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ニール・ドナルド・ウォルシュコミュのニール・ドナルド・ウォルシュと奥さんは別居?離婚調停中?

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ニール・ドナルド・ウォルシュさんの奥さんのナンシーさんのウェブサイトに

In 2003 Nancy and Neale separated amicably

とありました。どなたかその後どうなったかご存知の方はいませんか?

彼のRelationshipの本にはナンシーさんは自分が理想として描いていた女性とは全然違っていたとあったのでその後どうなったのか調べてみると1995年に結婚して2003年から別居中となってその後が??です。仕事はそのまま継続しているとかいてありますが。

コメント(48)

ムーンライトさんは、おそらく、『神との対話』をニールさんが自分自身の考えを表現するために書いた小説のようなものだと理解されている。
だからどんな人間が書いたものなのかが気になる。
もっともなことでしょう。

ところが一方では、『神との対話』を文字通り実際に起こった神からの直接の啓示だととらえている人たちもいる。
その人たちは、単に神の言葉の通路として使われた人間の人格と神の言葉とは無関係ととらえるから、どうして通路の人生と神の言葉の価値を結び付けようとするのか、という思いになる。

ということで、コミュを盛り上げるよいきっかけになっていると思います。

私は michael さん、↑みたいに、ムーンライトさんは、単に≫≫どなたかその後どうなったかご存知の方はいませんか? ≫≫ 知りたいだけなのではないかと思いますよ。

>02のコメントも読みましたけど・・・。

≫≫その人の人生を知ることはその人の理論がどのように表現されているかを理解するのに一番だと思います。≫≫

〜だとしても、トピ主さんのそれが、私達(他の読者?)にとって、CWGについての受け留め方をどうこうするとは限らないと思いますし・・・。
トピ主さんが、CWGについて、さらに理解を深めるステップになるかもしれませんし・・・。 
聖書の中身を知るために、イエスキリストの生涯を調べようとしたりする人たち、たくさんいますしね・・・。
トピ主さんは、単に興味があるだけじゃないですかね?!
親せきの誰かが、「大恋愛の末、結婚したのに、最近、別れたって聞いたけど、ホントのところ、どうなの?」っていうくらいの・・・。
私だって、興味ありますよ。
肝心なのは、離婚したかどうかとか、関係が長く続くかどうかという”表面に現れた結果”や”現象”ではなく、その過程で、ウォルシュ氏が、または、私たち自身が、その物事に対して、どう対処するか、したか、どう向き合ったか?そういうことなのではないでしょうかね!?
ただ、興味はあるけれど、プライベートなことなので、知るチャンスがあれば(公に)知るだろうし、そうでなければ、私には個人的には関係ないことだと思うだけです。(私の考えです。)

先日、Conversations with God の映画のDVDを見たのですが、(アレは、本を読んだことのある人なら、より理解できると思います、が、読んだことのない人だと、何が言いたいの?!となるかもしれないと、思いました・・・)、ウォルシュ氏は、あの映画を通して、また、こうして有名になった後のジャーナルなどを通して、自分の生き方が”模範”なのではなく、それぞれの気付きを自分で見つけて欲しい、というようなことを伝えたいのだろうと、私は思いました。
特に、DVD(映画)で、CWGに辿り着くまでが描かれていますが、それは、『神(が、いるとしたら)は、私達の誰とでも対話をしえるのだ、こんな私にだって・・・。』ということを現したかった、伝えたかったのだろうと思います。それくらい、彼自身が、誰にでも起こりえる辛苦の経験を通して、「ふつうのひと」=特別な人間ではなかった、ということ、だから、誰にでもありえるのだということを伝えるため、わざわざ あれほどの苦しい時を(”過ち”と呼ばれたかもしれない出来事を)紹介しているのだと思いました。
DVDには、CWGに出てくる ほんの一部のポイントしか、紹介されませんが、その中に、【You are your own rule-maker.You set the guidelines. Love is all there is.】というものが出てきます。ウォルシュ氏が離婚していようといまいと、どういう生き方を今していようと、それは、それ、CWGはCWG,だと、それを私達が自覚していれば、いいのではないでしょうかね。だから、離婚しているかどうかを知りたいというのも、その一つ=自分がそれを知った上でどう判断するか、なのだと思います。
そして、ご存知のように、↓、
【Remember, You are constantly in the act of creating yourself.】も出てきます。
トピ主さんが、ウォルシュ氏の離婚について、その”理論”について、どう考えるかを私達がどうこういうことは、、、やぼかもしれませんよ・・・。
”他人がどう思うかよりも、自分が自分に対してどう思うかを考えなさい”、ということもありますし、ね。
トピ主さんの答えを知っておられる方、教えてさし上げてくださいな・・・。
ウォルシュ氏は、ご自身の言動に関して、なんら恥じることも、隠すことも、私達に押し付けることもしていないと思いますから・・・。
(ただし、プライバシーの保護で、表に出していないこともあるでしょうから、そういうものを掘り出すことは、私の本意ではありません。)
アトレイユ様
おっしゃる通り、「ムーンライトさんは著者の人生がその人の理論に表現される」と言っており、私もそこは気になりました。しかし、話を複雑化しないためにもあえて最初のトピ立ての意図に限定しました(それに私も知りたかったし)。

Hiroshix★様
もちろん読みましたよ。

ムーンライトさんが最初にトピ立てした時点では、(私には)知りたいだけなのかどうかはわかりません。
ただ、聴かれていることは、
「その後どうなったか?」
だけではないでしょうか?と申し上げています。

それにしても当の本人は蚊帳の外になっていしまった。
それにニールのその後はどうなったのかなー?
色々なコメントありがとうございました。私の意図を超えて話が膨らんでしまったので驚きました。

私は単にRelationshipの本を読んでその後を知りたかったのです。本の内容からいってこういう結婚のやり方だと心理学的にいけばその後は離婚かなと思わせる節があったからです。だからといってその事に対して意見を云々というわけでもありません。

彼は神との対話で人生をもっと実りあるものにしたかったとラリーキングライブでも話していたので詳しくその後をの人生を追求したかったのです。神との対話の後、彼自身の人生がどうなったのかはやはり10年以上たってみないと結果がでないと思います。どう生きたかについて批判するとか共感するとかではなくどうなったのかという事実の方に興味があるだけです。

ここのコミュの方はメッセージは神から来たと信じて話が展開されているわけですが彼の著書にも時々本当にそうだったのかと本人も迷う事があるとありました。もっともそれが事実かどうかも問題ではないと思います。

彼の人生と彼の本の内容には関係ありません。それは承知です。

発売当時は大ヒットになったようですがアメリカでは今ではあまりスピリチャルの集まりでも話題になることがありません。どちらかというと今では日本での方が人気があると思います。神との対話の映画もとてもマイナーであまり話題になりませんでした。最近はどちらかというとニューエイジのベストセラーを出した著者の一人という程度の人です。メッセージが彼のオリジナルではなくてもやはりメッセンジャーの彼の人生はその教えを広める上で大きな影響を与えていると思います。売れればいいというわけではありませんがどうして人気が落ちたのか気になりました。

情報とご意見ありがとうございました。
>ムーンライトさん

>彼の人生と彼の本の内容には関係ありません。

そうですか。
でも、

>その人の人生を知ることはその人の理論がどのように表現されているかを理解するのに一番だと思います。

↑これは、その人の人生がその人の本に表現されると読めるのですが。

(コメント8の「ムーンライトさん」の「さん」が抜けてました。スイマセン。)
アトレイユ さん
人生と内容は関係ありませんが彼の生き方は読者に影響を与えるということは矛盾して無いと思います。

たとえばあまり例としては良くないのですがわかりやすいのでご了承ください。
殺人犯が泥棒に盗む事は良くないと言ったとします。でも泥棒は君は人を殺しているではないかといってその人の生き方を批判して殺人犯の意見を聞かないと思うのです。

書き方に誤解があったようでその辺を非難されてしまって困ってますが要するにそういうことです。

あまり深い意味や彼に対する批判はありません。彼自身が受けたメッセージを元にどんな人生を送っているのかに興味があるだけです。
>ムーンライトさん

なるほど、よく分かりました。
つまり、「神との対話」の判断基準になるということですね、著者の日常が。

ですが、考えてみてください。
何故、神は敢えて、そのような人物に啓示を降ろしたかということを。
何故キリストのような人物を選ばず、一般的な見方をすれば「日常に問題あり」と思われ得る人物を選んだのか、ということです。
それは疑う人に疑うチャンスを与えているということです。

ムーンライトさんは、著者が何度も離婚しているということを、「神との対話」他、彼の著作を評価、判断する基準にしたいのではないですか?
つまり、「神との対話」を疑っているのでは、そして、疑う理由が欲しいのではないですか?
つまり、著者の離婚問題以前に、あなたはもう彼の著書を疑っておられるのでは。
本当に関心があるのは彼がまた離婚したかどうかではなく、「神との対話」が信じれるかどうか、なのでは。
離婚という事実は、彼の著書を疑う恰好の理由になるのでは。

私はムーンライトさんを批判しているわけではないんですよ。ただ、そのことに気付いて欲しいだけです。

そして、彼の離婚に一体なんの関係があるんだ!?…と過剰反応する人は、彼(彼女)もまた自身の中に疑いを持っているのです。だからこそ、信じる気持ちを守ろうとして疑う者を攻撃しているだけです。
一般に、批判というものは、自分の中に同じものを感じているときに生じるものです。ただそれは往々にしてそれに対して無意識なわけですが。
キリストはその当時は無名の大工で普通の人が見向きもしなかった人です。ワルシュさんとキリストではどちらが社会的に受け入れられなかったかと言えばキリストの方かもしれません。キリストは死ぬまでユダヤ教のラーバイやローマ軍に敵対視され最後は処刑されたのです。その後キリストの教えは多少は変化したでしょうが今日まで伝えられています。それは何故か・・・宗教家や歴史家の立場からの検証は今日でもされています。

どうしてアトレイユさんはここまで言葉の端々に批判が隠れてないかを探して攻撃してくるのか理解に苦しみます。

個人的に離婚は不幸な結婚よりいいと思うのでそれに対して特に感情や批判はありません。

アトレイユ さんは批判してないといってますが少なくとも完全に誤解をしています。
なのでこれ以上の討論は無駄だと思います。というか討論にもなっていません。私が追加説明をしてもまたそこから批判材料を探していらっしゃるのでお互いに空回りという感じです。
>ムーンライトさん

>どうしてアトレイユさんはここまで言葉の端々に批判が隠れてないかを探して攻撃してくるのか理解に苦しみます。

ん?
私は、ムーンライトさんがニール氏に批判的な視点を持っているんなんて思っていませんよ?
「信じれないのでは」という部分をおっしゃっているのでしょうか。
信じれないのは、信じれない自由があるではありませんか。信じれないのは批判ではありません。
また、信じていらっしゃるのなら、それはそれでいいです。私は信じています、と、それでいいじゃないですか。

批判されている、批判材料を探していると悪く受け止められてしまっては、こちらも誤解ですね。
確かに空回りになりますね。
ムーンライトさんが、何故「攻撃」と受け止めるのか、私も解りません。
話が嚙み合わない原因は、ここのコミュの住民の多くが『神との対話』はニールさんによって書かれたものではあるけれども、全面的に神の霊感によって書かれたものだと認識しているのに対し、ムーンライトさんは、人間ニールさんが書いたひとつの書物だと認識していることだと思います。

ムーンライトさんはそうははっきりおっしゃっていないですが、ムーンライトさんのキリストに対する認識などもそうしたムーンライトさんの認識のしかたを傍証していると思います。
ムーンライトさんの認識しているキリストは、聖書の語るキリストではなく、歴史家の目で見たキリストです。
聖書にはイエスには生まれながらに罪がなかったと書かれています。聖書の語るキリストはニールさんなどとは似ても似つかぬ存在です。

ムーンライトさんは聖書を信じていないように、神との対話も信じていらっしゃらないのでしょう。

ここの住人の多くが『神との対話』をいわば聖書のように認識しているのに対し、ムーンライトさんは、歴史家や宗教学者が『聖書』をひとつの古典としてとらえているのと同じように、『神との対話』もひとつの書物としてとらえているのでしょう。

それがここの住人の一部の逆鱗に触れて噛み付かれているわけです。
>神と対話した後も離婚すんのかよ!
私も正直そう思いました。
ただ正直な感想で、別にどっちでもいいんですがw
>ナムさん

ナムさん、こんにちは。(某コミュでご一緒のナムさんですね。)

>話が嚙み合わない原因は、ここのコミュの住民の多くが『神との対話』はニールさんによって書かれたものではあるけれども、全面的に神の霊感によって書かれたものだと認識しているのに対し、…

いや、ナムさん、私はむしろ、そうでない派です。
むしろ、私とムーンライトさんの空回りの原因は、ムーンライトさんが私を「神対」の無条件信頼派だと思い込んでいるからですね。だからおそらく「批判」と受け止めてしまうのでしょう。

私は懐疑派に対して「逆鱗に触れ」て攻撃することの方が問題ありであり、疑いを持つ自由を受け入れられないのは、自身の内の疑いを排除しているからだと思うわけです。
ですから、ムーンライトさんに「攻撃して来る」と取られて、すごく残念。
いろいろ煮詰まっているようですが・・・。
CWGに書いてもありますし、これは、それを読む前からの私の持論でもありますが・・・、
そもそも 結婚というものが、どういうものなのか、
人間関係において、今の(もしくは昔からの)社会において、どういう理由で存在し、または変化しているのか?!結婚が、はたして、たとえば ”健康的人間関係”なのか?・・・ということを 考えた時、離婚というものは、結婚と同じように人間関係における選択の一つでしかない、と私は思います。
>25 くるみさんや >24 Moby-Dick さんが、
「神と対話した後も離婚すんのかよ!」と書かれていますが(笑)、
私は、むしろ、対話した後だからこそ、離婚できるっていう人が増えるかも〜と思いました。 
離婚することが”悪”であるかのようなキリスト教の教えに囚われる必要がなくなる・なくなったからです。 
離婚が良いとか悪いとか、そういう判断は、ご存知のように、CWGにも書かれていませんし、私も、それは臨機応変であるものだと考えています。
ですので、”神と対話”したら したで、離婚したって、ぜんぜんおかしくないんですよね。
CWG3 でしたっけ? 彼らの結婚のVOW が書かれているのって・・・。 
その時その時、その日その日に、自分自身に正直であること、他者と自分との関係がどうあるのかを受け留めること、それで、結婚という形を保つのなら、それは、それ。やめるなら、それはそれ。。。 そういうことだと思います。
現在の社会における”結婚観”に囚われているかぎり、彼らの VOW また、有名になった精神世界をリードする人が、離婚するというのは、ちょっとヘンに感じるかもしれませんけどね。
(精神世界で”自分を見つけた”人と言うのは、意外と離婚していますよね。特に、欧米では、教会の教えによって、離婚せずに不本意な人間関係を続けている人たちが大勢いますから、呪縛から解き放たれ、選択権を得た人は、自ずと、人間関係の本来の意味を自らデモンストレートすることになるのだと思います。もちろん、同じ理由で、迷いを振り切って、結婚・特定の人間関係を長く保つという選択をする人もいるでしょうしね。)

>23 Hiroshix★さんが、書いておられるように、
≫≫あの本が、フィクションだろうと、ニールさんの理論だろうと、真理を真理と定義するのは自分しかいない。つまり、誰もが人生の主人公であり、〜≫≫ 
ということをどう理解・認識しているかどうか、それが今回、みなさんが ウォルシュ氏の行動をどう見るか・見ようとしているのかの、分かれ目なのかもしれませんね。
>私は懐疑派に対して「逆鱗に触れ」て攻撃することの方が問題ありであり、疑いを持つ自由を受け入れられないのは、自身の内の疑いを排除しているからだと思うわけです。

アトレイユさんは何度もそう指摘されていますよね。
それは心理学的にも正しい人間行動の観察と理解でしょうね。
過剰に反応する裏には抑圧された疑いがあると。
このスレでの書き込みを読んで、自分自身はどうなのだろかと、振り返ってみるためのよいご指摘だと思います。

私は、最初にムーンライトさんの質問の書き込みを読んだ瞬間にこれは祭りになるぞ(笑)と思いました。
世間一般の普通のいろいろな見方のある人の中での発言ではなく、『神との対話』にとりあえず惚れ込んでいる人が多いと予想されるコミュ上での質問でしたらから。

ちなみに、アトレイユさんの場合、疑念が全くないので、
別段、心の平静を乱されることもなく、いろいろな見方がありますね、興味深いですね、というような感覚と立場なのでしょうか?

あるいは、別に信じてないから、心の心の平静を乱されることもなく、いろいろな見方がありますね、興味深いですね、熱くなるのはおかしいですよ、というような感覚と立場なのでしょうか?

それ以外の中立の立場というのがあまり思い浮かばないものですから。

ちなみに、私の場合は、『神との対話』を真正な神の言葉と信じてますけれど、人それぞれ、いろんな見方もあるからそれはそれで、自分の信じてることを押し付けても仕方ないかな、でも、残念だな、って感じの立場です。
まぁ、神様自身が結婚制度に関してあまりよい意見を述べていなかったし、逆に辻褄が合うと俺は考えますがね。
このまえ(3/27来日)ニールさんは
「6回結婚して6回離婚した」
とユーモアたっぷりに語ってました。

ご参考までに。。
>みみ さん、
情報、ありがとうございます^^。

>Moby-Dick さん、
おはようございます〜、そうですね、盛り上がるって言うのは、アル意味、人それぞれが考えるチャンスを得ているってことだから、good chance なのでしょうね。
≫≫ 一生に一人の人と慈しみあい愛しあって生きることへの 憧れみたいなものが ≫≫ うん、わかりますよ〜、そういうのは、あるでしょうね〜。
 同時に、”結婚”しなくても、そういう関係って築ける・見つけることができるって私は、思います^^。
(結婚して・・であっても、しなくても!もちろん、それは選択次第でね。)
「善悪」なんて、人間の頭の中にしか無い、っていうのも「神との対話」のメッセージでしたね。
正しいも間違いも自分の中にしかないでしょう。
他人が判断するものじゃないですよ。
自分の目的に合ったものが、自分にとって正しいものだと思いますけど。
誰がどんな感情を持とうが自由ですし、一人の人を愛したい人はそうすればいいのだし、何人も愛したければ愛せばいいだけです。それに対して自分が責任を持てばいいだけです。
無責任なのは愛ではないと私は思いますけど、どうでしょ。
>著者が離婚したかどうかをチェックするということに何かの意味がありますか?それは的外れではありませんか?

的とは何のことを指すのでしょうか。たとえ意味のないことに感じる人がいたとしても、離婚したかどうかをチェックすることがその人にとって重要であれば、(まあ、ちょっと知りたくなっただけというような感覚でも偶然は必然だし)全て与えてあげられるもの(情報など)を持っていれば、全て提供すればいいと思います。
もしも、情報を知らせることによって
「相手の考え(真実の定義)を変えてしまうのでは」
という不安によって知らせないのだとしたら、ですが。


その情報と、ニール氏の考えなどを照合したところで、真実はひとつであり、そのひとつとは全てなのだから、結局みんなあらゆる道を通って最終的には同じところへ帰ります。

考え方が、ここに居る数人と違う部分があったとしても、「的外れ、道を外れるのでは?」という危惧は必要ないでしょう。自分が正しいと思うものに導いてあげたいという優しさなのでしょうが、トピ主も、『完璧』です。安心してあらゆる経験をしていただいたらいいと思います。誰しも、真実を求める人は、いまそこここにある真実に気づくときがくるはずです。全て納得がいくまで自分で選択し、経験する。まわり道をしても近道をしても、同じことです。

くるみさんもおっしゃってましたが、人は、自由です。あらゆることを経験できます。
神様は絶妙にニールさんを選ばれたのでしょうね?
こういった議論が起こることも当然予想されていて。

「常識」を壊すことが狙いなのでしょうね。
わたし達の最も身近な結婚制度について考えるように。

と言ったわたくしもどんな制度が理想なのか皆目見当も付きませんが。
語弊があるかもしれませんが、ニューエイジ思想って、
伝統的倫理観や社会の価値規範から自由になって、自己の感性に従って生きていいはずだという見方に流れやすいと思います。

その理屈で行けば、一生一夫一婦制を守るよりも、パートナーに縛られない自由な生を(性を?)賞賛する方向に行くのではないでしょうか。
らひいむさんのおっしゃってることはわかる気もしますが、そうやって総括してしまうのも無理があるかなと思います。

「神との対話」は本屋のニューエージの棚においてあるのかもしれないけど、正直「ニューエージ」ってカテゴリーとしては得体が知れない感じがします。

ある方向になんとなく「流れて」しまうことを良しとせず、それを超えて真摯にお話をされている方も多いのではないかと…。

お前は「神との対話」のファンだから、ムキになってるのだろうと言われればそうかもしれません。でも「ニューエージ」や「神との対話」や「ニール・ドナルド・ウォルシュ」を神棚に供えて拝んでいるわけでもありません。
「神対」の一夫一妻制の部分が否定なのか肯定かよく分からないのですけど・・・
確かに分かるのは「一時期に同時に何人もの異性を相手にするのではない」
ということだけですね。
ただ規制をとっぱらった自由もあれば、制限をすることによって得る継続性(結婚制度)という自由もある、ということじゃないですかねえ。
結婚制度ってもしかして経済発展に必要だったのでは?
一夫一妻の縛りで、安心して労働に専念して残業できるように・・・違うか?

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