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子どもの真実コミュの【Chapter7】 文字教育を考えましょう〜♪

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【Chapter7】 文字教育を考えましょう〜♪


最近の傾向として、子どもが文字を覚える年齢が早まっています。

みなさんの親世代(1960年代)では、ひらがなの読める4歳児は40%に届いていませんでした。
しかし、これが現在では、80%を超えていますふらふらわーい(嬉しい顔)


これって、どういうことでしょうか?


こういう現実を知らされますと、ママとしては、ちょっと焦りたくもなりますよね。
うちの子どもだけ、遅れてるんじゃないか…なんてねふらふらあせあせ
でも、もう少し先のことを考えて、ママとしては落ち着いた態度で子育てに臨みたいものです。


結論を先に申し上げますと、子どもの文字の習得は、なるべくなら遅い目がよいのです。
小学校では、ひらがなをまったく知らないということを前提に、国語の授業が始められますよ。

しかしながら、家庭環境によっては、幼児期の子どもがごく自然に文字を覚えることもあるでしょう。
この場合には、なんら問題はありませんが、早い年齢で意識的に文字を教えるには、
ケースによっては、親や先生の立場からはそれ相応の注意も必要であるのです。


そこで…。

少し全体的な幼児教育のお話をさせてくださいませわーい(嬉しい顔)

文字教育はいつから始めればよいか? という問題が今になって話題になるのは、
これまでの幼児教育において、子どもとは何か? という視点が希薄であったことを意味しています。
子どもの存在そのものに視点を当てた理解がゆきわたっていないということです。

子どもは何ヵ月の頃には離乳食を与え始めて、いつごろには歩くようになり…といった
子どもが社会に適合するための子育ては書物にも多く、私たちがよく耳にする内容です。
こうした取り組みは非常に大切であるのですが、
よりよい子育てには、これだけでは充分ではないと考えるのです。

子どもの存在そのものを見つめて、子どもとは一体どういう存在で、何を考え、何を求めて、
また大人と子どもはどのような関係で、どのように関わってゆくことが、
子どもの成長のためには大切なことであるのか? 
こういう視点からも子どもを理解するということが大切だろうと考えるのです。


〜さて、今回のテーマ、文字教育に戻りますね目がハート

早い時期に文字を教えるのは、何のためか? 
子どもの成長にどう関わっているか?
幼稚園で文字教育をすると、小学校での国語力はどうなるか?

これらの研究は、実際には遅れていまして、決め手となる結果はまだ出ていないのです。
(ご専門の方でお詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひ、お教えくださいませ。)
それでも、公表されているデータをひろってみますと、つぎのようなことが分かります。

幼稚園や保育園で、ワークブックなどの教材を使って、
早いところでは3歳児から文字を読み書きさせているようです。
こういう早期の文字教育を受けた子どもたちが、
学校へ行くとその国語力はどうなるのでしょうか?

入学してすぐの1年生において、早期教育を受けた子どもは作文力で、
受けていない子どもをはるかに引き離してよくできますが、
その他の読む・書く・聞くといった国語力は同じような結果が出ています。

そして、10歳(小学校3年生)ぐらいになりますと、
幼稚園で文字を習っていた子どもより、文字を習っていない子どもの方が、
国語力が少しずつ上回ってゆくことが知られています。←よく読んでねハートビックリの結果でしょexclamation ×2

だから、幼稚園では文字を教えてはならない、などと短絡的に考えてはいけませんよ。
科学的な思考でもう少し考えて見ましょう。


なぜあせあせ

幼稚園で文字を教えないと、なぜ小学校の国語力が向上する傾向にあるのか?

わが国の公教育では、子どもの成長データをもとにカリキュラム(教育課程)を編成しています。
したがって、何年生で何を教えるか、どう教えるか、ということはたくさんの科学的データによって、
驚くばかりに整然と決められているのです。

すなわち、子どもがひらがなを学ぶのは、小学校1年生で6歳と決められています。
つづいて、2学期にはカタカナを学びます。

それ以前に親が文字を教えるのはもちろん自由ですが、
文部科学省は6歳を文字教育の出発点と定めています。
くりかえしますが、これらの決まりは、これまでの教育データによって、
もっとも教えるのに6歳が効率的であると結論付けられたものですから、
安易にその是非を論じることはできないものなのです。

しかし、家庭環境などによって、子どもが文字を覚える時期に、
多少の早い遅いといったことは、それほど神経質にならなくてもよいと考えましょう。

また、幼稚園や保育園では、幼児にはどのように文字を学ばせることがよいか、
といった研究もされていますから、これについてもあまり神経質になることは得策ではないかもしれません。

このあたりのことは、幼稚園の先生などにじっくりとお話を聞きたいところですね。


さあ、ここからが今回の本題です〜exclamation ×2exclamation ×2

よりよい子育てを進めるには、子どもの成長を見届ける必要があります。←すごく当然ですが…揺れるハート

子どもの成長とは、身体の大きさや学習の進み具合と考えるママたちが多いのですが、
子どもの成長にとって一番大切なことは、子どもの心がどれだけ成長しているかなのです。
(これは、子どもが何歳になっても当てはまる大切なことです。)

すなわち、0〜2歳の子どもたちは、口をやお尻を中心とした身体の感覚や感触によって、
成長の欲求を満たそうとしますわーい(嬉しい顔)
これを充分に体験すると、子どもは次の段階の「空想」へと成長のステップを進みます。

3〜5歳の子どもたちは、空想の世界でたくさん遊ぶことによって成長しますわーい(嬉しい顔)
この時期、子どもは情緒的な世界を、つまり感情の世界を、広く深く鍛えるのです。

3〜5歳の幼児期は、子どもの心が自分の内的な世界に向かう時期で、
子どもの活動性がそのまま心の中へと深まってゆくのです。
子どもの心の緊張や葛藤が高いのも、この時期の子どもの特徴です。

これに対して、小学生といわれる6歳〜12歳の子どもたちは、外界へ向かって高い活動性を示しますわーい(嬉しい顔)
小学生は、教室で自分を主張することにエネルギーを注ぎます。
さらに、小学校を卒業するころになりますと、子どもたちの自己主張はゆるくなって、
子ども社会の一員としての自分の立場を考えるようになり、中学へ進みますほっとした顔

身体が急に大きく成長するのも小学生の特徴で、11歳女子の平均身長は150cmを超えます。
幼児期に比べて、自分の心に目を向けることは少なく、教室の出来事や友達との遊びに意識が集中します。
したがって、小学生の時期は、子どもが精神的に安定した時期で、心の緊張や葛藤といったものが少ないのです。


ハートポイント1ハート
精神的に安定する小学生の時期は、
たくさんの知識や操作的な技術を吸収するには最適な状態にあるのです。
この時期にこそ、文字を覚え、文字を書き、本を読み、文章をつくる…といった国語学習が開花するのです。

4歳の子どもに文字を教えることが悪いことではありませんが、
文字の学習に最適な時期ではないために、先生やママは周知な配慮が必要であるのです。
それは、文字は楽しいものであるという情緒的な世界をうまく準備しないと、
子どもの学習が質の高いものにならないのです。

ここではっきりと言えることは、
幼児期の子どもにとって、文字よりもそれ以前の言葉の教育が大切にされるということです。
うわべの言葉ではなく、空想の世界につながる、情緒的な世界での言葉の習得です。
以下、具体的にご説明しますね〜るんるん


ハートポイント2ハート
「おばけ」や「ママ」という文字を子どもが読めたり書けたりすることは、ほんのうわべの学習です。
幼児期の子どもたちにとって文字の読み書きが、できる・できないということと、
小学校から始まる本当の意味での国語教育とは関係のないことです。

「おばけ」という言葉が、おもしろくて恐いという、
子どもの情緒的な反応の中でわくわくと理解されることが、本当の意味での国語教育であるのです。
同じように「ママ」というひびきが、子どもにとってどれだけ温かく、甘美なひびきであるかが、
子どもの成長にとって非常に大切であるのです。

文字教育に先立って子どもたちに必要なことは、情緒的な世界をいきいきとさせる言葉の教育です。
空想の世界で鍛えられたみずみずしい感情の世界を言葉を通して認識するということが、
幼児期の子どもにとって一番大切な国語教育なのです。

これがしっかり体験できた子どもたちは、小学校での学力に心配はないといえます。


ハートまとめハート達(複数ハート)

幼児期の子どもたちには、空想の世界で充分に遊ばせることです。
そこは、大人の言葉がなかなか届かない世界ですから、私たちはそっと見守ることが大切なのですね目がハート

子どもたちは空想の世界を求めて、わけのわからない言葉を発しますし、ときには意味不明な行動をとります。
子どもの身の回りのものは、すべてが空想の対象となりますし、たとえば、
ひらがなの「て」の文字だってあひるになってガアガアとうるさく泣き始めることもあります←うるさい〜exclamation & question

このような空想体験が成長のプロセスとして非常に大切なのですが、
子どもたちにたくさんのことを空想させることを前提に、
幼児期の文字教育を広く理解することは可能だろうと考えられます。

たとえば、絵本の素晴らしい世界へ子どもが入ってゆくために、
その必然として文字を覚えるということは、とても理にかなった学習であるのです。

文字とファンタジックな世界がつながっているということは、子どもの学習にとって理想的であるのです。
文字を学ぶことがそのまま楽しく、子どもの空想につながっているという情緒性をともなった学習は、幼児期の子どもと文字との出会いにおいて、もっとも大切にされることなのですね。


付記: 幼児期から小学校の国語教育には、つぎのような要素がより大切であると思います。

○ Education of language (国語の教育) 
        ↓
◎ Education through language (国語を通した教育)




□ 今回は、子どもと文字の出会いについて、たくさん書かせていただきました。
いつものように、子どもさんのご様子やママのこと、ご感想・ご意見・ご質問・つぶやきなどご自由にどうぞ〜。


コメント(56)

>7 ゆきさま

こんにちは。

結論は、↓ご自分でお書きになっていますよねわーい(嬉しい顔)

>やはりあえて与える必要はないでしょうね。興味をもった時がその子のはじまりだと思います。

習字なども小さい子どもさんがやっておられるのをボクは知っていますが、
厳しいことを申しますとね、科学的な視点からは何も分からないのですよ。

子どものときからお習字をやって、子どもの成長にどのような影響があるのか?
それとも、ないのか?

きれいな字を書きたいということで、
小学校の低学年の子どもさんがお習字に通われるのは、
子どもの発達から考えますと、ボクはまちがっていると思います。

こういう場合に、はっきりしていることは、
指導される先生が人間的に優れた人であるかどうか、
また、子どもがその先生のことが好きかどうかは大きな要素だと思います。

…が、やはり、長い見通しをもって通わせることですね。
めずらしく、ちょっとネガティブなことを書きましたが、
これからのご参考になさってくださいませわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

>10 まむむさん

このまむむさんのカキコミにボクが応えるのは、難しいなーあせあせ

野球のピッチャーでいえば、チェンジアップかexclamation & question

…と、理解しましたよわーい(嬉しい顔)
Juneさま

やっぱりこの時期は遊びが大事なんですね。
早くから習い事をさせることに私は少し抵抗がありました。
自分からこれを習いたいと言うまでは好きな事をせきるだけさせてあげたいと思ってます。
習い事をしているママに聞くと、水泳は泳げないと小学校で苦労するから、体を丈夫にするから、自分が連れて行って入るのが面倒だから教室だと入らなくていいと聞いたことがあります。
確かに心肺機能を高めるので、喘息のあるうちの子にも水泳いいなと思いました。
でも、習い事にしなくても市民プールに行ける時に行って自由に遊ばせる方が楽しくて安くて(笑)いいかなって思います。
それで自然に潜れたり泳げるようになったのでこれでいいかな。
英語や学習塾に通わせるママは、予習復習の習慣が付けられる、小学校に入ってから勉強がスムーズに学習できる、早くから英語をすれば耳がよなる、と聞きました。
ピアノは継続する力を身につけさせる、音感をよくしたい、女の子だからピアノは弾けるようにさせたいなど。
私はできるだけ遊ぶ時間を作ってあげたいので、習い事で時間をとることがうちの娘にはあってないような気がします。
月謝も結構高いので家計に響くこともありあせあせ
一つの遊びからどんどん別の遊びへと発展させる娘をみてると、子どもは遊びの天才って思います。
その姿を見守ることを今は大事にしてます。

一つだけ習わせたいなと思うものは、合気道。
女の子なので自分の身を自分で守る術は身につけさせてあげたいなと思います。
でもそれは小学校に入ってからかな〜
Juneさん

お返事ありがとうございます♪

>mioさんは、はっきりしてるんだ。

あはは〜〜〜。
そうですね、つねづね「世の中に絶対はない」と思っているのですが、はっきりしているとこはしています!

早くに字や英語を教える早期教育やフラッシュカードとかには興味がないんですね。
ダメだと思っているというよりは、なんで急ぐのかよくわかんないんですね。
それこそいろいろやる人は、子どもをどうしたいのかなあって思うんですよ。

でも、義理の妹に「mioさんは子どもの才能を伸ばせないわよ!」とか言われちゃったんで、自分が必要ないと思うものははっきり意思表示しないと!と思ってます♪

そんなわたしも、子どもに楽器を与える時期はちゃんと見極めて…と思ってます。
子どもが興味なさそうだったら楽器習わせないことにしますけど。

ヴァイオリンの場合、6歳過ぎたらやっぱり遅いかな〜といろいろ見てて思うので、あと少し猶予があるので悩んでみます(笑)
トピずれ、失礼しました!
子供の教育、本当に難しいです。
私は“安く楽しめるなら、色々な体験をさせたい” と考えていますので、地域の未就園児のサークルやリトミックなどに参加しています。(どのサークルも毎月1回、格安ですぴかぴか(新しい))

娘は色々学ぶ(遊ぶ?)のが好きなようで、ヤマハの英語教室体験・音楽教室体験なども大好きでした。
現在2歳8ヶ月の娘は、平仮名はだいたい読めます。
私が最初、10文字弱教えたけれど、なかなか進まないので面倒になり放置(笑)。残りは娘が自分で親に質問しながら覚えてました。
でも3歳前…Juneさんの書き込みを読みながら、それが良かったのか不安になりつつあります…。

話が変わりますが、先日公文の無料体験に行きました。
未満児は、『とにかく沢山の言葉を耳に入れる』『年少入園までに、平仮名は完璧に読めるように。』と言う考えだそうで、国旗や数字・漢字、二語文なども沢山出てきて、びっくりしました。
『ここまでの英才教育?は求めていないし、高いお金を払ってまで習う必要は無いかなあせあせ(飛び散る汗)』と思いましたが、当の本人は楽しかったようで、体験終了時には大泣き。
『もっとやりたい』
『終わらない』
『帰らない』
『先生にさようならしたくない』
と泣いて泣いて…
無料体験には、自宅でするように宿題も出たのですが、最初の4日間は、その宿題も終わると『もっとやりたい』『さようなら(学習終了時の挨拶)はヤダ』と泣いて悲しむ始末…
毎日『明日の宿題があるよ。だから、また明日。泣かなくても大丈夫。また体験にも行くんだよ。先生に“さようなら”の挨拶をしても、また会えるから。』と伝えて、ようやく泣かなくなりました。
Juneさん、こんなに喜ぶなら、早期教育は…と渋るより、子供の意思を尊重して通わせてあげた方が良いですかexclamation & question
>19 うさにゃんさん

こんにちは。
どうして子どもを習い事へ行かせるのか?
興味深く読ませていただきました。

どのママも、学校のお勉強だけでなく、
それにプラスアルファを求めているのでしょうね。
このプラスアルファを求めるママの意識がポジティブなものであればなにも問題ないと感じました。

逆に、ママのコンプレックスが下敷きにあって、
子どもには私みたいな苦労をさせたくないといった意識があると、
これは子どもにとってつらい道のりが待っているように思いました。

習い事に行かせるかどうかは、子どもが決めることではありませんね。
どのような習い事も長いスパンで考える必要がありまして、
近所の子どもが行ってるから…いっしょに行こうか? ということは避けましょう。
やはり、子どものタイプを親がよく見て、子育てが終わる20歳ぐらいまでの影響を視野に入れておくことです。

その点、スポーツ系は、アスリートを目指すのでなければ、
やや気楽に通わせられるように思います。

余談ですが、合気道の現在の道主さん(植芝氏)といっしょにお仕事をしたことがありましたが、
たいへんな人格者で、その正当な武道としての見識の高さに感服したことがありましたよ。
ご参考まで。

>20 mioさん

音楽、ヴァイオリンのこと。
これはトピずれどころでなくて、非常に大切なことですよね。

結論から申しますと、習い始める子どもの年齢と先生の指導が決定的に重要だと思います。
ボクは教育大院の美術専攻なのですが、同じ学舎に音楽専攻の学生がいました。
かれらとボクたちは芸術系の共通した授業があったのですが、
美術系ののらのらとした雰囲気とは別に、音楽系はものすごく勉強してましたよ。

その一番の違いは、本文の最後にボクが書き足した部分にあるかな?と思っています。
そこんとこ、他領域の学習と比較して、取り上げて書いてみますね。

子どもの美術教育
Education of art < Education through art

子どもの音楽教育
Education of music > Education through music

上のような傾向があるんじゃないだろうか、と感じるのです。音楽教育はとても難しい要素があると思うのです。
美術教育とちがって、基本的に技術的なことを避けて通れませんからね。
最近の美術教育は、作品をつくらない授業にも力を注ぐようになりまして、
さらに人間形成のための学習が強調されているのです。
国語の場合は、文学(物語・詩)や絵本といった教材がありますから、この両者の中間ぐらいかなという印象を持ちます。

子どもの国語教育
Education of language = Education through language

ともあれ、それぞれの先生の教育観が大切ですよね。
ボクの教育の考え方と長年の疑問を書かせていただきました。
また、機会があれば、お教えくださいませわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

>21 ゆうとママさん

こんにちは。
よいご質問だと思います。
こういう気持ちのママが全国にどれだけいらっしゃることでしょうか。

子育てをするということは、子どもとの良好な関係をもつということなのですが、
ときには、ママが子どもを指導する必要に迫られることもあります。
…めったにありませんけどねふらふらわーい(嬉しい顔)

今回の場合なんかは、ママがお嬢さんを指導する場面に遭遇したわけですよね。
キャー右斜め下右斜め下 キツイッス右斜め下右斜め下

子どもを指導するということは、ママが自分で掘り下げて考える必要があります。
この姿勢は、これからの人生でときどき出会う大切なファクターです。
子どもを指導するということは「掘り下げて考える」ということを記憶しておいてください。

企業が何かをするということは、すべて営業活動です。
無料キャンペーンなどといっても、すべてお金が背景にあります。
子どもさんを無料体験に連れてゆくときには、
その企業のデータを一応調べて、自分の子どもに必要であるかどうか、
ママとしては立ち止まって考えましょう。
子育てが終わる20歳にまで意識を広げて考えて見ましょう。
↑これが、掘り下げて考えるということです。

ボクがこのコミュで取り上げている幼児期の子育ては、
子どもの外的なスキルを伸ばそうというものではありません。
このコミュでの関心は、子どもの内的スキルにあるのです。

■外的スキル…できる・できないによって明確に区別される能力。歩く・走る・読む・書く・計算する…点数によって評価することも容易。
■内的スキル…心の深さ、やわらかさ。気持ちの安定・やさしさ・愛情・興味の方向・行動の傾向など…評価が容易でなく、見て確認することが難しい。

幼児期の子どもは、ママといっしょに心のエネルギーを蓄え、内的スキルを耕す時期であるのです。
学校へ行けば、今お考えの学習ぐらいはすぐ身に付きます。
このことは、子育てを理解するうえで、何回くりかえしても言い足りないほど重要なことですわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

公文式のことをお書きになっていますが、企業はあくまで外的スキルを扱います。
なぜなら、内的スキルを扱うと教育を商品化できないからです。
ここに企業の非はありません。商品を売って利益を上げることが企業の目的だからです。

そんなわけで、企業の商品には、子どもの内的スキルは含まれていないという現実をご理解ください。

↓ついでながら、たった今、こんな情報を見つけましたよ。ご参考まで。
http://okwave.jp/qa/q889344.html

> Juneさん

まさかの返答でしたexclamation & question
娘が誰よりも綺麗な字を書きたいと言ったことにほとんど深い意味はなかったのですね!
素直に喜んでおりましたわあせあせ

私自身、子供の頃習い事は好きで行っていた記憶はありません。だから、書道教室もかなり悩んで入れたんです
書道で娘に綺麗な字を書いて欲しいとか思った訳じゃないのであせあせ
単純にお習字に興味を持ってるからというだけです。

今のところ好きで行っているようなので、長い目でもって通わせますね。

Juneさま

早速の回答ありがとうございます。
誘導して頂いたサイトも覗いてみました。
娘は各種サークル・習い事、大変喜んで参加しておりますが、まだ幼いため、自分で『絶対これを習いたい。学びたい。』と言う訳では無いと思います。
確かに公文は繰り返しが多いですね。
幼いうちは特にそうなので、学んでいる内容を理解しているかも怪しいですね冷や汗

私自身が娘には、
クローバー英語を喋れるようになって欲しい
クローバー私自身が、公文で算数・数学を学んでいましたが、おかげで学校の授業もスムーズだったので、娘にも年中位になったら算数を学ばせたい
と考えています。

でも、Juneさまの仰るように“掘り下げる”と…
子育てのゴールは、“自立・自律”なんですよねぇ電球
そう考えると、やはり今すぐの公文入会は止めておこうかと思います。

ちょうど本日が2回目の無料体験だったのですが、先生の考え方が、
『DVDを見ながらお留守番が出来る2歳ではなく、絵本を一人で読みながらお留守番出来る3歳にしたい』
『繰り返しやっていれば、字が読めなくても、絵を見たら何が書いてあるかインプットされているから、(表面上は)読めるから自分でプリントが出来るようになるから大丈夫。』
との事でした…
私が望んでいる事とは違うな… と思うと同時に、高いお金を払って、そんなに急いで“形ばかり勉強出来る子”にならなくても… と思いました。

でも娘は喜んでいるし、挨拶&集中力には良さそうだし、難しいですね〜がまん顔

でもでも、子育てのゴール“自立・自律”を忘れないように、先ずは気持ちを満たして、幸せな親子関係を築けるようにしますわーい(嬉しい顔)
息子を寝かしつけながら寝てしまい、変な時間に目が覚めてしまいました。

トップにあるJuneさんの書き込みを見て、何かつかめた気がしたので、雑感になりますが、私の考えたことを書いてみたいと思います。


うちの息子は、今2歳1ヶ月ですが、1歳8ヶ月くらいで平仮名に興味を持ち、半分くらい覚えました。
絵本の文字を指さしたり、小さい平仮名のカードを持ってきて見せるので、それを読んであげていたら覚えたようです。
数字も同じようにして覚えました。

文字教育は遅めがよいとこのコミュで知り、私は息子に間違ったことをしてしまったのかしらと不安になっていた反面、「子どもにとって文字と他の物の違いはあるのか」という疑問もありました。
つまり、犬を指さす子どもに「犬だよ」と教えるのと、「あ」を指さす子どもに「"あ"だよ」と教えるのに、何か違いはあるのかということです。
幼い子どもへの文字教育が歓迎されないことならば、前者もよくないのかしら、と。

しかし、juneさんの「"て"があひるになってがーがー鳴くこともある」という文を読んで、その疑問が少し溶けた気がしました。

文字に興味を持ち覚え始めた頃、息子の好きだった遊びがあります。
それはパペットのくまに文字カードを食べさせる遊びです。
私がパペットを手にはめて「"あ"が食べたいよう」と言うと、「あ」のカードを持ってきてくまの口に入れるといった感じです。
自分でパペットを持ってきてリクエストし、何度も何度もやりたがりました。

息子にとって、その時「あ」は文字ではなく「くまちゃんの食べ物」だったようです。
他に積み木や車も食べさせたがりましたから、他のおもちゃとの区別はなかったのかなぁと思います。


うーん…、何かがつかめた気がしたのに、やっぱり上手く書けませんでした。
これ以上書くとわけがわからなくなりそうなので、やめます。



習い事についてですが、うちは、ヤマハの2歳児コースに通っています。
8割は私自身のためです(笑)。
専業主婦で、特に決まった予定もなく過ごしているので、「○曜日は○○の日」というのがあると、日々にメリハリがついて安心するんですよね(笑)。
あとは、街に出るきっかけになるので。
ついでに買い物をしたり、帰りにパン屋さんでパンを買ってきて食べたり、そうでなくても、人や車の多い町並みを歩くだけで気分転換になっています。

習い事と言っても、一緒に歌ったり踊ったりするだけなので、遊びに行っている感じです。

家では、他のことが気になったり家事をしながらだったり、集中して息子と向き合うことが難しいこともありますが、そこに行っている時間は息子と遊ぶことだけに集中出来るのでいいなぁと感じています。



フィギュアスケートの小塚崇彦選手は、スケート一家に生まれましたが、お父様はスケートをやらせるつもりはなかったそうですね。
小塚選手が5歳で始めた後も、「やめたくなったらやめてもいい」と言っていたそうです。
それでも小塚選手自身が続けることを選び、ついには世界選手権メダリストになりましたよね。

浅田真央選手のお母様は、最初真央選手をバレリーナにしたかったそうです。
スケートはそのために足首を鍛える目的で始めたのだとか。

「球児」という名の野球選手もいますよね。
名前につけるくらいですから、きっと親は幼い頃から野球選手にするべく教育したのかなぁと推測します。
でも、彼も大成したのだからすごいです。

色んな例がありますね。

長々とすみません。
さて、朝までもう一眠りします。
>27 ゆうとママさん

こんにちは。

ゆうとママさんのお悩みは、多くのママたちに共通したものがあると思います。
そこで、このコミュニティで管理人のボクが考えている子育てのもっともベーシックな部分を
くりかえして書かせていただきますね。

…といっても、ボクがこれまで学び、経験したことをみなさんに語っているわけですから、
まだまだ未熟で、考え方の不十分な箇所もあめと思いますので、
これは…? とお感じになられたメンバーの方は、どうぞ補足・補充をお願いしたいと思います。

どうぞ、よろしくお願いいたしますわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

ボクが考えている幼児期とは、人格の基礎となる心を育てる時期と理解しています。
ですから、「できる・できない」という外的なスキルは考えていないのです。

早期教育が有効かどうか? というよりも、このトピの本文でも書きましたが、
子どもがどのように言葉を習得するかというそんな根本的なことさえも、
現代の教育学では解明されていないのです。

したがって、子どもに文字を教えるというような場面では、
私たちのご先祖が代々やってきたような無理のない方法で、
つまりは子どもの成長に任せて、親子共に心に負担のない、
自然な育児をめざす方がボクは有利と考えます。

「できる・できない」という二元的な意識を子育てに持ち込みますと、
親も子どもも無意識のうちに緊張した気持ちに追い込まれます。
同時に、親が子どもを毎日の生活の中で評価しながら、過ごすことになります。
親から子どもへの「上からの目線」、これは子育てにとって非常に危険であるのです。

この先、教育の科学が進化して、もっともっと幼児の成長メカニズムが解明されるでしょうが、
ママたちにはこのときを予感した子育てをめざして、目の前の子どもたちに接していただきたいのです。

そのためには、
親子が緊張した気持ちにならないように、いっしょにいることが心地良い関係をつくりましょうハート

そして、ここまで出来てよかったね、という目標設定のある子育てではなく、
子どもの視線から親が学べるような共感と信頼が培(つちか)われる子育てをめざしましょうハート

■2050年ぐらいになったら、文部科学省が2歳児には文字を教えましょうと言い出すでしょうか?

はっきりと言えることは、このようにはなりません。
現代においても、教育研究の成果とママたちの思いには、かなりの乖離(かいり)がみられます。

その理由の一つは、教育の商品化ということがあるのではないでしょうか?
厳しいことを申しますが、もしも、幼児をあつかう組織や企業がすべて営利性(金もうけ)をなくしたら、
早期教育という言葉は消えるでしょうね。

大学の教育研究機関として、各都道府県に国立大学付属幼稚園があります。
これらの幼稚園は、教育研究のために設置されたものですが、
こうしたところで実践されている教育はとてもベーシックなもので、
ママたちが驚くような子どもの能力や技能を高めるものではありません。

子どもたちに自立を教えるのではなく、
子どもたちの自立を促すための創意ある取り組みが行われているのです。
その取り組みとは、先生と子どもの信頼と協調ということでしょうか。
ママと子どもの関係に根ざした子育ての根本がここにはあるのです。

大切な内容でしたので、たくさん書かせていただきました。
ボクのめざす子育ては、実は、とてもレベルの高いものをめざしているのですよあせあせわーい(嬉しい顔)
ご参考になさってくださいませ。
>29 ちるこさん

こんにちは。

子どもが言葉を習得するときに、認識言語と表出言語という考え方があります。
↑いきなり難しかったりして…あせあせわーい(嬉しい顔)

子どもは親の言葉を理解しているのだけれど、
それが分かったとは言葉で表現しないということがよくあります。
○認識言語 ×表出言語
これは、まだ子どもの言語能力が低いので、
言葉によって自分のことをママに伝えられないということです。

ここで私たちが考えることは、大人の場合にもこうしたことがあるということです。
ちるこさんがご自分で何かを理解されたというのは、相当深い何かであると思います。
心の奥ではすでに理解されているのですが、それをうまく表現できない。
落とし所が探しきれないということでしょうか?

このことは、実は、子どもの場合も、大人の場合も、
「わかった・わからない」という単純なことではなくて、
私たち人間の心の構造にもそもそもの原因があるのかもしれません。

人間の心は、意識―前意識―無意識という3つの構造によって成り立っています。
この無意識という言葉の届かない部分が私たちの心のほとんどを占めているのですが、
子どもの場合は、この無意識が大人よりもさらに大きいのです。
…ということは、子どもの心のほとんどは、この無意識であるのです。

子どもに限らず、大人の場合も、行動のほぼ全部は、
無意識によって決定し、行動しています。
これが、大切な意思決定であるほどに、
この無意識は私たちに深く関わっているというのですから、
人間の心というのは、わからないものですよね。

ちるこさんにこういうことを申し上げると、
ますます悩んじゃうかもしれませんが、
どうして最愛のご主人と結婚されたのですか?
…ってボクがたずねたら、どう答えますかわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

無意識という、言葉の届かない心が決定を下したので、
ご主人をあなたが選んだという結婚の本当の意味を言葉で説明するのは、
とても難しい、もっと言いますと言葉では充分に説明できないものなのです。

そういった私たちの無意識の心と、子どもの無邪気な心とは、
お互いに自由に共鳴し、共感、反応するものなのです←良くも悪くもですexclamation ×2


本筋に戻しますねわーい(嬉しい顔)

自分の価値観に照らしながら、自分の理解を深めてゆくという、
ちるこさんのような、こういう根気の必要な能力は、
心理学者のユングが説明する内向的なタイプの方なのです。
外交的な気質の人は、自分の価値観を見極めて、内的な創造性を発揮しようなどとは考えません。

じゃあ、あなたが正しいと思ったことをやればいいじゃないexclamation ×2

↑これが、外交的な人の理解と行動です。パパッと判断が下せますが…
その時々の風向きによっては、気持ちが変わることもあります。

だから、内向的な人が外交的な人を見ると、いい加減な性格で、お調子者に見えるかもしれません。

ちるこさんとしては、ミクシィでボクと知り合ったために、
子育てではずいぶんとお考えのことが増えてしまいましたね〜わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

すぐ上のゆうとママさんへのボクからのレスにもありますが、
簡単に妥協しないで、国立幼稚園ではどんな取り組みをしているのか。
たとえば、実際にちるこさんの子どもさんを入園させてみませんか目がハート

…って言っても、国立は希望者が多くて、抽選が待っているんですよね。

ボクのちるこさんへの反応が、参考になったかなあせあせ

>31 まむむさん

こんにちは。
ウェイトレスの格好のまま、こっちへやって来たな〜あせあせわーい(嬉しい顔)

まむむさんの述べているのは、
言葉の獲得と意識化という、これは私たち人間理解のための壮大な研究テーマですね。

とても大切なことに気づかれましたが、
今ここでボクが簡単には説明できない大きな課題ですね〜。
それにしても、よく気づきましたね目がハート

…というわけで、まむむさんが、
外交的なタイプの女性であることが、ボクにはよく分かりました。

え? どうして外交的な人であるか分かったかって?

自分の気づいたことをすぐに表現できる。
表現したい。周りの人に教えたい。共感してもらいたい。

…という、そういうことですわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

が、まむむさんの心の中にも、ちるこさんのような内向的な要素がきちんとありまして、
本当は、気づかないだけでだれの心にも内向的・外交的な精神要素がバランスよく存在するのですよ。

お分かりになりましたか?


Juneさん

音楽について思いきって書いちゃいます。

子どもの美術教育
Education of art < Education through art

子どもの音楽教育
Education of music > Education through music


これはおっしゃる通りではないかと思います。
美術については詳しくないのですが、音楽ですと趣味にせよある程度のところまで行こうとすると、どうしても技術を習得することが大事になってきます。

わたしの場合、個人レッスンの先生についてやってきたのですが、先生は好きでしたし、楽器技術の取得としてはよかったのかもしれませんが、音楽教育としてはもっと違った教育を受けたかったと思ってきました。

なので、もし子供に楽器を習わせるとしたら、その辺り自分とは違う世界を与えたいかな〜と思っています。

年齢と先生と環境が大事なのではと思います。

環境と言うのは、周りに同じように音楽を楽しんでいる子供たちがいるとか、リトミックから始め、自然な形でソルフェージュ(読譜などのことです)も出来るようになるとか、(楽譜を読ませないメソッドもありますが、やはり大人になっても楽譜が読めないというのは、字が読めないのと同じなのである時期には教えたほうがいいと思います)仲間とアンサンブルをする機会があるとか、そういうことです。

Education through music

を意識したスクールなども数は本当に少ないですがあるようですので、今度見学に行ってみようかなと思います。


ここまで考えるのも、やはり音楽が子供の一生の友になったら素敵だなと思うからなんですね。
長い目で見て考えたいと思います。

もっとも子供が興味を示さなかったら、やらせないかもしれません…。

文字教育のトピなのに、すみません!!
>35 まむむさん

こんばんは。
まむむさんには、書きにくいことを書かせてしまいましたね。
たいへん申し訳なく思います。

気分を害されるということは、管理人のボクの不明として、
また、メンバーの一人として恥ずかしく思います。
どうかご容赦くださいませ。胸に手を当てて反省したいと思います。

>36 mioさん

こんばんは。

音楽教育のご質問は、これから先、このコミュにたくさんやってくるんじゃないかと思います。
音楽は、人間存在の根源に位置するものですから、その価値は非常に高く、子どもへ向けた音楽教育も尊いものと考えます。

絵を描かせたり、サッカーを教えるのとちがって、音楽はその第一歩から技巧的な要素が色濃くありますから、それをどのように子どもに伝えるのかは、難しいことですよね。

今のボクが間違いなく言えることは、発達心理学のつぎの言葉です。
「いかなる概念といえども、情緒的背景を持たないものはない。」

どうでしょうか?

たとえば、数式を見たときに、うわぁ〜げっそりふらふら見たくないと思う人がいます。
また、これを見てなんだかうれしく、心地よく感じる人もあるのです。

E=mc²

アインシュタインの特殊相対性理論の帰着点と言われる数式ですね。
これを見て、みんさんは心地いい? 気分悪いわーい(嬉しい顔)? それともさっぱり関心なし〜あっかんべー
この数式を心地よく見られる人は、一定の整った条件の下で物理を学ばれた方ですね。

ボクは音楽については、小学校のときにピアノを習ったぐらいだから、
楽譜なんてさっぱりわからないのですが、音楽をされる方は楽譜を見られると心地よくなるんじゃないでしょうか?

すべての概念には情緒的な背景があるというのは、
この数式や楽譜を目にしたときの心の動きであるのです。
この心の動きは、すべての教育に共通することですが、
子どもに何かを学ばせるときにもっとも大切にするべき要素であるのです。

ここに目を向けられる先生であれば、子どもを安心して預けられますが、
そういう先生はなかなかいませんよね。
なぜなら、子どもの情緒性という内的スキルは教育成果として測定しにくいからです。
しかも、教える側としては、たいへんな勉強をしないといけない。
といったいくつもの制約があることから、
普通の音楽教室では、子どもに音楽を教えることは音楽教育である、
というシンプルな思考に落ち着いているのではないかと思います。

しかし今日の音楽教育では、mioさんのように、
きちんとした教育の目をおもちのママもいらっしゃいますから、
相当に教える側のレベルも向上しているのではないかと思います。

つまりは、
楽器が演奏できることを目的とする古い音楽教育から、
楽器の演奏を通して人間育成そのものまでを目的とする音楽教育の発展ということを考えるのです。

楽器が演奏できる=音楽による高い人間育成=新しい音楽教育の成果

ボクは、音楽を通したからこそ教育可能な高い人間育成の世界が存在すると確信しています。

なぜって? ボクに聞かないでねあせあせ
音楽の素晴らしさとは、まずもって、子どもの育成にこそ寄与するものと信じるからですわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

>39 まむむさん


あのね、もうしばらくしたら、
たとえばだけど、【Chapter20】ぐらいになったらね、
このコミュもトピ立て自由な、フリーな空間にしたいなぁーと思っているのです。

そうしたらね、もっといろんなタイプのママたちが集まってきて、
もっといろいろな意見や考え方も出てくるだろうし〜わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

それまでは、もう少し管理人がみんなをリードして、
こういうスタイルで子育てしませんか?
というこのコミュの方向を明らかにしたいと思っているのです。

そのための弊害としてはね、
やはりいろんな意味で管理人の主張が強いと、
思わぬところでメンバーの方に迷惑をかけたり、
もっといえばハラスメント(心の暴力)のようなことも、
ひょっとしてあるかもしれないと思っています。

ですから、ボクのリードが目に余ったり、不愉快に感じられるときは、
すみやかにご示唆をいただいて、つまりは教えてもらって、
みなさんのためになるコミュであればいいなと思っていますよわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

今後とも、どうぞよろしく揺れるハート


ちょっとトピずれになるかもしれませんが、気になることがあるので
書かせてください。

2歳10か月の長女は、今のところ文字に興味がないようなので、
文字教育をはじめ、早期教育のことを考えずにいたのですが、先日、
雨の日に長女の洋服を部屋干ししていたら、「お洋服屋さんみた〜い」
と言って、「このスカートくださいな。10円ですか?」と、
私を店員に見立てて、お店屋さんごっこをし始めました。

なぜか10円という言葉だけ覚えてて、100円も10円なんですがあせあせ
その時はそのままお店屋さんごっこして終わったのですが、その時に
自分の保育園時代の、どうも腑に落ちない出来事を思いだしまして。

年中ぐらいのときに、園でお店屋さんごっこをしたのですが、紙でお金を
作って、園児が実際に自分たちが作った食べ物だったりを園児と先生で
売り買いするというものでした。

そこで私も店員をするわけですが、お客さんに「お釣りをください」
と言われるわけです。
しかし、足し算引き算を教えてもらってないので、お釣りがいくらなのかが
わからない。
ものすごく困ったのです。

その次の日くらいに、祖母(母が働いていたので、祖母に)に近所の駄菓子屋
さんに連れられて、100円を渡されて、100円内でお菓子を買いなさい
と、買い物させられたのですが、やっぱり計算を習ってないからわからない。

子ども心に、「みんなこれがわかってるのかな?私だけわからないのかな?
なんで急におばあちゃんはこんなことさすのかな?」
と、何とも言えない気持ちになりました。
今になってみると、もしかしてお店屋さんごっこをした日の連絡帳に、私が
お釣りがわからず困っていた様子が書かれていたので、祖母がいきなり買い物に
連れ出したのかとも思いますが、不思議なのは、通っていた園で足し算引き算
を教えていたのか?ということです。

私には園で習った記憶が一切ありません。
計算だと認識してないと、覚えてないということはあり得るのでしょうか?
1977年生まれですが、その頃も、計算は小学校に上がってからですよね?
もしかして、お釣りは適当に渡せばよかったのに、私が勝手に困ってただけ
なのか?たらーっ(汗)

その後私は、困ったから足し算引き算を覚えよう!とはならず、めんどくせ!
で、終わりましたあせあせ
ちなみに、時計の見方も小学校で習うまでわからないままでしたが、それで
いいんだとわかってよかったですグッド(上向き矢印)
>41 シロさま

こんばんは。
ちょっとご質問の内容からはそれたことを書くのですが、
大切なことですので、ご容赦いただいてお読みくださいませあせあせわーい(嬉しい顔)

幼稚園と保育園とのちがいをご存知でしょうか?
これは、日本だけのとてもおかしな教育制度でして、
保育園は厚生労働省がとりまとめていまして、
幼稚園は文部科学省がとりまとめの官庁になっています。

同じ子どもたちを育てるのに二つの官庁が別々に管理して、
実際には同じことをしているのに、別々の法令によって運営されているのですexclamation & question

保育園で園児を教育することは保育といいます。
幼稚園で園児を教育することを授業といいます。

保育園には、厚生労働省による保育所保育指針という教育方針があって、これによって保育が行われます。
幼稚園には、文部科学省による幼稚園教育要領が示されていまして、これに沿って授業が行われます。

大切なことは、その内容にどちらも大差ないということですexclamation ×2
一番大きな違いは、幼稚園が3才から入園可能であるのに対して、保育園は0歳から入所できるという点でしょうか。
どちらの教育内容にも、文字や計算についての記述はありません。

ご質問の足し算や引き算についても、小学校1年生からスタートします。
文字を教えることも、もちろん小学校1年生からです。

では、幼稚園や保育園では、どのような教育が行われるのでしょうか?

保育園の教育のねらいは、「健全な心身の発達を図る」ことであり、
幼稚園のねらいとするのは、「生きる力の基礎を育成する」とあります。
表現は多少違いますが、どちらも人間育成の基礎と基本をしっかりと育てるということです。

シロさんの文章からは、いくらかのお嘆きが感じられますが、
わが国の幼児教育は、昔も今も、たいへんざっくりとした取り組みが行われていることが多いようです。
このあたり、現職の保育士さんや教諭さんなんかに聞いてみたいですね。
シロさんの場合も、発達段階やカリキュラムといった教育原則とはかけ離れた取り組みでの、
ちょっと切ない体験をされたようでして、これはお気の毒であったと思います右斜め下右斜め下

なにがお気の毒かといいますと、この部分です。
>その後私は、困ったから足し算引き算を覚えよう!とはならず、めんどくせ! で、終わりました。

足し算と引き算が、プラスの意識ではなく、マイナス意識で受け止められてしまったことは、
シロさんとしてはやはり残念なことであったのですあせあせわーい(嬉しい顔)

ボクはすぐ上の>38で、子どもの学習と情緒的な背景についてカキコミをしていますが、
どのような学習を進める上でも、子どもの情緒性(高い感情)をどのようにして引き出すかという点に、
本当の学習の意味があると考えていますハート

これは、言うに易く、行うには難しい、子育ての大きな課題であるのですよ。
だから、理想をいいますと、幼いシロさんが、計算って素敵!ぴかぴか(新しい) 
〜って思える取り組みをしてほしかったんだよね。


↓幼稚園と保育所/ご参考まで
http://ba.boo.jp/hoikushishin/hikaku/
>Juneさま

保育園と幼稚園の違い、取り扱っている省庁が違うというのは知っていましたが、していることが大差ないとは知りませんでした電球

近所の幼稚園や、長女のいとこが通っている幼稚園では、外国人の先生がいて
英語の授業(?)があったり、硬筆の授業があったりし、はたまた違う幼稚園は
園内にビオトープを作ってあって、動植物の生態系を身近で観察できます、
自然と一緒にのびのび遊べますみたいなのを売りにしていたりするので、
幼稚園は授業があったりなかったりするところ、保育園は遊ぶところだと漠然と思ってましたあせあせ(飛び散る汗)

なので、幼稚園、保育園を選ぶときには、長女の性質にあった園を選ばないと
長女にとってストレスになり得ることもあるかもしれないと考えてました。
ありがとうございますわーい(嬉しい顔)
早速コピペのアドレスにアクセスしてみたんですが、エラーになってましたあせあせ(飛び散る汗)
「こども園」についても調べてみようと思いました。

>理想をいいますと、幼いシロさんが、計算って素敵! 
〜って思える取り組みをしてほしかったんだよね。

なるほど〜電球
子どもに計算や、読み書きを素敵!と思わせられるやり方だと問題ないんですねぴかぴか(新しい)
そう考えると、自分で子どもに楽しい!素敵!と思ってもらえるように、読み書きを教えることは、私には難しいので、やっぱり止めといてよかったでするんるん

ありがとうございました!ぴかぴか(新しい)
Juneさん

>38でお書きくださった内容は、永久保存版かもハート


>すべての概念には情緒的な背景があるというのは、
>この数式や楽譜を目にしたときの心の動きであるのです。
>この心の動きは、すべての教育に共通することですが、
>子どもに何かを学ばせるときにもっとも大切にするべき要素であるのです。


わたしがいろいろ音楽教室等を探していて(ここ!と言うところが見つかったので、あまり探してはないですが)、その際に大事にしているのは、たぶんこれなんじゃないかと分かりましたわーい(嬉しい顔)


楽器を弾くのに楽譜を読めることが必要か否か、というのは某有名なバイオリンメソッドが最初は楽譜を読ませず耳から入るのですが、どうもそれに抵抗があったんですね。
最初は耳から入って、読ませないのはいいとしても、ある程度大きくなっても読ませないとか楽譜を軽視するのってどうなんだろう?と。

(もちろんそのメソッドでも先生によるとは思います)


バッハもモーツァルトもJuneさんのお好きなマーラーも、みんな楽譜に自分の音楽を表したわけでですから。

なら耳から音楽を入れるだけでなく、適切な時期に楽譜を導入してもいいわけで。その時期と仕方が大切なんですよね。

楽譜が美しいという情緒を子どもが感じられるような教育…すてきですね。

あ〜、自分のこだわりがこれでいいんだ!と思えてスッキリ!しました。
ありがとうございます♪



>43 ミーコさん

こんばんは。

お書きくださっていることは、とても大切な教育の要素だと思います。
子どもがママに「伝えたい」という率直な気持ちは、
子どもの表現を伸ばすための大切な要素ですね右斜め上右斜め上

これは簡単そうで、とてもレベルの高い子育ての要素だと思います。

幼稚園で習った歌やお遊戯は、まずママに聞いてもらいたいし、
ママに見てもらいたいという子どもの気持ちがありますものねハート

これは、子どもの絵についてもその通りですし、文章をつくることも、
それから子どもがママに話しかけること自体が、
大好きなママに「伝える」という子どもの意識によって、そのモチベーションが上がり、
子どもの表現をより豊かにものにするものだと思います。

ボクは、子どもの本来的な成長の欲求そのものに目が向きがちで、
子どもとママの関係や、子どもと幼稚園の先生の関係という、
子どもの現実から生じた表現の必要性ということは、
どうも二次的に考える傾向があるようですふらふらあせあせ

伝えたい人がいるから、表現するという子どものモチベーションに
目を向けた視点がボクには弱いのですよね。

とても大切なことを教えていただきましたわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)
これは、子育ての大きなテーマですね。

「ママに伝える」っていうテーマで【Chapter】がつくれますよねハート
〜ありがとうございます。

>44 シロさん

こんばんは。

幼稚園と保育園のちがいについては、ボクなんかが説明するよりも、
現職の方がこのコミュにいらっしゃるから、
その方からの説明があった方がよかったりして…あせあせわーい(嬉しい顔)

二つの園の活動は、法的には、(くりかえしになりますが)、それぞれ、
保育所保育指針と幼稚園教育要領という法令によって決められています。
これらの法令はPCからでもすぐに見られますからざっと目を通されるのもよいかと思います。

特徴的なことは、保育園でも、幼稚園でも、
子どもの活動について規定されていないということで、
具体的な取り組みはそれぞれの保育園や幼稚園に任せられているのです。

ということは、各園の個性や特長をさまざまにアピールできるということです。
これは、子どもの個性を伸ばすという意味ではとても意味のあることなのですが、
いきおい教育の科学という視点を持たないままに、
教育実践が行われるようなちょっと考えさせられる実態もあるにはあるのです。
つまり、幼児に漢字をどんどん教えたり、英語を毎日学ばせたり、
いわゆる保護者受けを意識した取り組みということです。

ハート大切なことはこの点ですハート
保育園はこうだとか、幼稚園はこういうところだと、いうのではなくて、
まずは、それぞれの園の取り組みをよく調べられて、
子どもさんに合った施設に通わせてあげられたら理想的ですね。

…とはいうものの、ママたちの勤務を支えるのが、
保育園であるというみなさんの生活に根ざしたねらいがありますから、
最近は、首都圏の幼稚園では定員割れして、
逆に保育園には入れないで待機する子どもがいる、
ということが社会問題化していますよね。

この先、保育園と幼稚園が一つになるという議論も大きくなっていまして、
これを幼保一元とか幼保一体化などといってますが、政治と既得権などの問題もあって、
幼児教育はまだもう少し整備に時間がかかるのかもしれませんね。


幼稚園教育要領
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301a.htm
厚生労働省 新保育所保育指針'
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/hoiku04/pdf/hoiku04a.pdf#search='

>45 mioさん

こんばんは。

>38の内容は、子どもの学習という観点からは、
もっとも重要なことを描かせていただいていますよ〜わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

教育科学では、学習とは概念の獲得であると考えていまして、
そこには子どもの感情というやんわりとした要素がたくさん介在すると理解されています。

…ですから、ボクは、その対極にあるフラッシュカードのような、
幼い子どもの本能に直接はたらきかける活動には、
どうも素直にYESと言わないのですよふらふらあせあせ

子育て、つまり質の高い本当の教育は、どこまでいっても、
人間関係による高次の精神活動であるのです。
ボクが、このコミュを立ち上げたその根本は、
このことをみなさんに知っていただきたかったのです。

↑とうとう書いちゃいました富士山富士山

メンバーのみなさんの一人でも多くの方に、
このことをご理解いただきたいと思っていますよハート達(複数ハート)

>49 chellcaさん

こんばんは。
このチャプターはみなさんのカキコミが多いですね。
文字教育への関心の高さがうかがえます。

子どもが成長の中で自然に身につけるのは、
走ること・踊ること・描くこと、この三つだと言われています。
この三つは世界中の子どもが自然発生的に行為しますハート

このなかに文字を覚えることと書くことは含まれていません。
精神科学の立場から、言葉は人間の精神を切り裂く作用があると考えられています。
言葉を習得すること、話すこと、書くこと、言葉に関するすべてには、
いわゆる副作用があると理解することは、子育てにとって重要なことですexclamation

ここまでのことをひととおりご理解いただいて、
そこから先のことになりますが、
三〜四歳の子どもが家庭環境によって、または与えられた教材によって、
自然な形で文字を理解できるようになることは否定すべきではありません。

しかしながら、多くの場合は、子どもが文字を習得するプロセスを、
ママが心の中で積極的に支持していることが多いのです。
子どもは、ママのこの心理を受け止めて文字学習に向かいますから、
このママのデリケートな心情は心して子どもに接していただきたいのです。

ボクがいつも申しますように、
年齢的に早めの文字教育が、十五歳以降の高等教育において有利か不利かをいつもお考えください。
これまでにも言われていることですが、早めの文字教育や数学教育が将来にわたって、
子どもに有利にはたらくことはほとんどありません。

ボクの経験においても、遅めの教育方針をもつご家庭の方が、
その後の子どもの心的な成長は大きいことを感じています。
はっきりと申しますと、子どもを急がせない教育方針をもつご家庭の場合、
ご夫婦が高学歴の場合が多いのです。

高学歴のご夫婦の場合、子どもの大学進学を前提として子育てをなさいます。
子育てのピークが十代の後半にやって来ることを
当然のこととして子どもに接するわけですから、勝負を急がないという、
そういう覚悟が最初からあるのかなと思うことがあります目がハートわーい(嬉しい顔)

いずれにしても、子育てを長いスパンの中でお考えいただいて、
子育てを仕事にしているいわゆる教育業者の思わくに加担しないことですね。
厳しいことを申しましたが、世間の流行に惑わされることのない、
子育てを志してくださいませ。子育てに流行はないのですからハート


タイムリーに気になる話題だったので、カキコミさせていただきます(*´∀`)

息子は、えんぴつに興味を持つのが早く、かなり早いうちから顔らしいものを描くようになりました。
おそらくですが、私が趣味と仕事で絵を描くので、その影響があったのかもしれません。
今3歳9か月ですが、動物や建物、植物など、かなりはっきりした絵を描くようになっています。

また、絵本が好きで、うちにあるものはそう冊数は多くないのですが 読み聞かせているうちにひらがなの読みを覚えたみたいです。(教えるような読み方は一切していません)

はっきりとした筆使いとひらがなが読めるようになったことが合わさったのか、昨年11月(3歳5か月)頃から自然と見よう見まねで字を書き始め、今では五十音書けるようになりました。しつこいですが、教えたことは一度もなく、書き順などは自分の好きなように書いてるのでかなりむちゃくちゃです…(^_^;
最近はカタカナの存在に気付き読み書きできるようになりたいそうです。ほしいというのでカタカナ五十音ポスターをプリントアウトしてやると、時々ひとりで見ているようです。

絵に関しても字に関しても、出来たことに関しては例えばブロックや積み木と同じように誉めてきました。
教室、ベネッセなどの教材には今のところ何も手を出しておらず、私に「早くから学ばせよう」という意識は全くありません。主人も同様で「教材なんて今からやらなくていい」と言います。

Juneさんのおっしゃるように、うちは夫婦とも4年制の大学を出ていて息子にもやはり大学進学を前提に考えており、そうなってくるとピークは高校受験大学受験のあたりになるので、何も急ぐことはないと思っています。幼稚園も小学校も公立に通う予定なので…

そんな感じで、私は力を入れるということは今のところ一切なく、かなりゆるく子育てをしている方だと思います(^_^;

書いたり描いたりするだけではなく相変わらずブロックもままごとも好きですし、走ったり踊ったりも毎日してとても元気のいい子です。

こんな感じですが、私はこのままでいいんでしょうか…(^▽^;
カタカナが読み書きできるようになったら漢字がどうのって言い出しそうな気がしているんですが、子供が自分で学びたいなら好きにさせていればいいのでしょうか?
書いちゃダメというのもおかしいですし…(´・ω・`)
>52 横山ポッポンさん

いくつかの大切な課題を含むご質問をいただいています。
まずは、パパとママの学歴のことです。

欧米諸国と同様に、わが国も学歴社会が形作られています。
パパとママのお二人の学歴によって、子育ての考え方にも違いがありますし、
社会観や職業観にも違いがあるものと思います。

しかし、家庭環境のこうしたバックグラウンドを問うようなことは、
現代社会では一応マナー違反とされていることでして、
ボクもこのコミュニティーのみなさんにおたずねしたことはありません。

でも、実際的な子育てとなりますと、パパとママの学歴というファクターは、
とても大切で切実な、現実問題であるわけです。
ですから、ポッポンさんのように、このことを明確に書いていただきますと、
ボクとしては非常に回答しやすいのです。

ちなみに、両親が四大卒業のお家は8%です。
都内23区に限って申しますと、30%を超えるというデータがありますが、
それでも3割ということは、私たちが思う以上に大卒者は少ないということかもしれません。

ご質問に回答します。
ママの文字教育に対する考え方は、良好で、健全です。
ご心配に当たりません。自信を持ってお育てください。

ここまでが、ボクからの第一の回答ですexclamation

つぎに、さらにご質問を掘り下げて考えてみましょう。

>おそらくですが、私が趣味と仕事で絵を描くので、その影響があったのかもしれません。
>今3歳9か月ですが、動物や建物、植物など、かなりはっきりした絵を描くようになっています。

ポッポンさんからは以前に、「子どもギャラリー」のトピにご投稿いただいたことがありました。
今、確認したところ、レス番15にご質問とボクちゃんの絵3点がありました。

ここからは、子育て上級編の内容になりますあせあせわーい(嬉しい顔)
みなさんもそのおつもりでお読みになってください。

以前にお示しいただいた3点の絵の解説からです。
この3点の絵は、とてもよく出来ていますねハート
しっかりした描線、子どもの意思が表現された形、
人物の表情までが明確に描かれています。

子どもの絵は、子どもの存在の全体的な姿が投影されるものです。
家庭環境や母子の関係、それからその時代性や文化の影響までも、
子どもの絵には含まれるのです。
つまりは、子どもが絵を描くというその行為には、
子どもの全存在としてのアイデンティティーが示されるといってもよいでしょう。

この観点から申しますと、子どもの絵はママの存在を通したボクの内的世界を意味します。
このことは、文化的な環境としてとても好ましい反面、
一定の方向へと人間成長を方向付けする作用も併せもちます。
このことをママが意識されることは、とても大切なことです。

健康で、利発なボクちゃんであること、
これに加えてママが意思を持って生きる志向性をボクに示されていること、
(これはママが無意識的に行っていることも十分に考えられますが)
これによってボクの生きる姿勢というものが今の時期すでに、
はっきりとしたものになっていると感じます。

これは、これで、よいのですが、ご質問にあるように、
お子さんに高い教育を受けさせようというご両親の意思がすでにおありの場合は、
なるべく早い時期に、人的に恵まれた教育環境にボクを置くことが望まれます。

すなわち、幼稚園や保育園、それに児童館などの地域教育施設で、
子どもをお育てになることをお薦めします。
と申しますのは、これに対する家庭を母子の教育の場としたいからなのです。
ポッポンさんのお子さんの場合などは、早いうちに外の世界に触れさせて、
より多くの人たちと接する機会を設けてあげることで、
より大きな可能性を獲得されることでしょう。

あとね、ご興味がありましたら、
絵画と人間成長についてもいろいろあるのですが、
また、「子どものギャラリー」にでも書かせていただきたいと思います。

これで、いいかなほっとした顔

小生は、児童養護施設からの依頼による公文式導入の仕事をしています。社会貢献事業の一環ですが、措置されてくる子どもたちの九割近くが虐待、ネグレクトの2歳児〜です。親の育児放棄がずっと続いてきた子の中、最近は三割以上が発達障碍を持っています。その子たちに対して保育士が薄給で奮闘しています。この子どもたちに、先ずは歌・童謡、漢字(カード)ひらかな、日常語彙を遊びの中で覚えさせるのは、親・家庭と縁の薄い子らには自立のためにも必要とおもっているのですが・・・世の中には色んな生活をしている人たちがいるのですね(^.^)
>54 升空さま

尊いお仕事をなさっておられるのですね。
みなさんがご存知の公文式、その本社ご勤務で今年定年まではたらいて来られたということですから、教育のいわば王道を歩んでこられたとも言えるでしょう。

ママたちなら、だれもが知っている公文式の塾ですが、こうした社会教育事業にも参加しているとは、知る人は少ないのではないでしょうか?

ここに記されているように、発達障碍をもつ子どもの多くはネグレクト(育児放棄)を含む幼児期の虐待を受けているのではないか、という指摘があります。これまでは、虐待と発達障碍を直接つないで考えることは積極的にされなかったのですが、最近の研究では、虐待と発達との関係が頻繁に取り上げられるようになりました。

こうした子どもたちは、文化的な環境が著しく欠如していることも少なくないことから、升空さんのようなお仕事に大きな価値が見いだせるものと思います。文化的な環境作りからの公文式の導入という観点は、社会的に深い意義が見いだせるものとボクは思います。ここまでの升空さんのお仕事に敬意を示すものです。

Juneさん、ありがたいお言葉です。小生この部署、といっても児童養護施設、自立支援施設、少年院などに公文式を導入するお手伝いで丁度6年経ちました。実は来月定年後、この部署を離れて総務関係の日雇い仕事をすることになります。発達障碍や統合失調症などの子どもたちに出会えた貴重な年月でした。

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