊五郎と魁春ですね、歌舞伎だとどんな演出になるのか、これも魅力的です・・・
三木助師匠とは関係ないかもしれないのですが・・・
”年の瀬に聞きたい噺”を考えていたら『文七元結』を思い出しました。これは歌舞伎でも観たことがありますが、噺では志ん生師匠のものを聞きました。芝浜と文七は感動した人情噺ののベスト2です。他にも個人的な人情噺のお薦めはありますか?

宇助さんが「忙しい」と書いてあるのにちょっと追い討ちをかけるようですね(笑)急いでないので時間のある時に教えてください。
えーっと、お二人様、返答はもう少しお待ちください。

本日やっと石原さんのコメントをきちんと読み終えました。
また、Kayoyoさんの質問はリアルでも来ているので、両者の質問とも、まとまり次第直ぐにお答えしたいと思います。
先にkayoyoさんへの回答。

人情噺と言っても沢山ありますから・・・。
それと申し訳ないのですが、私は出来るだけ個別の噺のお薦めをしないようにしております。
出来るだけ先入観を持たずに、噺と向き合っていただきたいものですから・・・。
というわけで、こういうものがありますというインフォメーションを。
(手に入りやすい音源を記しておきます)

芝居から考えますと外せないのは、『中村仲蔵』でしょうか。
十代目馬生、五代目志ん生、六代目圓生、八代目正蔵が演ったものです。

それから『子別れ』が有名です。
五代目志ん生、六代目圓生、五代目小さんと三代目志ん朝のリレー、『子は鎹』(『子別れ』の下の部分)を六代目の松鶴が演っております。

他には『お直し』『鹽原多助一代記』『紺屋高尾』『火事息子』『唐茄子屋政談』等々があります。
ぞろぞろご教示を頂ければ幸甚かと(爆
お忙しいんでしょうね・・・。
長いことお待たせして申し訳ありません。

上期は予期せぬ事を含め素晴らしくドタバタしておりました。
さて、ご質問への回答。と言っても大したことは書けませんが。
----------------
> 「とんち教室」で引き立てて貰った柳橋に反旗を翻す形

とお書きになっていますが、私は反旗を翻したとは思っていません。
端から見るとそう見えてしまうきらいがありますが。
元々相容れない存在であったようですので。
ご存じのように文樂師に傾倒していたこともあり、というのが大きな理由ではないでしょうか。
確かに香盤の問題があったとされておりますが、これに関しては詳しいことは私も知らないです。
最終的には目指す藝の違いだったのかな、と思うことにしています。


> 「爆笑」の部分は他のジャンルの芸人「喜劇人」や「コントグループ」「漫才」が受け持つようになる。

この部分に関しては、吉本興業が金語楼に目を付けたことにあるのではないでしょうか。
奇しくも芸術協会が自ら「笑い」を落語以外へと持っていたような気がします。

全ての問いへの回答にはなっていないような気もしていますが、とりあえずこのようなところで如何でしょうか。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

生きてる噺家はツマラナイ。 更新情報

生きてる噺家はツマラナイ。のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング