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〜日記から始まる日々のエール〜コミュの【読】 シングルブロック フィーダ ライト

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水の中でなら、ガラスはハサミで切れる。

どうしてかは知らない。死ぬまで知ることもない。


・・・・・・・・・・



いわゆる「田舎」というものが自分にはありませんでした。
九州に「本家」というのはありましたが、葬式や祝い事に両親が行くだけで、
自分たちきょうだいには全く縁がありません。
だから、夏休みや連休に同級生が「田舎へ行く」というのが羨ましくて、
漠然と、年寄りや自然に囲まれる生活というものに憧れていました。

中学一年のとき、近所の家族が伊豆の田舎へ遊びに行くのに
誘ってもらったことがありました。
なぜかタイミングが悪く、僕一人だけの参加になり
他人の家族と、彼らの田舎で夏休みの数日を過ごすことになりました。

新宿で乗り換えて、かっこいいかたちの電車に乗りました。
前の日、眠れなかったのでうとうとしていると
三つ年上のトシオくんが肩をゆすって起こしてくれました。
「海、海」
埼玉には海がありませんし
それまでの人生で電車から海など見たことがなかったので
僕は奥歯がカチカチ鳴るほど興奮しました。
吸う息が急に太くなったようで、海面の光るのへ電車が吸い込まれて行くような気にもなりました。

駅へ迎えに来ていた知らない老夫婦と一緒に、知らない家に行きました。
しかし他人といえども親戚のような付き合いをしていた家族でもあり、
僕じしん子供でしたので、あっという間にその「田舎」の人や空気に慣れました。

最初の二日くらいはその家族と、海水浴やバーベキューなどをして楽しかったのですが
だんだんと何をしてもつまらないような気になって
僕はあまり喋らなくなりました。
今思うと、ホームシックだったのでしょう。
おじさんおばさんやトシオくん、おじいちゃんおばあちゃんまでが
ほんとの家族のように心配してくれました。
けれど、気を使わせてしまっているのが心苦しくて
次の日からは、図書館で宿題をしてくると言って
日中は一人でふらふらするようになりました。

少し歩いたところに小学校があると聞いてはいたのですが、
実際に辿り着くと木造の町役場のような建物に
妙に砂っぽい校庭のある、古い写真のような景色で
がっかりというか、心細い気持ちになりました。

なぜ小学校へ行ったかと言うと
単純に「理科室で一人遊びをしたい」というのが目的です。

小学校の時から、日曜日などを利用して
窓のガラスを小さく割ったり、鍵を壊したりしては
校舎に忍び込み、理科室で静かに遊ぶというのが僕の趣味でした。

とくに何をするわけではないのですが
普段興味があっても、まじまじ見ていると同級生に
「気味がわるい」といわれるような標本を日にかざして見つめたり
実験器具のいちいちを手にとって、その使いかたを心から納得して
「うん」
と言えるまで練習したりするという地味なものです。

ですので、「田舎」の理科室には手付かずの魅力のようなものを感じていたのです。
標本や器具も、自分の知っているものよりはるかにアンティークなものを期待していました。

校舎は平屋でしたので、ぐるりとまわると
すぐに理科室を見つけることが出来ました。

木枠の窓に手をかけると、信じられないことにスルスル開いてしまいました。
ちょっと驚いて、いったん窓を閉めてから
あたりを見回したら、すぐ後ろに背の高い綺麗な女の子が立っていました。
驚き具合のちょっとが一瞬でマックスを振り切ってしまったので
僕はその女の子に足払いをかけて走って逃げることを考えました。

「東京の子?」

女の子は特に不審がる様子も無く話しかけてきます。

「違います」

「この学校の子?」

「違う」

「あたしも」

そのあたりで、僕が身構えていることに気づいたようで
僕と女の子は少しの間、睨み合うような感じになりました。

「なにしてたの?」

「なにも」

「窓開けてた」

「違うよ開いたんだよ」

「じゃあしょうがないから、入ってみよう」

「へ?」

からっと窓を開けて、鉄棒で前周りをするようなアクションで
女の子は理科室へと入って行きました。

僕が口をあけて眼を閉じていると

女の子が窓から顔を出し

「こないの?」

と小声で言いました。

僕は自分の獲物を横取りされたような釈然としない気持ちでしたので

「帰るとき、ちゃんと窓閉めてってください」

と言って、回れ右をして海のほうへ走っていきました。
窓を閉めろと言ったのは、自分が明日来るときのために
余計な警戒をされないようにです。

次の日は、朝六時に小学校へ行きました。
窓はきちんと閉まっていましたが、やはり鍵は開いていました。
窓から侵入しようとして、膝をぶつけて痛い思いをした時
反射的に昨日の女の子の、軽やかな身のこなしが頭に浮かび
なんだかムッとしました。

初めてガラスを切ったのは、小学四年のときでした。
いつものように理科室でなにやらしていたときに
ビーカーの中にカバーガラス(顕微鏡のレンズを近づかせすぎて、みんなぴしと割ってる例のやつです)
を落としてしまったことがありました。
中には透明の液体が入っていて、授業で習ったように手のひらで煽いで匂いをかぐと
水ではないような匂いがあり、危険な水溶液だと嫌ですので
ピンセットを探したのですが、あいにく近くにハサミしかなかったので
挟んで取り出そうとしたとき

「しょん」

と切れたのです。

その時の驚きと感動は、なんとも言えません。
二時間もかからず、理科室のカバーガラスとプレパラートの在庫は無くなりました。

そして、その田舎の理科室にも、それらはありました。
のん気なことに実験棚に鍵もかかっていなかったので、壊す手間が省けてよかったです。

その日は晴天で、すでに太陽はすっかり昇り、セミも驚くほどたくさん鳴いていました。
僕は洗面器くらいのガラス容器を選んで、ふちの少し下まで水を張り
ふうふう言いながら実験机の上におくと
いそいそとガラス切りをして遊ぶ準備をしていました。

やたらとセミの鳴き声がうるさく聞こえ始めたので、窓のほうを見ると
昨日の女の子が、ひょいと入ってくるところでした。

あわてても騒いでも仕方がないので
僕はその女の子を無視することにしました。
しかし、やはり気になるだろうと思ったので、その日は一枚か二枚切ったら
自分を満足させて、帰ろうと考えていました。

「ねえ、君いくつ?」

「名前は?」

「なになんか実験するの?自由研究?」

自分としてはこの時点で「ちょっと遊びたいだけ」に集中していたので
無視することは比較的楽でした。

「あたしはね、近松あるみ。今年高一。聞こえてる?」

「あるみ!」

僕は思わず名前を復唱しました。

「どど、どんな字書くの?」

「えー、普通に有り無しの有に美しいだよ」


田舎に連れて来てもらう数日前
少年サッカーの練習がありました。
僕はいつも自分で大きなおにぎりをこさえて、お弁当にしていたのですが
そのおにぎりを包むアルミホイルを丸めていたら
なぜか止まらなくなって

「どこまでも固くしてやりたい」

と思い、
家に持ち帰ってから、ぎゅうぎゅう握り、足の裏でごしごしと踏み
しまいには金槌で引っ叩いたのです。

何度か叩いていたら、突然火花とともに
「パーン!」という炸裂音がして
アルミホイルの固まりに黒い焼け焦げがつきました。

「やや!」

思わず声を出し、僕は「アルミは叩くと爆発する」ということを学習するとともに
この夏休みのうちに、アルミという金属のことを徹底的に知ろうと決めていたのです。

だからその女の子が

「アルミニウムのあるみ」

と言ったときには、心底驚きました。

「あのさ、今からちょっとガラス切るけど。やってみる?」

「やる」

アルミニウム。

結晶はルビー。そしてサファイア。
当時はアルツハイマー病の遠因として取りざたされ
ガスコンロで炙れば火が着き
「電気の塊」と言われるほど精製に電力を要す。
赤で青で白銀の宝石で金属。
さらに毒。そして燃える。むしろエレクトリカル。

金属の姫。
耐えられない負荷に爆発で応えるなんて、絶対女の子。

僕がアルミニウムに抱いていたイメージは、そんなメルヘンチックな感じだったのに
ハサミを手にして隣でそわそわしている有美という女の子は
妙にフレンドリーでした。

学校でも図書館でも、水中でガラスが「こんな感触」で切れるなんて教えてくれなかったので、
僕は僕だけの秘密として、少し自慢したかったのかもしれません。

腕まくりをしてもらい、肘まで水に沈めての切断を勧めました。

「なにこれ!なにこの感触!」

ふふふ。と思いました。
そんなもんがほかにあるかいと、僕は自信を持って胸を張りました。

「ああでも、水とガラスの比重の関係かな。水圧に親しいんだよ多分」

んなこた知ってるよ!と叫びそうになるのをこらえて、いや、そのことを知ってなお
「でもそのこととその感触は、全く関係ないでしょう」
とクールな感じで言えてればいいなと、有美の顔を見れないまま言いましたつぶやきました。

「いつまでこっちにいるの?」
有美は僕の恥など無視して顔を上げます。

「あ、あの、明日っ、帰る埼玉」

ださいとてもださい。やっぱり足払いよりスライディングタックルでこの場を後にしたい。
天に誓ってそう思いました。

「埼玉!どこ?」

「川越のほう」

「あたし今住んでるの川越だ!」

僕はとても追い詰められなような気持ちになって

「そうですか、さようなら」と窓から帰ろうとしました。

「だめだよー、後片付け!」

「はい」

それきり僕は口をきかず、簡単に後片付けというか証拠隠滅の作業をこなしました。

「あのさあ、ガラスってさ、厳密には固体じゃないって知ってた?」

固体に決まってると思いながら、僕は有美のことを「気持ち悪い」と感じていました。
まるで三面鏡に映る自分の横顔に話しかけられているような錯覚を覚えたのです。

「二百年位前のアメリカの建物とか、窓ガラス見ると下のほうが厚いんだよ」

少し興味を持ちましたが、もう口をきくもんかと決めて唇をとんがらせていたので
ほっぺたがピクとなってしまいました。

「流れてるの、水飴みたいに。止まらないんだよ、ガラスって」

そのことは知らなかったので、僕は悔しかったです。もっと知りたいと思いました。

「はいおしまい」

有美はパンパンと手をはたくと、僕の顔を覗き込みました。
ライトブラウンの右目と、ブルーグレーの左目で。

「これあげる」

手渡されたのは彼女宛の暑中見舞いの葉書でした。
差出人に「お母様より」と読み取る頃には、もう彼女の姿はどこにもありませんでした。


十月に入った頃、僕は有美に手紙を書きました。
長いこと何を書いたらよいか考えた末のものでしたが、
要約すると「友達になってください」といった内容のものだったと思います。

有美と「友達」になるのはとても簡単でした。
手紙が着いたと思われる次の日には
「明日遊びに行く」と電話が掛かってきましたから。

はたして次の日の放課後、有美は僕の家にやってきました。
三人きょうだいで自分の部屋も無く、何より中一でしたので、女の子と家の中で二人きり過ごすという発想がありませんでした。
なので僕は、近所にある公園で、彼女の話をいろいろ聞きました。
両親は離婚しているが、それぞれにとてもお金持ちだということ。
お父さんとお手伝いさんと暮らしているが、世界中色んなところにしょっちゅう引っ越さなければならないこと。
高校もインターナショナルスクールとか言うところへ通っていて
日本語よりも英語やポルトガル語が得意だということ。
眼の色が左右違うのは、母方の先祖が鬼を退治したときの祟りだということ。

そのすべてが、埼玉の片隅で機械屋のせがれとして生きてきた僕には、現実離れしていました。

彼女と会った次の日、僕はあまりにも多い情報量を処理できず
熱を出して寝込みました。


それから僕が高校二年になるまで
2、3ヶ月に一度くらいのペースで有美と遊びました。

「君といるとたまに自分が喋ってるのか君が喋ってるのかわからなくなる」

大学生になった有美は、いつも銀色のベンツで僕を誘いに来ました。
クーペだったりセダンだったり、しょっちゅう形は違いましたが
「銀のベンツ」はなぜか固定でした。

僕がパンクロックに夢中になっていた頃、有美は徒歩で現れて
「好きな人ができちゃった」
と困ったようにうつむくと、そのまま
「握手」
と手を伸ばしてきました。

その時、僕は感情に何の起伏も起こらずただ
「そっか」
としか言わなかったのが、いまだに自分でも不思議な感覚として残っています。

冷たくて力強い手の感触が離れ、「行ってくる。ちょっと怖いけど」と言葉を残し
有美は走っていきました。

そしてその年末にロシアの近くへ引っ越すと連絡があったきり、有美は二年間音信不通になりました。


・・・・・・・
すみません続きます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1307110877&owner_id=801210

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