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新日本の価値観コミュの勝ち組と負け組。

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  引き分けというものはないのだろうか?
 初めてこの勝ち組だの負け組という言葉を聞いたが
 いつのことだったか忘れたが、即座にそんな疑問が
 頭に浮かび、同時にしごく日本的な発想に基づいた
 フレーズだと感じた。

  メディアはこういったチープなプロパガンダが
 得意である。逆説的にいえば視聴者がそういった
 チープさを望んでいるともいえる。
  社会を勝ちと負けでわけるなんて趣向は
 まさに戦後世代のやりそうなことだと感じる。
 戦後の負の塊の中、彼らはまさに飛ぶ取り落とす勢いで
 働き開拓し、個人を勝ち組に引き上げることに
 尽力し、結果国際社会における
 日本という国を勝ち組にしようと琢磨した。

  僕の勝手な主観から言って、これほどに豊かに
 なった日本社会で、今更勝ちだの負けで両者を
 分けるのは誠に愚かしい行為である。いや、こんな
 ことは誰しもが思っていることだろう。
 けれども、その言葉に必ずしも全否定を加えられないのは
 日本人の真面目勤勉気質によるところが大いにあると
 僕は思うのだ。

  仮に誰かがドイツ人に
「君は負け組だね」と誰かが宣告するとする。
 帰って来る返答は間違いなく、「ノー!」である。
 どんな屁理屈や嘘をこまねてでも、
 相手の発言を撤回させようと必死になるだろう。
 潔さが日本人の特権ならば、非なり弱みを隠し通す
 執念こそがこの国民の強みなのだ。
 よって、彼らには必死さというものが常に欠けている。
 切磋琢磨という言葉もほぼ存在し得ない。
 マイペースと言ってしまえばそれまでだが
 自己完結的な理論からさらに発展させようという気概は
 あまり見られない。

  日本人の場合は、非常に潔くまた恥の文化からも
 負け組を宣告されることは大袈裟にいって昔でいえば
 自害の瞬間である。あってはならないことであり、
 それを自らの理論を展開させ打破するという手腕は
 持っていない。よって、その宣告の瞬間こそが
 全てなのだ。

  ただし、この強迫観念は日本人の必死さに繋がる。
 日々を必死に生きている。必死に働き、短い人生の
 大半を急かされながらも必死で過ごす方が多い。
 これは日本人だけが持つ美徳といえる。
 日本に帰るたびに、こうしてたくましく社会を支え
 家庭を支え、休む間を惜しんで仕事に邁進する人々の
 姿を美しいと感じる。間違ってもベルリンでは
 そんなものは皆無である。
 のんびり行くのもいいが、日本人の気質はやはり
 昔から勤勉であり、このDNAには抗えない。
 誇るべきは誇っていいとさえ思う。
 怠け体質の西欧人に野次られても、なじられても
 俺たちはこうして身を削って働き、動き、汗を
 かいて人生をまっとうするんだ、と胸を張っていい。
 西欧的な価値観が日本列島に舞い降りることで
 気質にそぐわない「のんびり」こそが得である、と
 思ってしまうのは大きな間違いで、その点においては
 日本人は皆、わかりやすい指標である
 「勝ち組」を目指してがんばればいいのだ。

  ただし、道徳というものには勝ちも負けもない。
 そして、不道徳な人間こそが勝ちにも負けにも属せない
 社会の蚊帳の外の人であるという前提を
 改めて街中の看板に貼付ける必要があると僕は思う。
 その前提を踏まえて勝ちだの
 負けだの競う分には大いに結構だと。
 日本国民の大半が商人と化した現在では、武士の魂など
 欠片も見られないのが寂しい。
 

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