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松田優作コミュのあの日…

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あの日…優作さんが亡くなった11月6日。
優作ファンなら、決して忘れられない日…。そして優作ファンなら、あの日の自分の出来事を鮮明に憶えている筈…。
そして何かが変わった…。


あの日、何時もの様に起床したら、母の態度が違っていた…。
饒舌な明るい母が寡黙で、俺と目を合わそうとしない…。
「何かあったのか?」嫌な予感がしたが何気に何時もの様に、朝刊に目を通した…。

「松田優作さん亡くなる」

え!?「夢を見てるのかな?…冗談だろ?嘘だよな!ふざけるなよ!」

慌ててTVのスイッチを入れたら、朝のワイドショーは優作さんの訃報を報道していましたね。
やっと現実に戻され、急に涙が溢れ号泣…その後、正直あまり記憶が無いんですわ。
学校に行ったのは行ったのだろうけど、あまり憶えてない…。
その後、同級生が言う事には「優作、あの時お前荒れていたよなたらーっ(汗)近寄れなかったよ」
そんなあの日でした…。

優作ファンの皆さんも、俺と似たような想いあの日だったに違いないと思います…。
皆さん、あの日を語ってはくれませんか?


この優作コミュに入ったのは、勿論優作さんの事を話したかったのもありますが、それ以上に優作ファンとは?って疑問があったんですよね。
ミュージシャンや他の俳優ファンとは違う何か…。
優作ファンだけが共感する、通じ合える何か…。
ある種、特殊な共通意識…。
それを凄く感じるんです。

あの日を語ってくれませんか?
1989年11月6日を…。優作さん以上に優作ファンに興味があるんです。

最近、ファンになられた若い世代の方は、優作さんが亡くなっていたと知り、どう感じましたか?

ちょっと変わったTopicsかもしれませんが、宜しくお願い致します顔(願)

コメント(100)

拝啓
松田優作様
貴方の姿を拝見出来なくなり、もう20年の年月が経ちました…。

貴方と俺の出会いは、忘れもしない【太陽にほえろ!】でしたね…。

長い足に、刑事らしからぬジーンズ姿、子供心に「こんな刑事さん、いないよ」と…。

でも、何時しかブラウン菅の向こうの貴方に釘付けになり、「俺も刑事になる!」と…否…【松田優作】になりたいと、幼心に思ったのだろうと思います。

そして多感な中学の時に出会った、【大都会パート2】【探偵物語】
そこには今までの貴方と違う、どこか【ユーモラス】で、【スタイリッシュ】な貴方がいました…。

そこで俺は貴方から【学んだ】【意識】した事があります。
それは【仲間】なんです…。

ブラウン菅の向こうの貴方は、何時も楽しそうに【仲間】と笑い、時に命を掛けて闘っていましたよね…。
俺は、その時代バカな中学生でしたから、解釈を間違って【仲間】を意識するあまり、【他校】と揉めたり【仲間】がやられれば喧嘩三昧の日々を…。

多分、貴方は笑いますよね「お前、なんか違うんじゃないか?」と…。

でも、その一方で「あぁ〜お前のその時代、俺もそうだったよ」と…。
それが貴方に共感した、【何か】の一つだったのだろうと思います。

その頃からです…【優作】とアダ名が変わったのは。
【優作】と言われれば、根が単細胞な時期ですから、イヤでも意識しました(苦笑)
貴方は笑うだろうが、服装から髪型まで真似してしまいました…。
【蘇る金狼】の、あのもじゃもじゃ頭に憧れ、美容院に行き「この頭にして!」と…
優作さん笑わないで下さい…失敗して「なんじゃこりゃ〜!!」になりました。
そんな優作ファンが日本全国に沢山いたんですよ!
貴方は罪作りの人だ!

そして俺も青年期になり、貴方の作品を欠かさずワクワクしながら観させて貰いました。
【遊戯シリーズ】【野獣死すべし】【探偵物語】【ア・ホーマンス】【それから】等…。
そこには今までの貴方と違う、沢山の顔を持つ【貴方】がそこにいましたよね…始めは戸惑いました。
これが【松田優作】?と…でも何時しか納得出来る事が出来ました。
何故なら【松田優作】なんだし、【松田優作】がスクリーンにいるんだし
「お前、それじゃ感想になっとらんぞ!お前はバカか?」と、貴方は苦笑するでしょうが…。

それが高じて貴方と共演したいが為に、劇団も受験してしまいました…共演する足掛かりになるかもしれないと。
その頃ですよね…実際に御会いしたのは。

正直怖かった…だって失礼ながら【松田優作】なんですもの。
でも、あの時の会話と、別れ際の握手は今も感触として残っておりますし、その後劇団の先輩に残した言葉「この前、来たのは何んて言った?」
別に意味は無いのだろうが、嬉しかったです…ここでも根が単細胞だから色々想像してしましたよ…。
でも貴方は突然スクリーンから居なくなってしまった…。
その喪失感たるや、魂が欠けてしまいました…。
【あの日】以後、日本全国の貴方のファンは、何かが変わってしまったんだと思います。
それほど貴方【松田優作】は凄い役者だったし、これからも後世に永遠に語り継がれる、空前絶後の役者なんです。
貴方とスクリーン越しながら、関わりが持てた事は幸せでしたし、これからも俺は貴方を追い続けます!
せめて背中位は見たいものです…。
それがこれからの人生の生きる糧になると思いまし、俺の事で言わせて貰いますと、結婚も間近に控え、人生の転機を迎えていますが、頑張れます…貴方の生きざまをスクリーン越しながら観させて貰えましたから。
それが貴方が残した【俺】【日本全国】の優作ファンのメッセージだと思っています。
優作さん…ありがとう!
そして俺が何時か、向こうの世界に行ったら、もう一度会って貰えますでしょうか?
【作品】で聞きたい事が沢山ありますし、そして何の役でも構いません…共演したいんです。
宜しくお願い致します
m(__)m

一優作ファンから松田優作様へ…20年の節目を迎えて。




優作さん、ありがとう!
長文失礼致しました
m(_ _)m

また、あの日が来ました…
そして節目の二十回忌です。

皆さんの【あの日】出来ましたなら書いて貰えませんでしょうか?

松田優作の自分なりの想いでも結構です。

近い日…この皆さんのコメント印刷等をして、優作さんにお見せしょうと思っております。

宜しくお願い致しますm(_ _)m
 第一報とゆー事で亡くなられた日の夜のNHKニュースにテロップが流れました。
 一晩中眠れないままでした。
 弔意を顕したくて工藤ちゃんファッション(黒スーツに真紅のワイシャツ、黒いネクタイ)で出社してフワフワと仕事をしてたようです。
 遊作ファンだと社内でも知られていたので、かなり労られた記憶がありますが、曖昧です。
中1でした。
ブラック・レインを観たばかりだったので亡くなったのが信じられなかったことを覚えています。

教室で同級生とジーパンが死んだんだよねと話したような気もします。

あれから今でも俺の中では一番星です。
 そうですね、ブラックレインの余韻に浸っている時期でしたもんね。これでハリウッド制覇や〜!と思っていた矢先だったので余計ショックだったし、本人の無念さを思うと堪らなくなりました。
俗な発想かもしれませんが、僕は今日、お墓参りして、今日公開の映画に行きます。
あれから20年。きっとまた何か始まると思う。松田優作の存在を噛み締めてきます。
東京で仕事を始めて数年、フリーになって、割と不規則な生活をしていた。一ヶ月前に観た「ブラック・レイン」で元気な優作が帰ってきたのを喜んでいた。

夕方になって起きだして、遅い朝食を食いに近くの喫茶店に行く。何の気なしに手に取ったスポーツ新聞に「松田優作、死去」の文字が。

しばらく何も考えられなかった。何で? あんなに元気そうだったじゃないか。これからハリウッドで映画に出演できるようになったっていうのに。

優作は俺の憧れだった。その日、何を食っても味がしなかった。

そんな20代の一日だった。
今年もやってきましたね。
そして、もう20年の月日が経ちました。
私は、リアルタイムの優作さんをほとんど知りません。
最近ファンになった私が、いつも思うこと…
優作さんは生きている!
私は、亡くなった時のニュースとか知らないから。
20年経った今でも、こんなにもたくさんの人から愛されていて
映画などを見ても、古い感じがまったくしないし。
むしろ、新しい物を見ているような気もするから…。
死んでいるということが実感できないのです。
なんだか、まだどこかの街で生きているような気がするんです!
今日は、お墓参りとか映画とか観に行くことが出来ませんが…。
家で、DVDでも観ようと思います。
なんかファンのかたがたの熱い思いが伝わってきて、
泣けてきました泣き顔

私が知ったのは、ニュースで久米宏が
「松田優作さんが亡くなりました。膀胱がんでした」
と言った瞬間、
「嘘や!」と涙ぐんでしまいました。
ちょうどその頃、同棲してた彼に
「優作さん、亡くなったけど、さいごは{膀胱がん}って
少し笑わせてくれたな」ってあっけなくいわれて
怒ってましたむかっ(怒り)

「嘘や、優作さんは、女の子をかばって、拳銃で撃たれて死んだんや!」
と、わけのわからない妄想まで口にしました。
それぐらい混乱してました。
何故、今から世界を舞台にしていけるのに・・・と。

次の日、お葬式の様子を、職場のテレビで観ました。
陣内さんや古尾谷雅人さん、仲村トオルさんや
そうそうたるメンバーが集まってくる様子でした。
同じく優作ファンの女の子が「ああ、優ちゃん・・・」と
ウルウルして見てました。

39歳で膀胱がんで亡くなるケースはめったにないと
聞きました。
早く発見して、治療すれば、治ったかも・・・

それほど没頭して我慢してたんですね・・・役に。全てに。


いまだに彼以上の存在感(自分の中での)役者さん、いませんよ!
皆さんコメントありがとうございます。

俺も【バッシー】さんと同じく涙が込み上げて来ました…

この二十回忌を迎え色々な優作さん商品が氾濫しておりますが、俺はこの皆さんのコメントに一番感動しております。

優作さんの命日…今でも、鮮明にあの時に戻れる事が出来ます。
それ程強烈な印象の11月6日だったのです。
優作さんと同じ時代を過ごせた、優作リアル世代に感謝しておりますし、松田優作に出会えて本当に良かった!

優作リアル世代では無い方々も、是非コメント宜しくお願い致しますm(_ _)m

必ず墓前に捧げに行きます!
911の2001年9月11日と同じく
その日その時の記憶がはっきりしている日

それが1989年11月6日だ

当時僕は全寮制の学校に入っており世間の情報は入りにくい環境だった
クラスで数日前外出出来た時に観た「ブラックレイン」の余韻をクラスメイトに
話をしていた時
他のクラスメイトが
「お前の好きな俳優死んだらしいぞ」
「?」・・

「誰!?」と思って休み時間に祖母の家に電話
「今日て誰か死んだ?」
「あぁあんたの好きな俳優死んだわ 松田優作」

僕は本当に腰がくだけその場に崩れ落ちた
何も考えられず「無」になっていたのだと思う

それから2週間ぐらいだっただろうか、身内が死んだ訳では無いのに
その2週間ほとんど眠る事も出来ず食事も喉を通らなかったのを
今でも鮮明に覚えている
「この先誰の映画を楽しみにしていけばいいのか」
「優作がいない日本映画界なんて考えられない」

そんな日から今日で20年・・

未だに
「もし今優作がいたら・・」という思いは消えない

渡辺謙の活躍を観るたびにもそう思うし
今の役者に対してもそう思う
どうしようも無い事だけど何故よりによって優作だったのかと。

僕が今の仕事をしてるのはもちろん映画がきっかけで
そのルーツは幼少期に観たブルース・リーと松田優作だ

厳密に初めて人生で衝撃を受けたのは松田優作が先だった
名前を知らず4歳ぐらいから「太陽にほえろ!」のジーパンの真似をしていた

そしてリアルタイムで「探偵物語」を見て6歳の子供から観ても
その格好良さと面白さを兼ね備えたアドリブ的演技は衝撃だった

電動スクーターポルカという乗り物を買ってもらい麦わら帽子を
ソフト帽に見立て探偵物語ごっこをしていた

それからもテレビ放映される優作映画はかかさず観ていた小学生時代
今こうして思い出すとその都度都度の光景はびっくりする程記憶している
ジーパンの真似をしていた時のまわりの風景
「野獣死すべし」を祖母の家で観ていた時の空気感や
家族の会話・・

朝、登校前に「映画の窓」という番組で何週間か「ア・ホーマンス」の
予告が流れていてそれを楽しみに早起きして観ていた
「ア・ホーマンス」の予告は今でも大好きで
僕の番組でのテロップの入れ方は「ア・ホーマンス」の予告から来ている

最近つくずく思うが「ア・ホーマンス」の予告に限らず
自分の作品に反映されてる細かいパーツの7割が優作作品だと思う

言葉で言うと打合せなどで良く言ってしまう「ニュアンス」という言葉も
優作のインタビュー等を読みまくってたせいだ
本当にその影響力はかなりのもの

それだけに89年で優作がストップしてしまったのはどれだけ考えても
割り切れない

この20年の間にお墓参りも行った
京都の東寺の映画館で「探偵物語」が上映されると聞き毎週通った事もあった

また志賀勝さんや丹古母鬼馬二さんなど「探偵物語」の共演者の方と
親しくさしてもらえたりと小さな優作追っかけは今でも続いている

今でも困難にぶち当たる度に
「こんな時、優作だったらどうするかな」と考えるのはこの先死ぬまで
変わらないだろう


(僕の事務所の片隅、「探偵物語」のパチンコ台や
ポスター、ハットなどが飾られている)
優作さん…小学校三年の初恋の人です
20年前たった五年しか、優作さんのファンでいられなかったのが残念です…
ほんとに死んだのかな?まだ信じられないんです
もう20年も経ったんだなって感じです。 当時は現実として受け入れることがなかなかできなかったけど、20年という月日が流れても何も変わらないなって優作さんの作品を観る度に思います。

もし優作さんが生きていたら… どんな作品を作り出しているんだろう…

そんなことを考えたりしますが、残された作品で十分過ぎるほど生きた証を示されているよなって感じます。
優作さんの大ファンです!
「あの日」は、ただただ泣きました。

自作のスライドショーです。↓優作さんに捧げます。
良かったら観て下さい。


コメントが遅れました。

深夜のTVの速報テロップで優作さんの死を知りました。
一体何のことだかわからず、しばらく呆然としていましたよ。
そして、涙が溢れ出しました。。。
翌日仕事だったのですが、どのように過ごしたのか覚えていません。。。
ただ、俺が優作さんのフアンだったことを周りの人間は知っていたので、
「松田優作亡くなったね」と言われて、「そうですね」と答えたことだけは覚えています。。。。

あれからもう20年経つんですね……

振り返ればこの20年、「優作さんのようになりたい、優作さんのような生き方がしたいexclamation」と常に意識して過ごしてきました。

これだけ自分に影響を与えたひとは今まで他にいません手(パー)優作さんだけです。

そしてこれからも優作さんを意識して生きていくんだと思います。

優作さんに出会えた事は本当にラッキーで、ただ感謝するのみですぴかぴか(新しい)

これからもあなたに少しでも近付けるように真面目に生きていきます手(グー)

本当にありがとうexclamation
ショックを受けたくないのでテレビ、新聞、雑誌一切見ませんでした。
なので記憶が飛んでおります。

前に優作さんのお墓参りに行った時、誰かが先におりました。

挨拶もそこそこにして親戚の方ですかと聞いたら「美由紀の母です」と言うではありませんか、
びっくりしました。
ハリウッド映画に出ることなど優作さんのその時の思いなど聞かせてくれました。
これからも色々と応援するからと言われ何かあったら来なさいと南阿佐ヶ谷のお店を教えてもらいました。
それから一、二年後癌でその方も亡くなられました。

優作さんは僕のヒーローから人生観をかえた大切な人に巡り合わせてくれた人です。
ニュースを聞いたのが11月7日の朝。

そこにいるのが当然だった人がいなくなってしまった喪失感。

何ともやりきれない気分で大学に行った事を覚えてます。

もう20年か…。
やっぱり、当日は衝撃でしたね!!
しかも鮮烈にいまでも脳裏に焼き付いてますね!!

当時専門学校を卒業して
映像業界に就職して2年目で、
仕上げの作業をする初日。

コンビニで一緒に仕事をしていた
監督が買ったスポーツ新聞に躍った
その記事に、朝一だというのに
強烈な脱力感に襲われたことを
覚えてますね・・・。

一日ぼーっとしていて失敗ばかりで・・・。

当時は、将来一緒に仕事をしたいという夢を
持っていたけど・・・。

そこからの人生観もすこーし変わりましたね!!

でも、今でも毎夜のようにDVDで優作作品をみて
元気もらってますわーい(嬉しい顔)
もう、あれから20年か…。
確か高校生だったと思う。いつものように朝起きると、母が「松田優作、死んだよ」って。一体何のことか理解できなかった。体の力が抜け、現実が遠ざかっていく感じ。その日は、学校をサボって近くの喫茶店で一日中ボーっとしていた。
そんな思い出があります。
でも、今でもあんまり実感が無いんですよね。

追悼で愛車のベスパに乗って工藤ちゃんになりきってたかな涙
もう20年も経つんだね
「また会おうな!」優作さんから色々とアドバイスを受け、別れ際のこの言葉…あれから20年以上の月日が。

そして今日また【あの日】が…

今日優作さんと同じ命日の父の一周忌を執り行って来ました。

俺に取って11月6日は特別な日…

俺自身も新居に移り、間もなく入籍いたします。
その報告に落ち着きましたならお伺い致します。

「また会おうな!」俺は忘れていませんよ
優作さん!

あの日の事は忘れない。
あんなに影響力のある人はいないと思う。

言葉に表せない程、あの人の存在はでかすぎる。
あの日、子供の幼稚園送ろうとしたとき、テレビで知りました。びっくりでした。しばらく、テレビでみないなぁと、思っていた。

子供の幼稚園、遅刻させてまで、テレビにかじりついて、録画してました。葬式シーンを。桃井かおりが、倒れそうな姿勢で涙で、くしゃくしゃな顔で、立ってましたね。忘れられません。

まだ、優作の息子たちが小さくて、上のお兄ちゃんの、ズボンのすそが短いくらい、足の長い男の子で優作そっくりの子だという印象があります。

あれから、21年。

太陽にほえろからのファンでした。

数年後、銀行の週刊誌で、優作のことを、霊媒師が霊視して、優作は死にたくなかったと言ってるというのを、読み、涙が出ました。

最近、古本屋で、優作の前の奥さんの美智子さんが書いた優作の永遠の挑発を買いました。


彼ほど、好きになった俳優はいないです。
昨夜 矢沢永吉ライブの打ち上げ時、矢沢のかっこよさの話しから、松田優作の男らしさの話しになりました。参加していた女性が言うに、ブラックレインが公開された1989年、松田優作が9月くらいに羽田空港から松山行きの全日空チケットを現金で買っているのを目の前で見ていた、との事。11月6日に亡くなる直前、 一人で松山へ飛んだのはどうしてでしょうか?ご存知の方、教えて下さい!

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