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アトピオトコ倶楽部コミュの管理人ラックスの体験談(前半)

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アトピー性皮膚炎の発症

私がはじめてアトピー性皮膚炎という病名を聞いたのは、 19歳の時、入院先の皮膚科の病室です。 「この病気はどういうものですか?か」と聞く私の質問に 「原因はわからない」といいながらも、右手に手袋をさし、 私の体中にベタベタと塗るこの薬のことを"アトピーの特効薬"と いう看護師さんの言葉は、私には理解できないものでした。

薬科大学に入ったばかりの私の生活はひどいもので、 食事はホカ弁とインスタントラーメンに炭酸飲料、タバコは1日3箱、 コーヒーはガブ飲み、睡眠時間は1日平均5時間くらいでしょうか。

1年生も終わり頃、ある朝のことです。 体がだるく、寒気がして、ちょうど風邪のような症状でした。
ただ額にできた膿をもったかさぶたを見て、自分の体に何か悪いものが侵入してきたのではないかという本能的な予感はありました。額にできたかさぶたは、夕方には顔全体に広がり、 ますます膿をもって、腫上がりました。
熱は40度以上となり、腫れた眼に、 ほとんど視界もなくなっていました。翌日 訪れた皮膚科での医師の診断は、顔面「ヘルペス」、 体「アトピー性皮膚炎」、両方ともはじめて聞く病名です。 即入院、その日から1日2回の外用剤塗布と点滴開始です。
2週間ほどで、ヘルペスはよくなったものの、 アトピーは良くならず、 退院後、週に一度の通院を言われました。それから皮膚科通いが始まるとは、、、。


ステロイド療法

週に一度の皮膚科通いは大学2年生の時から始まりました。

毎回毎回通院するたびにチューブに入った軟膏と、 かゆみ止めの内服薬をもらってきます。 その頃になるとステロイド剤の副作用も薬理学の講義で習っており、 医師に 「このチューブの軟膏はステロイド剤ですか?副作用は大丈夫ですか?」 と尋ねても医師の答えは「ステロイド剤は外用で使うと問題はない」の ワンパターンでした。

私自身、ステロイド剤に関して卓上の知識はあったものの、 正直、副作用の怖さは体験していませんでしたし、3年4年と進級するにつれ、講義、実習、レポート、試験と忙しくなり、アトピー治療は医師にまかせっきりで信じるままステロイド剤を塗り続けました。 大学卒業後大学院に進学すると、 研究に、論文にとますます時間が拘束され、肉体的、精神的ストレスの付加も壮大となり、 生活習慣も人並みはずれたものになりました。 その頃になると、19歳のときから毎日塗り始めたステロイド剤のランクも最強となり、 1日1回の塗布ではかゆみを抑えきれず、 1日2回の塗布でも顔の赤みは抑えられませんでした。

卒後、25歳で製薬会社の研究員となってから本格的にアトピー治療に乗り出し、 数年間通った皮膚科をかわり、評判の良い皮膚科を転々としました。
しかし、治療はどこも同じ。 ステロイド剤の外用と抗ヒスタミン剤の内服です。 その間色々な民間療法も試みました。
しかし、どれも効果はありませんでした。 最強のステロイド剤を使用していながらも、 顔の赤みは日に日に強くなっていき、睡眠時間もかゆさのため障害され、 一晩中眠れない夜を何日も過ごしました。




ステロイドの離脱

27歳の時、アトピーについて真剣に考え始めました。

どうすればよくなるのか、何が原因なのか、 どこに名医がいるのか。 手探りの状況の中、少なくともステロイド剤だけは絶とうと思いました。 ステロイド剤がアトピーを悪化させているという事実は自身の体験の中、 確信できたからです。

とはいえ、たった1日中止すると、かゆみのため仕事が手につかず、 顔と首は赤の色紙を張ったかのように真っ赤になり、 イライラした状態が続きます。 耐えきれず、ついステロイド剤を塗ってしまう自分に罪悪感と嫌悪感を感じていました。 就職した会社を2年間で退職し、将来の薬局開業に備えた修業のため、 地元の薬局に就職しました。

漢方療法をはじめたのは、就職した薬局の薬剤師の薦めです。 漢方薬を飲みながらステロイド剤の離脱を試みましたが、 2日後3日後とかゆみが増していき、5日目で耐えきれず挫折、 最強のステロイド剤を3日間塗り、 炎症がある程度おさまった時点で再度離脱開始、そしてまた挫折。 ステロイド剤塗布。こんなことを3ヶ月ほど繰り返したでしょうか。

ステロイド剤の完全離脱を一大決意しました 1週間後には全身ペンキを塗ったかのように真っ赤になり、 かゆみを解消するために枕もとに用意したフォークで 全身をかきむしりました。 傷ついた皮膚からは血液と分泌物、そして粘液が溢れ出し、 かゆみの地獄から痛さの地獄へ世界が移動します。

そして約半年後、 ようやくステロイド離脱地獄から抜け出しかのように 自分では思っておりましたが、、、、。




食事療法との出会い

薬局を開業したのは29歳の時です。

自分自身のアトピーを治せないまま、白衣を着て店頭に立ち、 病気や薬の説明をする姿を客観的に見て滑稽なものを感じていました。 同時に、アトピーは何をしても治らないという焦りや不安が いつも付きまとっていました。

食事療法を始めるきっかけは、来店したある男性客との会話の中にありました。 男性の娘さんがひどいアトピーで、 明神診療所で食事療法を受けているというのです。 長年ステロイドを塗っていたこと、いくつかの病院を転々としたこと、 温泉療法を試みたこと、宗教に入信したことを語った後、 現在食事療法の重要性を実感しているというものでした。 その診療所を教えてもらい、さっそく電話予約、 2週間後に初通院となりました。

和歌山市内から特急で2時間半、古座駅からタクシーで20分の山あいにその診療書はあり、 目の前を流れる川は澄んで魚たちが悠々と泳ぎ回り、 その後ろに大きく控える山は、貫禄のある構えで、市内には無い風情を感じました。

診療所のスタッフは森田医師をはじめとし、 その婦人の薬剤師、その他看護婦さん、事務員さんで、待合室の一角の畳敷きには家庭用の テレビが置いてあり、なんとなく田舎ならではの安らぎを感じました。 時間予約のためか、私のほかには1組の親子だけが、 順番を待っておりました。

マイクが「中野さん、どうぞ」と流れ、 診察室に入ると、机の前に座っていた森田医師はやさしい言葉で「どうぞおかけください」と 患者の座る椅子をこちらに引き寄せてくれました。 数分間の問診の後、視診。上着を脱ぐのが不快感に感じる私の感覚を察したのか、 「ゆっくりでいいですからね」といって気遣ってくれます。 胸から上が真っ赤な私の体を診るなり、 「ステロイドの離脱やねえ、でももう終わりかけやわ」という 医師の言葉に「まだ離脱は終わっていなかったのか」と ステロイド剤の怖さをその時再び思い知らされました。 その頃わたしは宅配温泉での入浴をはじめたばかりでした。 「温泉はいいけど、それだけではアトピーは治らない。食べ物の管理が重要」と 森田医師は食事療法の重要性を説かれます。 「日本人は原則として日本食を食べなければなりません。本来、 日本人の体は日本食のみを受け入れるように造られているのです。

米を食べ、魚を食べ、旬の野菜を食べる。それが基本なのです。 ここでの療法は除去食療法ではありません。」

さらに 「昨今の食品添加物や農薬に 体は悲鳴を上げているのです。 それが、今日の生活習慣病やアレルギーとして、 体に警告しているのです。」と。 「しかし、たんぱく質や糖分は体に必須のもの、 そんな野菜中心の日本食で栄養は摂れるのですか」との質問に森田医師の言葉は続く。 「昔の日本人は、肉も卵も食べずに筋肉質で、肉体労働していた。私の子供もたんぱく質は魚を1日1/6匹程度で、 マラソンをしている」。 なるほどと思いました。「血液検査の結果、卵はだめ、 牛乳はだめといっているのではない。 現在の医療は、卵や肉、牛乳が我々の環境に 当然存在しているものとして、それを受け入れられるか、 そうではないかの検査にすぎない。 高度成長期を越えた頃からの環境の変化に、 順応し切れなくなった体が悲鳴をあげているというのであれば、 我々の体に悪影響を及ぼしている悪要因は食事に限ったことではない。 昔の日本人は、日の出と共に起き、汗をかきながら、肉体労働をしたあとで食事をとり、 洗濯や家畜の世話は、自然のエサを使い、 水を汲みに川まで何キロも歩き、日が沈む頃になると、就寝した。 何世代にもわたって、つくりあげてきた我々の体は汗をかくように、歩くように、 よく眠るようにできている。 しかし今日の社会は、24時間都市と呼ばれて久しいが、冷暖房が完備し、 交通機関の発達が著しい上、エレベータにエスカレータ、 歩く歩道も目立ってきた。 外食産業も盛んになり、早く安くサービス良くが当たり前になり、 むしろ質素な日本食は敬遠されがちである。
洋食中心の食事に加えて食品添加物や農薬を体内に取り込み、一年中汗もかかずに運動不足に睡眠不足、体が悲鳴を上げるのも無理は無い」とヒシヒシと実感しました。
明神診療所では、日本食を取り入れることを基本として、湿疹の出ている場所に応じて、食品の選択が行われます。 診察の後、薬剤師の喜久子婦人が説明してくれます。 30分以上にもわたり、基本的な食事指導の後、 懇切丁寧に指導していただきました。


アトピーの軽減

明神診療所を訪れた次の日から アトピーの克服に向けて歩み出しました。

米、野菜、海藻、芋、豆だけの食事ローテンションをくみ、 ボクシングとマラソンをはじめ、たっぷりと汗をかきました。 自分にあった漢方薬は自分で選薬し、入浴は宅配温泉に1日2回程度、 自分で配合したオリジナルの薬草を入れ、1日平均40分の入浴を行いました。 風呂上りにワセリンを体全体に塗るだけで、 それ以外の薬は一切使いませんでした。

あの恐ろしいステロイド離脱地獄が私をおそったのは、 それから3週間ほどたってからでしょうか。 夜、寝床に入ってから額と胸から分泌液が流れ出て、シーツや枕に"ボトッ、ボトッ"と音を 立てながら落ちていきます。 体を掻きむしり熱くなった体に流れる汗が血液と粘液と交じり合い、 混ざった粘液がまた皮膚腑を刺激しかゆみが増すという悪循環に陥りました。朝まで 1時間くらいは眠るでしょうか、朝9時には起床、温泉に入った後、 ワセリンを塗り、仕事にでかけます。 薬局経営という商売上、私の外見がお客様に不安と不信をあたえるため、 しばらくの休業を考えましたが、 「絶対克服する、その時今の自分の姿と見比べてほしい」との 思いもあり、店は続けました。

顔に分泌物を抑えるために包帯をまき、手の指は曲がらないため、 会計は店員にまかせっきりで、店は休まないという信念はあったものの、 今から思えば、勇気のある行動だったなあと我ながら感心いたします。 早めに店じまいをして、帰宅。 夕食の後、7Kmのマラソン、温泉入浴。漢方治療。 それから何度か訪れた明神診療所での森田医師と婦人の森田薬剤師の 励ましがなかったら、 先の見えない今の治療を続けていなかったでしょう。

3ヶ月ほどたったある朝のことです。 自分の胸を触ってみて"あれ?"という感触がありました。 ザラザラしているものの、分泌液はでていないのです。 それまでは、分泌液が接着剤の役目をして寝巻きが皮膚にべったりと くっついていたものが、その日は難なく着替えることが出きる。 さらに1週間2週間と過ぎるにつれて、 額から流れ出る分泌液も少なくなってきました。 睡眠時間も徐々に増えていき、 一度は52Kgまで落ちた体重が元の64Kgの体重に戻るにつれ、 顔の赤みも引いていきました。
そして安定した時期は2週間しか続きませんでした。
三たび、離脱地獄に襲われました。
その後の数年間で離脱地獄を2回体験しました。

離脱地獄を繰り返すごと、程度は軽くなっていくものの、 想像を絶するに値する苦痛を体験しなければなりません。



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